冬祭り
船の建造が始まって四ヶ月目。
冬が深まり始めた頃、港町ポルタに小さな鐘の音が響いた。
――冬祭りの始まりを告げる音だ。
港の通りには紺と白の布旗が掲げられ、屋台では熱いスープや焼き菓子の香りが立ちのぼっている。
雪は粉のように静かに舞い、海沿いの篝火が赤く灯っていた。
「ルーナさん! 始まったんだって!」
「わぁ……! 綺麗……!」
ティノが駆け寄り、ルーナは思わず息を呑む。
港町全体が冬の魔法に包まれていた。
「冬祭りはな、航海の安全と豊漁を祈る祭りなんだ」
「危険な海に挑む者に、あたたかな願いを送る日なのさ!」
エルザが胸を張り、ティノもうなずく。
「……父さんたちも、生きてた頃はいつもこの祭りを大好きだって言ってた。オレも、今年は絶対笑って参加したかったんだ」
ティノの笑顔は以前よりずっと強くて、すこし誇らしげだった。
屋台をめぐる一行は、まずホットミルクのポットを抱えた店に立ち寄った。
「港町に来たらこれを飲んでおかないとね!」
「お嬢様、こぼさぬようお気をつけくださいませ」
「ナミったら、わたしそんなに不器用じゃないわよ~」
ルーナが笑顔でカップを受け取ると、湯気の向こうでアルスが尻尾をぱたぱた揺らしている。
『ぼくも飲みたい~!』
「はいはい、あとで温かい魚のスープをあげるからね」
アルスは一瞬で機嫌を直し、ぷかぷかと雪の中で身体を揺らした。
雪も寒さも、祭りの熱に追いつかないほど温かい時間が流れていた。
「みんなー! 凍った桟橋で渡り歩き勝負やってるのさ! 行こーっ!」
エルザの呼びかけで一同は海沿いの桟橋へ向かった。
そこでは薄く凍った板橋の上を走り抜ける競技が行われており、観客の歓声が上がっている。
「面白そう! 出てみようかしら?」
「お嬢様、転倒の危険が――」
「ナミは心配しすぎよ! ちょっと行ってくる!」
ルーナが意気込んで走り出すと、ティノも目を輝かせた。
「オレも出る! こういう走るやつ、得意!」
「負けられないのさ! いってやる!」
そして――
◇一番華麗な滑走:ルーナ
◇一番スピード感あふれる走法:エルザ
◇一番バランス力に優れた選手:ティノ
三人がそろってトップ争いを繰り広げる展開となり、観客から大喝采を浴びた。
「おまえらサイコーだ!」
「なんだよあの息ぴったりの連携!」
ルーナとエルザとティノは肩で息をしながら、互いに顔を見合わせて笑う。
「すごいわ、二人とも!」
「ルーナさんが一番すごい! 最後のステップ、真似できなかった……!」
「三人とも最高だったのさ! だってあたしたち仲間だもんな!」
雪の上で肩を組む三人を、ナミは誇らしげに見守っていた。
日が沈む頃、海辺の広場で「願い火」の儀式が始まった。
木の灯籠に火を灯し、海へと送り出す風習だ。
「願い火は叶えたい願いの象徴なんだって」
ティノの説明に、ルーナはそっと灯籠を両手で受け取る。
「願いって……ひとつだけ?」
「ひとつだけ、らしいよ」
静かな波音の中で、仲間たちはそれぞれ灯籠に向き合った。
エルザは、胸の前でぎゅっと灯籠を抱く。
「おじいちゃん、あたし……絶対証明してみせるからな」
ティノは、光貝のネックレスに触れながら。
「父さん、お母さん、ミナ……オレはちゃんと前に進んでるよ」
ナミは目を閉じ、深く祈るように。
「ルーナお嬢様が迷わず進めますように」
アルスは灯籠に口先を寄せ、海風を頭の噴気孔で吸い込む。
『ルーナと、ずっと旅ができますように』
そしてルーナは――灯籠を抱き、胸の奥が暖かく締めつけられた。
(わたし……どうして海に行きたいんだろう?)
(アルスのため――だけじゃない)
(仲間と一緒に見たい世界がある。それを、絶対に自分の目で見たいんだわ)
その想いを灯籠に込め、静かに海へ放った。
白い波に揺られ、五つの灯籠が寄り添うように夜の海へ流れていく。
まるで――仲間の未来を照らす五つの光のように。
願い火の儀式が終わると、港のざわめきは不意に変わった。
それまで屋台の声が主役だった広場に――低く響く太鼓の音が重なる。
ドン―― ドン――
雪の夜を震わせるような、鼓動にも似た重い音。
「……なんだろう?」
「祭りはまだ続いてるのさ! この後は冬の行列が始まるんだよ!」
エルザの説明にティノもうなずく。
「冬の行列は、町の一年の守り神や英雄を象った山車を出すんだ。感謝と祈りを込めて」
「守り神……英雄……」
ルーナは胸の奥がほんのり熱くなるのを感じながら、音の鳴るほうへ視線を向けた。
そして――雪の帳の向こうで、巨大な影がゆっくりと動いた。
周囲のざわめきが一気に増す。
「来たぞ! 今年の一番山車だ!」
「今年はなんと、特別仕様だとよ!」
「特別……?」
そのとき、雪明かりの中に現れたのは――
黒と白の装飾をまとい、波間を切り裂くような巨大なシャチの山車だった。
うねる木彫りの波の上で、空を見上げるように胸を張る少女の像が立っている。
紫色の瞳。風を受けるポニーテールの銀髪。
凛として背を伸ばしたその姿は――ルーナそのものだった。
広場にどよめきが走る。
「シャチのアルスと――蒼水の盾の名誉騎士ルーナ様だ!」
「港町の希望だろうが! 最高の航海を願って出したんだよ!」
「行ってこい、海の果てまで! 町全体が祈ってるからよ!!」
こみ上げる歓声に、ルーナは反射的に胸へ手を当てた。
「わたし……?」
声は震え、息は白く途切れる。
アルスが隣で大きな瞳を細め、心配そうにのぞき込む。
『ルーナ……泣いてる?』
気づけば涙が頬を伝っていた。
悲しさでも、苦しさでもなく――胸が溢れそうなほど温かかった。
「だって……こんな……こんなの……!」
言葉にならない。
旅の始まりに感じていた不安も、抱え続けていた責任感も――この港町が、山車の形にして肯定してくれた。
「君は間違っていない」
「海へ行っていい」
「私たちは祈っている」
そのすべてが、言葉ではなく“想い”として伝わってきた。
アルスがそっと口先で頬を拭う。
『ぼく、ルーナと一緒にいくの大好きだよ。ルーナがいると、ぼく強くなれる』
その一言で胸が決壊し、ルーナは両腕を伸ばしてアルスの顔にしがみついた。
「うぅ……! 大好きよ、アルス……!」
『ぼくも大好き!』
雪の降るなか、二人を囲むように人々が拍手を送る。
「泣かせるんじゃないよ、あたしたちまで泣きそうになるだろうが……」
涙を拭う宿屋の女将のそばで、エルザは袖で目頭をこすりながら、それでも胸を張る。
「当然のことなのさ! ルーナとアルスは誇るべき英雄なんだからな!」
ティノは灯籠のオレンジ色に染まった横顔で、呟くように微笑む。
「……オレも、あんなふうに誰かに誇れる自分になりたい。いつかルーナさんみたいに」
ナミも静かに涙を拭う。
「お嬢様……この二ヶ月で、本当にたくましくなられましたね。もう、お屋敷の世界しか知らなかったお嬢様ではありません」
涙を隠すようにルーナは少し顔をあげ、震える笑みを浮かべた。
「ありがとう……みんな……ありがとう、港町の人たち……わたし、絶対に海を越えるわ。必ず……!」
すると、造船所のリーダーの声が響き渡る。
「聞いたかよォお前ら! この嬢ちゃんは必ず帰ってくるとよ!!」
「なら俺たちは全力で見送るしかねえだろうが!!」
広場は割れんばかりの喝采に包まれた。
山車は太鼓とともに練り歩き、ルーナたちの周囲を回る形でゆっくりと進む。
アルスが誇らしげに胸を張る。
『ルーナ、ぼくたち……すごい?』
「ええ、とってもすごいわ。だって――みんながこんなに応援してくれてるんだもの」
山車の灯りが、仲間全員の顔を橙に照らす。
雪の夜、港町の祈りが一列に連なって進む光景は、まるで夢だった。
そしてルーナは気づいた。
ここは旅の途中の中継地点なんかじゃない――
大切な仲間のいる場所であり、帰ってきたいと思える場所だ。
(だから――必ず戻ってくる。海を越えても、セレーネブルーに辿り着いても、どんな未来が待っていても)
(この町に「ただいま」って言うまで、絶対に旅をやめない)
雪は静かに降り続け、山車は進み、人々は笑い、涙を拭き、手を振り――冬祭りの夜は、いつまでも優しく輝き続けた。




