わたしに代わって
クリスマスに目覚めても、枕元にプレゼントはない。
目覚ましを止めて身を起こすと、洗面所へ向かうためにリビングへ、
「うわ」
目に飛び込むピンクに、ぎょっとした。生成りの服はラグと同一化して目に優しいのに、髪色が少しも優しくない。
寝起きの不機嫌から瞬間蹴飛ばしてやろうかと思うも、寝顔があまりにあどけなくてやめた。童顔だし羽根が生えているしで、まるで天使のような寝顔に見えなくもない。
こんなピンクな天使なんて嫌だし、こんなピンクなクリスマスプレゼントもごめんだが。
俺は仕事だがこいつは休みか。
そんな思考にやっぱり蹴り飛ばしたくなるといけないと、身支度を整えることに集中する。顔を洗ってスッキリすれば、ピンキーへの八つ当たりめいたイライラなんて消え去っていた。
「……消えなかったんだな」
相変わらず感じられない呼吸に生存を疑いつつも、夢でも幻でもなくここにいるピンキーを確認した。
イヴの奇跡でもなんでもなく、目に刺さるピンクは今日もここにいる。一向に目覚めないが。
「こいつ、いざとなれば壁すり抜けくらい出来るよな?」
軟禁にならないか一抹の不安を覚えるも、出勤時間になるので書き置きをして部屋を出ることにする。
「仕事に行く、冷蔵庫のものは好きに食べて良い、と」
ローテーブルにメモを置き、寝ているのか死んでいるのか怪しいピンキーを見下ろした。起きる気配はつゆとない。
「いってきます」
返事はないだろうと思いつつ、一応の礼儀と声を落とす。
「んぅー……、いって、らっしゃい……」
薄く開いたまぶたのあいだから、ちらりと春空の瞳が覗き、すぐ消える。
「……ああ」
朝出勤前の挨拶を交わすなんて、いつぶりだろうか。口に拳を当て、一瞬の覚醒ののちまた寝入ったピンキーに背を向ける。
こんなピンクがクリスマスプレゼントだなんて、認めない。
オフィス街ですらどこか浮かれた様子のなかを歩き、出勤する。
空はよく晴れ渡っていて、ホワイトクリスマスにはなりそうにない。
いつも通り仕事を始めようとして、つい、桑原丈の席に目が引かれた。
桑原は昨日一緒にいた女と、クリスマスイヴの夜を過ごしたのだろうか。
泣きながら眠っていた義理の姉のことなど、思い出しもしないで。
忘れるくらいなら失踪宣言して墓を立ててやれと思うのは、俺がピンキーに情を持っているからなのだろうか。
「……!」
見ていたせいで出勤して来た桑原と、目が合ってしまう。
クリスマスイヴを恋人と過ごしたにしては、不景気な面をしていた。
血が繋がっていないと言うだけあって、ピンキーと顔立ちは似ていない。
目が合ったことには気付かない振りで、俺は桑原から目をそらした。
なにか見えない力でも、働いたのだろうか。
「新年会って、こんな年末近くから企画するものじゃないだろ」
ため息を吐きながら、目の前の男を見る。
改めて、男の俺から見ても、整った顔立ちだ。
まあ、個人的な意見で言うならピンキーの顔の方が……って、なに考えてる。
「あー、まあ、とっとと段取り決めるか。企画二課の前田。よろしく」
「営業一課の桑原です」
俺が長めに与えられた昼休憩の時間を割いて、食堂の一画で桑原丈と顔を合わせているのは、年明けの新年会の幹事に指名されたからだ。女子人気の高い桑原が指名されるのはわかるが、その相方がなぜ俺なのか。
とにもかくにも面倒くさいことはとっとと片付けてしまおうと、役割分担やらなにやら決めてしまう。
「すごいですね」
「あ?」
現状出来ることがほぼほぼ終わったところで、桑原がぽつりと言う。片目をすがめると、前のめりに熱弁された。
「スケジュールの決め方とか、段取りとか、すごく手際が良いなぁって。仕事めっちゃ出来るって噂聞いてたんですけど、ほんと、すごいですね」
「べつに普通だと思うけど。これくらい出来なきゃ、企画管理出来ないし」
素直に褒められると居心地が悪い。目を泳がせて、携帯端末を手にする。
「店、どこにするか。希望聞くのも面倒だし、こっちで決めとこう」
「そうですね。前田さん、どう言うとこが良いとか、ありますか」
訊かれた答えは、つるりと口から出た。
「油っこくないつまみも出るとこだな、んで、ソフトドリンク充実してるとこ」
昨日会ってちょっと会話しただけの相手の好みなのに。
「あれ?前田さん、飲めないんでしたっけ?」
「俺は飲めるけど、飲めないやつもいるだろ。同じ金払うのにビール好きばっか得すると、不公平じゃないか?」
「それもそうですね。じゃあ……あ、こことかどうですか?お好み焼きのお店なんですけど、ご当地系のジュースとかも取り揃えてて」
桑原が携帯端末を見せる。さっと情報が出せるあたり、こいつこそ優秀じゃないかと思う。
「大人数入れる個室があるのか。値段もちょうど良いし、予約が取れるなら良いんじゃないか」
「ありがとうございます」
「ただ、予約が取れるとは限らないから、ほかにも何件かピックアップして」
それから何件か候補を決めて、あとはお互い段取り通りに、となったとき。
「その、時計」
ふと、桑原の腕にはまる時計に目がとまった。
がっしりした腕に似合わない、華奢な時計だ。
「借り物なんです。録ちゃ……姉からの」
昨日聞いたばかりの名に、瞬間息が詰まった。
借り物?十年も前に失踪した、義姉の時計が?
『ごめんね、じょうくん』
泣いていたピンキーの顔が、脳裏に浮かぶ。
「姉って……それ、彼女怒らないか?早く返せよ」
それでも苦笑して、軽口を吐いた。
俺は、桑原丈の義理の姉が海難事故で死んでいることなんて、知り得ないはずだから。
「怒るもなにも、彼女いませんから」
「嘘吐くなよ。部内一のモテ男が」
「いくらモテても、好きなひと相手じゃなきゃ、意味がないですよ」
そんな言葉を、“姉”の時計を見ながら言うものじゃない。
「昨日一緒に帰ってたの、彼女じゃないのか?」
「昨日……?ああ、駅まで一緒にって、言われて」
いやそれ絶対、お前狙いだろ。
「じゃあ、ぼっちでクリスマスイヴ過ごしたのか?お前」
「悪いですか」
「悪くはないが、なんだ、難攻不落な相手に片想いでもしてる、の、か……」
恋慕と憎悪と敬愛と絶望と渇望と悲愴と。その、どれでもあって、どれでもないような。
「ごめん。突っ込み過ぎた質問だったな」
これ以上、本人不在のところで、聞いて良い話じゃない。
「答えなくて良、」
「姉がいるんです。年の離れた」
話を止める前に告げられた言葉は、俺の言葉を止めさせるには十分の威力があった。
「姉って言っても両親の再婚で出来た、」
「待て」
それでも、続く言葉を止める。
「それは、こんなところで話して良い内容か」
ピンキーは、俺に詳細を秘匿した。
それはきっと、こんな衆人環視の場で話して良いことではないはずだ。
「話したいなら、別の場所で聞いてやる。だから、ここではやめとけ」
俺は頭を掻いて立ち上がると、屋上へと向かった。
真冬のビル風吹きすさぶ屋上は、人影もない。
道すがら自販機で買ったホットコーヒー二缶の、ひとつを桑原に投げ渡した。
「お前さ」
缶を開けながら呟き、一口コーヒーを含む。
「自分の人気とか気にしろよ。あんなとこで個人情報漏らしたら、即行社内を駆け抜けるぞ」
「あー……そうですね」
コーヒーの缶を手のなかで遊ばせながら、桑原が苦笑する。
「ちょっと、落ち込むことがあって。自暴自棄でした。ありがとうございます」
「落ち込むこと?」
「イヴの満月は、願いを叶えてくれるって」
桑原が空を見上げた。真昼の空に、月は見えない。
「姉が言ってたんですけど、やっぱり迷信ですよね」
さっきからの会話で、薄々気付いてはいたが。
「叶えたい願いがあるのか」
「録ちゃんを、返して欲しい」
桑原丈は、ピンキーのことを忘れていない。どころか、
「ふみちゃん?」
「姉です。義理の」
執着している。十年も前に消えた義姉に。
「義理って言っても姉なのに、名前呼びなのか」
「姉と思ったことがないので」
「それは」
「認めてないとか仲が悪いとかじゃないです。録ちゃんは俺の恩人で」
噛み付くような否定。義姉に対する、信奉に近い、これは、
「実の母はおれが三歳のときに死んでいて、父が再婚したひとはあまり母親らしいことをしてくれなくて、普通は母親から貰えるものは、録ちゃんが全部、与えてくれた」
これは、恋、か?
「でも、今、行方不明で」
「だから、返して欲しい、のか」
なぜ、ピンキーは、桑原録は、桑原丈に、謝罪する?
「はい。……録ちゃんが行方不明になったのは、おれのせい、なので」
「い……っ、喧嘩でも、した、のか?」
ピンキーは自分の事故に桑原丈は関係ないと言った。そう、言おうとして、そんなことを俺が知るはずないと思い出す。
俺と、ピンキーは、出会っているはずがないのだから。
「いいえ。喧嘩なんて。喧嘩は、同等な相手とじゃないと出来ないですから」
「姉貴は違ったのか?」
「八歳差なので。録ちゃんはおれのこと、子供だとしか思ってなかったと思いますよ」
「子供って、三十路近い男をか?」
「もう、十年も前の話なんで」
もし、初見でこれを聞いていたら、俺はどんな言葉を返しただろうか。
「喧嘩じゃないなら、どうして行方不明の原因が自分なんて」
「……襲ったので」
「襲ったって」
「強姦しようとしたんです。義理の姉を」
ピンキーが言いたがらなかった理由がよくわかった。なんで台風の日に、外出なんてしていたかも。
「なんでまた」
「おれは、そういう意味で録ちゃんが好きで、でも、それに気付いた録ちゃんは実家を出て行って、告白しても、取り合っては貰えなくて。それでも、諦められなくて、アパートまで追い掛けて、それで」
それで襲われたピンキーは逃げ出して、逃げ込んだ先の社で高波にさらわれたのか。
「──返して貰えたら、どうする気なんだ?」
「謝りたいです。乱暴なことしようとしたこと」
「謝って、その先は?……まだ、好きなんだろ?」
謝罪だけなら、伝えられる。
理由はわからないけれど、ピンキーは休日を下界で過ごしているから。
でも、もしもまだ桑原丈がその先を望んでいるのなら。
いるの、なら?
「もう一度、気持ちを伝えたい。逃げずに、聞いて欲しい」
「聞いてもらうだけで、良いのか?」
「良いわけ、ないじゃないですか。受け入れて貰いたいですよ、それは」
受け入れて貰えるわけがない。だって、ピンキーは、もう。
「……無理矢理は駄目だぞ」
「わかってますよ。大人に、なりましたから」
「そうか」
死んだピンキーは自分の死因を知っていたが、遺された家族はどうだったのだろうか。
ひとり、高波にさらわれたと言っていた。そのことを、家族は?
単なる失踪と、海難事故での行方不明では、全く気の持ちようが違うだろう。
「行方不明になって、行く先に心当たりはないのか?捜索願いは?」
「……この時計」
桑原が腕時計に触れる。
「海辺の神社の賽銭箱に入ってたんです。録ちゃんがいなくなったのは台風直撃の前日夜で、台風が過ぎたあとに、帰って来ない録ちゃんを捜索して貰ってて、そのときに」
「それでよく、義姉のだってわかったな」
「俺があげた時計なんで。文字盤の裏に、名前の刻印をして貰ってあるんです。……いなくなる直前、最後に見たときも、着けてくれてた」
たぶん、ピンキーは、良い義姉だったのだろう。いや、良い義姉過ぎたのだろう。
「その神社に、匿って貰ってたとか」
「小さな社があるだけの無人の神社なので、一晩泊まった可能性はあっても匿われることは出来ないです。それに、社は台風のせいで、壊れたので」
桑原の眉が寄った。
「警察は、台風による高波に飲まれた可能性が高いと」
ああ、真実に、手は届いていたのか。
「でも、遺体は見つかっていないんです。だから」
「生きているかも、しれないって?」
「だって、録ちゃんは」
桑原が時計のはまった腕を握り締める。
「おれや下の弟妹のために色々我慢して、ずっと面倒見てくれて、就職して家出て、やっと、自分の人生、だったのに。おれのせいで、台無しになったなんて、あんまりでしょう」
“じょうくん”のせいで人生台無しになったなんて、あのピンキーは思ってやいないだろう。
むしろ、きっと。
「……不謹慎なこと、訊いても良いか?」
「なんですか」
「たとえば幽霊だとしても、義姉に会いたいと思うのか?」
義姉が死んでいることを、思い知らせる存在だとしても。
桑原は、目を見開いて俺を見返した。
「おれ、は」
あのピンキー女は、どうして本来許されていないはずの行動をしてまで、桑原丈の姿を見に来たのか。それが、イヴの満月が願いを叶えてくれたからなら、ピンキーはなにを願ったのか。
「義姉本人が告げたなら、お前は義姉の死を認められるのか?」
それがもしも、現状を予測して、自分に囚われたままの義弟を解放するためだったとしたら。
昨日の桑原丈を見て恋人がちゃんといると思ったピンキーは、きっともう桑原丈に近付こうとはしないだろう。
自分なんて思い出さない方が良い。ピンキーは、そう考えるやつだと思う。
ぐっと返答に詰まる桑原の頭を、苦笑してぽんぽんとなでた。
「周りには、もう死んだんだ、忘れろって、言われたんじゃないか?」
「……前田さんも、そう言うんですか」
言われ慣れているんだな。そうはっきりとわかるくらいには、諦念と失望のこもった声だった。
それはそうだろう。桑原は若く、仕事も出来て、顔も良い。死人を想い続けるには、優良物件過ぎるのだ。
「いや?」
あっさりと否定すれば、ぽかん、と間抜け面をされた。
「誰を想うかなんて、個人の自由だろ?憲法じゃ、思想の自由を掲げてるんだから」
まぁ、合意なしに手ぇ出したら別だけどな。
苦笑して、そして、思い付いたように問う。
「その姉が母親代わりってことは、食事も作ってくれてたのか?料理上手かった?」
「へっ?え、あ、はい……」
「へぇ」
ピンキーなのに(偏見)と思ったが、考えるまでもなく片親育ちで家事力は死活問題か。
「桑原が好きだったのは?」
「クリームシチュー……ロールキャベツ入りの」
「それはまた、手の込んだものを……」
「特別な日の、ご馳走だったんです。誕生日とか、クリスマスとか」
たぶんホワイトルウ作るところからやるんだろうな。
あんな外見で高い家事力を持つらしいピンキーに思いをはせつつ、昨日普通にカトラリーを使ってものを食べていた事実から、
「また食べたい?」
「食べたいです」
あいつはたぶん、今も料理くらい出来る。
「そうか。なら、信じとけば?」
「信じるって」
「イヴの満月は過ぎたけど」
ピンキーは、今日も休みだと言っていた。
「クリスマスは今日だし、今夜は十六夜だ」
言うだけ行って桑原を置いて屋上をあとにし、五分の賭けで自宅に電話する。
『ふぁい……録です……』
「まだ寝てたのかお前」
もう昼過ぎだぞ。
寝起き声のピンキーが、寝ぼけて電話に出たことに、呆れつつも安堵する。
『ふへ……?あ、あっ、ゆうさん、ああー……』
「いや俺はべつに構わない」
謝ろうとしたピンキーの言葉をさえぎり、さてどう言おうかと迷って、
「桑原丈に、あんたの話を聞いた」
ど直球を口にした。
『え、なん、』
「俺から話題にしたわけじゃない。あいつが、あんたの時計、着けてたんだ」
『じょうくんがわたしの?どうして』
「あんたが最後にいた神社の、賽銭箱に入ってたらしい」
『見つかっちゃった、んですね』
お賽銭代わりだったんですけどね。
小さな声で呟いたあと、ピンキーがためらいつつ訊ねる。
『あの、わたしの、話って、どんな……?』
「聞きたいなら、今日帰り迎えに来い」
『え、迎えにって』
「五時上がりするから、それまでに来いよ。場所は昨日来たしわかるだろ。じゃあもう昼休み終わるから」
『いやちょま、』
止める声は聞かずに電話を切り、俺は仕事に戻った。
残業をする気はない。さっさと仕事を片付けてしまおう。
こそこそとしていても、ピンク髪はよく目立った。
視線でついて来いと指示して、歩き出す。未着信の携帯端末をピンキーに見せてから、耳に当てた。
「なに、こそこそしてんの」
昨日はあんなに堂々と覗いていたくせに。
「ゆうさんみたいに見えるひとが、万一でもいたら困るので」
「見せてない、だっけ」
「ええ」
頷くピンキーに、問い掛ける。
「それ、見せることも出来るってことか?」
「それは」
「前田さんっ」
「ひっ」
ピンキーがぴょんっと飛び上がって、俺の背に隠れた。携帯を耳から離し、桑原を見る。
「どうした、桑原」
「あの、昼間の」
追い駆けて来たらしい桑原丈が、息を弾ませたまま俺に言う。
「信じます。クリスマスには奇跡が起きるって。録ちゃんが、帰って来るって」
呼吸をしないピンキーの喉から、ひゅっと息を飲む音が聞こえた。
「ありがとうございます」
桑原は頭を下げて、走り去った。“録ちゃん”がすぐそばにいることにも気付かずに。
ため息を吐いて、また携帯を耳に当てる。
「と言うわけなんだが」
「本当に、時計、してますね」
「とりあえずクリームシチュー作らないか?ロールキャベツ入ったやつ」
ピンキーが、両手で顔を覆って唸った。
「なにがと言うわけでとりあえずなのか、ちっともわからないんですけど」
「クリームシチュー作って、話はそれからだ」
顔を上げたピンキーは、わがままな幼なじみでも見るような目で俺を見た。
「ゆうさんは少し、わたしの上司に似ていますね」
ピンキーの指示で材料を揃え、ロールキャベツを作り始めたピンキーの背中を見ながら、昼間の話をざっくりと伝えた。
「……そんな話するくらい、親しいんですか?」
「いや。挨拶くらいでまともに会話したこともないレベル」
「そう、ですか」
さっと湯通てから具を巻いたキャベツに、折って短くした乾麺のスパゲッティーを突き刺すピンキー。無駄に楊枝を使わず、キャベツの芯も刻んで具に混ぜているあたり、家事力の高さを感じる。
「わたしと話したせいで、縁が繋がってしまったのかもしれませんね」
それで?と問う声はため息混じりだった。
「ゆうさんは、わたしになにをさせたいんですか」
「とりあえずクリームシチューを作らせてるな」
「どうして」
「思い出の味が再現されてたら、姿が見えなくても信じて貰えるかもしれないだろう」
炒めた野菜に水と固形コンソメを加えたピンキーが、振り返る。
「会いたくないなら俺が伝言伝えてやる。なんであんたが桑原のところに来たのかわからないが、ずっとあんたに拘泥してて良いとは、思ってないだろ?」
「それは、そう、ですけど」
コンロに視線を戻したピンキーが、フライパンを火に掛けバターを溶かし始めた。ルウを買っていなかったから、そうだろうなと思ってはいたが、やはりルウは手作り派のようだ。
「じょうくんの、あれは、恋愛感情ではないんですよ」
「なにを恋だと思うかなんて、ひとそれぞれだろう」
「そうですけど。でも、わたしたちの場合は、刷り込みみたいなものです。たまたま家族になって、欲しいものを与えてくれたから、好意を持っただけ」
溶かしたバターで小麦粉を炒めながら、ピンキーは語る。
「わたしだって、もしあの頃義兄が出来て、身の回りの家事をしてくれていたら、溺愛していたと思います。存在しなければ生活が破綻するから、防衛本能で親愛しただけです。その相手が年の近い女だったから、恋と言う名前を与えてしまった」
「言うほど近くないだろ、歳。学生のときだったんだから、余計」
「だから、離れようとしたんですよ」
ちらりと振り向き、苦笑する。
「一緒にいる時間が長いからほかが見えないだけで、離れてしまえば別の、もっと歳が近くて可愛い女の子が好きになるって、思って。じょうくん、顔も性格も良いから、女の子から優しくされるし」
「“顔も性格も良いじょうくん”を、好きになるって選択肢はなかったのか?」
「粗相も病気も世話した義弟をですか?」
家族としては好きですけど。
ダマが出来ないようにか少しずつ牛乳を加え、丁寧に丁寧に混ぜる。
「一生を共にするかもしれない相手として見るには、じょうくんは少しわたしを、美化し過ぎてますよ」
「ああ、ちょっと信仰っぽかったな。確かに」
「信仰、ですか」
そこまでじゃなかったはずなのに。
ピンキーが困ったように眉を寄せた顔を見せる。料理に戻りフライパンへ落とされた視線は、どんな色を持っていたのか。
「離れるって方法は、間違っていたんですよね」
深く深く、息を吐くような間。
「ちゃんと終わらせないで離れてしまったから、じょうくんは余計にわたしを美化してしまった。わたしはちゃんと、終わらせなきゃいけなかった。わたしがなんてことないただの人間なんだって、わからせなきゃいけなかった」
ふ、と、吐息のような笑いをもらし、ピンキーはうつむく。
「昨日、じょうくんが女の子と歩いてるのを見て、ほっとしたんです。ああ、間違ってなかったんだって。わたしはじょうくんの、人生を狂わせずに済んだんだって。ちゃんと、確かめることもしないで!」
ぱちん、とコンロを消して、ピンキーは振り向いた。
「わたしは聖人君子でも天使でもない。義理の弟でも、他人の、人生なんて、背負えない。じょうくんのせいじゃないんです。レイプされかけたから逃げたんじゃない。じょうくんの人生を壊したことが怖くて、わたしは逃げたんです。寂れた神社で、じょうくんからわたしを消して、忘れさせてって、ずっと祈ってた。お金持たずに飛び出したから、じょうくんから貰った時計を、お賽銭代わりにして」
高波にさらわれたとき、これでじょうくんの人生をぶち壊さずに済むって思った。
嗤うピンキーに、どう声を掛けて良いのかわからなかった。
「それで死んで、こんなになって、下界の家族や親しかったひとのことは知れないんですけど、ずっと、わたしが戸籍から消えてないことは知ってて。無関心で消してないなら良いけど、執着だったらどうしようって」
「それで、様子を見に?」
こくり、とピンキーは頷く。
「満月のイヴは特別なんです。日頃の献身の慰労で、上司、お月さまが、願いを叶えてくれる。普段なら行っちゃいけないところに行って、こんな風に料理をすることも出来る。見せようとすれば姿も見せられるし、言葉を交わすことも出来る」
すっと息を整えて、ピンキーは俺を見た。
「終わらせます。自分の手で。上司とゆうさんが、せっかくくれた奇跡ですから」
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
これを予約投稿している現在(2019/12/24/1:34)
最終話予定4話はほぼ手付かずなのですが
果たしてクリスマス中に上げられるのか
時間との戦いです
続きも読んで頂けると嬉しいです