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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
2章
13/38

「凄まじきもの」



 大男と女がいた。


 その傍らに巫女が倒れている。明らかに招き入れられた風ではなく、最初から船にいたわけでもない。外にいた巫女も甲板を見張っていた巫女も、何らかの異常を知らせるより前にああなったと見て間違いない。侵入者は隠れる気も、こちらを侵害する気も隠そうとしなかった。


「通しゃんせ」


 大男が弾ける。その巨躯からは想像もできない速さ。


「下がってろ!!」


 反射的に体が動いた。敵が何か、どこのどいつか考えるのは後にした。外套に身をすっぽり覆って迫り来る大男がいたら、逃げるか頭突くかの二通りしかない。鋼は容赦なく頭突くほうであり、それが甲冑を着込んだ輩なら尚更だった。


 鋼の武器は徒手の空拳。

 それは相手も同様に。


 激突するまで一秒も無く、技の応酬さえ無かった。振り絞られた拳は鋼の顔に、大男の胴にめり込んで、それぞれ上下に吹っ飛ばした。

 叩きつけられる床と天井。下は鋼、上は大男。鋼の拳は甲冑を砕き、大男は床を砕いて鋼を埋める。


 双方凄まじい一撃だった。

 瞬間、鋼は気絶していた。


 右足が意識を床に繋ぎ止めていると分かったとき、大男は着地して二撃目の動作に移っていた。遅れて鋼は手に違和感。甲冑を砕いて腹に到達したはずの拳は、鎧よりも固い丸太を打ったような感触を残している。


 唸りを上げ迫り来る大振りの内を抜け、鋼はさらに間合いを詰めた。

 鼻息のかかるほど近く。踏み足は男の股下にあり、左手は脇に滑り込んでいる。


 ──瞬転。車輪のように大男が回転した。


 恐ろしい勢いで壁に頭から突っ込んでいった。そのとき鋼が使ったのは人器でも何でもない、ただの(やわら)である。大男の動きには玄海のような精密さも慎重さも無く、ただただ力任せで絡め取るのは容易だったのだ。深く入りすぎたので殺してしまったかと思う。


「なんてこと。お手前様、すさまじい手練れでございますね」


「お前、(めしい)か。当頭者が何の用だ。ここは女王殿下の庭だぞ。三味線なら他所で弾け」


「そうもいきませぬ。女王殿下をお連れしに参りゃんしたので」


 そう言って女は一礼した。


「相棒を倒されたのに余裕だな」

「相棒? 何のことでございましょや?」


 女は片手を掲げた。


「ここにいるのは、私ひとりにございます」


 その指のひとつひとつに琴爪が嵌めてある。


 指先からは、光の加減がなければ見えなかった、蜘蛛の糸のようなものが垂れている。


「〝彩七美(さやなみ)〟」


 寝たままの姿勢で大男が跳ね上がった。生き物としてありえない動き。──左。関節の駆動範囲を無視した蹴りがでたらめに飛び込んできた。防いだ左腕が飛ばされ、次飛び込んできた裏拳は腹に入りトドメの右で体が浮いた。牛車に轢かれたような痛みが全身を打ち貫いて床を転がった。大振りの連撃はすべてありえない角度、予測できない方向から飛来し、鋼を翻弄していた。


(こいつ…犬じゃない…!)


 生き物ですらない。

 女の指先から糸は、大男の背に繋がっている。女が手を動かすことで、その動力を何倍にもしてあれは動いているのだ。


 傀儡。

 人型の人器。


 鋼は四つ足を着いた。

 軌道の読めない追撃を逃れるには距離がいる。

 けれど鋼は退がらない。後ろに守るものがあるとき退がれはしない。

 坊主のときとは違う。今は自由の利く足が四本ある。

 鉄風のように手足を振るう傀儡を前に、鋼は跳んだ。


 傀儡にも目があれば、目の前からいきなり鋼が消えたように見えただろう。床を、壁を、天井を跳ねる何かは見えなかっただろう。我射丸の力を使い、通路を縦横無尽に跳ね飛ぶ鋼を捉えられなかっただろう。


 翌木はそれを音で捉えていた。


 鋼は天井にいた。天井を足場にして一撃を加えようとしていた。傀儡の剛腕が跳ね、天井をばらばらにえぐる。──いない。そのとき鋼は傀儡の肩にいて、肩に手を付き、壁を軽く蹴っていた。


 仕掛けたのは体当たりだ。

 最大威力で仕掛けた。


 船全体を揺るがすほどの轟音を伴って、外壁が吹き飛んだ。

 木片が森に散らばり落下する中に、三つの影が混じる。鋼が、傀儡が、それに引かれた翌木が森へ放り出されていた。


 落下途中、傀儡に取り付いた鋼は我射丸の力をでたらめに流し込んだ。玄海の操布を破裂させたときと同じ、武具破壊の術。外套が千切れ飛び、甲冑が四散した。出てきたのは丸太と縄を繋ぎ合わせた、おどろおどろしい人形だ。


「ぶっ壊れろおっ!!」


 落下と同時に貫手が傀儡の胸に深々と刺さり、中の機構を滅茶苦茶にして、完全に動かなくなった。


「お手前様は危険でありますなぁ」


 翌木が後ろに立っていた。

 傀儡に気を取られすぎた。

 蜘蛛の糸が手に掛かる感触。


「輪切りになってくだしゃんせ」


 切られたという感覚より先に全身から血が吹き出していた。糸が身体中に食い込んだのだ。


「ぐ、あああああああ!!」

「頑丈なかたでございますね。とっとそこらに転がったほうが痛みも少なく済みましょや」

「う・る・せ・え!!」


 死ぬわけにはいかない。

 ここで死んだら雅はどうなる。

 誰が守ってやれる。どうやって生きていく。

 鋼は踏みとどまった。それ以上糸は食い込まず、逆に引っ張られて翌木は怯んだ。


「なんてかた…お手前様とは戦いたくありませんな。どうか降参してくだしゃんせ」


「誰が……」


「──姐さん!」


 船上から声が落とされた。多数の見知らぬ犬が甲板を占拠している。

 まずい。ひとりでも手を焼いているのに、これ以上来られたら──


「殿下を確保しました!」

「よーし! お手前様ら、ずらかりましょや!」


 拘束が解かれ、翌木は背を向け一目散に逃げ出した。追おうとして体を奮い立たせるが、傷は深く、鋼は地面に沈む。


 アヤヒが攫われた。

 目の前で。


「クソ……ったれ」


「──鋼!!」


 …………は?


 当のアヤヒが船を降り、鋼のもとに駆け寄ってきたのだ。


「無事か鋼! ああこんなに血が、しっかりするのじゃ!」

「お前…なんでここにいんの」

「殴るぞどたわけ! そなたが心配だったに決まっておろう!」


 違う。

 賊の目的はアヤヒだ。

 じゃあ一体奴らは誰を攫っていったのだ。


 そのとき鋼を襲ったのは嫌な予感などという生易しいものではない。絶望の渦がめちゃくちゃに心臓をかき乱した。船内にいて、背格好もアヤヒに似ていて、としごろも同じような、女の子、なんて、


 一人しかいない。

 鋼は咆哮をあげる。


 雅──、と。



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