俺とじじいと西岡菊乃 上
俺の家に集まっての勉強会はあれから数度繰り返されたが、これと言った事件もなく期末テストを迎え、それも今日で終わった。俺の記憶が正しければ、そろそろ本編開が開始される頃だったと思う。確かこの後、帰り支度をしている俺に慎平が、話しかけてくるはずだ。
「鉄心、期末終わったし、駅で少し遊んでこうぜ」
そうそう、こんな感じで遊びに誘ってくるんだよ。だが、原作の俺はその誘いをバッサリ断る。理由は新作のギャルゲーをクリアしたいからとか碌でもないものだった。「じゃあ、〇〇ちゃん(ヒロインの名前)が俺を待ってるから」との台詞を残し主人公の前から立ち去る様はある意味男らしく。
その時の主人公の心理描写も覚えている。
俺の誘いを断り踵を返した鉄心はこちらを振り返らず、俺の前から立ち去っていった。その時の鉄心の大きな背中に俺は退かず媚びず顧みない漢の姿を見た気がする。哀れだ。おそらくこちら側には戻ってこれないだろう。
こんな感じだったと思う。気持ちは分かる。
当時、原作をプレイしていた俺はその姿に軽い畏敬の念を抱いたものだ。
絶対マネしたくはないがな。とはいっても、ここは断っておくのがベターだった。何故なら誘いを断られた主人公が遠藤ともに向かった先で新たなヒロインと出会う筋書きになっているからだ。俺がノコノコついていったのでは、その話に影響が出るかわかったものではない。原作など知ったこっちゃないが、それにこいつの人生まで巻き込むつもりはない。
「悪い、俺これから道場に顔出すことになってんだ」
なので、予め用意しておいた理由でやんわり断る。勿論、しっかりと体裁を考えたものだ。
用意していた理由とはいえ嘘をついた訳ではない。結構道場に顔を出していなかった時期が長かったので、いい加減に来いと、先日師範からの呼び出しをくらったのだ。
「そうか、そういえば創真館の爺さん元気なのか?」
慎平が言った創真館とは俺の通う道場の名前である。爺さんは師範だ。
「師範なら元気すぎて困ってる。あの妖怪爺が床に伏せったところなんて想像もできねえ」
戦時下に生を受け。今年82歳になる爺さんとは思えないハッスルっぷりだ。後100年は生きると、わりと本気で思ってしまう。
「強烈な人だよな」
「ああ……本当だよったく、ああ面倒くせえ」
やっぱり帰っていいだろうか。新作のギャルゲーが封を切られぬまま俺の帰りを待っているのだ。
「興味深い話を聞かせてもらったわ」
なんで、お前がここにいる?そして何ナチュラルに会話に参加してんだよ。
「ああ、西岡さん今帰り」
そしてお前もなに当たり前みたいに会話してんだよ。主人公。
「ええ、その前に鋼くんに正式に再戦の申し込みをしようと思ってね」
「ああ、そうなの?それじゃあ俺はそろそろ行こうかな」
待て、なんか碌でもないことになる予感がする。今俺を置いて帰るな。無責任だぞ主人公。
いや、お前との別行動を選択したのは俺だけど。ちょっと待って。お願い。一人にしないで。明日チュッパ飴買ってあげるから。
そんな俺の思いなど、慎平には伝わる筈もなく奴は悠々と教室を出て行った。
「それで、鋼君さっきの話なんだけど。私も同行してもいいかしら」
だが断る!などと言えたらどんなにいいだろうか。そんな事を言える勇気などはビタ一文持ち合わせていない。結局俺が出来る囁かな抵抗はといえばこんなことしか無い。
「いいのかよ。道場の娘が、他流派の道場に顔なんて出して」
「別に問題ないわよ。言ったでしょ、私には兄妹が多いのよ。それに実際に道場を次ぐのは兄さんや弟達だろうし。私は後継者としては育てられてないから基本放置されてるから」
「ああ……そう」
もう、好きにするといい。どうにでもなれ。なるようにしか成らない。流されるのもまた人生である。
ひょんなことから西岡と帰路を共にするというラブコメ染みた展開に発展した俺に突き刺さるこの視線はなんだろうか。
この種の視線は受けたことがない。
周りの奴らからは俺が黒髪の美少女を引き連れて町を闊歩している様に見えているのだろうか。そう思うと少し調子に乗りそうになる。しかし、現実は逆である。黒髪の美少女が犯罪者面の大男を引き連れているのだ。分かるだろうかこの微妙なニュアンスの違いが。因みに俺はちょっと顔が怖くて身体が大きいだけの普通の男子高校生である。ブサイクなどでは断じて無い。いいかもう一度言う。俺はブサイクじゃない。そんな事を思いながらなんとなく止めてあった車の窓を見るとヤクザが俺を睨みつけていた。なんかわかりませんけどすいませんでしたーー!慌てて目をそらせようとしてはたと気がつく。
何だ、自分の顔じゃないか。死にたい。
「何してるの?」
そんな俺の様子を訝しげに見る西岡の顔を見て切に思う。
「俺と顔、取り替えてくれない?」
「絶対に嫌」
ありがとうございます。泣いていいかな。
意図せず心の自傷行為を行った俺は、それからも懸命に歩き続け。西岡邸と近い構造をした建物の前にやって来た。やっとついた創真館。もう、ゴールしていいよね。
門をくぐり、道場へと向かうと、既に稽古が始まっていたではないか。
門下生達が、熱心に稽古をする中、上座に座り、その風景を眺めていた老人と目があった。
俺を見つけた老人が立ち上がり、近づいてくる。
「どーも、久しぶりっす」
俺の方から挨拶。目上の人間に対する礼儀だ。
「おお、鉄心やっと来たか……隣の娘さんはどなたかな」
「西岡道場の娘西岡菊乃と申します。学友である鋼さんが、こちらの道場で稽古をなさっているという話聞き及びました。未だ未熟の身なればこそ後学のために他流派の稽古風景を見学させていただきたく思い、鋼さんに頼み込んで連れてきていただきました。図々しいお願いだというのは百も承知でお頼み申し上げます。そちらの稽古を見学させていただけないでしょうか?」
誰だこいつ!?長ったらしい口上を述べた後、深々と頭を下げる西岡を見てまず思ったのがそれだった。
なんか、ちょっと面白い。俺が笑いをこらえて居るのを目敏く察知した西岡に腿を抓られた。痛い。
「ほほう、西岡のお嬢さんですか。別に、構いませんよ。なんら、自慢することのない道場ですが、それで良ければ好きに見てくれて構いません。そんなに畏まらずでも結構ですよ」
「ありがとうございます」
形式ばったやり取りを終えた師範は俺の方へと向き直る。
「お前はさっさと着替えてこい。どれだけ鈍ったのか見せてもらうぞ」
「了解。そういえば師範代は?」
「……食あたりで寝込んどるわい」
「じゃあ、誰が俺の相手を?」
「儂じゃ」
「帰ります」
そう言って背を向けた瞬間、俺の身体が宙を舞った。
「なんじゃ、儂が相手じゃ不満か」
しばしの浮遊感の後、ドサリと身体が地面へと叩きつけられる。
見るといつの間にか、俺の手が妖怪の手に握られていた。
「いきなり何しやがる。妖怪じじい」
「減らず口だけは相変わらずじゃな」
一連のやり取りを呆気に取られて見つめていた西岡だったがやがてぼそりと。
「何者?」
そんなつぶやきが聞こえたものだから、優しい俺は西岡に答えを教えてやった。
「妖怪じじいだ。って痛でで!ギブギブギブ!」
一見、普通に俺の手を握っている様にしか見えないのにメチャクチャ痛い。
器用に腕の関節を極めているのだ。
「いつまで寝とるんじゃ」
そう言って俺の手をぐいっと捻り上げる妖怪じじい。
「いででででで」
関節を決められたまま強引に立ち上がらされる。というより立たなかったら折れる。
「とっとと、お前は着替えて来い。」
そんな、声と共にようやく身体が開放された。
師範代が休んでいるなんて計算外だ。もう帰りたい。
いつもは爺さんの息子の師範代が練習を仕切っているのだが、師範代が体調を崩して居る以上、この爺さんが練習を仕切っている。
この爺さん、わかりやすく言うと達人である。どのぐらい強いのかというと人外魔境のご出身ですかと問いかけたくなったりならなかったりとか。
師範代も強いが、強さ的には人間の範囲内で許される。また、彼には俺と歳の近い娘と息子がいて共に武道をしているが彼らもまた人間味溢れる程度の強さである。
このじじいだけが例外で、その実力たるや某格闘漫画の登場人物達とも互角にやれそうな程である。
そう何人もこんな人外染みた人間が居てたまるか。
そんなじじいに捕まってみて下さい。俺じゃなくてもその日中憂鬱ですよ。
憂鬱な気持ちで道着に着替え、憂鬱な気持ちで扉を開く。更に憂鬱な気持ちで道場へと入り、極めつけに憂鬱な気持ちでじじいと向き合う。
「おねがいします」
一度礼をするとじじいも礼を返してきた。
ここまで来たら後には引けない。やるしか無いならやってやる。あたって砕けろだ。
自分を奮い立たせた俺は妖怪じじいに勇ましく突撃していった。
結論から言おう。稽古中ずっと投げられ続けた。もう、描写も面倒なくらい投げられ続けた。蹴りを出しても拳を出しても組み付いても投げられ続けた。その時の状況を一言で表すと、パン生地、である。
まあ、ガス抜きになったのは目の前の妖怪じじいのほうだろう。人のことブンブン振り回しやがって。
これは青春ラブコメなんだよ。バトル物じゃないんだよ。