1.
《解除師》
それは、あらゆる「呪い」「病」「契約」「魔法」――この世に存在する、あらゆる災いを解除し、元の状態へと戻す者たちの総称である。
解除師に不可能はない。
少なくとも、人々はそう信じていた。
これは、一人の解除師が数々の厄災を払い、人々を救っていく物語である。
◇
森の中を、二つの人影が進んでいた。
木々は空を覆い隠すほどに生い茂り、地面には複雑に絡み合った木の根が這っている。日が傾き始めた森の中は薄暗く、どこからともなく聞こえてくる獣の鳴き声が、二人の神経を逆撫でした。
「……こんな森の奥に、本当にいるんだろうか」
先を歩く男が呟いた。
腰には剣を携え、使い込まれた鎧を身にまとっている。長年、戦いに身を置いてきたことを窺わせる風貌だった。
彼の名は、ルース・マクマル。
そして、その隣を歩くのは、杖を手にした一人の老人だった。
「ルース様。彼女を助けるには、もう解除師に頼るしかありません。普通の病気や呪いとは違うのです。あれは……魔族の呪いですから」
老人――オーウェンは、静かな声で告げた。
「そんなことは分かっている」
ルースは苦々しげに答えた。
「王宮にも解除師はいるらしいが、多額の金を積まなければ、まず動いてくれない。教会では、聖典を持つ司教でさえ完全には治せないと言われたんだぞ。……《いばらの呪い》は、そういう呪いなんだ」
「はい。ですが、この地には噂があるのです」
オーウェンは前方を見据えた。
「辺境の国、アルバス。そのカドノ村の奥に、条件を呑めば比較的安価で依頼を引き受けてくれる解除師がいる、と」
「その情報はどこから?」
「情報屋です」
「……信用できるのか?」
「それは、実際に会ってみなければ分かりません」
オーウェンの言葉に、ルースは黙り込んだ。
信用できるかどうかなど、今は問題ではない。
この先に解除師がいなければ、幼馴染の命は助からないのだから。
「オーウェン。一気に抜けるぞ!」
「はい、ルース様!」
二人は剣と魔法を駆使し、行く手を阻む魔物を退けながら森の奥へと進んだ。
やがて、視界の先に巨大な樹木が現れた。
「……なんだ、あの木は」
ルースは思わず足を止めた。
見上げても、その頂上は枝葉に隠れて見えない。太い幹は、何人もの大人が手をつないでも囲みきれないほどの大きさだった。
「これはまた……とんでもない大木だな。いろいろな土地を旅してきたが、こんなものは初めて見る」
「《グジャの樹木》ですよ、ルース様」
オーウェンが説明した。
「伝説の僧侶グジャが、旅の道中で植えたとされる樹木です。各地に点在しており、古い書物にもその名が記されています」
「本で読んだことはあるが……まさか、こんなところにもあるとはな」
二人は樹木の周囲を回るように歩き始めた。
すると、幹の一部に不自然なものが取り付けられていることに気づいた。
扉だった。
「……ここなのか?」
ルースが呟く。
「そうかもしれません。早く確認しましょう。もうすぐ夜になります。この辺りは、魔物が活発になる時間帯です」
二人は扉の前に立ち、ノックした。
「すみません!」
返事はない。
ルースは周囲を見回した。
「この辺りには人がいるはずなんだが……」
周囲の木々には、小さな石が取り付けられていた。石は青白い光を放ち、一定の間隔で森の奥へと続いている。
「魔物の侵入を防ぐための結界石ですね。これがあるということは、やはり誰かが住んでいるのでしょう」
「なら、もう一度だ」
ルースは再び扉を叩いた。
「すみません! 誰かいませんか!」
しばらく待っていると、ようやく扉が開いた。
「……誰だ。何の用だ」
現れたのは、一人の若い男だった。
黒い髪に、黒ずくめの服装。手には黒い革手袋をはめている。身なりは決して整っているとは言えず、目の下には濃い隈が浮かんでいた。
第一印象だけなら、とても客人を歓迎しているようには見えない。
「す、すまない。私はルースという者だ。訳あってここを訪れた。解除師を探しているんだが……」
男は、ルースの顔を一瞥した。
「あなたが探している人なら、目の前にいる」
「……え?」
二人は顔を見合わせた。
この男が解除師?
解除師といえば、莫大な報酬を得ることもある特別な職業だと聞いている。
それなのに、目の前にいる男は、どうにもそうした人物には見えなかった。
「あなたが……解除師様なのですか?」
オーウェンが恐る恐る尋ねる。
「ダレンだ」
「はい?」
「俺の名前はダレン。客人が来るのは久しぶりでね。少し対応が悪かった」
「い、いえ。構いません」
オーウェンは慌てて首を振った。
「それより、私は依頼に来たのです。呪いを解除していただきたくて……」
「分かった。中に入ってくれ」
ダレンはあっさりと答え、二人を室内へ招き入れた。
扉の向こうには、想像していたよりもずっと広い空間が広がっていた。
木を基調とした室内には、タンスや机、椅子などの家具が置かれている。壁際には本棚が並び、部屋の奥では暖炉の火が揺れていた。
外の冷えた空気とは対照的に、室内は暖かかった。
「……暖かいな」
ルースが思わず呟く。
すると、先を歩いていたダレンが振り返った。
「少し待っていてくれ。そこの長椅子にでも座ってな」
「ああ、分かった」
二人が腰を下ろそうとした、そのときだった。
「……いや、待て」
ダレンは何かを思い出したように立ち止まった。
「人が来ると思っていなかったから、客人を迎える準備ができていない。悪いが、少し外に出ていてくれ」
「……は?」
二人が反応するよりも早く、ダレンは扉を開けた。
そして、二人を外へ押し出すと、そのまま扉を閉めてしまった。
バタン。
「…………」
「…………」
夕暮れの森に、奇妙な沈黙が流れた。
「……ルース様」
「何も言うな、オーウェン」
二人は閉ざされた扉を見つめたまま、ただ立ち尽くすしかなかった。
◇
それから十数分後。
ようやく扉が開いた。
「お待たせしました。どうぞ、お入りください」
姿を現したのは、先ほどの男ではなかった。
金色の髪に、透き通るように白い肌。そして、大きな瞳。
まるで人形のような美しさを持つ少女だった。
先ほどの男とは違い、身にまとっている緑色の服もきちんと整えられている。
「……これは、驚いた」
ルースは思わず口にした。
少女は二人に向かって、丁寧に頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません。中へどうぞ」
二人は促されるまま、再び室内へと足を踏み入れた。
そこには、先ほどと変わらず黒ずくめの男がいた。
ただし、先ほどよりも少しだけ元気そうな声で、二人に話しかけてきた。
「二人とも、こちらに座ってくれ。フラン、お茶を出してあげなさい」
二人は椅子に腰を下ろした。
少女――フランは、落ち着いた手つきでティーカップを机に置いた。
「紅茶でよろしいですか?」
「ああ、お願いする」
オーウェンが答えた。
しかし、二人が紅茶を口にすることはなかった。
「あなたが本当に解除師様なのであれば……どうか、私たちの幼馴染を助けていただきたい!」
ルースが身を乗り出し、深々と頭を下げた。
オーウェンもそれに続く。
「私からも、よろしくお願いいたします」
ダレンは二人を見つめ、静かに頷いた。
「なるほど。まずは君たちの身元と、事情を聞かせてもらおう。それから、俺の自己紹介もさせてほしい」
「分かった。改めて名乗らせてもらう。私はルース・マクマル。戦士をしている」
ルースが自己紹介すると、隣に座る老人が口を開いた。
「私はオーウェンと申します。魔法使いです。彼とは旅の途中で知り合いました」
「ありがとう、ルース、オーウェン。遠いところから、わざわざご苦労だったな」
ダレンは二人に向かって微笑んだ。
「それにしても、ダレン殿はお若いのに落ち着いていらっしゃる」
オーウェンが感心したように言う。
「若い、か……。いや、なんでもない。褒め言葉として受け取っておくよ」
ダレンは、どこか曖昧な笑みを浮かべた。
そして、改めて二人に向き直った。
「俺はダレン。君たちが探していた解除師だ」
彼は一度言葉を切り、説明を始めた。
「解除師とは、病気や呪い、契約、魔法など、あらゆる事柄を元の状態へ戻すことのできる者のことだ」
解除師は、世界に数人しか存在しない。
その名を名乗るためには、それ相応の技術と実績が必要になる。
そして、解除師に依頼をするには、一般的に多額の報酬が必要とされていた。
「……というわけで、君たちの事情を聞かせてほしい。先ほど、幼馴染が呪われていると言っていたな」
「はい……」
二人が話し始めようとしたところで、フランが紅茶を注ぎ終えた。
ダレンはカップを手に取り、一口飲んだ。
「ありがとう。ところで、この子の名前は?」
ダレンが尋ねると、フランは少し首を傾げた。
「そういえば、まだ自己紹介をしていませんでしたね」
ダレンはフランに手招きした。
「せっかくだ。こちらに来て、自己紹介をしなさい」
フランは小さな足取りで歩いてくると、ダレンの隣に座った。
そして、胸を張って名乗った。
「フラン・エレクトリアムです。ダレン様の助手兼弟子兼家政婦兼その他です」
「……ご丁寧にありがとう」
ルースとオーウェンは、思わずダレンの顔を見た。
その視線に気づいたダレンは、苦笑しながらフランの頭を撫でた。
「フラン。今から二人の話を聞くから、一緒に聞きなさい。久しぶりの依頼人だからな」
「はい、ダレン様」
フランは嬉しそうに頷いた。
「それよりも……エレクトリアムといえば」
オーウェンが何かを言いかけた。
だが、その瞬間、ダレンが口元に指を添え、静かに首を横に振った。
オーウェンはすぐに意図を察したらしい。
「……いえ、失礼しました。話を続けましょう」
二人はそれ以上、何も尋ねなかった。
「では、改めて」
ルースは表情を引き締めた。
「単刀直入に申し上げます。私たちの幼馴染が、《いばらの呪い》に侵されました。解呪するには、解除師であるあなたに頼るしかないと思い、ここまで来たのです」
その言葉を聞いた瞬間、ダレンの表情がわずかに変化した。
眉間に、深い皺が寄る。
「……《いばらの呪い》か」
その名を、彼は知っていた。
◇
《いばらの呪い》。
八貴族の一人、《いばら姫》と呼ばれる存在が扱う呪いである。
いばら姫、あるいはその配下によって付与されるこの呪いは、対象者の全身を、触れることさえ困難な茨で覆い尽くす。
茨は対象者の体力を奪い続け、やがて衰弱死へと追い込む。
一度その呪いに侵されれば、並大抵の方法では解呪できない。
「《いばらの呪い》なら、教会の司教に頼んだのではないのか?」
ダレンが尋ねた。
「はい……。ですが、司教様でさえ解呪は不可能だと」
ルースは唇を噛み締めた。
「なるほど」
ダレンは席を立つと、別室へと向かった。
数分後、手に一冊の本を持って戻ってくる。
彼は本を開き、ページをめくりながら尋ねた。
「呪いを受けてから、何日経つ?」
「今日で七日になります」
その答えを聞くと、ダレンは本を閉じた。
パタン、と乾いた音が室内に響く。
「……そうか。それは時間がないな」
「時間、ですか?」
「ああ。《いばらの呪い》は、付与されてから十五日以内に解呪できなければ、対象者は衰弱死する」
二人の顔色が変わった。
「な……」
「その子が、いつ《いばら姫》と遭遇したのかは分からない。だが、すぐに動かなければ助けられなくなる」
「なら、一刻も早く治してくれ!」
ルースは思わず机を叩いた。
「それとも、《八貴族》を倒さなければ治らないのか!?」
その言葉を聞いたフランは、耳を塞いだ。
ダレンはその様子を一瞥し、静かに首を横に振る。
「落ち着け。呪いを植え付けた者を倒せば、呪いが消える可能性はある。だが、呪いを解くという目的なら、最も確実なのは解呪だ」
彼は二人の目を見た。
「だからこそ、君たちは俺のところへ来たんだろう?」
二人は額に汗を浮かべながら、頷いた。
「……その通りだ」
「俺も慈善活動をしているわけじゃない。報酬とは別に、一つ条件を出させてもらいたい」
「もちろんだ!」
ルースは迷いなく答えた。
「俺たちは、どんなことでもする!」
ダレンは二人の表情を見比べた。
そして、静かに頷いた。
「……分かった。君たちの思いは伝わったよ」
「それで、条件というのは?」
ルースが尋ねる。
ダレンは、二人をまっすぐ見据えて告げた。
「君たちには、解呪に必要な素材を一緒に集めてもらう」
「……え?」
二人は、思わず顔を見合わせた。
「つまり……素材集めの旅をするということですか?」
オーウェンが確認する。
「その通りだ。必要な素材は俺が把握している。あとは、それを採取するだけだ」
ダレンは紅茶を一口飲んだ。
「理解できたか?」
「いや、理解はできたが……」
ルースは困惑した表情を浮かべた。
「俺たちは解除師と会うのは初めてなんだ。解除師っていうのは、絶対に治せる魔法でも使うんじゃないのか?」
その質問に、ダレンは小さく息を吐いた。
「……違う。そんなに簡単なものじゃない」
彼は右手を机の上に置いた。
「俺たち解除師は、呪いや病気を解除するための特別な力を使う。魔法とは異なる、解除師だけが扱える力だ」
そして、その名を口にした。
「《断除力》」
《断除力》。
それは、魔法や病気など、あらゆる事象の根源を断ち切る力。
解除師のみが扱うことを許された、特殊な力である。
「《断除力》……? 初めて聞いたな。解除師については、どんな病気や呪いでも治すことができる者、という認識しかなかった」
「無理もない。解除師という職業は、歴史とともに、その在り方が変わってきたからな」
ダレンは説明を続けた。
「この力を最大限に発揮するためには、素材が必要になる。ほかの解除師が高額な報酬を要求する理由も、そこにある」
「そりゃあ、人を治すんだ。金を取って当たり前だろう」
「それもある。だが、根本的には、不可能を可能にするために必要なものがあるということだ。素材を集めるための費用も含めれば、自然と報酬は高くなる」
「なるほど……。ただで治るわけではない、ということじゃな」
オーウェンは顎に手を当てた。
「その《断除力》と、魔法には違いがあるのだな?」
「その通りだ。魔法とは別物だよ。解除には労力も必要になるし、使い手の技量にも左右される。だからこそ、本来なら不可能に近いことを可能にできるんだ」
「なるほど……勉強になるぜ」
ルースは感心したように頷いた。
「なら、手っ取り早く準備をしよう。まずは、その幼馴染に会わせてくれ。何が必要なのかは、実際に状態を確認しないと分からない」
ダレンは本を閉じ、立ち上がった。
「教会が匙を投げたというのなら、相当根深い呪いに侵されているはずだからな」
「分かった。案内しよう」
二人が立ち上がると、ダレンはフランに声をかけた。
「フラン、出かけるぞ」
「はい、ダレン様」
フランは立ち上がり、別室へと向かった。
しばらくして戻ってきた彼女は、先ほどの緑色の服ではなく、冒険に適した服装へと着替えていた。
「準備ができました」
「よし、行こう」
三人が外へ出ると、オーウェンが空を見上げた。
「……もう日が暮れていますね。この辺りは魔物も多い。出発は明朝にした方がよいのでは?」
ダレンは頷いた。
「オーウェン、君の言う通りだ。だが、時間がない。一日でも早く向かわなければ、助けられなくなる」
「…………」
オーウェンはしばらく考え込んだ。
そして、決意したように顔を上げた。
「確かに……。私の考えが甘かったようです。私たち二人が先導します。ダレン殿、フラン殿、ついてきてください」
「頼んだ」
こうして四人は、暗くなり始めた森の中へと足を踏み入れた。
◇
森を進むにつれて、魔物の数は増えていった。
羽の生えたガーゴイル。森を彷徨う亡者。人間を食らう植物。そして、武器を手にした骸骨――スケルトン。
「……この辺りは、随分と多くの魔物が生息しているんだな」
ルースが剣を構えながら呟いた。
「ああ。ここは《八貴族》の一人、植物王《いばら姫》の城がある地域だからな」
ダレンは、さして気にした様子もなく答えた。
「な……」
二人は思わず顔を見合わせた。
「心配するな。城はここからかなり遠い。世界は広いからな。魔物同士の勢力争いに巻き込まれた人間にとっては、どこであろうと脅威であることに変わりはないが」
「……それでも、あの名を聞いただけで手が震えます」
オーウェンは杖を握り直した。
「ですが、いつか八貴族、そして魔王を倒し、世界を救わなければなりません。それは冒険者なら誰もが一度は考えることです」
「素晴らしい考えだ」
ダレンは穏やかに頷いた。
「君たちがそれを成し遂げる日が来ることを、一人の人間として願っているよ」
そんな会話を交わしながら、四人は森の奥へと進んでいった。
やがて、ダレンが口を開いた。
「ところで、ルース。一つ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「なぜ、この世界に解除師が存在するのか、考えたことはあるか?」
突然の質問に、ルースは首を傾げた。
「そりゃあ……呪いや病気にもランクがあるからだろう。普通の方法では治せないものを治すために、解除師がいる。違うのか?」
「ああ、間違いではない。だが、本質は少し違う」
ダレンは、頭上に広がる月を見上げた。
「本来、解除師というのは、複数の呪いや病気を同時に付与された者を救うための存在だったんだ」
「複数の呪いや病気……?」
「そうだ。例えば、ここに一本の紐があるとする。その紐が絡まっていたとして、君ならどうする?」
「そんなもの、解けばいいだけだろう」
「では、複数の紐が絡み合っていたら?」
「それも同じだ。一つずつ結び目を解いていけばいい」
「そう。俺が言いたいのは、そこだ」
ダレンは指先で、空中に小さな円を描いた。
「教会の司教や、医師会に所属する医師、回復師たちは、紐を解くようにして呪いや病気を取り除いていく。一本なら簡単でも、複数が絡み合えば、その分だけ難しくなる。時間もかかる。一本の紐でさえ、複雑に絡み合えば解くのは困難だ」
《医師会》。
病気や怪我の治療を専門とし、医学・医術の発展や公衆衛生の向上を目的とする組織である。各国に支部が置かれている。
「なるほど……。つまり、解除師は根源を断ち切るというわけか」
「その通りだ。俺たちは結び目を解くんじゃない。紐そのものを断ち切る。そういうイメージだな」
ダレンは、片手を横に動かした。
「どれほど複雑に絡み合っていようと、根源を断ち切ればいい。それが《断除力》だ」
「なるほど……」
ルースは感心したように頷いた。
「だが、いつの日からか、その在り方は変わってしまった」
「……変わった?」
「解除師というのは、もともと複雑な呪いや病気を扱う者だった。だが、ある出来事を境に、その認識が変わったんだ」
ダレンは月を見上げたまま、言葉を続けた。
「ルース。君は、解除師ならどんな呪いも病気も絶対に治せると思っているか?」
「もちろんだ。解除師とは、そういう仕事なんだろう?」
ルースは、何の疑いもなく答えた。
ダレンは小さく笑った。
「……そう。それだよ」
その声からは、先ほどまでの穏やかさが消えていた。
「俺たちには、失敗が許されない」
「失敗……?」
「解除できなければ、解除師ではない。一度でも失敗すれば、その職を失うことになる。なぜ解除師の数が少ないか、分かるか?」
ダレンは二人を見た。
「国から認められないからだ。たった一つでも呪いを解けなかったり、病気を治せなかったりすれば、解除師として認められない。だからこそ、俺たちに失敗は許されないんだ」
「……なるほど」
オーウェンは難しい顔をした。
「解除師は、もともともっと多く存在していた。だが、その数は次第に減っていった」
ダレンは、静かに語り始めた。
「きっかけは、国王の娘に呪いがかかったことだった」
「おい、待て。国王の娘は生きているだろう?」
ルースが慌てて口を挟む。
「ああ。ある解除師が呪いを解いたからな。そして彼は今、《王宮の解除師》となった」
王宮の解除師。
人々は彼を救世主と呼んだ。
そして、噂は独り歩きし、いつしか彼は《全知全能を持つ者》とまで呼ばれるようになったという。
「それ以来、解除師という職業の敷居は、さらに高くなった。それまでは複雑な呪いや病気を扱う者だったのに、今では《あらゆる災いを断つ者》として認識されている」
ダレンは、わずかに肩をすくめた。
「結局のところ、噂が独り歩きしたということだろうな」
「……確かに、今の認識では後者だな。本当に治せないものがあれば、解除師に頼めばいい。そんな考えが当たり前になっている」
「解除師は、そんなに万能じゃないんだよ」
ダレンは淡々と答えた。
「世の中には、国から認められていない解除師もいる。通称、《異端解除師》。彼らも《断除力》を使うことはできるが、正式な認定を受けていない。だからこそ、無理をして俺のところまで来る必要はなかったんだぞ?」
その言葉に、ルースの表情が曇った。
「そんなことは分かっている。野良の解除師が、本物だという保証はない。偽物の可能性だってある」
「その通りだ。だからこそ、認められた者だけが、その名を名乗れる。司教や医師と同じようにな」
「……そうか」
ルースは改めてダレンを見つめた。
「ということは、ダレン殿は正式に認められた解除師なんだな?」
ダレンは小さく息を吐いた。
すると、彼の目の前に、空中へ刻まれた印が浮かび上がった。
「こ、これは……!」
「認定の証だ」
ダレンが答える。
「今でも数十年に一度、解除師の認定を受ける者が現れるらしい。基本的には、《八貴族》がもたらす厄災を断ち切った者が、その資格を得られる」
「なら……!」
ルースは顔を上げた。
「《いばらの呪い》も解けるということだな?」
「そうだ」
ダレンは迷いなく答えた。
「だから、絶対に助ける」
そして、静かに告げた。
「俺はどんな呪いでも、病気でも、契約でも解除する。それが、解除師としての俺の仕事だからな」
「……頼んだぞ、ダレン!」
ルースは力強く頷いた。
◇
長い森を抜け、四人はようやく街へとたどり着いた。
休む間もなく、ルースたちはシュエルがいる民家へと向かった。
「こちらです。どうぞ、お入りください」
家の中は静まり返っていた。
奥の部屋へ案内されると、ベッドに横たわる少女の姿が目に入った。
顔色は悪く、全身から大量の汗が流れている。苦しそうに眉を寄せ、意識を失ったまま浅い呼吸を繰り返していた。
その姿を見た瞬間、ダレンの表情が曇った。
「……この子が、呪いを受けた本人で間違いないか?」
後ろにいた二人が頷く。
「分かった。悪いが、上半身を確認させてくれないか。二人とも、少し背を向けていてほしい」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ルースが慌てて声を上げた。
「いきなり何を言うんですか!?」
「ルース、落ち着きなさい」
オーウェンが宥める。
「いや、だって……!」
「邪な感情があって言っているわけではない。君は、《いばらの呪い》を受けた者の身体を見たことがないだろう?」
ダレンの言葉に、ルースは口をつぐんだ。
その間に、フランが少女の服を慎重に持ち上げた。
「……これは」
少女の上半身には、無数の茨が巻き付いていた。
それらは、まるで生き物のように蠢き、ギシギシと音を立てながら少女の身体を締め付けている。
鋭い棘が肌を傷つけ、身体のあちこちに無数の傷を刻んでいた。
「……無理をしたんだな」
ダレンが呟いた。
「二人には、心配をかけないようにしていたんだろう」
ルースは息を呑んだ。
「こ、こんな……」
「《いばらの呪い》は、対象者の身体に茨を巻き付け、体力を奪っていく。そして、もう一つ厄介な性質がある」
ダレンは少女の身体を指し示した。
「茨で傷ついた対象者から流れた血を吸い取り、成長していくんだ。血の量や質によって、成長速度も変わる」
「……血を吸い取る?」
ルースは少女の身体を見つめた。
「だが……血が、一滴も出ていない」
「気づいたか。すでに茨が血を吸い尽くしているんだろう」
ダレンは難しい顔をした。
「あと三日も持たない。彼女の血は、どうやら《いばらの呪い》との相性が悪かったようだ。それに、呪いそのものも通常より根深い」
その言葉を聞いた瞬間、ルースは膝から崩れ落ちた。
「……頼む」
声が震えていた。
「お願いだ。どうか、シュエルを助けてくれ……!」
ダレンは、まっすぐにルースを見つめた。
「もちろんだ。依頼を受けた以上、何としてでも解呪する」
そして、少しだけ表情を和らげた。
「ただし、必要な素材は一緒に取りに行く。それだけは忘れないでくれ」
「ああ……もちろんだ!」
ルースは涙をこらえながら、力強く頷いた。
「今から出発する。時間がないからな」
三人はすぐに準備を始めた。
ルースは剣を確かめ、オーウェンは杖を手に取る。
その様子を見て、ダレンは苦笑した。
「準備万端、というわけか」
「当然だ!」
ルースは胸を張った。
「フラン」
ダレンが声をかける。
フランは小走りで近づいた。
「はい、ダレン様」
「君はここに残って、この子に回復魔法をかけてあげなさい。少しでも体力を持たせたい」
「かしこまりました」
フランはベッドの傍らへ移動すると、静かに詠唱を始めた。
淡い光が少女を包み込む。
すると、先ほどまで苦しそうに歪んでいた少女の表情が、わずかに和らいだ。
「あの子も魔法を使えるのですか?」
オーウェンが尋ねた。
「ああ。攻撃、補助、回復。どの系統も扱える」
「それは……優秀な魔法使いですね」
「ああ。そう言ってもらえれば、フランも喜ぶだろう」
ダレンは、フランに聞こえるように言った。
しかし、彼女は治療に集中しているようで、反応を示さなかった。
「フラン、あとは頼む。もしものことがあれば、戦闘することも許可する」
「はい、承知しました」
フランは深々と頭を下げた。
こうして、彼女とシュエルを残し、ダレン、ルース、オーウェンの三人は素材を集めるための旅へと出発した。




