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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
2章
11/38

「うごめく炎」


 巨大な船が東方の村に不時着したとの知らせは、商犬たちを通じて柳川へ渡り、山青が領主ヤナギの元へ瞬く間に知らされた。


 先の勅命が五稜郭ではなく総統府より発せられたものであることをヤナギはすでに看破している。不可解なのは何故に、話に聞く大掛かりな人器を投じてまで、この地へ足を運んで来たかにあった。人器の譲渡拒否を口実に力でねじ伏せるなら、大軍を率いて城下を囲めば済むことである。


 戦を起こす大義には一寸足りぬと判断したのか。


 ならば空飛ぶ船というのは、天領の威を示す遣いであると見るべきだろう。遣いであるからには国賓として丁重にもてなすべき位のお方、恐らく天族だ。


 ヤナギは腑に落ちない。


 総統府の強行姿勢には日頃から手を焼いているだけに、天意を借りて「寄越せ」と言うだけなのがいかにも手緩く感じてしまう。

 それとも自信の表れか。空飛ぶ船一隻あれば柳川の町を火の海に変えられる、それほどの武力を背景にして交渉に臨むというのか。だとしたら傲慢すぎるし、誤って近くの村に落ちたという不手際まで何かの策謀ではないかと不気味に思えてくる。


「どう思う、佐野」


 ヤナギがもっとも信頼を置く家老、佐野は面を上げた。


「…天族の者が家中で手に掛けられれば、柳川の信頼は地に落ちまする」

「城内に隠密がいると?」

「ない、と決める付けるにはいささか用心のいるかと」

「めんどくせぇ…」


 ごろんと寝転がった。


「なんで人器あげなきゃならんの? 俺も子供の駄々とか言ったの流石に失礼じゃね、やばくね、とは思ったけど、ここまで本気になんなくてもいいだろうが! 手前のチビっこい体大きく見せんのがそんなに大事か! ププー必死、笑えないな!」


 このとき佐野の表情に一切の変化は無い。


「だいたいだ、人器は散らばっているからこそ皆有難がって平伏するんだ。無理に取り上げたりなんかしたらブチ切れんだろ農民。一揆すごいぞ奴ら。。たくモー分かってないよな~集めて独占したって、池に湖の水を全部ブチ込むようなもんだぞバカ」


 ゴロゴロゴロ、ドンッ、ゴロゴロゴロ、ドンッ(部屋の隅にぶつかる音)


「何か、我々には思いも寄らぬ、人器のはたらきでもあるのでは」


「わからん。だが後手に回るのも具合いが悪い。いっそのことその村まで迎えに行くか」


 この盤面で指針となるのは、勘だが、船の落ちた理由が故意か事故かによる気がする。船がそこにあること自体、総統府ではない何者かの意志が介在しているような、盤面すべてを引っくり返す未知の力が集約されているような、無視できない流れの淀みを、ヤナギは強烈に感じ取っていた。


「なんつーめんど臭さだ」


 領内の情勢ですら不安定だというのに。

 柳川城下の町では、ここのところ不逞の輩が啓蒙活動に勤しんでいた。それは十年前に流行った王政復古の焼き回しで、今のなりふり構わない総統府のやり方を批判するものだ。

 これをヤナギは表立って規制していない。

 むしろ自分も参加したいくらいだった。昔はもっと単純で良かったナァ…とか思ったりしていた。そんなことだから山青に反乱の動きあり、と見られてしまうのだが。


「あいつら何て言ったっけヤツら、八犬衆の再来とか自分たちでのたまってるヤツ」


阿天座(あてざ)という、元は役者の集団であったと聞きます」


「そうあいつら、あいつらナー、困るよねーホント、こんなとき暴れられたらね~?」


 佐野は意図を測りかねている。


 耳がピクリと動いた。階下で何やら慌ただしい匂いがする。無数の足音、咆哮……剣戟。佐野は刀を取って急ぎ廊下へ出る。


「──何事か!」


 警護の者が泡を食って転がり込んできた。


「阿天座と名乗る者に侵入されました! この者に城内の犬が次々と」


 ヤナギは思わず笑った。今話してたところだ。


「言い訳はいい! 何匹だ!」

「それが──」


「ひとり、にございますよ」


 女の声。


 背後に巨漢が浮かび上がった。


 警護の者が、佐野の肩を超え弾け飛んでいった。天井に、壁にぶつかって跳ねる音を背後に聞きながら、佐野は賊を正面に見る。巨漢はボロ布のような外套を頭から纏って、手甲の見える拳を前に突き出していた。ほんの手を跳ね上げただけでこいつは大の犬一匹を手毬のように跳ね飛ばしたのだ。具足を身につけているのか、動くとがちゃがちゃと音が鳴る。


「佐野~、これいるー?」


 後ろでヤナギは槍を出して見せ、かたじけのうござると佐野は受け取った。狭い廊下では存分に振り回せないだろうが、その狭さで容易に追い詰めることが可能だ。的がでかい。それにあの怪力を懐に飛び込ませるのは危険すぎた。


「名を名乗れ」


「阿天座の頭目、翌木(あすな)と申します。ヤナギ殿にお目通り願いたく参りゃんした」


 巨漢の後ろに女がいる。

 絶世の美女と言い表すのが相応しい華美な装いをした女。身の端々から男を惑わす艶やかな気を漂わせ、幽玄なる足取りで歩み出てくる。

 その妖しさは、女が目を隠しているせいでもあった。


(この女…当頭者か)


 目にぴったりと飾り布を付け、紐で括っている。布は板状に厚く、その隙間から外を見通せそうにはない。妖しく、危うい魅力は顔が見られないことで、触れえざるものの神性を放っていた。


 だがその程度で槍先の鈍る佐野ではない。


「狼藉者を殿の前に差し出す訳にはいかぬ」

「では手合わせを。(わたくし)の牙をお見せするのが、此度の趣意に相成りませば」

「ぬかせ」


 先手を取ったのは佐野だ。


 佐野の強みは果断とその精密さにある。神速をもって放たれる槍はどれほど身を躱そうと追撃し、剣先で弾くこともままならない。一度、余興で嵐の中、強風にはためく木の葉を二枚同時に貫いて見せたことがあった。その一槍はヤナギの、佐野自身の認識すら上回って鎧の隙間、胴と腕の継ぎ目に到達した。


 だが、


「!!」


 巨漢は真槍の刃を、手で掴み、受け止めていた。


 振り上げられる右手、直後兜を割るかのような手刀が槍を真っ二つにへし折った。たたらを踏んで下がる佐野だが、両手の指が真横に曲がっている。


「おのれ、この程度で!」


 牙を剥き出しにした。ヤナギは止める。


「佐野、もういいぞ。参った参った」

「しかしヤナギ様!」

「まあ後は任せろよ。俺と話したいって言ってんだから」


 悔しげに佐野は奥座へ引っ込む。翌木と名乗った女は座敷へは入らず、廊下で三つ指をついて礼をする。とても殿中へ殴り込んできた賊の物腰とは思えず、そのふてぶてしさには感心さえ覚えた。これほどの手前を見せつけ、何を話したいのか、ついヤナギは話を聞いてみたくなってしまう。


「んで、なんなの? 腕自慢なのは解ったけど、あーゴホン、その方用向きを申してみなさい」


「先日、東の村に女王殿下が参りゃんした件はお耳に入ってござりゃんしょうか」


「なんとそれは初耳だ!」


 すっとぼけた。

 無闇に手の内は見せない。あっちも予告無く来たものだからそういうことにしていて良いだろう。


「何故あらかじめ文でもなんでも知らせてくれなんだか。しかし、こうして聞いたのなら、知らぬ存ぜぬで通しては不敬であろうな。こちらから出向くべきだろう」

「その前に、私どもが連れ去りとうございます」


 耳が遠くなったかと思った。


「…………マジか?」


 女王を攫う。


 大それたことを言うのはタダである。だが、それを何故自分に言うのか。だいたい領内でそんな不祥事起こされたら家中総出で切腹もので、悪けりゃ戦の発端で、ヤナギはそれを止める立場にあって、大胆不敵というか何というか。


「おのれ! 殿の前でそのような事、断じてさせるものか!」

「まぁまぁ佐野。で、一体なんでそれを知らせるのだ? やるなら断りなくやればいーだろが」


「女王殿下の参りゃんした件、ヤナギ様も預かり知らぬこと。であれば道中、道に迷ったとしても、こちらの責にありゃんせん。お上の手落ちにございます」


 なるほど。


 特使が柳川城下で何者かの手にかかればまずいが、そうでない今は知らぬ存ぜぬで通せる。つーかなんでそんな大事なこと前もって知らせてくれなかったの? バカなの? である。もし殿下の派遣が陰謀だとしてもその先手を打てるのだ。

 この優位は大きい、とは思いつつ危険も同様だ。柳川の一歩手前で足を止めたのが、何らかの策略かどうか、まだ判じかねている。

 危険を承知でやるなら、賊に扮してでもやらなきゃなぁとヤナギは思っていたところだった。


 ──まさか賊の方から来てくれるとはね。


「だがなぜ、そのようなことを買って出る」


「私たちが攫った後に、ヤナギ様が取り戻したなら体裁が立ちましょう」


「貴様! 殿に加担しろと言うのか!」


 ヤナギは呵々大笑した。


「そんなことして貴様らに何の利がある? 王政を取り戻すとか息巻いてるが、まさか天族を神に祭り上げるとか言う気じゃないだろうな?」


「まさにその通り」


 これにはヤナギも面食らった。


「正気か」


「天元陛下はすでにお隠れになってあそばれに」


 ──な。


 初耳にもほどがある。

 天元は不滅だが、肉体の持つ身である故、およそ百年の周期に没し新たに生まれ変わるのだ。その陛下がお隠れになったというなら普通、新たな肉体を取るための準備期間に入ったという意味だが。


「いつからだ?」

「およそ二十年より昔に」

「馬鹿な」


 不在が一月より続いたことなど、歴史上ありえない。


「陛下はいまだご復活あそばれず、五稜郭は身代わりを立てこれを傀儡のように振舞わせております。かの暴虐はこのため。人の渡世が途切れ、犬はおのれの欲するまま無法にあかせているのです。私それが許せず、こうして徒党を組んでおります。どうかお許しくだしゃんせ。殿下を祭った暁に、この地を次代の端緒に致しましょや」


 つまりこいつは、

 どうせ陛下がいないのなら、どこぞの馬の骨に天下を任せるのではなく、この地を国の中心にしてしまおうと誘っているのだ。


 十年前。

 八犬衆が敗れたあと、国は良くも悪くも安定した。

 それは圧政には違いないが闘争の果てにあった終着だ。戦の火は消え、これから長い時間をかけて穏やかになっていくだろう。それに水を差すのは──


「殿! 世迷い事ですぞ!」

「わかってる」


 ヤナギは一度息を吐く。かつて駆け抜けた山河を、草原を、死屍の山を思い出した。狂騒のただなかにあった自分を想起する。そこに煩わしさはなく、一条の炎がその身を焦がしていた。


「陛下の件、誰に聞いた」

「八犬衆の生き残りに」

「ハハッ!」


 あいつら生きてやがったか。


 いつの間にやら階下がまた騒がしくなってきた。蹴散らされた家臣たちが態勢を立て直しているのだろう。もうじきここに大挙して押し寄せてくる。


「去ね。此度の仕儀、なかった事とする」


 翌木は潔く身を下がらせた。巨漢と共に回廊へ向かう。


「──あー、あと今度来るときはアポとってね」


 耳だけ傾け、ふたりは縁側から身を躍らせた。追って見てみれば、もはや遥か彼方、地上の点になりつつある。警護を押しのけ塀を軽々と跳び、城下の町へ消えて行く。

 突風の吹き込んできたかのような出来事であった。


「…阿天座の奴ら、半端者じゃねーな」


 袖の中から舶来ものの遮光眼鏡を取って付けた。今ごろどすどす上がってきた家臣らをヤナギは背に、どこか遠くに感じる。


「とのお───!! ご無事にございますかぁ───っ!!」

「ああ。それよりギター持ってこい。久々に弾きたくなった」


 腰の抜けたような時代に、あんな奴らがまだいることが、少し嬉しかったのだ。



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