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第2話_悪魔ちゃん、勝手に転校!

 その朝、真央直樹は地獄の門をくぐった。


 天を突く黒鉄の校門。


 燃え盛る校章。


 遅刻者を見つけるたびに、三つ首の番犬が「生活指導!」と吠えながら走り出す。


 ここは、魔界学園ヘルズ・アカデミア。


 校則その一。


 遅刻三回で魂没収。


 校則その二。


 授業中の私語は、すべて呪文詠唱とみなす。


 校則その三。


 給食の激辛契約ヌードルを残した者は、保護者面談ではなく保護悪魔面談。


 校則その四。


 進路希望は「魔王」「幹部」「契約営業」「地獄コールセンター」から選択すること。


 校則その五。


 校歌の最後は、必ず世界征服宣言で締めること。


 そんな恐るべき学園の大講堂に、全校生徒の拍手が鳴り響いていた。


 壇上に立つのは、ひとりの少年。


 名前は真央直樹。


 昨日まで普通の高校生だった彼は、悪魔契約によって魔王候補として選ばれたのだ。


「新入生代表、魔王ナオキ様から一言!」


 骸骨教師がマイクを差し出す。


 黒いマントを羽織らされた直樹は、引きつった笑顔で口を開いた。


「えー、本日はお日柄もよく、人類滅亡には最適な――」


「言うかぁぁぁ!」


 直樹の叫びが、嘘ナレーションを真っ二つに叩き割った。


 黒鉄の校門も、三つ首の番犬も、骸骨教師も、魔界学園ヘルズ・アカデミアも、まとめて霧散する。


 現実。


 そこは、真央家の玄関だった。


 直樹は制服姿で鞄を持ち、目の前に立つ仔悪魔を見て固まっている。


 仔悪魔――天満アイもまた、なぜか鏡星学園高等部の制服を着ていた。


 リボンは曲がっている。


 角は全然隠れていない。


 背中の羽は鞄からちょっとはみ出している。


 それでも本人だけは、完璧な転校生の顔をしていた。


「おはよう、ダーリン! 今日からアタシも同じ学校だよ!」


「勝手に俺を魔界へ転校させるな! あと魔王でもない!」


「魔王ナオキ、語呂いいのに」


「よくない!」


「でもダーリン、今日からアタシと一緒に登校だよ?」


「それが一番、現実であってほしくない!」


 直樹は玄関の壁に手をついた。


 昨日、カップラーメンから仔悪魔が出てきた。


 昨日、電子契約で人生を巻き込まれた。


 昨日、真央家に居候が決まった。


 そして今日。


 その仔悪魔は、直樹の高校生活まで侵略する気でいる。


 たった一晩で、家庭内災害は学園災害へ進化した。


「さあ、行こうダーリン! 世界征服の第一歩は、まず学校から!」


「登校を侵略活動に分類するな!」


 直樹の叫びは、朝の住宅街にむなしく響いた。


 近所の犬が、また一匹、わん、と鳴いた。


 たぶん昨日の夜と同じ犬だった。


* * *


 真央直樹は、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。


 目の下にはうっすらクマ。


 頭の中には、昨日の出来事。


 カップ麺。


 仔悪魔。


 電子契約。


 ドラ焼き。


 電柱。


 居候決定。


 並べれば並べるほど、どこから悪夢でどこから現実なのかわからなくなる。


「……学校に行けば、少しは普通に戻れる」


 直樹は制服に着替え、鞄を持って階段を下りた。


 家はもうだめだ。


 母は受け入れた。


 妹は懐いた。


 悪魔は居座った。


 だが、学校は違う。


 学校には校則がある。


 出席簿がある。


 職員室がある。


 いくらなんでも、悪魔の勢いだけで侵入できる場所ではない。


「おはよう、ダーリン!」


 玄関に、鏡星学園高等部の制服を着たアイが立っていた。


 直樹は無言で一歩下がった。


 そして、そっと階段を上ろうとした。


「待って! 現実から逃げないで!」


「逃げるに決まってるだろ! 現実が制服を着て玄関に立ってるんだぞ!」


 アイはくるりと回った。


 制服のリボンは盛大に曲がっている。


 頭の角は、まったく隠れていない。


 背中の羽はリュックから半分はみ出している。


 尻尾は腰のあたりでゆらゆら揺れている。


 さらに、昨日の魔界制服についていた黒いマントまで肩にかけていた。


「どう? 人間界の学生っぽい?」


「悪魔界のコスプレ通学だ」


「ひどい!」


「まず角」


「カチューシャです」


「羽」


「リュックの飾りです」


「尻尾」


「ベルトです」


「マント」


「防寒具です」


「六月の朝に防寒具はいらない!」


 アイは胸を張った。


「悪魔は冷え性なんだよ」


「初耳だよ!」


 直樹は額を押さえた。


 ツッコミが追いつかない。


 朝から脳の処理能力が危険水域である。


「その制服、どこで手に入れた」


「お母さまが用意してくれた!」


「母さんの適応力が怖い!」


 台所から、真実ののんびりした声がした。


「直樹、アイちゃんを学校まで案内してあげてね」


「母さん! 悪魔の通学を家庭で承認するな!」


「道に迷ったら大変でしょう?」


「迷ってくれたほうが世界のためだ!」


「ダーリン、ひどい!」


 アイが頬をふくらませる。


 その横から、制服ではなく中学の通学服を着た遊羅が顔を出した。


「お姉ちゃん、制服かわいい!」


「ありがとう、遊羅!」


「お姉ちゃんって呼ぶな! 呼ばせるな!」


「でも、似合ってるよ? リボン曲がってるけど」


「これは魔界式アシンメトリー!」


「ただの失敗だ!」


 遊羅は楽しそうにアイのリボンを直してやった。


 アイは素直にされるがままになっている。


 その光景だけ見れば、朝の玄関で妹が新しい家族の身だしなみを整えている、ほほえましい場面だった。


 角と羽と尻尾とマントがなければ。


「俺は認めない。学校に悪魔は連れていかない」


「でも契約者の生活観察は、人間界実習のうちだから」


「契約者のプライバシーを尊重しろ!」


「大丈夫。登下校、授業、休み時間、お昼ごはん、放課後まで、ちゃんと観察するね」


「全部じゃねえか!」


 アイは目をきらきらさせて、玄関のドアを開けた。


「さあ行こう、ダーリン! まずはクラス制覇から!」


「登校初日の目標が物騒すぎる!」


 直樹は鞄を握りしめた。


 後ろでは母がにこにこしている。


 横では妹がにこにこしている。


 前では仔悪魔がにこにこしている。


 逃げ道はない。


 玄関の外には、いつもと同じ朝の住宅街が広がっている。


 ただし、今日からその朝には、制服姿の仔悪魔が一匹追加されていた。


「……俺の高校生活」


 直樹は小さくつぶやいた。


「昨日のうちに遺言を書いておけばよかった」


「ダーリン、早く!」


「ダーリンじゃない!」


 真央直樹は、人生で初めて、登校前から下校したいと思った。


* * *


 真央直樹は、いつもの通学路を歩いていた。


 ただし、いつもと違う点がひとつある。


「ダーリン、見て! 地面に白い縞々の召喚陣がある!」


「横断歩道だ!」


 制服姿の仔悪魔が、隣でいちいち感動していた。


 アイは横断歩道の前でぴたりと止まり、真剣な顔で白線を見下ろす。


「これを渡ると、別の世界へ行けるんだね?」


「行けるのは道路の反対側だけだ」


「でも、人間たちが信号の色に従って一斉に動いてるよ? 集団儀式じゃないの?」


「交通ルールだ! 儀式に見えるほど人間社会はちゃんとしてるんだよ!」


 信号が青になった。


 アイはきらきらした目で一歩踏み出す。


「人間界、奥が深い……!」


「横断歩道で感動できるの、ある意味うらやましいな」


 歩いて数分。


 今度はコンビニの前で、アイが足を止めた。


「ダーリン! あの建物、すごい魔力を感じる!」


「コンビニだ」


「供物交換所?」


「まあ、だいたい合ってる気がしてきた」


「お金を払うと、甘いものや飲み物や揚げ物が手に入るんだよね? 人間界の契約システム、優秀すぎない?」


「それを契約と呼ぶなら、レジは悪魔だらけになる」


 アイは自動ドアをじっと見つめた。


 人が近づくと、扉が開く。


「扉が人間を選別している……!」


「センサーだ」


「アタシも選ばれたい」


「登校中にコンビニへ吸い込まれるな!」


 直樹はアイのリュックをつかんで引っ張った。


 その拍子に、リュックの隙間から小さな羽がぴょこんとはみ出す。


 通りすがりの小学生が「あ、羽」とつぶやいた。


 直樹は即座に言った。


「飾りです」


「うん、飾り!」


 アイも胸を張る。


 羽がぱたぱた動いた。


「動く飾りだ!」


「最新式だ!」


「人間界、すげー!」


「小学生に夢を与えるな! いや、与えてる場合じゃない!」


 さらに進むと、自販機が並んでいた。


 アイはその前で、またしても立ち止まる。


「この箱は?」


「自販機」


「小銭で願いが出てくる箱?」


「飲み物が出てくる箱だ」


「願いより便利じゃん!」


「価値観が悪魔なのか庶民なのかわからないな」


 ちょうど前を歩いていた生徒が、スマホをかざして飲み物を買った。


 ぴっ、と音がして、缶が落ちる。


 アイは目を見開いた。


「今の見た!? 魔法だよ! 板をかざしたら供物が落ちてきた!」


「電子マネーだ」


「人間界の魔導技術、侮れない……」


「その感心の仕方、たぶん決済会社も困る」


 そのとき、後ろから聞き慣れた声がした。


「……朝から何やってんの、あんたたち」


 振り返ると、佐藤美咲が立っていた。


 肩には通学鞄。


 片手には、いつものようにバスケットボールが入ったバッグ。


 そして視線は、直樹ではなく、アイの制服姿に釘付けになっている。


「……本当に来たんだ」


「おはよう、幼なじみ!」


 アイは元気いっぱいに手を振った。


 美咲の眉がぴくりと動く。


「名前で呼びなさいよ」


「じゃあ、古参」


「朝から喧嘩売ってる?」


「登校一分で戦争を始めるな」


 直樹は即座に割って入った。


 美咲はアイを上から下まで見た。


「制服、着てるし」


「似合う?」


「角がなければね」


「カチューシャです」


「羽は?」


「リュックの飾りです」


「尻尾は?」


「ベルトです」


「マントは?」


「防寒具です」


 美咲は直樹を見た。


「……昨日より言い訳が洗練されてる」


「洗練されてこのレベルなんだよ」


 アイは直樹の腕にぎゅっと抱きついた。


「ダーリン、人間界の通学路って楽しいね! 契約者候補もいっぱいいるし!」


「通学中の生徒を見る目が危ない!」


「ほら、あの子なんて魂の輝きがよさそう」


「品定めするな!」


 美咲が、すっとアイと直樹の間に入った。


「ちょっと近い」


「契約者だから」


「学校ではそういうの、目立つからやめなさい」


「幼なじみは管理者権限を主張するんだね」


「古参とか管理者とか、ほんとに一回言葉選び直しなさい」


 ばちばち、と二人の視線がぶつかる。


 直樹は朝から胃が痛くなった。


「頼むから、校門に着く前にラブコメ戦争を始めるな」


「ラブコメじゃない」


 美咲が即答した。


「アタシはダーリンとの契約ラブコメだよ?」


 アイが即答した。


「俺の意思を置いてジャンルを確定するな!」


 美咲は小さくため息をつくと、直樹の隣に並んだ。


「まあ、いいわ。私も一緒に行く」


「助かる。正直、俺ひとりじゃ学校までたどり着ける気がしない」


「勘違いしないでよ。ちゃんと見張ってないと危ないでしょ、この子」


「言い方はきついけど、理由は正しい」


 アイはむっと頬をふくらませる。


「見張られなくても、アタシはちゃんと登校できるもん」


「さっきコンビニに吸い込まれかけただろ」


「供物交換所の誘惑が強すぎたの!」


「それを人間界では寄り道という」


 三人は並んで歩き出した。


 直樹。


 仔悪魔。


 幼なじみ。


 通学路の朝は、いつもより少しだけ騒がしい。


 そして直樹は、校門が近づくにつれて、嫌な予感がどんどん強くなっていくのを感じていた。


 この騒動は、まだ登校中である。


 学校に着いてからが本番なのだ。


* * *


 鏡星学園高等部の校門が見えてきた。


 直樹にとって、そこは本来、日常へ戻るための入口だった。


 朝の校門。


 制服姿の生徒たち。


 眠そうな顔で挨拶するクラスメイト。


 いつもの風景。


 いつもの学校。


 いつもの平穏。


 ――のはずだった。


「ダーリン、あれが学校?」


「そうだ」


「思ったより魔王城じゃないね」


「学校が魔王城だったら毎朝不登校だ」


「でも門があるよ? 結界?」


「校門だ」


「中に入ったら契約者候補がいっぱい?」


「生徒だ!」


 直樹が叫んだ瞬間、アイがぎゅっと直樹の腕に抱きついた。


「じゃあ迷子にならないように、ダーリンにつかまっておくね!」


「離れろ! 学校の前だ!」


 だが、遅かった。


 校門前にいたクラスメイトたちの視線が、一斉にこちらへ向いた。


「……え」


「真央が女子と登校してる」


「しかも距離が近い」


「腕、組んでない?」


「いや、あれ抱きついてるだろ」


「真央、ついにラブコメ主人公になった?」


「待て。真央は主人公っていうより、巻き込まれ被害者枠じゃない?」


「分析するな!」


 直樹は即座に叫んだ。


 美咲が隣で額を押さえる。


「ほら、言ったでしょ。目立つって」


「俺のせいじゃない!」


「ダーリン、みんな見てるよ。もしかして歓迎式?」


「公開処刑だ!」


 アイは、校門前の生徒たちに向かって、満面の笑みで手を振った。


「おはようございます! アタシ、今日からダーリンと一緒に登校します!」


 ざわっ。


 空気が揺れた。


「ダーリン?」


「今ダーリンって言った?」


「真央が?」


「真央に?」


「え、彼女?」


「昨日までそんな気配なかったよな?」


「いや、真央なら隠してても不思議じゃない顔してる」


「顔で判断するな!」


 直樹の声は、もはや校門前の騒音に飲み込まれかけていた。


「違う! これは契約事故だ!」


 直樹は全力で否定した。


 だが、その言葉選びが最悪だった。


「契約?」


「婚約?」


「え、親公認?」


「朝から情報量が多い」


「契約事故って何? プロポーズ失敗したってこと?」


「失敗どころか始まってない!」


 アイが、得意げに胸を張った。


「アタシ、直樹の契約者です!」


「そこは黙ってて」


 美咲が低い声で言った。


 直樹も両手で頭を抱える。


「お前が言うと全部悪化する!」


「でも本当だもん。電子契約済みだもん」


「電子契約!?」


「現代的!」


「真央、進んでるな」


「進んでない! むしろ人生が後退してる!」


 クラスメイトのひとりが、にやにやしながら近づいてきた。


「真央、紹介しろよ」


「紹介する関係じゃない」


「天満アイです! 職業は仔悪魔見習い。趣味は世界征服。好きな人はダーリンです!」


「自己紹介が早い! そして最後!」


 校門前がさらにざわつく。


「仔悪魔?」


「世界征服?」


「好きな人?」


「真央、属性盛りすぎじゃない?」


「俺が盛ったんじゃない!」


 美咲がアイの肩をつかんだ。


「アイ。学校では、そういうことを大声で言わない」


「そういうことって?」


「ダーリンとか、契約者とか、好きな人とか」


「じゃあ、直樹はアタシの人間界滞在補助者です!」


「余計に怪しい!」


 直樹は天を仰いだ。


 青空がまぶしい。


 登校初日の爽やかな朝である。


 ただし、真央直樹の高校生活は、校門をくぐる前からすでに炎上寸前だった。


「……帰りたい」


「まだ入ってないでしょ」


 美咲の正論が突き刺さる。


 アイは直樹の腕に抱きついたまま、にこにこと校門を見上げた。


「さあダーリン、学校征服に出発だよ!」


「普通に登校しろぉぉぉ!」


 直樹の叫びとともに、三人は校門をくぐった。


 その背中を見送りながら、クラスメイトたちはそろって同じ結論にたどり着いた。


「……真央、やっぱりラブコメ始まったな」


「始まってない!」


* * *


「とにかく職員室だ」


 直樹は校門前の混乱をなんとか振り切り、アイの腕をつかんで廊下を歩いていた。


 隣には美咲。


 後ろには、制服姿の仔悪魔。


「ダーリン、手をつないでくれるなんて大胆」


「連行だ!」


「学校って、まず契約者に連行されるところなんだね」


「違う。お前だけだ」


 美咲はため息をついた。


「普通、転入生って先生に連れられてくるものじゃないの?」


「アタシ、ダーリンに連れられてるよ?」


「その言い方がすでに誤解を生むのよ」


「もう生まれたあとだ」


 直樹は遠い目をした。


 校門前で発生した噂は、すでに校舎内へ侵食を始めている。


 廊下の向こうから、見知らぬ生徒たちがちらちらこちらを見ていた。


「真央の彼女だって」


「契約者らしいよ」


「最近のラブコメ、設定濃いな」


「実況するな!」


 直樹は叫びながら、職員室のドアを開けた。


「失礼します!」


 その瞬間。


 職員室の中から、ぱしゅん、と青白い光が飛んだ。


「うわっ!?」


 直樹の前髪をかすめ、光は背後の掲示板に命中する。


 掲示板に貼られていた校内清掃当番表が、なぜか一瞬だけ魔法陣の形に並び替わった。


「……何これ」


「おはよう、真央くん。ちょうどいいところに来たわね」


 白衣を着た女性教師が、にこやかに振り返った。


 鈴鳴ベル。


 理科教師であり、担任であり、そして鏡星学園高等部で最も「大丈夫」という言葉を信用してはいけない人物である。


 手には、朝から持つには明らかにおかしい機械。


 アンテナ、ランプ、謎のメーター、そして側面には手書きで『魔力っぽいもの測定器・試作三号』と書かれている。


「先生、今の何ですか」


「大丈夫。まだ爆発してないわ」


「答えになってない!」


 ベル先生はアイを見るなり、目を輝かせた。


「あら。あなたが噂の転入生?」


「はい! 天満アイです! 職業は仔悪魔見習い、趣味は世界征服、好きな契約者はダーリンです!」


「自己紹介を短くする気がない!」


 美咲が額を押さえる。


 ベル先生はまったく動じず、机の上の書類を手に取った。


「ちょうど、あなたの転入書類が届いているのよ」


「届いてるんですか!?」


 直樹は思わず身を乗り出した。


「誰が出したんですか、それ!」


「差出人は……魔界実習管理局」


「その時点で受理しないでください!」


 ベル先生は書類を読み上げた。


「出身校、魔界立ヘルヘイム悪魔見習い養成校」


「学校名がもうアウト!」


「留学区分、人間界滞在補助契約に基づく短期観察実習」


「学校を観察対象にするな!」


「保護者欄、魔界実習管理局」


「保護者が組織!」


「身元保証人、真央直樹」


「俺!?」


 直樹は書類を奪い取るようにのぞきこんだ。


 そこには確かに、達筆な悪魔語風フォントで『真央直樹』と書かれている。


 さらに、その下。


「備考、ダーリン」


「備考に俺の人生を書くな!」


 職員室中の先生たちが、ちらりとこちらを見た。


 直樹は両手で顔を覆う。


 終わった。


 教師陣にまで、変な備考つきで認識された。


 ベル先生は書類をひらひらさせながら、落ち着いた声で言った。


「うん。普通に考えたら偽造ね」


「ですよね!」


 直樹はぱっと顔を上げた。


 さすが教師。


 さすが大人。


 まだ世界には常識が残っていた。


「でも、偽造にしては魔力反応が本物なのよね」


「そこを面白がらないでください!」


「インクも紙も普通じゃないわ。人間界の行政書類とは様式が違うけれど、契約媒体としてはかなり高度。しかも学校データベースに仮登録までされている」


「されてるんですか!?」


「されたというより、されかけているわね。システムが困惑してる」


「システムにも同情されてる!」


 アイは胸を張った。


「さすが魔界契約アプリ!」


「お前の仕業か!」


「実習に必要だから!」


「必要性を勝手に判断するな!」


 ベル先生は楽しそうに機械をアイへ向けた。


 メーターがびょんびょん揺れる。


「面白いわ。角、羽、尻尾、契約反応。どれも幻覚ではなさそうね」


「先生、面白いより先に危険って言ってください」


「教師としては危険ね」


「はい!」


「研究者としては、とても面白いわ」


「後者が本音だ!」


 美咲が一歩前に出た。


「先生、本当にこの子を学校に入れるんですか? 昨日から直樹、ずっと巻き込まれてるんですけど」


「佐藤さんの言うことももっともね」


 ベル先生はうなずいた。


 直樹は再び希望を持った。


「だから、今日は帰ってもらって――」


「では、一日体験転入という形にしましょう」


「どうしてそうなる!」


 ベル先生はさらさらと書類に何かを書き込んだ。


「理由は教育的配慮。異文化交流。多様性理解。未知の存在との共生。あとは研究的好奇心」


「最後だけ本音が漏れてます!」


「大丈夫。ちゃんと観察するから」


「その観察対象、絶対俺ですよね!?」


 アイはぱあっと顔を輝かせた。


「じゃあ、アタシ学校に入っていいの?」


「仮許可ね。一日だけ」


「やった! ダーリン、一日体験転入だって!」


「体験するのは俺の地獄だよ!」


 ベル先生は白衣のポケットから小さな名札を取り出し、アイに渡した。


『一日体験転入生 天満アイ』


 その下に、小さくこう書いてある。


『観察対象A』


「先生、名札の下段」


「あら、消し忘れたわ」


「今すぐ消してください!」


 アイは名札を胸につけ、誇らしげに直樹の腕へ抱きついた。


「今日から学校でもよろしくね、ダーリン!」


「よろしくしない!」


 美咲はぼそっとつぶやいた。


「……本当に通っちゃった」


 直樹は職員室の天井を見上げた。


 学校なら悪魔を止めてくれる。


 そう信じていた数分前の自分を、全力で殴りたい。


 鏡星学園高等部。


 ここは普通の高校である。


 ただし、普通の高校は、悪魔の転入を「面白いから」という理由で仮許可しない。


* * *


 教室には、朝から妙な熱気があった。


 理由は簡単である。


 転入生が来る。


 しかも、校門前で真央直樹の腕に抱きついていた謎の美少女である。


 クラスメイトたちは、すでに黒板前の空席を見つめながら好き勝手に盛り上がっていた。


「美少女転校生だって」


「朝から真央と一緒に来てた子だろ?」


「隣の席イベント来る?」


「幼なじみと転校生がそろったぞ」


「真央、役得じゃん」


「役得じゃない。被害届だ」


 直樹は机に突っ伏したまま、低い声で否定した。


 隣の列では、美咲が腕を組んでいる。


 表情は平静。


 ただし、机を指で叩くリズムが明らかに速い。


「直樹」


「なんだ」


「あの子、まさか本当に同じクラスじゃないわよね」


「俺に聞くな。俺が一番聞きたい」


 そのとき、教室のドアが開いた。


「はーい、みんな席について。今日は一日体験転入生を紹介するわ」


 白衣姿のベル先生が、にこにこしながら教室に入ってくる。


 その後ろから、アイがひょこっと顔を出した。


 角。


 羽。


 尻尾。


 曲がったリボン。


 そして、自信満々の笑顔。


 教室が一瞬、静まり返った。


 次の瞬間、ざわめきが爆発する。


「本当に来た!」


「角ある!」


「あれカチューシャ?」


「羽もあるぞ」


「最近の転校生、属性盛りすぎじゃない?」


「盛ってない! 素材そのままだ!」


 直樹は顔を上げるなり叫んだ。


 ベル先生は黒板を指さす。


「では、天満さん。自己紹介をどうぞ」


「はい!」


 アイはチョークを握り、黒板に大きく名前を書いた。


 天満アイ。


 字は意外とうまい。


 ただし、名前の横に小さな悪魔の尻尾マークまで描いている。


「天満アイです! 職業は仔悪魔見習い!」


 教室がざわついた。


「趣味は世界征服!」


 さらにざわついた。


「好きな人はダーリンです!」


 教室が爆発した。


「最後ぉぉぉ!」


 直樹は机を叩いて立ち上がった。


 同時に、美咲も机を叩いて立ち上がる。


「好きな人って言い切るんじゃない!」


「じゃあ契約者!」


「それも変!」


「じゃあ人間界滞在補助者!」


「もっと変!」


 クラスメイトたちは大盛り上がりである。


「真央、説明!」


「いつから?」


「昨日から?」


「昨日!?」


「展開早っ!」


「違う! 昨日カップ麺から出てきて、電子契約で事故っただけだ!」


 直樹は必死に説明した。


 しかし、教室はまた別方向に盛り上がる。


「カップ麺?」


「電子契約?」


「事故?」


「つまり出会いが特殊なタイプのラブコメ?」


「違う! ジャンルで理解するな!」


 アイは嬉しそうに直樹を指さした。


「ダーリンはアタシの封印を解いてくれた、運命の契約者です!」


「封印を解いたんじゃない。湯を注いだんだ!」


「湯を注いだ責任を取ったってこと?」


「誰だ今まとめたやつ! その要約は悪意がある!」


 ベル先生は教卓で出席簿を開きながら、楽しそうに言った。


「真央くん、人気者ね」


「先生が止めてください!」


「止めるべきか観察すべきか、教師としての私と研究者としての私が会議中なの」


「教師側を勝たせてください!」


 美咲はアイをじっと見た。


「アイ。学校では、好きな人とかダーリンとか、そういうのを大声で言わない」


「どうして?」


「直樹が困るから」


「ダーリン、困ってる?」


「最初からずっと困ってる!」


「でも、困ってるダーリンもかわいいよ?」


「追い打ち!」


 教室の後ろから、誰かが小さくつぶやいた。


「真央、かわいいって言われ慣れてそう」


「慣れてないし、そこ掘るな!」


 直樹の女顔コンプレックスに触れかけた空気を、アイが悪気なく吹き飛ばす。


「ダーリンはかっこいいよ!」


 教室が一瞬、妙な静けさになる。


 直樹も言葉に詰まった。


 アイは本気の顔で、胸を張っていた。


 ただし、次の瞬間にはにぱっと笑う。


「アタシの契約者だからね!」


「最後で台無しだ!」


 ベル先生が手を叩いた。


「はいはい、自己紹介はそのくらいにしましょう。天満さんは一日体験転入なので、みんな仲良くしてあげてね」


「はーい!」


「仲良くする前に、学校側の安全確認は!?」


「大丈夫よ、真央くん」


 ベル先生はにこやかに言った。


「たぶん」


「たぶんって言った!」


 アイは黒板の前で、クラス全員に向かって元気よく手を振った。


「よろしくね! まずはこのクラスから制覇します!」


「よろしくのあとに不穏な宣言をつけるな!」


 拍手と笑い声とざわめきの中、直樹はふたたび机に突っ伏した。


 教室。


 直樹にとって最後の平穏であるはずだった場所。


 それは今、転入生イベントという名の悪魔召喚儀式によって、完全に占拠されようとしていた。


* * *


「では、天満さんの席を決めましょう」


 ベル先生がそう言った瞬間、教室の空気がまたざわついた。


 転入生イベントにおける最大の山場。


 それは自己紹介ではない。


 隣の席である。


「来たぞ、隣の席イベント」


「王道だ」


「幼なじみがいる状態で転校生が隣に来るやつだ」


「真央、ラブコメ偏差値上がってるな」


「上がってない! 俺の安全偏差値が下がってるだけだ!」


 直樹は机に突っ伏したまま叫んだ。


 アイは黒板の前で、びしっと手を挙げる。


「はい! アタシ、ダーリンの隣がいいです!」


「却下!」


「まだ先生が何も言ってないのに!?」


「言われる前に防ぐ。それが危機管理だ」


 美咲もすぐに手を挙げた。


「先生、転校生だからって直樹の隣は安直すぎると思います」


「佐藤さん、理由は?」


「……教育的に」


「今、考えたな」


 直樹がぼそっと言うと、美咲は鋭い目でにらんできた。


「何か言った?」


「何も」


 アイは頬をふくらませる。


「幼なじみ、ずるい! 古参権限で妨害してる!」


「名前で呼びなさいって言ったでしょ」


「じゃあ美咲。ダーリンの隣、譲って」


「譲らない」


「即答!」


「別に私が座りたいわけじゃないけど、あんたが隣だと直樹が一時間目から死ぬでしょ」


「美咲……」


 直樹は少しだけ感動した。


「わかってくれるのか」


「主に精神的に」


「そこは否定できない」


 ベル先生は楽しそうに手を合わせた。


「では、公平にくじ引きにしましょう」


「先生、公平という言葉がこの状況で生き残れると思いますか?」


「大丈夫。くじは民主主義よ」


「くじは民主主義じゃないです」


「じゃあ、アタシが持ってる!」


 アイがマントの内側から、小さな黒い箱を取り出した。


 箱には赤い文字で『魔界くじ・恋愛決戦用』と書かれている。


「学校に持ち込むな、そんな物騒なくじ!」


「大丈夫。ちゃんと公平だよ」


 アイは得意げに箱を振った。


 からから、と中で紙が揺れる。


 ベル先生が目を輝かせる。


「あら、魔界式の抽選具? これは教材として危険ね」


「なら回収してください!」


「あとで詳しく調べましょう」


「今です! 今、止めるところです!」


 アイはくじを一枚引き、開いた。


『直樹の隣』


「ほら!」


「ほらじゃない!」


 美咲が無言で箱から別のくじを引く。


 開く。


『直樹の隣』


 クラスがざわつく。


「もう一枚」


 美咲はさらに引く。


『直樹の隣』


 もう一枚。


『直樹の隣』


 さらに一枚。


『直樹の隣』


「全部じゃない!」


「公平に全部同じ結果だよ?」


「それを不正って言うの!」


 ベル先生が興味深そうに箱をのぞきこむ。


「あら、一枚だけ違うのがあるわね」


「え?」


 アイが嬉しそうに手を伸ばす。


「それが大当たり!」


 ベル先生が紙を開く。


『直樹の膝の上』


 教室が一瞬、静まり返った。


 次の瞬間、爆発した。


「大当たりだ!」


「いやアウトだろ!」


「真央、逃げろ!」


「言われなくても逃げたい!」


 直樹は椅子ごと後ろへ下がった。


「学校で悪魔くじを合法化するな!」


「合法化はしてないわ。まだ仮運用ね」


「先生!」


 美咲は真っ赤になって机を叩いた。


「ベル先生、それはさすがに教育的に問題があります!」


「そうね。膝の上は机が使いにくいものね」


「問題点そこじゃないです!」


 アイは残念そうに唇を尖らせた。


「膝の上、だめ?」


「だめに決まってるだろ!」


「じゃあ隣で我慢する」


「我慢の方向がおかしい!」


 ベル先生は魔界くじの箱を白衣のポケットに入れた。


「あ、回収した」


 直樹は少し安心した。


「あとで分析するわ」


「研究対象として回収しただけだった!」


 ベル先生は教室を見渡し、にこやかに結論を出した。


「では、天満さんは真央くんの隣で」


「どうして!」


「契約者の近くにいたほうが、魔力反応を観察しやすいから」


「教育的配慮はどこへ行ったんですか!」


「理科準備室に置いてきたわ」


「持ってきてください!」


 アイはぱあっと笑い、直樹の隣の空席へ駆け寄った。


「よろしくね、ダーリン!」


「よろしくしない。隣を見るたび悪魔がいる高校生活ってなんだ」


 美咲は不満そうに頬杖をついた。


「……安直すぎる」


「美咲?」


「別に。直樹が大変そうだなって思っただけ」


「本当にそれだけか?」


「それだけ」


 美咲はぷいっと顔をそらした。


 アイは勝ち誇ったように、直樹の隣でぴしっと背筋を伸ばす。


「これでアタシ、ダーリンの隣の席!」


「言い方!」


 クラスメイトたちは大喜びである。


「王道展開だ」


「幼なじみ、転校生、隣の席」


「真央、もう逃げられないな」


「最初から逃げ場なんてなかったよ!」


 直樹は天井を見上げた。


 昨日は家。


 今朝は通学路。


 そして今、教室の隣の席。


 悪魔の侵略は、ついに半径一メートル以内まで到達した。


 真央直樹の高校生活は、着席した瞬間から詰んでいた。


* * *


 一時間目が始まった。


 直樹は、ようやく少しだけ平穏を取り戻せると思った。


 授業中なら、さすがのアイも静かにする。


 先生がいて、黒板があって、教科書があって、ノートを取る。


 それは高校生に許された、数少ない普通の時間である。


「ダーリン」


「授業中だ。黙れ」


「この『証明せよ』って、契約書の証明書を出せって意味?」


「数学だ! 悪魔契約の話じゃない!」


 平穏は三分も持たなかった。


 直樹の隣で、アイは数学の教科書を真剣にのぞきこんでいる。


「でも、証明って大事だよ。契約者が逃げたときに必要だもん」


「授業中に俺の逃亡対策を学ぶな」


「じゃあ、この三角形は?」


「三角形だ」


「召喚陣?」


「図形だ!」


 直樹は小声で突っ込み続けた。


 数学が終わると、現代文。


 教師が黒板に「作者の気持ちを考えよう」と書いた瞬間、アイは目を輝かせた。


「作者の気持ち……つまり、この世界を書いている黒幕の意図を読む授業?」


「メタに踏み込むな!」


「じゃあ、作者はダーリンを苦しめたいのかな」


「やめろ。妙に当たってそうで嫌だ」


 英語の時間には、アイが発音練習を魔界呪文と勘違いした。


「ダーリン、今の発音、魂を呼ぶ詠唱に似てる」


「ただのリピートアフターミーだ」


「人間界の英語、侮れない」


「英語を呪術枠に入れるな」


 そして、学校配布タブレットが机に置かれた瞬間、アイは感動で震えた。


「魔導板……!」


「タブレットだ」


「指で触ると文字が動く。人間界、やっぱり魔界より進んでる!」


「たぶん魔界の契約アプリのほうが危険だぞ」


 直樹はもう疲れ切っていた。


 授業を受けているはずなのに、脳内では常にツッコミの補習が行われている。


 そのとき。


 背後から、小さな声がした。


「……悪魔反応、確認」


「え?」


 直樹が振り向く。


 そこにいたのは、黒髪の少女だった。


 表情はない。


 声も小さい。


 机の上には、なぜかワラ人形がちょこんと座っている。


 見上宙。


 クラスでは、静かすぎて逆に目立つ少女である。


 宙は直樹ではなく、アイをじっと見ていた。


 そして、ワラ人形が口を開いた。


「これは珍しい。仔悪魔見習いと、人間契約者のペアです」


「なんで人形が説明してるんだ!」


 直樹は反射で突っ込んだ。


 宙は無表情のまま、ワラ人形を少し持ち上げる。


「喋っているのは、この子」


「その設定を受け入れる余裕がない!」


 ワラ人形は、こくりとうなずいたように見えた。


 見えただけだと思いたい。


 アイが、直樹の袖をつかんで一歩引いた。


「ダーリン」


「なんだ」


「この子、人間なのに悪魔より怖い」


「お前が言うと説得力がすごいな」


 宙は、ほんの少しだけ首をかしげた。


「褒め言葉として受け取る」


「褒めてないと思う」


 ワラ人形が、直樹の腕を指さした。


 いや、ワラ人形の手が動いた。


 直樹は見なかったことにしたかった。


「契約痕、薄く発現」


「え?」


 宙が直樹の袖口をじっと見る。


 そこには、昨日から時々うっすら浮かぶ、赤黒い文字のような模様があった。


 電子契約が成立したときに出たものだ。


 直樹本人は、できれば気づかないふりをしたかった。


「観察したい」


「しなくていい」


「少しだけ採血」


「絶対にしなくていい!」


 アイが直樹の前に立った。


「ダーリンはアタシの契約者だから、勝手に調べちゃだめ!」


 宙は無表情のまま、アイを見る。


「共同研究なら?」


「共同なら……」


「乗るな!」


 直樹は机を叩きそうになって、授業中であることを思い出して必死にこらえた。


 教師の視線が飛んでくる。


「真央、静かに」


「すみません!」


 静かにしたいのは、直樹も同じだった。


 けれど、隣には仔悪魔。


 後ろにはワラ人形を持った実験少女。


 前方には通常授業。


 状況が渋滞している。


 宙は小さなメモ帳を取り出し、さらさらと何かを書いた。


「観察対象、追加。真央直樹。天満アイ。契約痕。反応良好」


「俺を勝手に研究リストへ入れるな!」


 ワラ人形が言った。


「貴重」


「人形に価値判断される人生って何だよ!」


 アイは直樹の袖をつかんだまま、宙を警戒している。


 宙は無表情で、直樹を観察している。


 直樹は、黒板を見ながら悟った。


 アイだけでも十分すぎるほど大変だった。


 だが、どうやらこの学校には、悪魔より危ない人間も普通に存在するらしい。


 授業開始からまだ一時間。


 真央直樹の高校生活は、早くも研究対象になった。


* * *


 昼休み。


 アイは学食の入口で、目を輝かせていた。


「ダーリン……!」


「なんだ」


「ここが、人間界の供物市場!」


「学食だ!」


 目の前には、購買のパン。


 券売機。


 カレーの匂い。


 紙パックジュースの棚。


 そして、数量限定と書かれたドラ焼き風デザート。


 アイの尻尾が、制服の下で落ち着きなく揺れる。


「すごい……人間たちが自分の意思で供物を選んでる。しかも並んでる。秩序ある欲望……!」


「感想が悪魔寄りなんだよ」


「ダーリン、わかったよ」


 アイは真剣な顔で振り返った。


「学校征服は、まず胃袋からだね!」


「やめろ。昼飯を軍事作戦にするな」


 美咲がトレーを持って近づいてきた。


「また何か始める気?」


「ふっふっふ。作戦名、ドラ焼き配布によるクラス制覇作戦!」


「名前からして失敗しそう」


「まずドラ焼きがないだろ」


「だから作る!」


 アイは購買で買ったあんぱんを掲げた。


 直樹の顔から血の気が引く。


「待て。まさか魔法で――」


「ドラ焼きっぽくなーれ!」


 ぱちん、とアイが指を鳴らした。


 次の瞬間。


 あんぱんが、ぼふん、と巨大化した。


「大きくなっただけだ!」


「お得!」


「そういう問題じゃない!」


 巨大あんぱんは、購買の棚を押しのけながら、むくむく膨らんでいく。


 近くにあったメロンパンには、赤黒い魔界文字が浮かび上がった。


『我、甘き皮を纏う者なり』


「メロンパンが自我を持ち始めた!」


 カレーパンは、ぷしゅっと小さな火を噴いた。


「辛口進化!」


「火を噴くな!」


 さらに学食の券売機が、ぴこん、と音を立てた。


『契約成立。カレーライス一名様、魂抜きで承りました』


「魂抜きって何!?」


「ヘルシー?」


「違う!」


 周囲の生徒たちは、一斉にスマホを構えた。


「やば、動画撮ろ」


「魔界パン爆誕」


「タグ何にする?」


「真央案件?」


「撮るな! 拡散するな! タグをつけるな!」


 直樹は両手を広げてスマホの前に立ちはだかった。


 しかし、火を噴くカレーパンが床を転がり始める。


「危ない!」


 美咲が即座に動いた。


 トレーを置き、体育会系の反射神経でカレーパンの進路に回り込む。


「そこっ!」


 美咲の手にしていた紙パック牛乳が、見事なフォームで投げられた。


 牛乳が命中し、カレーパンの火がじゅっと消える。


「ナイス消火!」


「食べ物にすることじゃないけどね!」


 その横で、宙は無表情にスマホではなくメモ帳を開いていた。


「観察記録。あんぱん巨大化。メロンパン発語。カレーパン火属性付与。券売機、契約媒体化」


 ワラ人形が言う。


「貴重な昼休みです」


「貴重の意味が違う!」


 アイは巨大あんぱんを見上げ、少しだけ困った顔をした。


「ドラ焼きにするつもりだったのに」


「まず丸ければ何でもドラ焼きになると思うな」


「餡子が入ってるから近いよ?」


「近くない。かなり遠い」


 そのとき、白衣姿のベル先生が、どこからともなく現れた。


「あら、興味深いわね」


「先生! 止めてください!」


「もちろん。サンプルを回収してからね」


「順番!」


 ベル先生はトングで魔界文字つきメロンパンをつまみ、透明な袋に入れた。


 袋のラベルには、すでに『魔界パンA』と書かれている。


「準備よすぎませんか!?」


「教師は不測の事態に備えるものよ」


「備える方向が研究者!」


 巨大あんぱんが、ずずん、と購買前をふさいだ。


 アイは胸を張る。


「でも、みんな注目してる。つまり作戦は成功?」


「学校中に迷惑をかけることを成功と呼ぶな!」


 美咲が直樹の肩を叩いた。


「直樹」


「なんだ」


「あんた、昼休みも大変ね」


「他人事みたいに言うな。俺の昼飯、まだ買えてないんだぞ」


 その瞬間、券売機がまた鳴った。


『契約成立。真央直樹様、激辛契約ヌードルをご注文ありがとうございます』


「注文してない!」


 アイがぱっと笑う。


「ダーリン、昨日の思い出の味だね!」


「悪夢を定食にするなぁぁぁ!」


 真央直樹の昼休みは、まだ始まったばかりだった。


 なお、学食のおばちゃんはこのあと、巨大あんぱんを見て一言だけ言った。


「切れば売れるね」


 鏡星学園の適応力は、教師だけでなく学食にも及んでいた。


* * *


 昼休みの終わり。


 巨大あんぱんは、学食のおばちゃんの手によって無事に切り分けられた。


 火を噴いたカレーパンは、ベル先生が「危険物ではなく研究資料」と言い張って回収した。


 メロンパンは、いまだに小声で魔界文字を発していたため、宙のワラ人形が見張っている。


 そして直樹は、ようやく教室へ戻ってきた。


「……疲れた」


 まだ午後の授業は始まっていない。


 なのに、すでに一日分どころか一週間分くらい消耗している。


 直樹が席に座ると、クラスメイトたちが妙に静かになった。


 嫌な静けさだった。


 何かが決まったあとの空気である。


「真央」


「なんだ」


「話し合いの結果、だいたい整理できた」


「何を」


 男子のひとりが、黒板横に立った。


 なぜかチョークを持っている。


「まず、天満アイさんは真央の彼女」


「違う!」


 黒板に書かれた。


『天満アイ=真央の彼女』


「書くな!」


「昨日、謎の契約を結んだ」


「事故だ!」


『昨日、契約済み』


「確定事項にするな!」


「佐藤は幼なじみ枠」


「枠って何よ」


 美咲が低い声で言う。


 だが、黒板には容赦なく書かれる。


『佐藤美咲=幼なじみ枠』


「宙さんは研究者枠」


 宙は無表情でうなずいた。


「異議なし」


「異議あれよ!」


 ワラ人形がぽつりと言う。


「研究対象、真央直樹」


「対象にするな!」


「ベル先生は保護者枠」


「保護者じゃないわ。観察責任者よ」


 いつの間にか教室の後ろにいたベル先生が、にこやかに訂正した。


「それもだめです!」


 黒板には、さらに大きくこう書かれた。


『真央直樹=ラブコメ中心人物』


「俺はラブコメの中心じゃない! 災害現場の中心だ!」


 直樹の叫びが教室に響いた。


 しかし、クラスメイトたちは深くうなずく。


「巻き込まれ型主人公」


「否定するほど怪しくなるタイプ」


「幼なじみと転校生に挟まれるやつ」


「研究者枠までいるのは珍しい」


「分析を進めるな!」


 アイは隣の席で、ぱあっと笑った。


「ダーリン、みんなに認められたね!」


 そして、嬉しそうに直樹の腕へ抱きつく。


「認められてない! 誤解が制度化しただけだ!」


「制度化ってすごいね。人間界の学校、仕事が早い」


「感心するな!」


 美咲が、つん、と顔をそらした。


「別に、認めてないけど」


 その声は小さかった。


 けれど、アイの耳はそれを聞き逃さない。


「じゃあ、幼なじみ代表として異議申し立てする?」


「するわよ」


「するの!?」


 直樹が思わず振り向く。


 美咲は、少しだけ頬を赤くしながら言った。


「だって、このままだと直樹が一方的に変な設定つけられるでしょ」


「もう十分ついてる!」


「だから訂正するの」


「ならまず彼女枠を消してくれ!」


 アイは机の上に手を置き、身を乗り出した。


「アタシは契約者枠を主張します!」


 美咲も身を乗り出す。


「私は幼なじみとして、その契約の有効性に疑義を申し立てます」


「法廷ごっこを始めるな!」


 クラスメイトがざわつく。


「お、始まった」


「幼なじみ対契約者」


「第一回、真央直樹関係性審議会」


「議事録取る?」


「取るな!」


 宙が静かに手を挙げた。


「証拠品、契約痕」


「提出しない!」


 ベル先生が楽しそうに言う。


「必要なら理科室を法廷風に改造するわよ」


「学校施設を俺の裁判に使うな!」


 アイは直樹の腕をぎゅっと抱きしめる。


「ダーリンはアタシの契約者だもん」


 美咲はそれを見て、眉を寄せる。


「距離が近い」


「契約距離です」


「そんな単位ない」


「魔界にはある!」


「魔界ルールを学校に持ち込まない!」


 直樹は二人の間で、頭を抱えた。


「頼むから、俺をめぐる裁判を始めるな!」


 だが、教室はもう完全に面白がっていた。


 黒板には、誰かが勝手に新しい見出しを書き足す。


『本日の議題:真央直樹は誰のものか』


「誰のものでもない!」


 直樹は叫んだ。


 叫んだが、誰も聞いていなかった。


 クラスメイトは笑い、美咲は不機嫌そうに腕を組み、アイは勝ち誇った顔で直樹にくっつき、宙は観察記録を取り、ベル先生はなぜか判事用の木槌をどこから出すか考えている。


 こうして、天満アイはクラスの中で正式に認識された。


 転入生としてではない。


 直樹の彼女らしき契約者として。


 そして真央直樹は、本人の意思とは無関係に、ラブコメ中心人物としてクラス内データベースへ登録されたのだった。


「誰か、俺の人権も登録してくれ……」


* * *


 放課後。


 真央直樹は、理科準備室にいた。


 帰りたい。


 ものすごく帰りたい。


 だが、ドアの前には白衣の教師が立っている。


 机の上には、配線だらけの機械。


 壁には、化学式と魔法陣が同じテンションで貼られている。


 棚にはビーカー、試験管、謎の鉱石、そして『触るな危険』『たぶん安全』『昨日までは安定』と書かれた箱が並んでいた。


「ここ、理科準備室ですよね?」


「ええ。正式名称は理科準備室よ」


 鈴鳴ベル先生は、にこやかに言った。


「非公式名称は、魔導工学準備室ね」


「非公式名称のほうが本質を突いてる!」


 直樹の隣では、アイが契約アプリ入りのスマホを抱えている。


 その横には、当然のように見上宙がいた。


 ワラ人形もいる。


「なんで宙までいるんだ」


「呼ばれた」


 宙は無表情で答えた。


 ワラ人形が小さく言う。


「共同観察」


「共同すんな!」


 ベル先生は、アイのスマホを端末につなぎながら目を輝かせていた。


「これは面白いわ。契約アプリなのに、教育機関のデータベースにも干渉してる」


「面白がらないでください。違法じゃないんですか」


「違法かどうか調べるために解析するの」


「順番が怖い!」


「大丈夫。もし違法でも、まず仕組みを理解してから報告するわ」


「先に報告してください!」


 アイは不満そうに頬をふくらませた。


「ベル先生、アタシの契約アプリを勝手にいじらないでよ。魔界実習管理局に怒られるよ?」


「怒られる前に褒められる可能性もあるわ」


「ないと思います!」


 直樹は即座に否定した。


 宙が直樹の腕をじっと見た。


「契約者本人の生体反応が必要」


「俺で実験する前提をやめろ」


「少しだけでいい」


「少しもだめだ」


「指先を一滴」


「採血の話をするな!」


 ワラ人形が言った。


「痛くしない」


「人形に慰められると余計に怖いんだよ!」


 アイが直樹の前に立った。


 小さな翼をぴんと広げ、ベル先生と宙をにらむ。


「ダーリンはアタシの契約者なんだから、勝手に研究しないで!」


 直樹は少しだけ感動しかけた。


 アイが珍しく、自分を守ろうとしている。


 迷惑な仔悪魔ではあるが、こういうところは――。


「じゃあ、共同研究なら?」


 ベル先生がにこりと笑った。


「共同なら……」


「乗るな!」


 感動は二秒で終わった。


「だって共同ならアタシも研究実績になるし」


「実習評価を上げるために俺を売るな!」


「売ってない。共有」


「もっと嫌だ!」


 ベル先生は端末の画面を指さした。


「ほら、見て。契約名は『人間界滞在補助および世界征服実習における仮契約』。通称は……ダーリン契約?」


「そこを読み上げないでください!」


「備考欄にもダーリンってあるわね」


「魔界の書式は備考欄を何だと思ってるんだ!」


 宙がメモを取る。


「備考欄、重要」


「重要じゃない!」


 そのとき、端末がぴこんと鳴った。


 画面に表示されていた契約者名が、揺らぐ。


『契約者名:真央直樹』


 その文字が、一瞬だけ別の表示へ切り替わった。


『契約者名:魔王ナオキ』


 室内が静かになった。


 ベル先生だけが、嬉しそうに目を細める。


「今、面白い表示が出たわね」


「面白くない!」


 宙がワラ人形を持ち上げる。


「魔王反応、微弱」


「そんな反応はない!」


「ある。ほんの少し」


「ほんの少しでも嫌だ!」


 アイは目を輝かせた。


「ダーリン、もしかして魔王の才能が?」


「ない!」


「でも名前が真央だし」


「その字面で判断するな!」


「魔界アプリが間違えるくらいだから、可能性はゼロではないわね」


 ベル先生がさらっと言う。


「先生まで乗らないでください!」


「真央くん、念のため適性検査してみる?」


「しません!」


 宙が小さく手を挙げた。


「検査キット、作れる」


「作らないでくれ!」


 ワラ人形が言った。


「魔王候補、貴重」


「人形まで俺を魔王扱いするな!」


 アイは直樹の袖をつかみ、にこにこしながら言った。


「大丈夫だよ、ダーリン。もし魔王になっても、アタシがそばで世界征服をサポートするから!」


「それが一番大丈夫じゃない!」


 端末の画面では、また『真央直樹』の文字が正常表示に戻っていた。


 だが、直樹の心は戻らない。


 契約者。


 ダーリン。


 ラブコメ中心人物。


 研究対象。


 そして今度は、魔王候補。


「……俺、ただの高校生なんだけど」


 直樹がぽつりとつぶやくと、ベル先生は優しく微笑んだ。


「大丈夫。普通の高校生は、放課後に魔王反応を測られたりしないわ」


「それは慰めじゃなくて追い打ちです!」


 理科準備室に、直樹の叫びが響いた。


 こうして、魔界契約アプリの解析は始まった。


 そして同時に、真央直樹の平穏はまたひとつ、次回へ向けて爆弾を抱えたのだった。


* * *


 帰り道。


 夕方の住宅街を、直樹とアイは並んで歩いていた。


 朝は三人だった。


 校門ではクラスメイトに囲まれた。


 教室では彼女扱いされた。


 授業中は悪魔反応を確認された。


 昼休みはパンが巨大化した。


 放課後は魔王反応を測られた。


 つまり、今日一日を簡単にまとめると。


「……学校、もう終わったな」


「ダーリン、まだ一日目だよ?」


「一日目で終わることもあるんだよ」


 直樹は肩を落とした。


 鞄が重い。


 身体も重い。


 なにより、人生が重い。


「アイ」


「なあに?」


「明日から学校に来るのは――」


 もう二度と学校に来るな。


 そう言いかけて、直樹は口を閉じた。


 アイが、ほんの少しだけ不安そうな顔をしていたからだ。


 いつもの自信満々な笑顔ではない。


 怒ればすぐ頬をふくらませる仔悪魔でもない。


 夕焼けの中で、アイは通学路の先をぼんやり見ていた。


「学校って、変なところだけど、にぎやかだね」


「にぎやかどころか大惨事だったけどな」


「うん。大惨事だった」


 アイは素直にうなずいた。


 直樹は思わず足を止める。


 そこは否定しないのか。


「でも、アタシ、ちょっと楽しかった」


 その声は、いつもより少し小さかった。


「教室って、人がいっぱいなんだね。みんな、名前呼んでくれるんだね。変なこと言ったら笑うし、怒るし、騒ぐし……なんか、すごかった」


「すごいの方向がだいぶ偏ってたけどな」


「魔界の実習室は、もっと静かだったよ」


 アイは笑った。


 けれど、その笑い方は少しだけ下手だった。


「アタシ、世界征服計画を出したときも怒られたし、人間界実習も失敗したし、カップ麺に封印されたし」


「さらっと言ってるけど、だいぶひどい経歴だぞ」


「だからかな。今日、みんながアタシのこと見て、名前呼んで、騒いでくれたの……変だけど、ちょっと嬉しかった」


 直樹は言葉に詰まった。


 迷惑だった。


 間違いなく迷惑だった。


 校門前の誤解も、教室の騒動も、学食の大惨事も、理科準備室の魔王反応も、すべて迷惑だった。


 けれど。


 アイにとっては、それすら初めての「にぎやかな場所」だったのかもしれない。


 直樹は頭をかいた。


「……まあ」


「うん?」


「明日来るな、とは言わない」


 アイの顔がぱっと明るくなった。


「ほんと?」


「ただし、条件がある」


「条件? 契約更新?」


「契約じゃない。普通の約束だ。校門で抱きつくな。教室でダーリンって叫ぶな。パンを魔法で変えるな。券売機と契約するな。俺を魔王候補にするな」


「多い!」


「今日一日で増えたんだよ!」


 アイは指を折って数えようとした。


 途中で面倒になったらしく、にこっと笑う。


「わかった。できるだけ気をつけるね」


「今、“できるだけ”って言ったな」


「悪魔は正直だから」


「都合のいいときだけ悪魔になるな」


 アイは少し前を歩き、くるりと振り返った。


 夕焼けを背に、曲がったリボンが揺れる。


「じゃあ、明日からもクラス制覇がんばるね!」


「感動を一秒で返せ!」


「だって、学校征服の第一歩だもん!」


「普通に通え! まずはそこから始めろ!」


 アイは笑いながら走り出した。


 直樹はため息をつきながら、その後を追う。


 結局、明日も騒がしいのだろう。


 明後日も、たぶん。


 その予感は最悪だった。


 けれど、夕焼けの道を少し先で振り返る仔悪魔の顔が、ほんの少しだけ嬉しそうだったから。


 直樹は、もう一度だけため息をついて、鞄を持ち直した。


「ダーリン、早く!」


「ダーリンじゃない!」


 いつものツッコミが、夕方の住宅街に響いた。


* * *


 翌朝。


 真央直樹は、昨日よりさらに重い足取りで教室へ入った。


 昨日、仔悪魔が転入してきた。


 昨日、クラス中に彼女扱いされた。


 昨日、昼休みにパンが魔界進化した。


 昨日、放課後に魔王反応を測られた。


 そして今日。


 直樹は学んでいた。


 油断すると、人生は通知ひとつで崩壊する。


 その予感は、残念ながら的中した。


 教室の前方にある電子掲示板。


 そこに、朝の連絡事項として見慣れない文字が表示されていた。


『明日の特別活動:魔王候補者適性検査』


『対象者:真央直樹』


『担当:鈴鳴ベル』


『協力:天満アイ、見上宙』


 直樹は固まった。


 鞄を持ったまま。


 片足を半歩前に出したまま。


 魂だけが先に登校拒否した。


「ダーリン!」


 隣から、アイがきらきらした目で掲示板を見上げる。


「魔王デビューだね!」


「デビューしない!」


 教室の後ろから、宙が無表情で小さなケースを持ち上げた。


「検査キット、準備済み」


「準備するな!」


 ワラ人形が言う。


「採血なし版もある」


「採血あり版が存在する時点で怖いんだよ!」


 そこへ、白衣姿のベル先生が入ってきた。


「おはよう、みんな。明日の特別活動についてだけど」


「先生、これ何ですか!」


「大丈夫。たぶん爆発はしないわ」


「“たぶん”って言ったぁぁぁ!」


 クラスメイトたちは、朝から大盛り上がりだった。


「魔王候補者適性検査?」


「真央、ついにジャンル変わるの?」


「昨日までラブコメだったのに」


「今日から魔王学園もの?」


「変わらない! 俺は普通の高校生だ!」


 しかし、ここでナレーションは告げる。


 そう。


 彼はまだ知らない。


 この適性検査が、やがて鏡星学園全体を巻き込む、壮大な魔王選抜バトルの幕開けであることを。


 黒き玉座。


 七つの試練。


 暗黒生徒会。


 裏切りの幼なじみ。


 覚醒する契約者。


 そして、全校生徒の魂を賭けた、魔王ナオキ戴冠式。


 次回、ついに始まる。


 魔王ナオキ、覇道の第一歩――。


「始まらない! 暗黒生徒会も戴冠式もいらない! あと美咲を勝手に裏切らせるな!」


 直樹のツッコミが、嘘次回予告を教室の空気ごと叩き割った。


 美咲が不機嫌そうに腕を組む。


「誰が裏切りの幼なじみよ」


「俺も今そこに怒ったところだ!」


 ベル先生は楽しそうに出席簿を閉じた。


「でも、魔王候補者適性検査は本当にやるわよ」


「そこだけ現実に残すな!」


 アイは満面の笑みで、びしっと直樹を指さした。


「それじゃあ本当の次回予告!」


「するな!」


「第3話、魔王ナオキ光臨!」


「光臨するなぁぁぁ!」


 真央直樹の高校生活は、二日目にして魔王候補者適性検査へ突入する。


 もちろん本人は、最後まで認めていない。

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