「交錯するそれぞれの闘争」
並み居る傀儡の群れが弾ける。
登ってきたそのままを勢いでもって鋼は首から上にまで飛び出してきた。
「──パパっ!」
巨人の首筋に雅はいた。雅を追い越し、鋼は飛び出した勢いそのまま頭上に滞空する。
「パパっ! 翌木さんを止めてください!」
言われるまでもない。
滞空が終わる。徐々に落下に変わる。自由落下。下向きの加速。逆らうものが何も無い我射丸の全力駆動。
それは落下ではなく、衝突そのものであった。
藁人形の頭が大きく揺らいだ。取り付いた鋼はそのまま我射丸を駆動し続けた。四方八方から傀儡が生まれ次々と糸が襲う。構わない。全身がんじがらめにされても鋼はその場を動かなかった。我射丸は加速の人器だ。自分にだけでなく、触れているものすべてに作用するのだから──
鋼に巻きついた糸が自重に耐えきれずたわんでいく。
繰り出される攻撃が、鋼のいるところまで届かず落ちていく。
鋼は周りの空間ごと加速しているのだ。
首から上を押さえ付けられ、藁人形は徐々に体を傾けていった。一度負ければ歯止めは効かない。真っ逆さまに崩れ落ちていく。
巨人の落下であった。
柳川城の倍はある背丈の藁人形が、すでに無い天守に向かって盛大に倒れ込んでいった。すさまじい破壊が巻き散らされる。何重にもある城壁が砕け、轟音と共に雲のような土煙が舞い上がった。町の中心。高台に立つ柳川城に落ちたその光景は、逃げ惑う犬すべてが目にするほど巨大な衝撃で柳川中を震わせた。
「──ガァ! ガハッ! …ガッ………ぐ…はぁ………はぁ。ガッハ!」
その中心で鋼は血を吐いていた。身体中の血液が空気を求めて暴れ狂う感覚。肺がめちゃくちゃによじれ、意識は今にも足元に落ちそうである。
「……どこだッ! 出てこい翌木ァ! 出てこなきゃ手当たり次第ほじくり返して、首根っこ引っつかんで物干し竿に吊るしてやるからなぁ!」
出てこいと言われて素直に出て来たらどれだけ楽か。
鋼は焦っていた。短期決戦に持ち込もうとして畳み掛けたのはいいが、今すぐあいつを引きずり出してコテンパンに叩きのめさなければ、限界はすぐそこだ。
「ハァ…ハァ…あいつはどこにいる。どこに………いや?」
根本的な疑問。
──翌木は何故、雅を捕まえたのだろう。
辺りを見回してみれば、奇しくもそこは柳川城の庭であった。ここで、鋼が来る前に翌木は戦っていた。そうして一度はヤナギに敗れ、胸に大きな傷を負わされたようだが……。
「まさか……っ」
恐ろしい想像が決定的なものにならないうちに異変が起きた。
巨人が立ち上がろうとしている。
頭を押さえつけている状態なら優位に立てると、少しでも思っていたのが、鋼の失敗だった。藁人形は鋼を跳ね除けるまでもなく、ゆっくりと立ち上がったのだ。
天高く頭上に持ち上がったのは、藁人形の片足。
もう片足が腕となり、腕だったものが足に生え変わり、今まさに鋼が押さえつけている頭は、巨人の片足に形態を変化させた。
五体がそっくり上下に入れ替わっていた。
「んなもん、アリかよ……」
巨人が足を振りかぶる。直前に雅を探したが見つける前に振り落とされてしまう。
転がり落ちた先は柳川城の瓦礫の上。すでに反撃の手立ては無く、頭上には今まさに振り下ろされんとする巨人の足があった。為す術無く見上げる鋼は、体に回すべき空気をすべて頭に使って、直前まで考えていた。
どうすればこいつを倒せるのか。
どうすれば翌木を止められるのか。
どうすれば雅を助けられるのか。
絶望を絵に描いたような光景の中に、諦めず活路を探していた。
鼻をくすぐる土埃の匂い。
──風?
藁人形の巨体がぐらりと傾らいだ。
「────!?」
その、綻んだ糸クズのような違和感が、鋼の前に落ちてきた活路だった。
砲撃音。
巨人の胸に次々と赤い爆炎が弾ける。
東の空に扇の形をした物体が浮かんでいた。
闇夜に浮かぶ巨大な帆船──
+
「命中しました! 命中! 命中です!」
「撃っちゃったけど、いいんですかアヤヒ様!?」
甲板を見下ろす櫓から降りて、舳先に乗り出しアヤヒは燃える柳川を睥睨する。
「思い出せ!」
巫女たちは水を浴びたように目を丸くさせた。
「我らは調停者である! 柳川に降りかかる火の粉と、柳川で生まれる火を、無双の武力をもって平定するものである!」
扇子を広げ、眼前に蠢く巨人を指した。
「あれは何ぞや! 見間違い様も無く災厄の権化にあるぞ! あれを蹴散らせずして我らに何ができようか! 弁天院の興廃ここにあると知れ!」
その宣言は後悔と覚悟の表れである。
もはや立つべき場所を見失わない。弁天院アヤヒは柳川に戦火の兆し有りと見てこの地に降り立った。鋼の事は本来関係無い。明照帆を持ち出したのも、争いを収めるためなら武力による鎮圧も辞さない覚悟があったからである。
無力さとは、戦うべき時に戦わない者が軽々しく口にしていい言葉ではない。
道具に依った力も、家格の威光も、使えるならば、それは力なのだから。
すかさずお付きの巫女が傘を差し、太鼓と笛を持ち出して囃子を打った。
「ここにおわすは神の眷族!」
「天土を結ぶ調停者!」
「我らが光の道しるべ!」
「弁天院アヤヒ女王殿下にございます!」
「ウム! 得手に帆を揚げ、風に順いて呼ばわん! わらわは立断の意志をもってかの妖を敵と見なした! ──誅滅せよ!」
「「「「御意に!」」」
風に乗って明照帆は翔ける。船縁の砲は狙いたがわず巨人に火を吹いた。アヤヒは櫓座敷に戻ると、巨人の異様を再び見下ろした。
なんと馬鹿げた光景か。藁人形を模した巨人が、阿天座の仕業と見るまでそう時間はかからなかった。柳川の惨状を見るにあの女はヤナギと敵対したのだろう。最初からそのつもりだったのか、ヤナギに裏切られてそうなったのか、今となっては無意味な問いだがやるべき事は変わらない。燃え盛る火を消し止める。燻る火を踏みしだく。そして弁天院の威光を世に知らしめるのみである。
「よくも蚊帳の外に追いやってくれたな。わらわはここじゃ! ここにいる! とくとその目に焼き付けよ!」
一斉射を続けながら巨人を右にすれ違った。目と鼻の先ほど近くに外しようもなく着弾し、爆煙が船を撫でた。アヤヒは操舵輪につく。
「射撃やめ! 帆をたため! 帆走から機走に切り替えよ!」
「宣候! 機走! 機走! 甲板員は集合せよ!」
「機走! 機走!」
声を掛け合いながら甲板の巫女がそれぞれのマストに集まり、ウィンチ回して動かした。畳帆作業は主機関の動力を割いて自動で行う。息の合った調子で、順繰りに帆が畳まれていく。
「畳帆完了! 五十二秒です!」
「速い! おぬしら船を扱わせたら右に出るものはおらぬじゃろう!」
「恐縮であります!」
すでに観測手と砲手のほかは櫓座敷に集まっている。甲板を見下ろすこの場所は、明照帆の操縦に関わる計器の一切が揃っていた。何よりも特徴的なのはそれぞれの担当する座にオールの柄のような棒が横倒しに伸びているところだ。その様相を見れば完全に手漕ぎの櫂走船そのものであった。明照帆の機走は主機関を用いるとはいえ、その動力は限りなく手動に近く、風に逆らって走るとなると浮力の他に推進力がいる。風力の欠けた穴を、主機関の模倣人器に流し込む巫女たちの力で補おうというものである。
人器としては異例であるが、ほとんどの船がそうであるように、明照帆は複数人で扱う事を想定して作られた模倣人器であった。
「上昇しながら面舵を取る! 追い風で得た速度を高度に変換するのじゃ!」
「上昇反転! 面舵、宣候!」
「さあ息を合わせるのじゃー! 最澄!」「はい!」「勅使河!」「はい!」「水澄!」「はい!」「紀恵夏!」「はい!」「観月」「はーい」「観鈴!」「うっす!」「テヨルテ!」「ハァイ!」「保泉!」「はい!」「安積!」「はい!」「茉莉花!」「は、はい!」「「歌えや歌え! 高らかに!」
声を合わせ、力を合わせ、巫女たちは歌い始める。
人器にはそれぞれ固有の波長があり、複数の犬が力を込めるにはすべてその波長に足並みを揃えなければいけない。アヤヒはそれを歌の韻律によって合わせ、難しい人器の同時使用を成立させているのだ。
「おもか───じっ!」
舵輪を回し、船体が傾く。明照帆の回転に偏りを与え、遠心力による方向転換を促すのである。その結果費やされた膨大なエネルギー喪失を、巫女の駆動力で補填し、高度を上げながら明照帆は反転した。
「このまま一定の距離を保つ! 巨人を軸にして周回し続けるのじゃ! 射撃準備!」
「射撃じゅんび────っ!!」
「──アヤヒ様お待ちください!」
観測手の咲が、悲鳴にも似た声で遮った。
「一体なんじゃ!」
「巨人の……首のあたりに、雅さんの姿が見えます!」
櫓の縁に設置された遠眼鏡に飛びついて、今は船に半身を向ける藁人形を凝視した。
「なんということじゃ…」
雅が、糸で絡め取られているのが見えた。
いつもの面は付けていなかったが、あれは雅に違いなかった。
「射撃禁止! そのまま待機せよ!」
攻め手を欠いた明照帆は、ただ巨人の周りを飛び続けるしかなくなる。
「アヤヒ様! 煙が晴れて着弾部が見えます!」
「効いておるか!」
「表面を焦がしただけでほとんど効いてません!」
「ぐぬぬ…」
とにかく、まず雅を何とかしなくては──
観測手の咲が今度こそ悲鳴を上げた。
「なんか、形が変わってますーっ!!」
藁人形が初めてこちらに顔を向ける。
ただの藁束だった頭部。
そこに木の洞のような穴が空いていた。
目と口の三つの。
──見られた。
間違いなく今、あれはこちらを見たのだ。
今初めて、アヤヒはあれに、敵と見なされたのだ。
「……くるぞ、おぬしら息を乱すなっ!」
巨人の腕が形態を変化させた。
腕だけが幾本にも枝分かれして伸び、船に襲いかかってきた。
「振り切るのじゃ! 最大船速!」
アヤヒも全身全霊で舵輪に力を込めた。機走状態では主機関の遠心力を前方に偏らせる事で速度を稼ぐが、無理に加速すればその分浮力が落ちるため、高度が下がる。空中戦でもっとも必要なものは高度である。急激な操船によって失われる速度と高度、このふたつを座敷についた巫女だけで補うには、頭数が足りない。
「アヤヒ様っ! 進路上に敵の手が!」
「グウウウ……っ!」
いっそう太い糸束が、前方で漁網のように展開していた。進路をすべて塞がれている。回避できない。
「と、取り舵いっぱい! 右弦の大砲すべてを向けよ! 斉射準備っ!」
伝声管に力の限り吠え、船体が大きく傾く。
舵を取りながらの照準。一層、二層、三層、甲板、すべての砲が死に物狂いで触手に指向してみせた。
「まだじゃ! まだじゃあ! ギリギリまで引きつけるのじゃ! 絶対に外してはならんぞ!」
「むりですぅ───っ!」
「弱音を吐くなぁ! くるぞくるぞくるぞ! …う、てぇぇ───────────────ッ!!」
轟音。衝撃。あまりに近い爆発に甲板にいる巫女がひとり残らずひっくり返った。
「うぐ…どうじゃ…」
前方視界が晴れる。遮るものの何も無い空。激しい耳鳴りの中を這い、舵輪にかじりついて残る力を振りしぼる。
「──抜けるぞ! 一旦離れて態勢を立て直すのじゃ!」
指示した瞬間、強い衝撃と共に船が後ろへ傾いた。舳先が前にせり上がる。
速度が、せっかく稼いだ速度が無くなってしまう。
マストだ。中央マストの頂上が糸に絡め取られていた。上部に撃ち残しがあった。明照帆は船体を大きく傾かせたまま、完全に宙へ縫い止められてしまった。
甲板には負傷者多数。船体が折れ曲がる気持ちの悪い音。恨みを込めた目で、アヤヒは藁人形を睨む。もうそのくらいしかできなかった。
どんな妄執があれば、あんなものを動かせるのだ。──阿天座の棟梁、翌木とやら。おぬしは一体何と戦っているのじゃ。
聞こえた。
心の中だけの、誰も答えるはずのない問いに。
「お前の相手は俺だ」と、誰かが答えた気がした。
そのとき藁人形が何かに「蹴られた」。
巨人がのけぞるほどの凄まじい蹴りだった。
アヤヒは見ていた。何者かなど疑いようもなく、この場であれと対峙しうる、戦う理由のある犬など、奴しかいないではないか。
瞬間、糸の拘束が緩んだ。
「振りほどけぇッ!」
強制的な静止状態にされ、止まらない機関部に振り回されて前後左右に暴れる船を、アヤヒは逆に利用した。身をよじって無理やり糸を跳ねのけたのだ。舳先を下に向け一気に高度を下げる。滝に打たれるような荷重が襲う。船体がみしみし悲鳴を上げる。地上すれすれで引き起こし、取り戻した速度で巨人との距離を一気に引き離した。息も絶え絶えになりアヤヒは欄干に寄りかかった。引き離したはいいが、後はどうにもならない。
「アヤヒ様! 巨人の方から何か飛んできます!」
町の建物が船をこすりそうなほどの低空である。今舵を切ったら墜落するしかないというのに。
アヤヒが確認する間もなく、それは櫓の屋根を突き破ってきた。
座敷を削り、欄干をぶち折ってようやく止まる。
「──っててて…あぁ死ぬかと思った」
鋼だ──
「…は、鋼」
「おいおい、こっちもヒデー有様じゃねえか。何ボーっと突っ立ってんだよアヤヒ」
「きぅ……わらわは、わらわは…これでも」
「シャキッとしろ! 怪我人を中に入れるんだよ!」
嬉しさと、自分の情けなさがないまぜになってアヤヒはひどい表情をしていた。鋼が怒鳴ってそれは泣き笑いの形に固まった。




