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第5章 眠りに落ちる

 AM8:00

 ベッドの上の目覚まし時計に手を伸ばして、目元に持ってきて確認すると、その長針はいつもの位置よりも半周した位置を指していた。

「……やべっ……」

 綾南(りょうなん)(りょう)は寝坊した。

 何かの間違いだろうと、目覚まし時計が電池切れだったのだろうと、机の上の携帯電話を取り、その画面から時間を確認する。

 見事にいつもより三十分進んでいた。

 高速で身支度を整え、ボストンバッグを担ぎ、玄関でランニングシューズを履き、屋内のどこかにいるであろう祖母に「いってきます」と叫び、家を飛び出した。

 学校へ。朝の道を走る。




 AM8:14

 学校は休みだった。


 いや、より正確には封鎖されていた。

 勝石高校の正門前にはパトカーが駐車し、立入禁止と記された黄と黒のテープが垂れ下がり、『本日臨時休校』という張り紙がされていた。

 ――そりゃそうだ……。


 この高校では殺人事件が起きた。そして生徒が襲われたのだ。

 事態は、殺人事件から、連続首絞め傷害殺人事件へとクラスアップしているのだ。

 真意が襲われたことによって、犯人は岡島幸夫に恨みをもつ人物ではなく、猟奇的な絞殺者という見解が出てきているのかもしれない。

 生徒の安全を考えて、学校側が対策を講じるのは当然のことだ。

 学校も閉鎖されるだろう。

 それに、今日は金曜日だ。今日を休みにすれば、土日を含めて三日間の猶予ができる。その時間で、学校の偉い人達は、事態の収束のための対策を考えるのだろう。

 昨日、真意が襲われたことによって、学校を一日サボった。救急車に同乗し、運ばれた病院でそのまま半日を費やした。――いや、妹に付き添っていたため学校の授業に出席できなかった、というのが正しい表現であろう。

 だから、わからなかったのだ。

 先日、出席していれば本日が休校になることも知らされていただろうが。

「てか、誰かおしえてくれよ……」

 そう呟くが友好関係が壊滅的な綾南には、そんな事を教えてくれる友人は存在しないのだった。

 わかっていたが、虚しくなった。



「お、おは、おはよう、ご、ございマス」

 カチコチに固まったような声をかけられた。


 鳥羽(とば)綾糸(あやし)がいた。

 ただし彼女はこれまで見てきたセーラー服姿ではなく、私服だった。

 薄黄色の花柄のシャツに薄い白のブラウスを羽織り、ヒザ下までの赤色のフレアスカート。まさに清楚な女の子の休日の服装といった感じだった。ただ髪の毛だけは今までと同じくポニーテールに纏められていた。

 そんな鳥羽を見た綾南は、声が出せなかった。

「…………」

「な、なんですか……?」

 鳥羽の恥じらうような声で綾南は我に帰る。

「あ、いや、別に……」

 綾南は顔をそらしてごまかした。


「おーおーおー。おっはよー。了、綾糸ちゃん」

 チャラチャラと軽い挨拶をかけられた。


 灰本(はいもと)道志(とうし)が立っていた。

 彼もまた鳥羽と同じように私服で、綾南も見たことのある異様にポケットの多い青のジャケットと黒のジーンズだった。

「あ、おはようございます。灰本先輩」

 鳥羽は灰本へとあいさつを返す。

 そんな二人に綾南は何とも言えぬ微妙な顔で聞く。

「灰本、鳥羽……お前ら、なんでココにいるんだ?」

 鳥羽が今度は冷静に答えた。

「了さんが学校に調査しにやってくるのではないかと思って、お待ちしておりました」

「俺も、似たようなところだな。つまり右に同じだ」

「ああ、そうかよ……」

 綾南はげんなり話す。

 たしかに学校で凶器や証拠品を捜査するはずだったが――

「でも、了はそんなつもりじゃなかったみたいだな。制服着てっし。大方、今日が休みになったことを知らずに寝坊したと思って走ってきたってところか? バカだなぁ」

 その通りだった。が、しかし、――

「お前にだけは言われたくねえよ。灰本」

「でも、了が寝坊するなんてめずらしいな」

沼場(ぬまば)さんからもらった事件資料を読んでいたからな。それで寝不足だったんだ」

「ん? でもそれって一度読んでるんだろ? 確認程度でそんなに時間とられねぇだろ?」

 灰本の疑問に綾南は心中で、ぎくり、とした。

 昨晩、綾南は事件資料を読んでいたが、一度読んだものであり、早々に読み終えた。

 そして、作業のように夕食と入浴を済ませて、ベッドに入ったが、なかなか眠れなかった。

 それもそうだ。そのベッドにはいつもの匂いに混じって、別の香りがするのだ。それも、先ほど裸体をした少女の匂いが。――眠れなくもなる。

 だが、綾南は顔には出さない。

 しかし、鳥羽にはその感情が伝わってしまったようで、彼女の顔が少し赤く染まった。

「……しっかりと資料を読んでいたからだよ」

 言い訳をする。

「ふーん」

 灰本は軽い返事をした。軽い男で助かった、と綾南は安心する。


「で、灰本、鳥羽。お前らなんでココにいるんだ? 中に入らないのか?」

「はっ。了、わかってねぇなあ」

 灰本は綾南をバカにするように言う。

「警察が学校を立ち入り禁止にしているから、中に入れなくて立ち尽くしていたんだ」

「バカかお前は」

 帰れよ、と綾南はもっともな意見を告げた。

 そんな綾南の対応策に灰本は「ああ、その手があったか」とマジでバカだった。



「おう。来たか」

 と、渋い声。


 刑事、沼場(ぬまば)純也(じゅんや)だった。

 そんな彼の衣装はいつもの少しくたびれたスーツだった。

「昨日、捜査しに来るって言ってただろ。こい。中に入れてやる」

 綾南は病院帰りの車内で、沼場に学校を捜査させてもらえるように計らっていたのだ。


「じゃ、いくぞ。綾南、灰本、まいちゃ……って、真意(まい)ちゃんじゃねえじゃねえか!」


 ここで沼場は驚いた。

 綾南はノリツッコミかと思ったが、本当に今気がついた素の反応だった。

「だ、だれだ? いったい」

「えーっと、鳥羽です。鳥羽綾糸。一年の後輩です。たしか一度、事情聴取された時に沼場さんと顔を合わせているはずですが……」

 綾南は、鳥羽の素性と、沼場との接触を答えた。

「そんなの憶えてられっかよ。俺が何人聴取したと思ってんだ」

「いや、知りませんよ」

「つーか、真意ちゃんは入院中だったな。……いつものノリでやっちまったぜ」

 沼場に、鳥羽はおじぎをした。

「どうもよろしくお願いします。実のところ沼場さんは了さんとに懇意にされている警察の方だそうですね。わたしは鳥羽綾糸です。了さんの捜査をお手伝いしたいと思って」

「なんだ? 綾南。おまえのコレか」

 沼場は笑いながら綾南に小指を突き立てた。――古風だな、と綾南は思った。

「違います」

 綾南は否定する。

 その様子に少し鳥羽がむくれたように頬を膨らませたが、綾南は気にしない。

 だが、沼場は綾南に近づき聞こえないほど小声で訊いた。

「信用できるのか?」

「はい。……大丈夫だと思います。鳥羽は、裏切れません」

 と、綾南は全裸写真という弱みを掴まされているとは警察の沼場には言えず、ごまかしの意味を含めてハッキリと言った。

「そうか、綾南が信用するなら、俺も信用しておこう」

 沼場は鳥羽の同行をあっさりと認めた。

「ところで、沼場さん。吉家さんはどうしたんですか?」

 話をそらすため、ふと思いついた疑問を綾南は訊く。

「ああ、今日は非番だ。そりゃ国家公務員だって休日は保障されてんだからな。だからチャンスだ。自由に動ける」

 鳥羽は後輩刑事の眼を盗んでチャンスとかいう沼場に怪しいものを感じているようだが、ただ高校生と仲良くしていると知られたくないという――大人の事情というやつなのだ。

「そんじゃ、学校の中に入れてやるから、ついてこい」

 沼場の案内で三人は歩き出した。



 ――AM8:30

 校門に立っていた制服警察官に敬礼された沼場は、

「こいつら学校に忘れモンしたらしい。大事なモンらしくてな。俺も一緒についていくから、ここを通してやってくれ」

 嘘をついて三人を校内に引き入れた。


 綾南、灰本、鳥羽、沼場は勝石高校敷地内へと踏み入った。

 朝の学内に人の姿が見られないのは、高校の日常しか知らない綾南にとって新鮮だった。

 校内を歩きながら、灰本が話した。

「ところで了。本当に校内から証拠品なんて出てくるのか? もう警察が調べてるし、それに犯人が隠蔽しちまった可能性もあるんじゃないか? もう岡島の事件から4日だぞ」

「いや、『凶器』にする重要なモノが出てくる可能性は高いと思う」

「は? なんでだ?」

「真意ちゃんが襲われたから、だな? この学校内で」

 沼場が綾南の意見を汲んだ。

「ん? なんで真意ちゃんが襲われたら、学校に凶器や証拠があることになるんだ?」


「真意を襲った人物が、岡島を殺した犯人と同一人物だったら、と考えれば。――俺と真意は昨日の朝、この高校で『岡島殺しの凶器や証拠品』を探していた。そして、その真意が襲われた。つまりそれは、犯人には、真意を殺してでも隠したい秘密があったってことだ。だから、やはり学校には犯人に繋がるなにかがある」


「ああ、なるほどな」

 灰本は納得した。

「でも、了さん。それなら、真意さんに何か見たか訊けばいいんじゃないですか? 真意さんが襲われたのは、犯行に繋がる何かを見てしまったからですよね? なにを見たのか真意さんに聞けば――」

「……」

「ああ、それは了には無理だな」

 何も言わない綾南の代わりに灰本が話した。

「え。なぜですか?」

「了は家族や身内に甘いからな。襲われた恐怖を思い出させるようなことを真意ちゃんに聞けなかったんだろ」

「…………」

 その通りなので、綾南は何も言わない。無表情に校内を見回しながら、歩くだけ。

 沼場が話す。

「まあ、真意ちゃんには、もう警察が事情聴取してるんだがな。――ちなみに事情聴取を行った吉家の話しでは、真意ちゃんは特に犯人につながるものを見た覚えはないらしい」

「ああ、そうなんですね。じゃあ、一体何を見たから真意さんは襲われたんでしょうか?」

「それを今日、探すんだ」

 綾南は行動の指針となる言葉を告げる。

「俺たちは昨日、真意がめぐった場所に怪しいものがないか徹底的に調べるんだ」


 AM8:34

 昨朝、真意が見回った場所は意外と広範囲だった。

 聴取した吉家の話しでは、真意が歩いていたのは、西校舎周辺、南校舎周辺、体育館周辺、東校舎周辺、体育倉庫周辺、グラウンド周辺――というかほぼ学校の敷地内全域だった。

 真意、あいつ証拠探しとか云々よりダイエットのために意味もなく歩いていただけじゃないだろうな――と綾南に思わせるだけの範囲だった。


「ちと捜索範囲が広いな。あんまり長時間忘れ物を探していたら、外のしたっぱ共も怪しむだろう。二組に分かれた方がよさそうだな」

 沼場の意見に、綾南は嫌な記憶がフラッシュバックした。

 ――昨日は二手に分かれたがために、真意は襲われたのだ。

 だが、

「その方がいいでしょう」

 綾南は分散する意見を肯定した。

 今日、学校は立ち入り禁止になり、敷地周りを威圧的なパトカーと制服警察官が見回っている。犯人が襲ってくる可能性は皆無だ。それに、今日は四人いる。二人ずつに分かれれば、襲われたとしても安全面で不安はない。撃退できるだろう。――自分の嫌な記憶で、捜査効率を落すわけにもいかない。

 だが、問題は――

 ――誰と誰が組になるかだよな……。

 綾南は、組みたくない人物が一人だけいた。


「よし。んじゃ、じゃんけんで決めるか。俺としては生意気な悪友やムサイおっさんより、かわいい女の子と捜査したいところだが……ここは平等に決めてやるよ」

「おい、不良青年。俺のことを『ムサイおっさん』とか言ってんじゃねぇよ。――だが、じゃんけんは賛成だ。無作為だしな」

 嫌な予感がした。




 AM9:01

 綾南と鳥羽は南校舎裏を見回っていた。

「…………」

「…………」

 無言で。

 綾南は警戒しながら、鳥羽は多少緊張しながら、辺りを見回しながら、ゆっくりと歩く。

「あ、あの……」

「ん」

 鳥羽は綾南に声をかける。

「真意さんは、……どうですか」

「…………おまえと真意って、知り合いだったのか」

 鳥羽は質問したのだが、綾南はさらに別の質問で返した。

「え。い、いえ、真意さんはわたしを知らないと思います。けど、わたしは知っていました。真意さんは美人だし、かわいいし、そういう風に有名だったので」

「そうか」

「それに、ですね」

 鳥羽は、恥じらうように話す。

「好きな人の、妹さんですから……気にはなります、よ」

「……そうかよ」

 思えばこの場所は、岡島が殺された日に綾南が鳥羽から告白を受けた場所だ。

 あの時は、ここのすぐ近くで殺人事件が起きるなんて想像もできなかった。


 綾南は、進行方向正面を見据える。

 南校舎裏をまっすぐ進み、体育館裏を突きぬけて、そのつきあたりを曲がった場所。

 そこに体育教員室の扉がある。その中で、岡島の死体は発見されたのだ。


「了さん」

「ん? なんだ鳥羽」

「さっきの質問に答えてもらっていません。真意さんは、どうなんですか」

 綾南は鳥羽の意向が分からない。

 これらの言葉は、ただ場を持たせるための会話として話しているのだろうか。それなら、もっと別の選択肢があるだろう。それとも、本当に真意の容体が気になっているのだろうか。

 わからない。

 そこで綾南は考え込むのをやめた。

 ――あれほど人の心はわからないと考えていたのに、また考えている。

 いま大事なのは、鳥羽のことよりも、岡島を殺した犯人に繋がる証拠を見つけることだ。

 だから、この会話を切り上げることにする。

「大丈夫だよ。命に別状はないし、後遺症もない。今日にも退院できる。――ただ見ていて痛々しいだけだ」

「そう、ですか……」

 鳥羽は呟き、視線を下に向けた。

 やはり、綾南には鳥羽のことはわからない。

 だが、やはり、独りで考えていても、それはいつもの思考を繰り返すだけ。

 岡島殺しの犯人を特定するために――この鳥羽が綾南を恋愛対象として利用しているように――綾南は鳥羽を推理の幅を広げるために利用することにした。


「鳥羽、女子特有の『凶器』と言ったらなにか思い浮かぶか?」

「女子特有の……ですか? どうゆうことですか? わたしは事件について大まかなことしか知らないので……了さんの質問の意図が分からないのですが……」


「ああ、すまん。説明するとだな――俺は岡島を殺したのは『岡島に脅されて恨みを持っていた生徒』だと考えているんだ。岡島の死体は、首を絞めた『真の凶器』を隠すため首の皮膚が切り裂かれていたんだ。――それで、その『凶器』は、鳥羽、お前だったらどんなものだと思う? 女しか思い浮かばないものというのがあるかもしれないだろ」


 本来、いつもの事件だったら、この手の質問は妹の真意にするところだが、今はいない。

 無いものねだりしても仕方ない。そもそも、別に誰に聞いたところで、変わらない。

「そうですね……」

 鳥羽は少し、考える。

 そして、呟くようにいう。恥ずかしがるように。

「ぶ、ブラ……」

「は?」

 綾南は聞き返す。よく分からなかったのだ。

「ブラですよ……。ブラジャー。……女性用の胸に着用する下着」

「あ、ああ」綾南は気抜けした声を出す。

「ブラなら脱いでホックを外せば、なかなかの長さになります。昨日、了さんもわたしのモノを見――」

 そこで一瞬、鳥羽綾糸は言葉を切った。急激に顔が赤くなったが、続けて話しだした。

「――たと思いますが、フロントホックなら背面の『ひも』部分が首に巻き付けられますし、胸のカップを掴めば力強く締められると、思います」

「な、なるほどな」


 やはり、と綾南は確信する。

 この鳥羽綾糸は頭がいい。

 普通の思考ではたどり着かないその先に、考えを進められる。

 実際、『岡島に脅されていた女子』というその凶器が不自然にならない理由まである。

 さらに殺人は『突発的』だったという綾南の推理にも当てはまる。


「でも、それは違うな」

 だが、綾南は否定する。

「その、『ひも』部分は細いからな。太いモノもあるのかもしれないが……。――岡島の死体写真では、首はかなり大きく切り裂かれていた。何度も何度も。――『凶器』がもしもブ、いや、下着……、だとしたら、もっと切り方は少なくていいはずだ」

 綾南も女性用下着の名称を口にするのは、さすがに胆力が必要だった。てか無理だった。

「そうですね。それに強度という点でも、疑問が残ります」

「だから、岡島を殺した『凶器』は、もっと太いモノのはずだ」

 それに凶器が下着だった場合、今現在――綾南、鳥羽、灰本、沼場の四人はそろって下着を探していることになる。――とんだ変態集団だ。

 それに、殺害に使用した下着を校内に隠すだろうか?

 いや、体育会系の部活に参加している生徒は、自身の部室のロッカーに隠せるかもしれないが、家に持って帰ればもっと安全で――いや、家族に殺害で『変形した下着』を見られる可能性があるのか。ならば校内に隠すという手段も……いや、だから下着は凶器ではないのだ。

 そもそも、外を探していた真意が襲われたのだ。

 ならば、何らかの『証拠』は屋外にあるということになる。

 そこまで、綾南が考えたところで――

「あ、あの、」

「ん?」

 鳥羽が話しかけてきた。

「了さんが、やはり下着が怪しいと思われるのならば、調べるために、参考に――」

 綾南は気がついた。だが、鳥羽の言葉は止まらない。

「わたしの下着を、お貸しいたしましょうか?」

 灰本と沼場が角を曲がって南校舎裏に侵入してきたことに、綾南は気がついた。

 鳥羽も気がつく。その顔が絶望と羞恥に染まる。

 灰本と沼場の二人は、綾南を死んだような目で見つめていた。

 四人は合流した。

「…………」

「…………」

「…………了。おまえとんだ変態だな」

「…………綾南。そういうのは帰ってからにしろ」

 灰本と沼場、二人の綾南に対する印象は、最悪に終わっていた。

 綾南は、げんなりした。



 AM11:06

 綾南一行は、沼場の提案で定食屋に来ていた。

 まだ昼前なので、店の入りはまばらだ。


「まさか、何も見つからねえとはな。――まあ、すでに警察が調べているし、始めからダメモトだったが、心理的に堪えるな」


 沼場は愚痴りながら、テーブルに出されたお冷を口に含む。

 ――結局、綾南たちの『証拠探し』は無意味に終わった。

 学校の敷地内を、真意が歩いた場所を探したのだが、なにも見つけられなかった。

「昨日、了がとび蹴り喰らわせる前に、もう犯人は『証拠』を回収してたんじゃないか?」

 という灰本の意見だったが、綾南は腑に落ちなかった。

 顔をしかめる綾南に、沼場が話した。

「なら、いったいなんで真意ちゃんは襲われたんだ? 綾南、なにかわかっていることや思いついていることはあるのか?」

「……いいえ、それは、まったく。残念ながら。真意を襲った奴の考えは、その犯人にしか分からないですよ」

 綾南は鳥羽に視線を飛ばすと、鳥羽は、

「……そうですね」

 と答えた。


「それでも、了。真意ちゃんが襲われた時に、その『犯人』を目撃したんだろ? なら、なにか感じるところがあるんじゃないか?」

「いや、わからないよ。背格好くらいだ。犯人はフードを深くかぶっていたから顔は見えなかったし、真意を助けるのに一杯いっぱいだったからな」

「そうか」

「…………だが、それ、変だよな」

 沼場がぼやいた。

「ん? 沼場のおっさん、どうした? どこが変なんだよ?」


「犯人は、岡島殺しの証拠隠滅のために学校に来たはずだろ。それなのに、だ。――フード付きパーカーなんて格好は目立つじゃねえか。『大路美沙子の件』と同じだ。矛盾している。犯人が『岡島に脅されていた生徒』なら制服を着てくればいいだろ。もしくは体操服とか。――校内をそれ以外の服装で歩けば、当然人目を引く。なんでそんな服装を――」


「おっさん。鈍いにも程があんぜ。……朝の学校だったから、目立つとか関係ないだろ。人目につかないどころか、まず人目がないんだから」

「それは、そうなんだが……なんかひっかかるんだよな……」

 そんな沼場に、綾南は導くように話す。

「沼場さんの考えもわかります。ただ、これは犯人の『嗜好』の問題ですよ」

「ん? 嗜好?」

「はい。犯人がその格好を好んだということです。それぞれに利点がありますから」

 綾南に視線が集まる。そして彼は話す。


「制服で校内を歩けば、もちろん目立ちません。ただ、もしも犯行にかかわるような『証拠』を処理している時に誰かに見つかれば、それは『決定的な証拠』になります。自分が犯人であると、その『姿』と『行動』で証明しているわけですから」

 綾南は一度、水を飲み、続けて話す。


「でも私服なら姿を隠せます。誰なのか解らなくさせることができます。証拠を処理しているのを誰かに見られても、『行動』だけで『姿』は隠されているのでわかりません。見られても逃げればいいわけです。ただやはり、目立ちますけどね。――恐らく犯人は、それを考慮して、後者の『私服』を好んだんでしょう」


「なるほどな。全てを失う一瞬を生むよりも、リスクヘッジを選んだってわけか」

 沼場は納得した。

 だが、言いながら、綾南了は違和感を覚えていた。

 犯人は、岡島の首を切り裂いて絞殺痕を隠滅している。だが、首を切り裂くには、時間がかかる。『現行犯』で首を引き裂くところを見られる危険性が上がる。

 それは、前者である『制服』の行動心理だ。後のために『一瞬』の危険を冒す。

 しかし、真意を襲った犯人は『私服のパーカー』だった。

 沼場の言ったようにリスクを分散するスタイルだ。

 綾南自身も、証拠隠滅のためなら前者『制服』の方が、実はリスクが少ないと感じる。

 犯人の狙いはどこか、別にあったのではないか。


 ――『私服』を着る利点とはなんだ?

 姿を見られてもバレない。――現行犯でも『姿』はバレない。

 それはまるで、――証拠隠滅なんてことより、真意を襲うための服装であるかのような。

 もしくは、――いや、やはり、岡島を殺した『犯人』と真意を襲った『犯人』は……



「そうだ。綾南。……岡島の殺害事件についてなんだが……」

 沼場がためらいながら話した。その言葉で綾南は思考の迷路から現実に引き戻された。

「はい、なんですか。沼場さん」

「いや、これは警察内でも、揉めていてな。――違うな。見解の相違、とでも言うべきだろうか……聞き流すくらいの気持ちで聞いてくれればいいんだが……」

 沼場は言い渋る。それは、信頼できる情報ではないから、ということを綾南は読み取った。


「――岡島の死亡時刻が、はっきりしないんだよなぁ」


「へ? どういうことですか? 資料にはちゃんと『午後6時ごろ』って……」

「んー。いや、それで正しいと思うんだ。てか、それが正しいとはずなんだが。……だが、鑑識課の内部……一部で『死亡時刻は特定できない』って意見が出ていてなぁ……」


「どういうことですか?」

 綾南が訊くと沼場は渋い顔をして話す。

「死体を検視した結果わかったことなんだが、岡島は翌日に人間ドックを行う予定だったらしくてな、絶食していたんだそうだ」


 綾南は、思い出した。

 岡島が殺された日、体育の授業中。

 綾南は岡島に怒鳴られた。が、クラスメイトの体育委員から「岡島は明日検査で食事抜いているから機嫌が悪いんだ。気にすんな」と慰められたのだ。


「つまりな。絶食していたということは、胃の内容物が検出されない。よって食事の消化具合などから死亡時刻の特定できなかったんだ」


「でも、沼場さん。死亡時刻を推定する方法は他にもありますよね?」

「ああ、その通りだ。――死亡推定時刻はあらゆる方法から割り出せる。死後硬直の状態。死斑の有無。体温の変化――ああ、これは時間が経ちすぎるとわかんないらしいんだが、遺体の肛門に体温計を突っ込んで調べるんだ。体温というより体内温度ってのが正しいな。おっと、話が逸れたな。とにかく、主に死後硬直の状態から『6時ごろ』ってのが岡島の死亡時刻だとされてんだ」


 沼場は、頭を抱えるように話した。

「だけど、鑑識の若くて熱いヤツがなぁ、それは納得できないって文句を――」 


 そんなところで……


「お待たせいたしました。日替わり定食でございます」

 店員が定食を四膳、次々と座席に運んできた。


「いったん話はおいとくか、食うぞ。――いただきます」

 沼場は手を合わせて、箸を割ると、肉の炒め物に箸を伸ばした。

 綾南と灰本も続いて食べる。綾南は味噌汁に手を伸ばし、灰本は漬物を口に運ぶ。が、

「綾糸ちゃん。食わねえの? ここ沼場のおっさんの奢りだから気にしなくていいんだぞ?」

 灰本が声をかけた。

「あ、いえ。食べます。……はい」

 綾南の隣のイスに腰掛ける鳥羽の箸は、止まっていた。

 目の前の定食をただ、憎らしげに見つめていた。

 綾南は気付いた。

 普通の女子が、この会話を聞いた後に食うのは辛いだろう。刑事の沼場が熱烈と死亡解剖について語り、『肛門に突っ込む』なんてワードまで出たのだ。――そりゃ食欲もなくなる。

「鳥羽、無理に食わなくていいよ。――灰本の顔がブサイクだから対面に座られて、気分が悪くなったんだろ」

「はぁ!? んな訳ないだろ了! 俺、結構イケメンだと自負してんだけど」

「……それはお前の妄想だ」

「ひでえ」

 その応酬を聞いた鳥羽は、笑った。

 綾南は、鳥羽が笑ったのを見るのは久しぶりだと思った。まだ出会って、数日しかたっていないというのに。――彼女が笑うのを見るのは、なぜか懐かしく感じた。

 


 鳥羽は昼食をあまり食べられなかった。その日替わり定食は半分以上が残されていた。

 それを見た沼場の「俺が奢ってやるんだから御残しは許しません」宣言によって、綾南と灰本が、鳥羽の残り半分以上を食すことになった。




 PM0:02

 昼食を済ませた一行は解散することになった。

「俺は署に戻る。上がってきた報告書に新情報があるかもしれねぇしな」

「俺も家に帰る。昨日録画した深夜アニメが神回かもしれないからな」

 というのが理由だ。


 一方は真面目な理由で、一方はふざけた理由だが、灰本には事件解決に協力する義務はないのだ。

 引き止めることはできない。

 だが、灰本はそんな事を言いつつも、自身のみ知っている『窓口』から情報を集める気なのだろう――と、綾南は思っていた。灰本は真面目と思われるのを嫌うのだ。

 そんなわけで、一行は解散することになった。



「了さん。わたし達はこれからどういたしましょうか?」

「鳥羽。どうするもこうするも解散なんだよ。おまえも帰れ。なに自然なノリで家まで付いて来てんだよ」

 その鳥羽のあまりにも自然な足取りで、綾南は自宅前に着くまで「お前も帰れよ」という言葉が出なかったのだ。――どこかでツッコミをいれるべきだった。

 鳥羽の家もこちら方面なのかと思いきや、ただ綾南についてきただけなのだった。

「特にすることが決まっていないのであれば、提案したいことがあるのですが……」

 遠慮がちに声をかける鳥羽だったが、

「わたしに事件資料を見せていただけませんか?」

 内容は遠慮がなかった。


 綾南は、鳥羽の勝手さ加減に――いい加減にお分かりだろうが――げんなりした。

 近頃の綾南の『げんなり』はとどまるところを知らなかった。

「わたしに事件資料を見せていただけませんか?」

 鳥羽はもう一度、ハッキリと言ってきた。

「その理由はなんだ」


「わたしも事件の全貌を知った方がいいと思いました。今日は了さんに説明していただきましたし……。わたしが事件の内情を知っていれば説明の手間が省けるかと思いまして」


 綾南には、それを拒否する理由はなかった。

 鳥羽綾糸は、頭がいいのだ。

 事件資料を見せれば、綾南では考え至らなかった『なにか』を発見することがあるかもしれない。もしかすれば、それによって、『犯人』に近づけるかもしれない。

 綾南は事件を解決したいが、別に自身が解決しなくてもいいのだ。『名探偵』の名にプライドなどない。沼場が言ったように、事件が解決できるならば、プライドなどイヌにでも喰わせてしまえばいい。――そんな考えだ。

 だから、拒否する理由は思い浮かばなかった。

「……わかった」

「それではおじゃまします」

 綾南家の玄関扉が開いた。



 PM1:58

 自室に入って、綾南はイスに座って文庫本を読むフリをしながら、鳥羽が妙な動きをしないか常に観察していた。

 だがは、テーブルに置いた事件資料を読むだけで、先日のような変な行動はしなかった。先日の行動は、本人曰く「つい、魔が差して……」とのことだが、魔が差して布団の中に潜り込むという前科のある鳥羽を、綾南は家の中で自由にさせたくなかった。

 だが、しばらく鳥羽は資料を読むだけで何の反応もしないので、綾南は不審に思ってきた。

 長いこと何の反応もない鳥羽を見てみる、と。


「…………」

 鳥羽は静かに目をつぶって、座ったまま眠っていた。


 ………………おい。

 綾南は気が抜けた。

 スースー、と規則正しい静かな呼吸音だけが聞こえる。

 綾南は、鳥羽綾糸が本当に分からない。

 初対面でいきなり告白したり、信用を得るためにいきなり裸になり弱みを握らせたりと、鳥羽綾糸の行動は大胆不敵だ。度胸の塊、とでも表現できるかもしれない。

 だが、そんな事は、この穏やかな寝顔からは想像もできない。

 いや、だから、なのかもしれない。


 …………疲れてるのかも、な。


 大胆な行動は心身ともに疲労する。

 綾南は鳥羽を異常者だと思っていた。だが、同時に、普通の少女であるとも思う。

 気持ちが悪くなって昼飯を食えなくなったり、他人の部屋であるのに疲れて眠ってしまうあたり――鳥羽は普通の女の子なのではないか、と綾南はそう思えてきた。


 …………なんで、ここまでするんだろうな?


 鳥羽は真剣だった。

今日の捜査も、先日の事情聴取も、彼女は常に真剣で一生懸命だった。

 その理由に、綾南は一つだけ正解か不正解かもわからない答えを持っていた。

 …………俺のため、か?


「……ぁ………………さぃ……」

 鳥羽が、なにかを呟いた。

 綾南は耳をすませた。

「…………ごめ、さい……」

 鳥羽はもう一度言った。その言葉の切れ端でも、綾南には何を言いたいのか分かった。

 ごめんなさい、だ。――しかし、なぜ? 何に対してこの少女は謝っているのだろう?


 うなされているのは明白だった。

 彼女の寝顔には悲痛な色が見えた。

 

 そんな鳥羽を見るに忍びない綾南は

「ごほん。」

 と、咳払いをする。


 ハッと、鳥羽は音によって我に返った。徐々にうつむいていた頭が急激に上昇した。

 綾南はなにもないように、読書をしているフリを続ける。

「……あ、あの、了さん」

「ん? なんだ鳥羽」

「わたし、さっき…………いえ、なんでもありません……」

 そう言って、うつむいた。いや、資料に目を戻したのだろうか。

「そうか」

 綾南は読書をするフリを続けた。

「……………………ありがとうございます」

「ん? なにかいったか?」

 綾南は聞こえていた言葉を確認したが、

 鳥羽は「いえ、なんでもありません」と言った。



 PM2:42

 しばらくして、鳥羽は事件の捜査資料を読み終えた。

 それを告げるように、鳥羽は資料を封筒に戻した。

「了さん。事件資料を見せていただいてありがとうございました」

「別にいい。俺が自分で、口頭で説明するより読ませた方が効率的だ。楽でいいからな。――あとそれ、ここで読んだとか言うなよ、不正コピーしたやつだからな」

「わかりました。誰にも言いません」

「…………」

 鳥羽綾糸は、物分かりがよかった。

 綾南としては、自身がそうだったので、驚いたり呆れたりという反応を期待していたのだが、彼女はなんとも普通の反応をした。


 コンコン。

 部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「こんにちはぁ!」

 室内からの返事を待たずして、綾南の妹が元気に挨拶をしながら部屋に入ってきた。

「………………真意」

 綾南はげんなりしながら言う。


「わお。りょうくんが部屋に女の子を連れ込んでいる。これは大事件だ」


「あ、えっと、その、こんにちは」

 突然の入室者に鳥羽は戸惑いながら挨拶する。

「わざとらしいんだよ。真意。どうせ部屋の前で聞き耳立てていたんだろ」

「んん? そんなわけないじゃない」

 真意のとぼけるような反応から、綾南は真意が聞き耳を立てていたことを確信した。

 だがしかし、別に怒りはしない。部屋の中で怪しいことなど何もしていないのだから。

 別に責めるようなことではないのだ。怒るようなことではない。


「まあいい。――とりあえず言っておくよ。退院おめでとう」

「うん。ありがとうりょうくん。――で、そっちの子は……おっとっと、名乗るならば、自分からって大昔からのルールがあるわね」

 じゃ、あたしから名乗るわ、と真意は鳥羽に堂々と蛍光灯くらい明るい笑顔で話した。

「はじめまして。あたしはりょうくんの妹の綾南真意。よろしくね」

「も、申しおくれました。一年生の鳥羽綾糸です」

 鳥羽は、なぜか真意に緊張しながらそう答えた。


「かわいい子ね。――ねえ、りょうくんのコレ?」

 真意は綾南に小指を突き立てた。

 綾南は妹のセンスが四十代のおっさんと同様なことに、げんなりした。

「なにいってんだ。ちがうに決ま――」

「はい。そ、そうです」

 げんなり話す綾南に割り込んで、鳥羽が話した。



「今日は了さんの部屋にお招きいただいたので、()()()()()()におよんでいました」



 ……………………。

 綾南は固まった。真意も固まった。

 だが、綾南は身の潔白を証明するため、口を開く。

「と、鳥羽、おま、おまえ、何を言って」

「だ、だって、そうだった、じゃないですか……。了さんだって『自分でするよりいい』って言っていたじゃないですか? だから、わたし……」

「はぁ! いや、そんなバカな。おまえ、何を言って…………あっ」

 綾南は思い出した。――いや、やったことを思い出したのではない。


 言ったことを思い出したのだ。


「鳥羽。……真意は、いい」

「え?」

「事情を知っているから、隠さなくてもいい」

 先ほど、捜査資料の出所を誰にも言わないと、鳥羽は綾南に約束した。

 だから「ここで何をしていたか」を聞かれて「捜査資料を読んでいた」と答えてしまうと、真意に資料を不正に手に入れたことがバレてしまう。

 そこで、鳥羽はなにをしていたのかをごまかすため、嘘を話したのだ。

 先手を打ったのだ。 

 鳥羽綾糸は頭がいいのだ。


 それにしても――

「隠すにしても、もっと別のごまかし方があるだろうが……」

「だ、だって、……勉強を教えてもらっていた、というのも考えたのですが……わたし、勉強道具を持ってきていません。それに私服だから、学校帰りに寄らせてもらったという言い訳も通じませんし……」

 たしかに男子高校生の部屋に私服の後輩女子がいる理由など、ない。

 鳥羽の話した『理由』以外に納得のいく説明は無さそうだ。

 それに、鳥羽は真意が聞き耳を立てて部屋の様子を窺っていたことを知らないのだ。

 だが、


「うわぁ。りょうくん。……そんなことしてたんだぁ」

 真意は口元を押さえて、死んだ魚を見るような眼で言った。


「おい。真意、んなわけ――てか、おまえ知って――――――」

「後輩女子を部屋に連れ込んで、あんなことやこんなことするなんて、さいてー」

 真意は兄をからかうネタを手に入れて、口から漏れそうな笑いを必死にこらえて、美味しそうな焼き魚を前にしたネコのようにキラキラと輝かせた瞳で言った。




 PM6:56

 日が暮れてしまった。

「それではどうもお邪魔しました」

 鳥羽綾糸は玄関で、見送りに来た綾南に告げた。

「ああ、気をつけて帰れよ」

 鳥羽が資料を読み終えた時は、まだ日は高かった。

 だが、部屋に押し掛けてきた真意が鳥羽を気に入ってしまったため、


「きゃー! アヤシちゃんかわいい。あやしちゃんかっわいい」べったり張り付いて拘束して、

「いや、あの、その、わたしは、べつに、その、ふつうで……」鳥羽が戸惑うのをいいことに、

「ねえ、好きな食べ物は? スリーサイズは? カレシはいるの?」質問攻めにして、

「真意。セクハラやめろ。鳥羽も、素直に答えなくていいんだよ!」綾南が止めるも、

 真意は鳥羽を放さなかったので、こんな時刻まで引き止めてしまったのだ。

 

 ようやく鳥羽は帰路につく。鳥羽は靴を履く。

「真意さんは、いい人ですね」

「おまえはなにを言っているんだ?」

 その言葉をきいて、綾南は鳥羽の頭がおかしくなったのかと思った。


「いえ、真意さんがわたしの身体を触っていたのは、きっと了さんから、本当にいたずらをされていないか確認するためですよ」

「ああ、なるほどな。そういうことか」

 綾南は納得した。が同時に虚しくなる。――そこまで俺は、真意に信用されていないのか。

「でも、そんなのは、いらない心配ですよね?」

 鳥羽は綾南にほほえみかけた。

 ――しかし鳥羽は、どのような意味で言っているのだろうか?

 綾南が無理やり襲ってくることなど無いという信頼か。綾南になら襲われてもいいという信頼か。――わからなかった。しかし、問う気にもなれない。

 だから綾南は、そんな鳥羽に何とも微妙な顔をして応えにした。

「……あの、了さん」

 鳥羽が声のトーンを一つ落として、話した。

「……岡島先生を殺害した、『凶器』についてなのですが……」

「資料を読んでなにか気づいたのか」

 綾南は少しの期待と驚きを隠して、無表情で訊く。


 やはり――鳥羽は頭がいい。

 ……俺なんかよりも、よほど『探偵』向きだ。



「…………鳥羽?」

 彼女は何も話さない。うつむいたまま。なにか迷うように……

「…………あの、いえ、やっぱり、……なんでもないです。勘違いだと思います」

「そうか」

 そして、鳥羽は玄関扉に手をかけた。

「それでは、お邪魔しました。失礼します」

 扉が開く。そこに、綾南は声をかけた。

「鳥羽。……やっぱり、送っていくぞ?」

 もう日は沈んでいる。扉のむこうに見える外の世界は暗い。

「いいえ。構いません。大丈夫です」

「だが……」


 鳥羽は扉を閉めて、出ていった。帰っていった。





 PM6:58

「あれ? 綾糸ちゃんは?」

 廊下ですれ違った真意が聞いてきた。

「ついさっき帰ったよ」

「えー。もっと遊びたかったのにー」

「文句いうな。つーか、鳥羽からしたら、真意におもちゃにされていたって感じだけどな……。また今度遊べばいいだろ」

「ま、そうね。――ところで、おにいちゃん。綾糸ちゃんを送っていかなくてよかったの?」

「本人が大丈夫だって言うから、別にいいだろ。俺に自宅の場所を知られたくないのかもしれないしな」

「ふーん」真意は軽い返事をする、が――「でも、普通の女の子なら好きな男には家までエスコートしてほしいと思うんだけどな」と付け足した。

「鳥羽は普通じゃないから、大丈夫だよ。それに鳥羽が俺に惚れてるとか言ったか? あいつはただ事件に興味があって協力したいからって来たんだ。適当なこと言うな」

「えー。でも、多分そうだと思うんだけどなー。おにいちゃんのこと、大好きっぽいオーラが出てたわよ? 実は送ってほしいと思ってるわ。――あたし、そういうのわかるのよねー」

「それはお前の妄想だよ」

 そう告げてから、綾南了は自室に戻った。







 PM7:10


 やはりジョギングに行くことにした。


 綾南了は自室に戻って、ジャージを取り出して着替えを開始。

 綾南はランニングシューズをこよなく愛する男だ。

 だから、そんな綾南がランニングに行くのは、自然の流れだ。

 別に妹に言われた言葉を真に受けたわけではない。

 わけではない。


 だが、そのランニングの最中に帰宅途中の鳥羽に出会ってしまっても、それは偶然といえるであろう。自然な偶然である。


 そんな考えで、綾南はシューズを履いて家を出た。


 夜の暗い田舎道を颯爽と走る。

 一般に走者は歩行者と比べると、その速度は3倍ほど。

 偶然に鳥羽がこの道で帰宅していれば、偶然に合流してしまうかもしれない。

 綾南は別にスポーツマンという訳ではないので、鳥羽に追いついたあたりでスタミナ切れによって走行から歩行に切り替えても、不自然ではない。

 そう考えて、綾南は走る。

 軽快に。

 タッタッタッタッタッタ――リズムよい駆け足。



 人影をとらえた。

 まだ遠いが、街灯と街灯の間に人がいる。

 綾南はそこまでペースを乱さずに駈けてゆく。

 だが、近づくにつれてそれは鳥羽ではないと思えてきた。


 どうやら二人いる。


 さらに近づいてゆくと、薄暗いシルエットが見えてくる。

 その輪郭では、二人は向かい合っているように見えた。

 1人はもう1人の肩のあたりに手を伸ばしている。

 ――ああ、これは、お茶の間が凍るTVドラマのワンシーンだ。アレだ。

 そんな恋人達を見て、綾南は道を変えようかとも思ったが、田舎なので道は多くない。都合のいい脇道など無い。


 ――ならば、ペースを崩さずに、自然と通り過ぎるのがマナーだろう。

 綾南はそのまま走る。ジョギングペースを維持したまま。

 だが、緩走で進むたび、その人影はハッキリしてくる。


 肩の辺りに手を伸ばされている――行為を受け入れる人物。

 その人物は、鳥羽の着ていた服によく似ている服を着ていた。



 白のブラウスに、赤いスカート。

 それは鳥羽の着ていた服装だった。



 それは鳥羽綾糸だった。


 ――あいつ、本当は彼氏がいたのか。だから俺に送らなくていいと言ったのか。

 ――俺に好きとか言ったのは、やはり何かの勘違いで……ん?




 一瞬、裏切られたような気分になる綾南だが、近づくにつれて違和感が加速度的に増す。


 違和感。


 鳥羽に手を伸ばす人物は、雨も降っていないのにパーカーのフードを深くかぶっている。

 見つめ合っているように見えるのに、その行為に至らない。

 よく見ると鳥羽の足は地面についていないようにみえる。

 その手は、鳥羽の肩ではなく――首に伸ばされていた。



 鳥羽綾糸は首を締めあげられていた。



「なっ! おい。――とばぁああああああああああああああああああああああぁ!」


 綾南は吼えた。

 ――緩走から全力走に。

 十数メートルの距離を駆け抜ける。


 綾南の叫び声で、暴行犯は綾南に気がついた。

 首を絞めあげていた鳥羽を突き飛ばし、逃げの一手。

 綾南の逆方向に駈け出した。

 綾南は犯人を追いたいという葛藤があったが、迷わなかった。


 そんな事よりも、大事なことがあったから。


「鳥羽っ! 大丈夫か」

 倒れる鳥羽に駆け寄り、綾南は無事を確認する。



「かはっ……、りょ……さん……」

 鳥羽は意識があった。

 首を絞められ、血流の循環不足と呼吸困難の症状で皮膚が真っ青だったが、意識はある。

 一応、脈と呼吸を確認。――呼吸はまだ少々不安定だが、脈は激しい。


 命に別状はないだろう。


 それを確認した綾南は、

「あの野郎!」

 犯人を追いかけようとする。


 だが、しかし、

「ま、……っだ、まっでください」

 綾南の腕が掴まれた。――少し動けば振り払えるほど、弱弱しく。


「鳥羽……」

 目に涙をためながら、必死に縋っていた。

「お、……ねがい、です。……い、いかない、で、ください」


 綾南は今の鳥羽の気持ちが理解できないほどにヒトデナシではなかった。


 だが、ここで犯人を捕まえなければ、また被害者が出るかもしれない。


 それがわかっていても、綾南は動けなかった。


 きっと鳥羽は怖かったのだ。


「…………わかった」

 綾南は、げんなりと言った。


 ――仕方がない。

 いまから犯人を追いかけても、捕まえられる可能性は低い。

 綾南一人では、返り討ちにあう危険性も無くはない。

 それに、こんな鳥羽を置いてもいけない。

 ――本当に仕方がない。

 綾南は、暴力によって傷付いた少女を優しく抱きしめて、頭を撫でてやった。

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