セシリア
屋敷での生活三日目。
タズハは精神的に参っていた。
理由は二つ。
「――はぁ。同じ空間にいたら、わたしまで獣臭くなっちゃいそう。早く終わらないかしら」
これが一つ目の理由だ。
ノノイは普段は普通に接してくるのだが、二人っきりでいると、ふとした拍子にこうして独り言というていで暴言をぶつけてくる。
それに、タズハは「やめて」とは言えなかった。
逆ギレだったり、却って悪口の頻度が上がったりすることを恐れたのだ。
そして言う勇気もなかった。
だからじっと耐えるしかなく、暴言の度にタズハの心は削られていって。
今ではノノイの声を聞くと、動悸が起こるようになってしまった。
だったら、せめて日中は他の少女と一緒にいればいいと思われるだろうが、その少女こそが、タズハの精神を疲弊させている二つ目の理由である。
六人いるうちの五人は顔を合わせる度、貼り付けた笑顔で自分を褒め称えてくる。
気に入られることで、ゼイナスとの面談の際に王妃に相応しい人として名前を挙げてもらうのが目的だろう。
タズハもバカではない。
それが下心の透けたご機嫌取りだとわかっているからこそ、応対するのが心底しんどく、嫌で嫌で仕方がなかった。
自室にいればノノイの暴言、部屋を出ると少女たちの相手。
どちらも苦痛だが、ノノイの暴言はたまにだし、それにただ我慢すればいいだけ。
そっちのほうがまだマシと判断し、タズハは部屋に篭るほうを選んだ。
日中からソファでこうして、『ニードヘレン王国の繁栄の歴史』なる死ぬほど退屈な本を読んでいるのは、そんな事情からである。
「ふぅ」
最後のページをめくると、小さく息を吐いて本を閉じる。
またやることがなくなってしまった。
(しょうがない。また本、取り行こ)
誰とも会いませんように。
タズハは扉の前で心を込めてお祈りしてから部屋を出た。
長い廊下を早歩きで進むと、後ろをぴたりとノノイがついてくる。
(ついてこなくていいのに……)
タズハは小さく溜め息を吐きながら、角を曲がる。
――ゴッ!
おでこに強い衝撃。
バランスを崩し、タズハは尻もちをついた。
「いったー……」
じんじんと痛むおでこをさすりながら、目を開ける。
目の前で、ベージュの髪の女の子が床にお尻をつけていた。
初日に最初に自己紹介した勇者にして、少女たちの中で唯一自分に媚を売ってきていない――セシリア・アリスフェルドだ。
自分と同じようにおでこをさすっているのを見て、状況を理解したタズハはたちまち顔を青くさせる。
相手は貴族だ。
もしも怪我をさせてしまったとなれば――
「ごごっ、ごめんなさい!」
タズハは立ち上がると、膝にぶつける勢いで深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。お怪我はありませんか?」
聞こえてきたのは穏やかな声。
タズハは少しだけ頭を上げて、顔をちらっと見る。
セシリアは申し訳なさそうに眉を下げていた。
そこに怒りは窺えない。
「は、はい! あ、あの、あなたは?」
「よかった。わたしも何ともありません。……あっ」
セシリアは屈んで落ちていた本を拾うと、タズハに差し出す。
「はい、どうぞ」
「わっ、すみません、ありがとうございます!」
ぶつかっても怒らず、それどころか心配してくれた。
それに落とした本も拾ってくれた。
ご機嫌取りをしてきていないということもあって、彼女に対する好感度がぐーんと上昇した。
「いえいえ。これから読書ですか?」
「あ、いえ、読み終わったので図書室に返しにいくところで」
「そうだったんですね。その後はまた本を?」
「はい、そうしようかなって」
「本、お好きなんですね」
「えっ、やっ、全然! ただ他にやることないので、仕方なくというか」
タズハが困ったように笑うと、セシリアは僅かに目を見開く。
少しの間を置いて、様子を窺うように尋ねてきた。
「そ、それなら、よろしければわたしと少しお喋りしませんか? 実はわたしもやることがなくて、暇をしていたところで……」
「えっ、と……じゃあ、ぜひ!」
この屋敷に来てから、タズハは他参加者からのお茶のお誘いをすべて快諾している。
断ったら反感を買って、ゼイナスにあらぬことを吹き込まれかねない。
そうなった場合、自分の印象が悪くなり、お願い事を聞いてもらいづらくなってしまう。
少女たちのおべっかに付き合ってきたのは、そんな可能性を危惧していたからだ。
だから誘われた以上は、相手が誰であろうがタズハの答えは同じ。
いつもは嫌々なのだが、しかし、今回はそれほどでもなかった。
「わぁ、ありがとうございます! では、わたしのお部屋に」
「あ、はい!」
☆
セシリアの部屋はタズハの部屋の二つ隣にあった。
掛け布団やソファの柄、色など微妙に違うところはあるが、部屋の広さと家具の種類や配置はタズハの部屋と同じだ。
部屋の手前側に白いローテーブルがあり、それを挟むように同じく白の大きいソファが向かい合わせに置かれている。
その片方にセシリア、もう片方にタズハが座っていた。
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
紅茶を淹れてくれたセシリアの侍女に二人はお礼を。
侍女は恭しく頭を下げると、扉の近くで壁を背に立っているタズハの侍女――ノノイの隣へ。
彼女への怯えや怒りが見えないことから、セシリアは悪口を言われたりしていないのだろう。
いいなぁ、と彼女の顔をじっと見ていると、こっちを向いたセシリアはニコッと微笑んだ。
「わたし、ずっとタズハさんとお話ししたいなって思ってたんです」
「わたしと?」
「はい。わたし、二次試験ではEグループだったんです」
「えっ!」
タズハは驚きに目をぱちぱち。
二次試験のお花摘みはいくつかのグループに分かれて実施されており、タズハもEグループだった。
つまりはあの場にセシリアもいたということだが、全く記憶にない。
顔は見ているのだろうが、あの時は試験のことで頭がいっぱいだった。
四次試験も同様で、この屋敷にいる少女は全員、軍の訓練場にいたはずだが、誰一人として見覚えがなかった。
「ご、ごめんなさい。その、覚えてなくて……」
「ああ、いえ! 全然大丈夫です!」
セシリアは両手を左右にぱたぱたと振ると、「それでですね」と話を続けた。
「わたし、タズハさんの足の速さに感心して。獣人の方ってあんなに速いんだ、すごいなぁって思ってですね」
「は、はい」
「また四次試験でお見かけして、試合を拝見させてもらったんです。そうしたら、その身のこなしが本当にかっこよくって!」
そう話すセシリアは目を輝かせていた。
それを見て、これはお世辞ではなく本心からの言葉だと確信したタズハは、口元をへにゃりとさせた。
かっこいいなんて初めて言われた。
嬉しいけれど、少しくすぐったい。
「だからこの屋敷で顔をお見かけした時はとても嬉しくて、絶対にお話しするぞ! って思ってたんですけど、タズハさん、いつも他の方に囲まれていたので……。やっとお話しすることができて、わたし、とっても嬉しいです!」
本当に嬉しそうな顔でそんなことを言われて、タズハはキュン。
強い感情に脳内のタズハは飛び上がると、セシリアを模した人形を、ミスティやロロネたちが入っている「好き」と書かれた箱へそっと入れた。
「ありがとうございます! いっぱいお話ししましょうね!」
「はいっ! では、まずは――」
話題はやはり、これまでの試験について。
各試験の感想だったり、試験を通じて得た友達のことだったり。
その中で、三次試験の無人島でイノシシを倒した話をした時は、それはもうセシリアは興奮していた。
そうしてひとしきり話し終えると、話題は自然と試験に参加した理由へ。
「――なるほど、それで……。大変だったんですね……」
「まあ、そうですね。でも、やっとここまで来れて。後は王様が聞いてくれれば」
「大丈夫です。ゼイナス様なら絶対聞いてくれますよ。タズハさんのことも、お友達のことも」
セシリアが微笑む。
そう言ってもらえて、タズハは少しほっとした。
「ありがとうございます! それでセシリアさんは?」
「えっ、と……それはですね……」
セシリアは人差し指をくっつけたり、離したりする。
微妙な反応に、タズハは慌てて両手を振った。
「話したくなかったら全然大丈夫ですよ!」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど。タズハさんのを聞いた後だと、わたしの理由はあまりにも幼稚で……」
セシリアは溜め息を吐くと、紅茶を口にする。
(こんなこと前にもあったような。どこでだっけ……)
タズハはむむむと考え、やがてピンときた。
無人島でミスティちゃんの理由を聞いた時だ!
そう一人ですっきりしていると、セシリアがカップを置いた。
「その……わたし、ゼイナス様のことを愛してて。……お嫁さんになりたくて、この試験に参加したんです」
セシリアは目を伏せた。
「わたしは自分の欲望を叶えるために。……タズハさんからしたら、馬鹿馬鹿しすぎますよね」
「えっ、ううん、全然! 王様と結婚するためにここまで一生懸命頑張って。それって、とっても素敵なことだと思います!」
本心からの言葉だった。
タズハはまだ恋を知らないが、恋をすること自体は素敵だと思っており、憧れてもいた。
「わたし、応援します! 王妃に相応しいと思う人、セシリアさんを推薦しますね!」
セシリアは目を瞬くと、満面の笑みを浮かべる。
「タズハさん、ありがとうございます! わたしもタズハさんを推薦します!」
「わっ、ありがとうございます!」
それにタズハも笑顔で応えた。




