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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
2章
9/38

「笑いかける過去」



 とりあえず今日は手伝わんでいいとのことで、先に歓待の宴が催された。黄尾は張り切って肴を集め、恐れおののく隊商から蓄えを根こそぎ奪っていき後には荷車さえ残らない。女王御用達のツケは凶悪な威力を発揮し、村唯一の雑貨屋主人は早くから店を閉め、容赦なく叩かれる扉を背に辞世の句をしたためていたという。


 舞台になった広場は陣幕が敷かれ、日暮れから夜まで酒宴と余興が繰り広げられた。騒げるときはとことん騒ぐのがこの村流である。戦国の世を生き抜いた黄尾はかなりの芸達者であり、自ら面を被って舞台に立ち大仰な舞で巫女たちを驚かせた。


 囃子の笛を遠くに聞きながら、鋼はひとり手酌していた。住処をよこせというアヤヒに黄尾は自分の屋敷を躊躇いなく明け渡し、ついさっき鋼は余計な家具をすべて運び終えたところである。思わず溜息が漏れるのは、周りが乱痴気騒ぎに明け暮れているとき自分だけ働かされている不満に近いような、これから自ら入る墓穴を掘らされているような、なんとも言えない徒労を感じたからだ。


 縁側に座る鋼の隣りでは、雅が大人しく甘酒を飲んでいた。朝の騒動以来、片付けの最中もまともに口を聞いていない。


 鋼は口火を切り損ねていた。ちゃんとこれからのことを父親らしく言い聞かせておかなきゃならないのだけれど、それがひどく曖昧な物言いになる気がして、やきもきしていたのだ。今は状況に流されているからどんなに格好つけても格好が悪くなる。格好なんて構ってられるかとっとと決めろと良心が言う。


「雅、あのな」


 面のまま雅はこちらを見上げた。


「………………………旅に出ないか?」


 口を突いたのは、自分でも思いも寄らぬ一言である。


「──どうして?」

「あのな、ほら、ここんとこ色々忙しくなってきたし世間も何かと騒がしいし、ここはひとつ見聞を広げる意味でも、全国各地津々浦々回って渡世の空気を味わってみるのはどうかと、そういうのも悪くないかと」


 仮面の下だと表情がわかりにくいのが難点だ。雅は手元に目を落とし甘酒の濁りを見ている。


「パパが行きたいなら、私は付いて行きます」

「ホントか!? やった!」

「でも今はいやです」


 尻尾がしなだれた。


「お役目を果たさないと離れられません。私はまだこの村でやらなければならないことがある気がします」

「そんなことは──」


 どうでもいいと言い切りたかった。船が落ちてきたことなんか、その修理という大役を仰せつかったとか、使命とか役目とか、お前が気にする必要は無いと頭を撫でて諭したかった。鋼は雅の身を何より案じている。このまま唯々諾々と言われるままに任せては、雅の身の上がばれるのも時間の問題なのである。


 坊主のことも気になる。早急にこの場を離れるのが妥当だ。この判断は間違ってない。


「雅、お前は自分が特別だからって何でもかんでも背負うこと無いんだぞ」


「パパ」


「ん?」


「お手!」


「──ワン!」


 気づいたとき鋼は差し出された手に、己が手をのせていた。尻尾はばさばさと振られ、舌なんかだらしなく垂れていた。真剣な話とか、父の威厳とか、いろいろ彼方に吹っ飛んでいた。


「……なにをする」

「パパは誰にでもお手をする、だらしない犬なのです」

「え? え?」


 罵られてる?

 というかなんでお手したおれ。


「そういうのは良くないです。パパは分かってません。お手をするのは、これと決めた相手にしかしてはだめなのです」


 そう言って雅はそっぽを向いた。


 不機嫌だったのはこれが原因か、と鋼は思った。アヤヒにお手したから。つまり分かりやすく言い換えれば──


『お手していいのは私だけなんだからね!』


 こうも同然である。なんて可愛い娘だろう…と鋼は感激するのだった。決定的に何か間違っている気がするがこの際どうでもいいのだった。


「──見せてもろうたぞ!」

「ギャアアアアアア!!」


 藪から棒に生垣が弾け、飛び出てきたのはアヤヒであった。


「ウム、麗しき親子愛じゃのう。父想いの良い娘ではないか。感動したぞ、のう鋼の。逃げ出す算段を打っておったのは感心せんが」


「なにしてんすかぁー! つーか何時からいた!?」


「わふふふ! 親子水入らずのところを邪魔してすまんが始めからおったわ! そちらのやり取りが気になったよし。わふふ、なかなか面白い関係のようじゃの。わらわにもとうと聞かせてたもれ」


 よっこらせ、と石段を越え縁側にまで上がってくる。驚いたことに彼女ひとりである。顔の前掛けさえしていない。油断せず雅に面を付けさせておいて正解だった。


「……宴は」

「身代りを立てた」


 何考えてんだこのお姫様。


「そちとふたりきりで話したかったのじゃ」

「ご冗談を」

「冗談なものか。それとも娘の前では話せないのかえ? そちは己のことを娘に話しておらぬのか」


 緊張が走る。

 やっぱりだ。

 牙を抜いたのかとアヤヒは問うた。牙とは異名。八犬時代の称号を示唆している。アヤヒは鋼の素性をはじめから知っていたのだ。


「あぁ、ほらほらそんな怖い顔をせんでもよい。咎めるつもりなど毛頭無いわ。もはや時代が違うじゃ。そちの為してきたことは確かに時の基盤を揺るがしたが、倒される側にあった者すべてがそれを快く思わなかったワケではあるまい。こっちも一枚岩ではない。だからこそつけ込めたのであろう」


「失礼ですが、殿下はおいくつですか?」


「アヤヒでよい。ことしで九つになるな」


 なら十年前の事件はすべて、ほかの犬から聞いた話ということだ。天族の中で事情に詳しく、敵対関係になかった者、それは──


 天元陛下。


「そちの話は陛下より微に入り細に聞きたまわっておる。よもやこの地で我が子に頭の上がらぬ親バカをやっていたとは思いも寄らなかったがのう」


「だからって何故はじめから俺だと分かったんです。十年前じゃ顔も変わってる。聞いた話で、それも一目見ただけで気付けるとは思えませんがね」


「あーもー質問が多い! そちは野暮天じゃ! そんなもの運命の一言で片付けたらよかろう!」


「んな乱暴な」


「ところで鋼の、昨晩どこか傷を負ったのではないか? わらわの船が落ちたとき家ごと吹き飛ばしてしまったと聞くゆえ」


 右足の包帯を見やって言う。坊主の一件を誤魔化すための狂言だったがいちいち説明する気はなかった。


「その傷、もう癒えておるじゃろ?」

「!」


 今朝山へ登ったとき──

 虎ばさみを踏んだ足は問題無く動いた。

 意外と傷は浅かったのかと訝りこそすれ、とりあえず動くのだから良しとしていた。思えば体中の痣も折れかけるかと思った首も今は痛まない。


 戦いの傷が急速に癒える現象。

 鋼には初めての事ではない。


「天に歯向かう八犬には特別な人器が宿っていたと聞いておるのじゃ。それは霊玉の形をとってどこからともなく現れ、資格ある者に拾われる。身につけるうち人器は、持ち主の表象をなす概念として、形を失くして己が中へ溶けていくのじゃ。そしてその、特別な人器を持つ者同志が集まれば、無双の力を得てお互いの傷を治す効能を持つという。ところで、わらわも船が落ちたとき足を痛めての。そちと同じ右足じゃ」


 ぱっとアヤヒは跳んで見せる。軸足を右にくるりと回り、鋼の前で立ち膝を突いた。


「見るがよい」


 そう言って、胸元をはだけさせた。


 胸の中心。心臓のある位置に、淡く青い玉石が埋まり込んでいる。そこを根に梯子を輪にしたような斑紋が広がっていた。


 このとき鋼の胸に去来した思いを言い表すのは難しい。

 その紋は始まりであり、鋼のかつて駆け抜けたすべての過去、すべての戦場、今はないすべての犬に漠然と笑いかけられた、そんな心象を、鋼の真ん中にごとりと置いていった。


「この紋はいずれ身体中に這い広がってわらわに同調していく。この意味そちにも解るであろう? わらわは霊玉の人器に選ばれた。これがどのような働きを見せるのか、胸が躍るほど楽しみで仕方無かったのじゃ。そして今日この日、そち…そなたと出会えた。そなたを見た時より、胸の高鳴りがやまぬ…くるしい。いまも、そうなのじゃ」


 耳を赤にして伏せ、アヤヒは襟を直した。

 うつむき加減でぼそぼそ話す。


「のう、これを運命と言わずしてなんとする。そなたはまだ選ばれたまま…母上に…陛下に聞かされたままの伝説の英雄なのじゃ。けして悪逆非道の徒ではない。陛下がどれだけ、あの腐りきった世界から抜け出したがっていたか、そなたなら解ろう? 天位を簒奪し、新たな王朝を建てんと目論んでいたそなたであれば──」


「やめてくれ」


 酌を一気に空けた。


「俺がそんな大それたものか。真っ直ぐ走るしか能の無い頭の悪い犬だった。負けた英雄はただの犬だ。これ以上掘り起こして、惨めな思いをさせないでくれ」


 叢雲のかかる月と軽やかに響く囃子を肴に、酒をかっくらうには絶好の夜。輝かしい日に思いを馳せるには、悔恨が多すぎた。昔の話を持ち出して酒をまずくさせないで欲しい。


 アヤヒはじっと鋼を見ている。


「…よかろう。過ぎた話をしても詮無い。じゃが今のそなたはどうじゃ。自分を惨めに思って暮らしているふうには見えぬ。新しく、過分無く、真っ直ぐに進める道を見つめておる。そんな目じゃ。わらわはそなたの道を歪めてまで我を通そうとは思わんよ」


 ただ……とアヤヒは手を絡ませてきた。


「今はそばに居てたもれ。わらわは不安なのじゃ。力に振り回されるかもしれぬ。わらわの傍らにはいま導くものが無い」

「…………顔が近い」

「わざとじゃ。わふふふ」


 というか酒臭い。酒宴でそうとう呑んできたようである。


「──ア! いたっ! 何をするのじゃ!」


 うしろにアヤヒの両耳を引っ張る、雅がいた。鋼は目が点になった。


「え、なにしてるの、女王様に」


「パパから離れて」


「何事じゃ! 仮にも神の親族であるわらわに何事じゃ!」


「だからなに? しらない」


 鋼は一献酒を注いだ。頭の上あたりで呑み、びちゃびちゃ顔に落ちてきた。あれ、俺の口どこだっけ。いや、いやいやいや、ひとつ冷静になろう。雅は人間なんだから神様なんだから超エラいんだから神族のヒゲを引っ張っても鼻をつまんでも無礼には当たらないはず。なぁんだ問題ない問題ない。ふぅ危なかった。


「おのれ珍妙な面など被りおって、その面剥ぎ取ってやる!」


 決定的な事実に気付いた。

 アヤヒは雅が人間であることを知らない。



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