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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
2章
12/38

「戦火の邂逅」



「ここに一本の紐があるじゃろ」


 アヤヒは手の中に、毛糸ほどの太さの紐を綾取りして見せた。


「端っこの方で切れておるが実はこれは輪っかなのじゃ。輪っかに作った糸をより合わせて一本の紐にしておる。そいつにこの、穴を空けた珠を通してじゃな」


 ぴん、と紐を張った。数珠から珠を抜き取って一個だけ残した形。


「このように」


 傾けず、水平な紐の上を、珠は右から左へ滑っていった。


「こんなふうにも」


 今度は速く、端から端までひとりでに行ったり来たりした。かと思えば上下に揺れ、弾いた楽器の弦のように振れる。


「これは珠が紐を引っ張っているのもそうじゃが、この紐自体が珠を弾き飛ばそうとしている所作の表れなのじゃ。この模倣人器〝吊天弦〟は力を伝達させる紐での、触れずとも、通した珠を速く、遅く、細やかに動かしおるのじゃ」


 鋼は得心する。

 坊主と戦ったとき数珠が張ったり曲がったりたわんだりしたのはそういう原理なのだった。一個ならまだしも、それを複数端々で別の動きをさせていた玄海は、やはり相当の使い手だったようだ。


「ちなみに部分部分で速くしたり遅くしたりできるなら、他にどんな動作ができると思うかえ?」

「…そりゃあやっぱり首に巻きついたり足を引っ張ったりいろいろ」

「たわけ! 何故物騒に考えるのじゃ。吊天弦という名でわかろうものじゃろう」


 とんちは苦手である。

 アヤヒは紐を仕舞って別の紐を取り出した。そこにはあらかじめ三個の珠が通された、輪っか状の紐が握られていた。


「これを動かしてみせるぞ」


 手の中で珠が回り始めた。

 なんの代わり映えも無いと思った矢先、ぱっとアヤヒは手を離す。すると輪っかは珠を回したまま、空中に留まり続けたのである。


「わ、すごい」と雅が思わず声を上げた。

「どうなってんだコレ?」

「わふふぅ、莫迦じゃのう。速くも遅くもできると言ったじゃろ。この珠は上に回るとき速く、下に回るとき遅く動かしておるのじゃ。するとどうじゃ、物の落ちる力と上に弾ける力が釣り合う。遠心力というやつじゃな」


 納得できない。騙されている気分。言うほど簡単には思えないしでも、現実こう浮いているのだから鋼はぐうと唸るしかない。ぐう。


「これ、下に行くとき、反作用がはたらくはずなのに…どうなっているのですか」


「これは単純モデルじゃからその程度は無視できるのじゃ。三次元でものを捉えるとな、行く力と来る力は同一線上にあっても反発しあっておるから紐と珠は摩擦抵抗がこーであーで」


 鋼は飛行人器〝明照帆〟の船倉にいた。

 どんな船かと思って来てみれば、今まで見てきた船と変わらない木造の船であった。ところどころ潮の臭いがするから元は普通の船を改造して作ったものだろう。神からの預かりものではなく、これも模倣人器なのだ。


 アヤヒはいま、その飛行原理の説明をしていた。


 鋼の足元には一本の道がある。

 道は船の竜骨に沿って湾曲している。船倉の中心を走る下り坂と上り坂の通路。犬三匹が並んで歩けるほどの太さがあって、樽の内部のように弧を描いていた。


 その中心に、鋼よりも大きな球体が転がっている。


 道は球体の通り道なのだ。


 この道を通ってアヤヒが説明しているとおり、上に向かうとき速く、下へ向かうとき遅くという逆理を成り立たせているようなのだ。

 道は広い船倉の天井まで這って一周していた。もし途中であの球体が落っこちてきたらと思うと背筋が寒くなる。


「にしてもアヤヒ、お前人器に詳しいな」


「あたりまえじゃろ。天族とそれに近い者は日々人の残した技の解明に明け暮れておるのじゃぞ。人器の力をもっとも引き出せるのは人なんじゃから、この世にある大半の模倣人器はわらわの一族で作っておるわ。そこ、ありがたがって構わぬぞ」


「へいへい」


「なんじゃ! それは! もっとよう誉めい!」


「よーしよしよし、すごいなアヤヒは~」


「わふっ、あ頭を、撫でるな…みんな見ておる…」


 船倉の整備をしている巫女たちが幽鬼のような目で「不敬罪…」「火刑」「盛ってやる」「去勢すれば…」とかぶつぶついっている。


「とにかくっ、日々人の有り様に近付こうとする、それが我々天族の役割なのじゃ。人の技、人の有り様こそが世を導くための(もとい)なのじゃからな」


「ハッ、過ぎたるは猶及ばざるが如しっても言うけどな。この船だって制御できないから落っこちたんだろうが」


「それはわらわのせいではない! 明照帆はこの地に引かれるように落ちたのじゃ」


 それは鋼も気になっていた。

 坊主を始末しようとしたあのとき、船が落ちてくる前兆のように大地は鳴動し、物は重さを失くして浮かび上がった。それをずっと鋼はこの船の、未知の人器による作用だと思い込んでいた。


 違うのだ。


 アヤヒの話で確信した。

 あのはたらきは、間違いなく、我射丸のものだった。


「わらわは鋼に近付くことで霊玉の定着が早まった。恐らくそれが人器を操る力に作用し、均衡が崩れたのじゃと思うておる。明照帆は装置が巨大ゆえ、始動前の調律が不可欠での。飛行途中に変化が起きれば取り返しがつかんのじゃ。そなたという新しい要素が加わったのならそれも含めて調律せねばな」


 選ばれた八犬が一箇所に集まれば人器の力は高まるのである。鋼も昔はよくあった。最初はそのせいで不調も起こすし、船がアヤヒの力で動いていたなら納得できない理屈ではない。


 けれど、これだけは言える。

 鋼は八犬時代にだって、一度たりとも、あんな力を出せたことは無かったのである。


「ま、これも仮説に過ぎんがの。とにかく試してみるしかないぞ。船が動かなければ話にならん。今日一日は付き合ってもらおうかえ」


「待てよ。よく考えたらうちの領主に急ぎの用があるんだろ。別に船なんて使わなくたって牛でも借りて行けばいいじゃないか」


「──何故、わらわが船を駆ってまで足を急いだと思う?」


 それは──坊主の話。近衛と僧兵部隊の派遣。


 それがアヤヒのことを言っていたかは判らない。戦における物々しさと、アヤヒやその巫女たちはどうも結び付かないし、町の上空にこんな船がいきなり現れれば腰を抜かす犬の百や二百はいるだろうけれど、言わばそれは威力交渉の類で戦そのものではない。海千山千のヤナギが怯むとは思えなかった。


「わらわはわらわの責任においてここにいる。誰の鎖もつけておらぬ。じゃが陛下の名を掲げて不義をなす者おるのなら、それを止めなくてはならぬ。そのときわらわも力無い操り人形と見られては、困るのじゃ」


 とん、と胸を打つものがあった。


 ぬぐいきれない過去は鎖と似ていて、動かないよう留めもすれば逆に引っ張られることもある。アヤヒの言葉は、忘れ去ったはずのしがらみを呼び覚ました。時代という巨敵と戦っていた興奮を思い起こさせた。


 でもだめだ。冷静になれ。

 今の優先事項はなんだ。雅を守ることだろう。


 いや、むしろ──


 鋼は不意に恐ろしい考えが浮かんだ。

 坊主のことを気にするなら、今の状態が理想的ではないか。


 アヤヒと一緒にいる限り奴は下手な手を打てない。天族の前で無法を働こうなど誰にもできることではない。雅はアヤヒに守られているのだ。

 もちろん危険はある。大勢に囲まれて過ごすことで今まで以上に気をつけなくてはいけない場面が増えるだろう。だが、いつどこから来るかも分からない敵に怯えているよりはマシなはずだ。


 一時的には。

 アヤヒの敵とは、五稜郭の内部にいるのろうだから。


「天領から、別の奴らが来るのか?」


「そうじゃ。まず間違いなく戦になる。総統府はヤナギ殿を逆賊にでっち上げる気じゃ」


 恐れていた、目を逸らしたかった、昨日まで続いていたからきっと明日もと希望を抱いていた日常は、もう無視できないほどひび割れている。


 ならば戦う覚悟をしよう。

 十年前は、拓くために。

 今は守るために。


「俺はどうすればいい」


「わふふ…そうじゃな、操舵室の櫓に来てもらおうかの。始動はそこで行うのじゃ」


「雅、行くぞ」


 さっきから雅はしゃがみ込んだり壁をしげしげ眺めたり、作業している巫女の手元を覗き込んだりしている。初めて見るものばかりでかなりはしゃいでいた。


「み・や・び! いくぞ」

「私はもう少しだけここに残りたいのです…アヤヒ様と先に行ってきて下さい」


 雅は意外と頑固なたちで、こうなったら聞かないのだ。


「迷惑かけんなよ! 転ぶなよ! 絶対くれぐれもアレだけは気を付けろよ!」

「は────いっ」


 後ろ髪を引かれる思いでアヤヒの後をついて行った。


「アレ、とはなんじゃ」

「こっちの話だよ」

「ふぅん、はぁん、わっふっふ…」

「なんだよ」

「こっちの話じゃ」


 むかつく。


 しばし無言で船内を歩いていた。大珠の装置がある場所は何層もある船をくり抜いて作られており、階段を上ってもそこだけ吹き抜けになって下を見下ろせる。雅が物怖じもせず巫女に何かを訪ねているのが遠目にわかった。


 不意に、ぽつりと、アヤヒは、


「あの子は、そなたの…」


 そこから先は聞きそびれる。


 甲板へ出る途中の通路。板張りの外周回廊は等間隔に窓が設置されており、外の光が差し込んでくる。船内は暗く、差し込む光は矩形に縁取られ、いくつもの線を壁に下ろしていた。


 明暗で気付くのが遅れた。



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