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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
5章
31/38

「滅びの力。受け継がれる意志」



 家老が兵を引き連れて庭に戻ってきた時に、その場は原型を留めないほどの有様になっていた。

 まず見える範囲すべてに張り巡らされた糸。

 まるで何十年も掃除していない蔵が蜘蛛の巣で覆い尽くされるように、庭に根を張っている。

 石畳は残らず砕かれ、庭木は燃え、あちこちが松の焼けた匂いに汚されていた。

 ヤナギといえばその破壊の中心で、胡座をかいて、ふてくされていた。


「これは…一体なにが」


 何よりも一同を驚かせたのは、ヤナギの目の前に立つ異様な物体だ。


 柱である。

 巨大な、緋色の曲がりくねった柱が地面から突き出ている。


 その柱は湯気が立ち昇るようにぼんやりと動いていた。白昼に見れば狼煙と見間違えたかもしれない。照光石(ランプ)の光を返して浮かび上がるそれは、確かに形のある物体であって、まるで生きてうごめく枯れ木のようでもあった。


「上様、ご無事でございますか。あの賊めは…ここで一体何があったというのです」


 ん、と顎を突き出してヤナギは柱を指す。


「ここだ」

「は?」

「翌木とかいう女は、これだ」


 糸を避けて柱の元まで寄っても女の姿は見られない。

 つまり、ヤナギの指し示しているものは、この巨大な柱しか無い。


「な…………女が、この面妖な柱になった、という事にござりますか!?」


「わからん。最後の一振りを女に浴びせたとき、このぐねぐねしたもんがいきなり地面から生えてきて、女を呑み込んだんだ」


「なんと……」


 唖然としていると、ヤナギは刀を構えて立ち上がり、裂帛の気合いを乗せて一刀を叩き込んだ。


 ギイイイイイィィィィン……!


 盛大に火花が散り、切り抜けた刀は無残なほど刃こぼれだらけになってしまった。


「…途轍もなく硬い。見ろ、柱の方には傷ひとつ無いぞ。俺の刀も二つ胴はいける代物だが、トドメがこれに阻まれた。こりゃ何なんだ、俺が聞きたいくらいだ」


 家老のひとりが、暗闇に紛れ、どこまで高くそびえるかも分からない頂点を見上げながら言った。


「…昔、聞いたことがあります。先代がまだご存命だったころ、柳川を興す大きな事業が始まり、外から大量に持ち込まれた、縄のごときものがあったと」


「縄……?」


 ヤナギも見上げる。確かに、大木のようにも見えるが、それはいくつもの縄が寄り集まった、極太の荒縄にも似ていた。


「刀を欠けさせるほどの縄、だと?」


 見覚えがあった。

 いや、身に覚えがありすぎた。

 これは、翌木が武器として駆使していたものと──


「上様ァ! 大変でございます!」


 庭に足軽の犬が飛び込んできた。ぎょっと目を見張るが職務をまっとうすることを優先させ、膝まづいて報告をする。


「町のあちこちで火の手が上がっております! どうやら地下のガス管が破裂した模様!」


「なんだと…!」


 柳川の地下には気化燃焼ガスのパイプが張り巡らされており、街灯や一部の家、工業区などで使用されている。柳川の基幹資源だ。


「消せ! 大元の弁を閉じろ!」


「すでに全力で取りかかっております! そ、それと…」


「なんだ!」


「町中で、その、それと同じものが、出現したと…」


 柱を指して、何がなんだか分からないとでも言うように訴える。


「…馬鹿なッ」


 最後まで聞かずヤナギはその場を駆け出し、本丸の内部を駆け上がった。柳川を一望する最上間にたどり着くと、欄干へ飛びついて、


「…………!!」


 絶句する。


 柳川は眠らない町である。

 夜も街灯に火がともり、歓楽街は朝まで嬌声が鳴り止まず、工業区では常に何かしらが稼働状態にある。柳川の象徴である鉱石運搬用の巨大歯車は、寝静まっても耳を澄ませば地響きのように聞こえるほどだ。

 それが聞こえなかった。


 柳川が静まり返っている。

 街灯がひとつ残らず消え、代わりに火がぼんやりと、かがり火のようにそこかしこを照らしている。

 近代化された町が、その機能を停止させていた。


 その上空、微かな光に照らされて、柳川の空を巨大なうねりが包み込むように漂っていた。


「なんだ……なんだこれは……! 待て、待て待て待て混乱するな。知ってるぞ。俺はあれが何か分かっている」


 整理しよう。


 あの現象は、ここ二三日のうちに起きた事と必ず関わりがあるはずだ。

 すなわちそれは翌木の出現と、天領が兵を送ってきた事態に起因するものだ。


 翌木は始め警告をしに来た。

 勅命の届いた通り、いずれこの地の人器を目当てに、天領の軍が攻め込んでくるだろうと。しかしその動きに反発があり、来るべき戦を仲裁する大使として弁天院の姫が遣わされてくるだろうと。

 翌木の主張はこうだ。今の五稜郭、総統府はともにおかしい。天元陛下の権威を利用し、好き放題にしているのだ。そんな勅命に従う道理はない。五稜郭は本物の陛下がお隠れになった事実をひた隠しにているし、身代わりを立て何十年もその地位に胡座をかいてきた。もうここが潮時だろう。いっそ弁天院の女王殿下を攫い、あらたな国を立ち上げようではありませんか。


 阿天座は義賊で、この山青内に巣食う天領の息がかかった勢力を次々と潰してきた実績がある。一見野心家ともとれるその主張は、国のためを思えばこその大言と納得できるかもしれない。


 だが翌木には真の目的があった。人の権威を借りない犬だけの国を作る。そのためにこの世の人器すべてを破壊しなくてはならない、と。


 ここまではいい。

 どんなに荒唐無稽だろうとそれが翌木の描く理想なら、奴の中ではそうなのだから。


 問題は柏槇だ。柳川が今の姿になるまで、柏槇という巫女が多大な貢献をしたことはヤナギも知るところであった。柏槇は柳川と天領を掛けた天秤の柱となる存在だった。

 技術を与え利権を生み出し、柳川の勢力を骨抜きにしようとした当時の五稜郭。貰えるものは貰ってやるが国の自尊心まではくれてやらんと恭順を拒んだ柳川。両者の重りが一身に掛かり、天秤は崩れてしまった。

 伝聞になるが、これは柳川の者が暗殺した、という見方が濃厚であるしヤナギもそう思う。自分が不利になる前に、天秤自体を壊して得をするのはほぼ柳川の方であったから。


 同時にこの考えには解せない部分もある。


 なぜならそれが事の真相なら、柳川は柏槇ひとりを異様に恐れていた事になるからだ。

 柏槇がその気になったところで、それまで享受していた利益がそれ以上得られなくなるだけである。なぜ、柏槇は殺されねばならなかったか。なぜこちら側は、女ひとりを殺さなければならなくなるまで、追い詰められていたというのか。

 答えは、眼前の光景にある。


 柏槇は、いつでも、柳川を滅ぼすことができたのだ。


 地下に持ち込まれた技術、工業力の支えとなった柳川の人器魂讃。それを自在に操れるのは柏槇だけだ。今の柳川を成り立たせているのは、彼女が残した遺産でしかないのだ。誰もその真意を、人器の真髄を理解する事は叶わなかった。

 その意志を受け継ぐのが翌木だったとすれば、柏槇自身も、この世に人器は不要と考えていた事になろう。

 だから、いつでも壊せるように仕掛けを施していた。

 工業発展、近代化などをエサに、すべてを無に返すために、柳川の地下一帯に人器の巣を張り巡らせていたのだ。

 魂讃から生み出される無尽蔵の力。それを町中に伝える役割を持つのが、あの縄、あの柱なのだ。


「そうなのか…最初から魂讃を操ることが目的だったのか。あいつ自身が、このための囮だったのか」


 自分が地上で派手に立ち回り、手下どもは地下へ潜って魂讃に細工を加える。柏槇と繋がりのあった翌木なら魂讃を操る術を手下に伝えるのだって簡単なはずだ。


「ククク…そういう事か…参った参った。俺との勝負など、どうでもよかったわけだな」


 柳川を滅ぼす。その目的は達せられていた。


 今や柳川にある物すべては魂讃から生み出される動力によって成り立っている。魂讃を暴走させ、柳川を今ある姿から弱体化させること。この世から人器をなくすという翌木の目論見は成功したわけだ。


「けど、それがどうした?

 あちこちで火事が起こってるな。消し止めればいい。

 近代化した設備は使えないな。そのぶん手間をかければいい。

 工業製品など簡単には作れないな。職人を育てればいい。

 俺たちは生きている。人器が使えなくなったから何もできなくなるわけじゃない。犬がいれば戦はできる。戦はできるんだよ!」


 ──まさか人器のなくなった世は即ち平定されるだなんて、能天気に信じていたんじゃないだろうな。


『そ  の通り   でござ   います』


 頭蓋を震わせるほどの大声が、ヤナギのいる最上間にまで響いた。


「────ッ!?」


 上空のうねりが形を変えている。最初はよく見えなかったが、庭から生えた柱が、空に行くほど結びをほどき、別の形に寄り集って塊になりつつあるようだ。曖昧な境目をより強固に結び、枝分かれして、月に影を落とした。


 それは手だ。

 巨人の手であった。


 その手には感情が宿っていた。犬が顔や声だけで心のうちを表さないように、ヤナギにはそう見えた。

 なぜなら月を掴み取るように拳を握り、それが震えていたからだ。倒すべき相手に振り下ろしたくてたまらない怒りに震えていたからだ。


 天守閣が砕けた。

 最上間に飛び込んだ拳は、ゆったりと引き抜かれる。

 その後も上から何度も、何度も、本丸がばらばらに砕け散って更地になるまで、執拗に振り下ろされた。



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