叶えてくれますように
今は2019年12月25日212時です……_(..」∠)_
《イヴの満月の奇跡を信じるか?》
その言葉と共に、時間と場所を指定した。
「保温ジャーとか、なんであるんですか」
「いつかのなんかのときの、景品」
保温ジャーにクリームシチューを詰めて、指定した場所に向かう。
ピンキーは笑っているようで強ばった顔で、無駄に明るい声を出す。
それで不安なり恐怖なりが薄れるならと、大人しく話に付き合った。
満月とさして遜色ない丸さの月は、昨夜と同じくぽかりと明るく浮かんでいた。
「あんたの上司って、あれなの?」
月を指差し、訊ねる。
ピンキーが空を見上げて首を傾げた。
「そうとも言えるし、そうでないとも言えますね」
「はっきりしないな」
「デスヨネー」
くはっと、ピンキーが苦笑する。
「実のところ、わたしもよくわかっていなくて。上司は地球の衛星ではないんですけど、でも、お月さまではあるんです」
「なんだそれ」
「何て言ったら良いんですかね……こう、お月さまと言う、概念?宇宙空間上の物質としての月ではなくて、信仰の対象としてのお月さま、ウサギがおもち搗いてたり、薬混ぜてたり、カニだったり女性だったり男性だったりする、月」
ピンキーが自分の、春空の瞳を指差した。
「生物が視覚を脳で解析して見る、電気信号としてしか存在しない月。それが、わたしの上司なんです」
「なるほどわからん」
「デスヨネー」
ピンキーがまた笑う。
「まあ、あれです。アルテミスやトトや、ツクヨミとでも思っておいて貰えれば」
信仰の対象はあれで大丈夫です。
仮にも上司(?)を指差し、あれ呼ばわりしながら、ピンキーは跳ねるように歩く。
白い服と、翻る二房の髪のせいで、まるでウサギのようだと思った。月の上で、餅を搗いていると言うウサギ。
「お月さまは寛容ですが、とても気まぐれで気分屋なので、運が良ければ願いを叶えてくれるかもしれません。ただ、あまりひとの話を聞きません」
「……博打じゃないか」
「当たれば大儲けですよ」
ぴょんっと跳ねたピンキーが降り立ったのは、明らかに申し訳として造られた、小さな公園。バドミントンも出来ないような狭い空間に、ブランコと小さな滑り台が、所在なさげに立っている。
昼間でもあまりひとの来ない公園は、宵闇にひっそりと沈んでいた。
「あまりひとがいない場所と思って指定したが、わかるか?場所」
「わかるんじゃないですかね?それより、ゆうさんは通報されないか心配した方が良いですよ?夜の公園に男ひとりなんて、怪しさ満点ですから」
「見えてりゃあんたの方が怪しいだろ、ピンク頭」
「見えてないから良いんですー」
べーと舌を出したピンキーはしかし、手を震わせていた。寒いわけでは、ないはずだ。吐き出す息も白い俺と違って、ピンキーの周りにはただ澄んだ空気が在るだけだ。
ああ、死んでいるんだな、と実感して、なぜ、死ななければならなかったのだろうと疑問に思う。
例えば今のこの現状が、桑原録に対する罰だと言うのなら、桑原録はいったいなんの罪を犯したのだろう。
彼女はおそらく、ただ、あまりに完璧な姉であり過ぎただけだ。
こうして話しているぶんにはごくごく普通の女であるピンキーだが、桑原丈の語る桑原録は、まるで聖人のような神聖さを感じさせた。それだけ桑原丈のなかで、桑原録が神格化されていると言うことだろう。
「……信仰する義姉がそんな馬鹿みたいな格好で現れたら、百年の恋も冷めるんじゃないか?」
「格好はわたしの趣味じゃないですから」
顔をしかめたピンキーが、自身のピンク髪を引っ張る。
「その阿呆くさい髪型もか?」
「色は自前だし髪型は上司の指定ですー」
「でもそんなこと桑原は知らないし、一発逆転デッドボールの手段として」
「あるあr……ないですよ!」
と言うかそれでもめげなかった場合が怖いです。
ブランコに腰掛けながら、ピンキーが呟いた。あながち冗談でもない顔で言わないで欲しかったが。
「そこまでの信奉なのか?」
「十年間でどうなったかは知らないですけど。わたしが知ってるじょうくんは、信奉なんてしてなかったし。でも、お姉ちゃん面してたとは言え、中学から大学卒業まで、一緒に暮らしてたんですよ?」
駄目な面も嫌な面も、見ていたはずです。
のたまうピンキーに、昼間話したときの桑原を見せてやりたいと思いつつ言う。
「恋は盲目でなければな」
「痘痕も靨だと怖いですよ。なので、もっときちんと、現実を突き付けます。あるいは」
「あるいは?」
春空の瞳が、月を映した。
「いっそ、完全に神にでもなりましょうか」
「はぁ?」
「熱心なキリスト教徒は神に欲情しないし、婚姻禁止な聖職者でもない限りは普通に伴侶を持つでしょう。あるいは、ジャニーズや韓流のオタクでも良いですね」
ぱた、とピンキーの羽根が動く。
「最愛は推しだけど、恋人がいらないわけじゃない。推しと伴侶は別物です」
「言いたいことはわからなくもないが、無理がないか?」
「じょうくんは、姉と尊敬するひとと一緒にいたいひとを、ごっちゃにしちゃったからいけなかったんですよ。ただの尊敬する姉だったら、いなくなってもそこまで苦しまずに済んだのに」
「でも」
自分の気持ちを暴走させて、結果としてピンキーが死ぬ原因になった桑原に、同情はしない。だが、
「桑原が生存と帰還を諦めてたら、会いになんて来なかっただろ、あんた」
どんな夢だったかは知らないが、夢に出て泣かせるほどピンキーの心に爪痕を残し、こうして会いに来させまでした執着にだけは、敬意を払いたい。
「それは」
「実際、会いに来たのは桑原だけにだし。親も存命だろ?あんたに執着してたのは、そっちかもしれなかったのに」
「死人は生者に干渉しちゃいけないんですよ、本来は」
「なら、なおさら」
全部が全部、褒められた行為だなんて、とても言えないけど。
「あんたにそこまでさせた桑原の想いは、力があったんだろ。一個人の人生懸けた想いを、間違いの一言で済ませるなよ」
「聖人君子じゃないんですよ、わたし」
「そうだな」
両手で挟んだピンキーの頬は、温かくも冷たくもなかった。
「あんたはただの、優しいお姉ちゃんだ。知らんぷりして全部投げ出して良かったはずの現世のしがらみを、放って置けないくらい、お人好しのな」
ひと肌とは思えない温度の頬を、もちもちとこねまわす。
「ちょ、なんですかゆうさん」
「俺と恋人だった、ってことにしても良いぞ?」
春空の瞳が、見開かれた。
「恋人がいるからお前は無理だってさ」
「いや、ゆうさん当時何歳ですか。無理があり過ぎますよ」
「冗談だよ」
「なんでそんな冗談」
「あんた緊張し過ぎ」
冷えたわけでもないのに、ピンキーの頬には変に力がこもっていた。
「あんたもう、桑原録として生きてないだろ。なら、桑原丈に嫌われたってなんだって、大丈夫だ。桑原がどう思おうとあんたになんかすることは出来ないし、今日会ったあんたが桑原になんかやらかしたって、罪にも問われないしあんたの評判も落ちない。あんた死んでんだから、あいつがなに言ったって気違いのたわごとだよ」
「気違いのたわごとって」
ぷっと、ピンキー噴き出す。
「ゆうさんとんでもないこと言いますね」
「良いんだよ。お姉ちゃんの優しさに付け込んで付け上がってるシスコン男なんて、ガツンと言って撃退してやれ」
「さっきは擁護してたのに」
「それはそれ、これはこれ」
少しは力の抜けた頬から手を離し、ピンキーの隣のブランコに腰を降ろす。子供サイズだからだろう。少し狭い。
「想いの強さはすごいと思うが、それでひとに迷惑掛けたら駄目だろ。思いが強けりゃ良いなら、ストーカーは犯罪になってない。好きになった方が負けなんだから、あとは想いびとさまの意向に沿うしかないんだよ」
「つよい」
「あんたがお人好しなんだよ」
きこ……とブランコを揺らしながら、腕にはめた時計を確認する。
「ああ、もう少しで時間……と」
じゃり、と聞こえた足音に、顔を上げた。
「早いな」
「前田さんこそ……じゃなくて、このメッセージ!」
歩み寄りながら、桑原が携帯端末をこちらに向ける。
「イヴの満月の奇跡って、なん……」
止まる言葉と足音。俺の前に立つ、背中。
さらりと流れる、焦げ茶の直毛。真冬の外にはあまりに寒々しい、薄手の長袖パーカー。七分のカーゴパンツ。素足にクロックス。
今が夏か初秋なら、どこにでもいそうな後ろ姿だった。
「ふみ、ちゃん……?」
ピンクの巻き毛でも、ふりふりのワンピースでも、真っ赤な厚底靴でもない、それが桑原録の普通の姿なのだろう。
「久しぶりだね、じょうくん」
こちらに背を向けた桑原録も、桑原録で隠された桑原丈も、どんな表情をしているのか、俺にはわからない。
「ふ、ふみちゃん……ふみちゃん!」
落ちる携帯。駆け寄る足音。伸ばされる手。そして、
「え……?」
そこに立つはずの身体を貫通し、すり抜ける手。
「触れないよ。……死んでるから」
桑原録が大きく一歩、前に出る。
確かに在るように見える身体を別の身体が通り抜けるさまは、いささか……グロテスクだった。
くるりと、桑原録が振り向く。
昨日から見ていたはずの顔はしかし、色が違うだけでガラリと違って見えた。
まるで、年嵩の女性のような顔。大人びて、近寄りがたく見える。
「死ん、で……?」
震える唇で呟いた桑原丈が、泣きそうに顔を歪める。
「そう。十年前にね。高波に飲まれて、死んじゃった。昨日イヴに満月だったからお月さまが、」
「ならおれも死ぬ」
ぱっと、桑原丈が桑原録を振り向いた。
「ふみちゃんがいない世界になんて生きてる意味がないよ。おれも死んで、ふみちゃんを追い掛ける」
「じょうくん」
あまりに妄信的な言葉は、予想外だったのだろう。言葉を探しあぐねて、桑原録が固まる。
思えばピンキーは、信奉と言った俺の言葉に懐疑的だった。桑原丈が自分にそこまで妄執しているとは、思っていなかったのだろう。
困ったように眉を寄せ、うつむいた桑原録が額に手を当てる。
「おい、桑原」
「大丈夫」
思わずブランコから立ち上がりかけた俺を、桑原録が額に当てていない方の片手を上げて止める。深く、深く息を吐き出すような間の後で、桑原録は口を開いた。
「……じょうくんは、わたしがまだ好きなの?」
「好きだよ。ずっと。誰よりも」
「そっか……自殺したら二度と会えないけど、それでも死ぬの?」
自分の手から顔を上げた桑原録は、ひどく冷たい目をしていた。
「え……?」
「だって自殺は、一級犯罪だよ?犯罪者は浄土には行けないから、わたしと会えないよ」
「そんな」
ばさりと、桑原録の背に羽根が広がる。
ピンク頭のときはキューピッドのような無垢で愛らしい天使の羽根のように思えたそれが、今はウリエルのように冷たい権威の象徴に見える。
「それとも、わたしが地獄に堕ちてると思ったの?じょうくんのこと、受け入れなかったから?」
「そんなことない!おれは、ふみちゃんが生きてると思ってて」
「でも、死んでるんだよ。死んで、天使になったの」
桑原録は大人で、嘘つきだった。
「浄土にいるから、じょうくんが自殺するなら二度と会えない」
「なら、どうしたら」
「天寿を全うして、供養して貰うしかないよ」
平気な顔で、嘘を吐く。
「生きて、恋して、大切なひとを作って、結婚して、子供を授かって、愛して、育てて、巣立たせて。ひとの営みを、全うして」
平然と、いや、それどころか、うっすらと笑みすら浮かべて、残酷な言葉を告げる。
「わたしが出来なかった分、人生を謳歌して。そうしたら」
そうして死んだ、そのときに、じょうくんが望むなら。
桑原録は、それはそれは愛らしく、天使のように微笑んで見せた。
「わたしがじょうくんを、迎えに行ってあげるから」
手を伸ばした桑原録が、そっと桑原丈の頭を撫でる。その手は、触れてはいないけれど、確かに、撫でていると感じさせた。
「大丈夫。じょうくんなら出来るよ」
桑原録の身体が、指先からほどけて消えて行く。
「ふみちゃん……!」
桑原丈が慌てたように、桑原録へと手を伸ばす。
けれどその手が、桑原録に触れることはなかった。
「もう、時間みたい。……じょうくん、わたし、じょうくんの“お姉ちゃん”で良かったよ」
どんどん解けていく桑原録の、浮かべる笑みは泣きたくなるほど優しかった。
「じゃあ、幸せに、ね。やく、そ、く」
最後の言葉は溶けるようで、その言葉が空気を震わすが早いか、桑原録が完全に消える。
「ふみちゃ、ふみちゃん、あ……ああぁぁあぁあああぁぁあっ」
慟哭。
膝と両手を突いて絶叫する桑原丈。
完膚なきまでに打ちのめされた男に、かける言葉は見付からなかった。
ただ、立ち上がって桑原の落とした携帯端末を拾い、近付いて、袋と共に差し出す。
「今は、そんな気分じゃないかもしれないけど」
「……なんっです、か」
「クリームシチュー」
桑原録は嘘つきな大人で、俺もまたそうだった。
「最後にお前に食べさせたいからって、俺が指示受けて作った」
「なんで、前田さん、に」
「満月に選ばれた協力者だってさ」
肩をすくめてうそぶき、桑原に保温ジャーが入った袋を押し付ける。
「俺の手作りで悪いけど、お前の姉さんの気持ちだから、受け取るだけ受け取って。食べたくないなら、捨てて良いから。入れものも、返さなくて良い」
「あ……」
地べたに座り込んだまま、桑原が保温ジャーの蓋を開く。大ぶりの野菜とロールキャベツの入った、具だくさんのシチュー。
保温ジャーに入れられたそれはまだ十二分の熱を持っていて、作り主はついぞもらすことのなかった白い息を吐き出していた。
「ふみちゃんの……シチューだ」
桑原の頬を、つうと涙が流れ落ちる。
「桑原にとっては、厳しい言葉だっただろうけど」
温もりの塊のようなシチューを抱きしめ泣く桑原へ、慎重に言葉を掛ける。
「お前のこと、考えてるから出た言葉だと思うよ。そもそもあのひとは、わざわざお前に会いに来る必要なんかないわけだし。お前が大事だから、会いに来て、背中を押してくれたんだ」
「でも、おれは」
「すぐに振り切れとも、絶対に忘れろとも、言うつもりはない。ただ、望まない形でも、止まってた十年の答えが出たんだ。お前は落ち着いて、答えを噛み砕いてみろよ」
丸まった背中を、撫でる。温かい背中に、ああ、こいつは生きているんだなと思った。
「後追いするも、別の運命を探すも、今日を忘れてなかったことにするも、桑原の自由だ。でも、お前が今日あっさり棄てようとした明日は、お前の義姉がどれだけ望んでも得られなかった明日だってことと、それでもお前の義姉は、お前が幸せになることを祈ってるんだってことは、忘れんなよ」
ぽんっと最後に背中を叩いて、俺は桑原丈から手を離す。
「じゃ、俺は帰るから。あんま寒いとこいて、風邪ひくなよ」
そのまま背を向け、公園を後にする。
「幸せにね、か」
冴えた冬の空気をおもいっきり吸い込んで、吐き出した。
深く吐いた息は白く染まり、俺が生きていることを教えてくれる。
「冷たい言葉だよな」
お幸せにと願うとき、その幸せの場に話者は存在しない。
幸せにするでも、幸せになろうでも、幸せにして欲しいでもなく、幸せにね。
壁を作り、見離す言葉だと判じるのは、穿ち過ぎだろうか。
「そうは思わないか?」
ほとほとと前を歩くピンク頭に投げ掛ければ、困ったような笑みを返された。
「わたしには、手放すことしか出来ませんから」
責任の取れないことは出来ないと、ピンキーはうつむく。
「嘘は吐くのに?」
「じょうくんが自殺しても一緒にはいられないことは、本当ですよ。いま、欠員は出ていないので。自殺者は採用されないのも事実です」
同僚に、自殺で死んだひとはいないので。
ピンキーの言い分に、片目をすがめる。
「なら、死ぬとき迎えに行くってのは?」
「出来なくはないですよ。本当に望むなら、お迎えだけは出来ます。……そうならないことを祈っては、いますけれど」
じょうくんの目は、本当のわたしを映しませんから。
あのとき、別れの言葉を告げた桑原録は、消えたが去ってはいなかった。ピンク頭のふりふり女で、変わらずそこに立っていた。
泣き崩れる桑原丈を、ただただ黙って見下ろしていたのだ。
「わたしはそばにはいられない。そのつもりもない。なら、わたしは突き放します。それでもあの子がこの冷たい姉のために死を選ぶと言うなら、それほどをさせるまでにわたしがあの子になにかしたと言うなら、おとなしくわたしの罪として背負います」
「良い大人だろ?自己責任だ」
「そのわりに、ゆうさんはフォローしてくれましたけど」
ピンキーが一度振り向いてから、前に向き直って顔を上げる。
「三つ子の魂百までなんですよ、ゆうさん」
月を見上げるその顔がどんな表情をしているのか、後ろを歩く俺からはわからなかった。
「柔らかなときに強烈に歪まされて固まってしまえば、経年で角が取れることや隠すのが巧くなることがあっても、本質の歪みは誰にも直せなかったりするんです。良い歳してって言うのは簡単ですけど、本人もわかっていてどうしようもないのかもしれない」
「あんたが歪めたかもしれないから、あんたが悪いって?」
「全部自分のせいなんて、逃げ場がないじゃないですか」
空を見上げたまま呟かれた言葉は、どこか泣きそうな響きを含んでいた。
「誰か自分以外に責められる相手がいないと、心が破裂してしまいますよ」
「……そうだな」
ピンキーの背中には羽根のほかに、大きなリボンが揺れていた。その、リボンを掴んで引き寄せる。
桑原には触れられなかった身体が俺には掴め、軽い身体はあっけなく胸に収まった。
「桑原はあんたを責めて良い。あんたも、桑原や両親、弟妹を責めて良いんだ。親が親をやらなかったから、あんたが代わりをしてやるしかなくて、結果桑原がああなったんだから」
抱え込んだピンキーの頭をなでて、あんたは悪くないと呟く。ぱたりと跳ねた羽根が、胸を叩いた。
「10年だぞ?あんたが家族として桑原と過ごした時間と、同じだけだ。それで、桑原があんなにあんただけなのは、あんたのせいじゃない。10年間近くにいたくせに楔にもなれなかった、周りの人間のせいだ」
こんな言葉、気休めにもならないだろう。
そう思いながらも、口にする。
同僚である桑原よりも、行きずりのピンキーが大事だなんて、滑稽だと自嘲しながら。
この気持ちは、そう。
「もっと早く、あんたと出会っていたかった」
こんな温度のない身体でなく、温かい、ひとのときに。
なんで死んでしまったんだと、如何仕様もない詰りを、こぼさずに済むうちに。
ピンキーが、笑った気配がした。
「もっと早く出会っていたら、わたしなんてただのオバサンですよ」
ゆうさんにはもっと、お似合いの子がいます。
するりと俺の手から逃れて、ピンキーは言った。
「もうすぐ、クリスマスが終わりますね」
ピンキーの言葉は暗に、帰らないといけないと告げていた。
「今日は満月じゃないけど、願いは叶うか?」
「え……?なにか叶えたいことがあるんですか?」
「──、」
無理な願いを音にしそうになる口を、一度止めて、改めて動かす。
「あんたのクリームシチューのレシピ、教えてくれ」
「ほえ……?」
「俺が作ったって、言っちまったから」
まだ、すぐ帰らなきゃじゃないだろ。
希望も込めてそう言えば、ピンキーは安堵と困惑と申し訳なさの入り交じった顔をした。
「それが、そろそろタイムリミットで……」
「そうなのか……」
「あっ、あの!」
ぴょんっと羽根を跳ねさせて、ピンキーが身を乗り出す。
「手紙っ、許可が出たら、手紙でレシピ、送ります!お礼に!」
ゆうさんには、お世話になったので!
早口に言うピンキーは、本当にタイムリミットが迫っているのだろう。
身体の末端から、冬の冷たい空気のなかに解け出していた。
「あの、ほんとに、ありがとうございました!図々しいんですけど、出来たら、じょうくんのこと、少し気にかけてあげて」
「ああ。わかった。あんたに対してこれで良いのかわからないけど、元気でな」
「はい!わたし、ゆうさんに見付けて貰えて、良かったです」
にこっと笑った顔までも、透けて、消えて行く。
「ああ。……またな」
「さようならっ」
最後に春空の瞳が光を残し、消える。
ひょっとしてさっきみたいに見えなくなっただけなんじゃないか。そう疑うも、確かめるすべはない。
息を吐いて歩き出しながら、空を見上げる。満月よりも優しい光をたたえた月が、いくつもの星を携えて微笑んでいた。
「月に願いか……」
死んだ彼女を生き返らせる、なんて。それはきっと、“お月さま”にすら出来ないだろう。
だから。
「新しい生は幸せに、心安く」
きっとあの月のそばにいるであろうピンキーの幸せを祈った。
交わることのなかったはずの人生が交わったことに、感謝しながら。
「さて、俺も帰ってシチュー食うか」
満天の星と月を背に、俺は日常へと歩き出す。
ピンキーは俺が“またな”と言ったことに気付いただろうか。
拙いお話に最後までお付き合い頂きありがとうございました
クリスマスに終わらせられず申し訳ありません……
実はこちらのお話の冒頭部は
4年ほど前に書いたものです
毎年クリスマス時期に少しずつ書き進め
去年ようやく日の目を見せてあげられました
書き始めた当初とはたぶんかなり違った展開になってしまっているのですが
少しでも読んで良かったと思って頂けていれば幸いです
では
あなたの願いが叶いますように




