明暦の残り火①
「振袖火事の本物……ですかぁ?」
怪異管理局の応接室。 背の低い机を挟んで県庁の人間達を見ながら深山仁は彼らの話を聞き返した。
「ハイ、とある大学の民俗研究を行っている教授が振袖火事と呼ばれる着物を発見したとの話がありまして」
「その様な話、私は聞いてないけど……深山は?」
深山仁の隣に座っている賀茂小夜が聞いてくる。 本来であれば賀茂小夜とその上の人間が対応すべきだと思うのだが、何故か下っ端である自分がこの場に呼ばれていた。
「私もその様な話は聞いてませんねぇ。 こう見えて新聞とニュースの確認はかかしてないのですがぁ」
深山仁のその言葉を聞いて県庁の人間が机に拳を叩きつける。 鈍い衝撃が部屋の中を満たす。
「そんな事を公表できるわけが無いでしょう! 振袖火事が存在するなどと知られればこの街は終わりだ!」
隣にいる気の弱そうな新人は怒気を隠そうとしない上司を宥めようとしていた。
深山仁はその様子を静かに見つめていた。
「そ、その振袖火事というものがなんなのかは本官には分かりませんが、そこまで怒らなくとも」
そう言いながら宥めようとするが上役の人間に油を注ぐ形になってしまった様だ。 上司らしき人物の口からは「そんな事を言っている場合か!?」とか「ふざけるな!」と言った言葉が矢継ぎ早に出ている。
「振袖火事について知らない人もいる様なのでまずは認識合わせがてら説明しましょうか? 賀茂係長」
「それもそうね。 ……簡単に説明しますが振袖火事と呼ばれる着物は呪いの着物です。 二人の年若い娘を呪い殺し、江戸を火の海に変えた呪物です。 現在ではその火事は明暦の大火と呼ばれています」
「そんなものが今この街にあるというんだぞ! この街が火の海になるかもしれないだなんて冗談じゃない!」
この時になって漸く事の重大さを新人らしき県庁の人間は理解した様だった。
「明暦の大火の死者は三万人から十万人ですね。 日本史の中でも稀に見る災害ですねぇ。 ……これ現代だとどれくらいの被害者が出るんだろ?」
江戸時代は木造建築が主であり、そのせいで火事が広がりやすいと言われている。
現代はコンクリート建築が殆どだが車やガソリンスタンドなど燃えたらまずいものが至る所にあるためどちらの方が被害が大きくなるか、深山仁は検討が付かなかった。
そんな事を考えながらデリカシーのない言葉を呟いたせいで部屋の人間からは冷めた目で見られるが深山仁は気にしないことにした。
「それで、その話を我々にした理由は、件の教授へ説得をお願いしたいということでしょうか?」
県庁の人間は賀茂小夜の言葉に答えず口籠る。 しばらくして意を決した様に口を開いた。
「……振袖火事を、祓って頂きたい。 警察にも、大学にも知らせず秘密裏に」
「ふざけないで!」
今度は賀茂小夜が怒気を露わにして一喝する。
「許可を得て無いものを祓えだなんて私達を犯罪者にするつもり!? どんな呪物であろうと人の物であるなら貴方達が持ち主を納得させてから私達に話を通すのが筋でしょうが!」
「我々も既に警察や大学には話したとも! だが、大学側の見解では危険性は極めて低いと言って取り合ってもらえない。 警察では確実な情報が無ければ動けないと言っている。 時間を掛ければ進展するかもしれんが、もし本物だとすれば手遅れになるかもしれない!」
「大勢のために犠牲になれと言っているのですか!」
「……そう言っている」
「あ、貴方……! この件は公式に抗議させて貰うわ! ふざけてる!」
県庁の人間も賀茂小夜も睨み合いお互いに譲らない。
正直、深山仁は両方の感情や言い分に納得していた。
もし振袖火事が本物だった場合、犠牲者は万を超えるかも知れない。 それだったら怪異管理局の人間が数人、社会的に死んだ方がマシだと自分ですら思っている。 その社会的死を味わう事になるのが自分だとわかっていてもだ。
逆に賀茂小夜の性格上、自分の部下を犠牲にする様な行為は許せるはずもないし、理不尽な行為には断固として抗う。 そんな人物だと深山仁はよく理解していた。
「まぁ、数日様子を見ましょう。 今回の事は我々も聞かなかったことにしますから。 ほら、お互い距離をとって冷静になる必要があると思いません?」
深山仁はお互いの組織を取り持ち場を宥めていく。 ひとまずはその場では解散とし、後日改めて話し合いの場を作る運びとなった。
皆が先行きの見えない問題に頭を悩ませており、目線はその意思を表すが如く揺らいでいた。 そんな中、深山仁だけが真っ直ぐとした瞳を携えて部屋を出た。
ーーーー深夜。 この街は静まり返っていた。 都会の街とは違い、夜になれば店や民家は灯りを消し、住人達は眠りに就く。 まばらな電灯を頼りに一人の男が大学の敷地前に立っていた。
後日、数日間に渡って賀茂小夜と県庁では電話でのやり取りをしていたが結局は平行線だった。
その間、深山仁は引き継ぎの資料の作成を済ませておいた。 現場での仕事が多いことが幸いし、引き継ぎの資料は短い時間で完成した。
そして賀茂小夜の机に退職願いを置いて深山仁はこの場に来た。
これからする事はどんな建前や理想で取り繕ってもただの犯罪行為である。
着慣れない真っ黒なコートを着込み直し、深山仁は大学の門を越え敷地内へと入っていく。
大学の敷地内までならば簡単に侵入出来るが建物内だとそう簡単にはいかなかった。
どの扉や窓も施錠されており、中へと入ることができない。
「建物と部屋はわかっているんだけどなぁ……」
件の教授を宮本明那に調べてもらっており、彼の研究室が何処にあるのか知っていたのだ。 彼女曰く、「名前が分かればこれぐらい簡単に分かる」とのことらしい。
「一応持ってきたガムテープで窓ガラスを割るしか無いのか……」
深山仁はテレビで見た防犯番組でガムテープ越しに窓を割ると音を抑えられるという内容を思い出し、この場に持ってきていた。
皮肉な事に防犯意識を高める為の番組は犯罪行為に利用される事になるのだ。
意を決して適当な窓にガムテープを貼ろうとした時とある事に気づく。 深山仁の頭上、3階の窓が開いている。
それを見て深山仁は口角を上げながら紙と麻紐を取り出し、それぞれに呪力を込めると紙と麻紐が姿を変える。 麻紐は縄梯子の形になり、その先端には紙で出来た百足が括り付けられていた。
深山仁は紙で作った百足の式神に指示を出し壁を登らせる。 式神は縄梯子を上に運びながら3階の窓枠までたどり着くとその場にしがみ付いた。
数分も掛からず、3階の窓へと続く縄梯子が完成する。
「フフフ、気分はルパン3世だなぁ」
そんな呑気な事を言いながら縄梯子に手をかけた瞬間、頬に不自然な微風を感じ、同時に機械の駆動音らしきものが聞こえる。
不意に音のする方向へと目を向けると一機のドローンが深山仁の顔の高さで滞空していた。
突如として深山仁のスマートフォンに着信が入る。 手に取ると、宮本明那からの着信であった。 嫌な予感をしながら電話に出る。
「……もしもし深山ですぅ」
「何を言ってるんですか? 貴方の名前はルパン3世でしょう? 調子はどうです。 ルパン3世? 元気にしていますか。 ルパン3世? いい歳して恥ずかしく無いですか。 ルパン3世?」
どうやらドローン越しに先ほどの浮かれ気味の独り言を聞かれていた様で盛大に揶揄われる。
「今の僕は自認ルパン3世だけど、後5分後には007になってるかもだよ?」
「な、なんて浮気性な先輩なの!? そうやって奈治巳ちゃんと私を毒牙にかけたのね!」
「オイオイ、僕がいつ君たちに手を出したっていうんだ!?」
「それだけじゃ無いわ! 土谷君にまで手を出してる事は賀茂係長もお見通しよ!」
「土谷は男でしょうが!」
いつもの漫才を終えると二人はお互いに笑い合う。 憐れにも頭のおかしい彼ら二人と親しい土谷大地と葉隠奈治巳は、二人の戯れに知らぬ間に巻き込まれ、幾度と弄ばれている。
「さて、どうして僕がここにいる事がわかったのかな?」
「フフン、ここ数日深山先輩のパソコンをハッキングしていたので、それで簡単に行動を読めましたよ。 私と同じ職場で働くという事は、銀行の口座番号から不倫の予定まで全てお見通しという事ですよ」
「コラコラ。 冗談でもそういう事は言わないの。 誤解されると大変なんだからぁ」
深山仁は優しく嗜めるが、宮本明那は返事をせず数秒無言になり、唐突に別の話題に移そうとする。 その不自然な間に深山仁は彼女の言った事が本当に冗談かどうか疑いたくなる。
「お目当ての研究室はカードキーで施錠されてますんでクラッキング出来るカードを渡します。 それを使えば研究室に入れますから。 あと、私とフリーハンドで話せる様にイヤホンマイクがあるのでそれ使ってください」
目の前のドローンの下部には小さなコンテナが取り付けてあり、中身を開けるとカードキーとイヤホンマイクが入っていた。
イヤホンを耳につけカードキーを受け取る。
「宮本さん、ありがとう。 ここから先は、まぁ……なんとかしてみるよ」
「私が出来るサポートは限られています。 ……もし本物だった場合は気をつけて下さい」
改めて宮本明那にお礼を言い、縄梯子を登る。 縄梯子を登るごとに身体は横に振られそうになるが、腹部に力を入れて手早く登る。
窓枠に手をかけ、大学の建物内へと侵入する事に成功する。
「一応知ってるとは思いますけど研究室は2階にあるので階段を降りて目的地へと向かって下さい」
「すごく今更なんだけど普通に入口の鍵とかは用意出来なかったの?」
「図々しいですね〜。 入口は物理的な鍵での施錠だったから用意する時間が無かっただけです〜」
「それもそうかぁ。 それじゃあ優秀な共犯者さん、ナビゲートよろしく」
その後も、先ほど付けたイヤホンマイクから宮本明那のナビゲーションが聞こえてきて、心強さを感じる。
宮本明那の案内通りに建物内を歩き、一つの部屋の前で足を止める。
この部屋こそが振袖火事の着物を手にしたと言う教授の研究室だった。
扉の横についているカードリーダーにカードキーをかざすと扉のロックが解除される音が聞こえる。
少しだけ早鐘を打つ心臓を宥めながら深山仁は扉へと手を掛けた。
扉を開くとまず目に入ったのは赤熱色の光であった。
最後のひと燃えの様な熱と、触れれば火傷では済まない様な赤の光が炎の様に揺らぎ、光の無い室内を僅かに照らしていた。
その光の出所に深山仁は目を離せない。
紫色の布地に菊の模様が入った着物は赤熱色ヒビが入っており、薄っすらと燃える様な光を発している。
その着物を着ているのは長身の若い女性だった。 艶やかな長い髪は赤熱色の灯りに反射して髪の毛の艶が揺れていた。
目の前にいる女性の形をした怪異こそ、数万人規模の死傷者を出した怪異、振袖火事そのものなのだと深山仁は直感したのだった。
生唾を一つ飲み込み、深山仁は部屋の中へと一歩足を踏み入れた。




