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第5話「帰り道」

最初に見たのは、手だった。薄く伸びた手。

骨ばって男の手の様だが妙になめらかで女のものの様でもある。

ガードレールの向こう。

山の中へ続く、細い道の先。

誰かが、手招きをしていた。

気づいたときには、もう山の中を歩いていた。

坂の途中で、車とすれ違ったのを覚えている。

そのあとから先は、曖昧だ。

ただ、静かだった。

音が、なかった。

山の中を進むにつれて、草木で足元も見えなくなっていく。

それでも、不思議と怖くはなかった。

進むべき場所が、分かっていたから。

やがて、開けた場所に出た。

二本の大木。

支え合うように、空へ伸びている。

その間から光が差していた。

黄金とも、黄緑ともつかない光。

まるでこの森の木々から木漏れ日を集めたような――

吸い寄せられるように近づく。

気づいたときには、

もう向こう側にいた。

振り返っても、来た道はなかった。

そこには、動物がいた。

鹿や猪に似ている。

でも、どれも異様に大きい。

そして――

話していた。

言葉が分かるわけじゃない。

でも、会話していると分かった。何やら楽しそうに笑みを浮かべている。

その中に、ひとりだけ。

人の姿のものがいた。

カラス天狗の面をつけた男。20代後半のように見える。

大きな切り株の上に座っていた。

「来たか」

そう言った気がする。

それから、どれくらい過ごしたのか分からない。

時間の感覚がなかった。

朝も夜もない。

ただ、ずっとそこにいた。

動物たちと話をした。

森のことを教えてもらった。

季節の移り変わりや、木や水の話。

代わりに、俺は話した。

学校のこと。

町のこと。

人の暮らしのこと。

あの男は、よく聞いていた。

自分のことは、あまり話さなかったが、いつもうれしそうに微笑んでいた。

ただ、一度だけ言った。

「ここは、わしが守ってきた」

それが、どういう意味かは

そのときは分からなかった。

ある日、気づいた。

男は、動かない。

ずっと、切り株の上にいる。

近づいてみると、

少し透けていた。

「……大丈夫なのか」

そう聞くと、男は少し笑った。

「もう、長くはない」

その声は、前よりも小さかった。

動物たちも、どこか静かだった。

数もこんなに少なかったか。

俺は、そのとき初めて理解した。

ここが、終わろうとしていることを。

あの男が、

神様のようなものだということを。

ある日、俺は話した。

家のこと。

どうしても、うまくやれないこと。

どこか居場所がない感じがすること。

あの男は、最後まで黙って聞いていた。

それから、ひとことだけ言った。

「変えてやることはできん」

少し間を置いて、

「だが――見ておいてやることはできる」

その言葉は、なぜかすぐに意味を理解できた。

次の瞬間。

男の姿が、消えた。

音もなく。

ただ、いなくなった。

切り株の上には、木札だけが残っていた。

新しく切り出したような、

いい匂いがした。

周りにいた動物たちが、一斉に頭を下げた。

「――様……」

言葉は聞き取れなかった。

でも、泣いているのが分かった。

やがて、切り株に額を当てると、ひとつずつ森の奥へ消えていく。

最後に残ったのは、大きな鹿だった。

古くからの存在だと、すぐに分かった。

「帰れ」

はっきりとした声だった。

「人の子よ。ここはもう、終わった。――様ももうおられない。」

その言葉に、逆らえなかった。

鹿が去る。

その背を見ていると、ふと振り返った。

その顔は、もう――

ただの動物だった。

さっきまでの“何か”が、消えていた。

俺は、木札を拾った。

あたりを見渡す。

二本の木の間に、道が見えた。

最初に来たときと、同じように。

その道を進む。

時間は分からない。

でも、すぐだった気がする。

気づけば、ガードレールの前にいた。

夕方だった。

遠くから、声がする。

「おい」

見慣れた顔が、近づいてくる。

そのとき、思った。

ああ、戻ってきたんだな、と。

――

三日しか経っていないと言われた。

でも、それはどうしても信じられなかった。

もっと長く、

あそこにいた気がする。

何年も。

……いや、もっと。

それでも。

誰にも話すつもりはなかった。

話しても、きっと伝わらない。

それに。

あれは、俺だけのものだと思った。

記憶もおぼろげになりつつあるが、大切なのは記憶だけじゃない。

放課後。

ガードレールの前で、足を止める。

ポケットの中の木札を握る。

もう、何もない。

あの場所は、ただの山だ。

それでも。

ほんの少しだけ、頭を下げる。

風が吹く。

それだけだった。


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