市場の花祭り
翌朝、ルーナはこんがりと焼けたパンの香ばしい香りで目を覚ました。
「んん……っ」
「おはようございます、お嬢様」
簡素なベッドで身を起こしたルーナに、ナミはスカートの裾を摘まんで一礼。
布の皺を整えてから、柔らかく微笑んだ。
「ささ、お着替えを」
「ええ、お願いするわ」
白い寝間着から旅人服へ着替えさせられたルーナは、窓を開けて外のアルスに声をかける。
「おはよう、アルス!」
『ルーナ、おはよう! おなかすいたー!』
大きな口をパカッと開けるアルスに、ルーナも思わず笑みを浮かべる。
「はいはい。ナミ、お願い」
「ええ――コネクト」
接続魔法で現れた生魚を受け取り、ルーナは次々とアルスの口へ投げ入れる。
アルスは嬉しそうに頬張りながら尾をぶんぶん振り、『ごっくん! ごちそうさま!』と満足げ。
「うふふ、アルスを見てるとわたしまでお腹が空いてきちゃう」
空腹を押さえながら食堂へ向かうと、先に起きていたニッケとベルが手を振った。
「あ、ルーナさん! おはようございます!」
「おはよ~!」
「おはよう、二人とも。それにしてもいい香りね」
「はい! 女将さんのパンは絶品なんですよ!」
「わたしもお腹ぺこぺこだよ~」
「ふふっ、同じ気持ちね」
三人で顔を見合わせて笑うと、看板娘メイが元気よく朝食を運んできた。
「はい! 今日は焼きたての丸パンとソーセージエッグ!」
湯気を立てる丸パンに食欲をそそられ、ルーナは思わず「いただきます」と微笑んでパンをちぎる。
小麦の風味が口いっぱいに広がり、思わず目を細めた。
「ほんとうに美味しいわ。ありがとね、メイちゃん」
「えへへっ、どういたしまして!」
朝食を済ませたところで、ルーナはニッケとベルに外へと連れ出された。
「今日は市場へ行きましょう!」
「この町の市場も賑やかで、とっても楽しいんだよ!」
言葉を弾ませる二人に手を引かれて、ルーナも嬉しそうに微笑む。
「それは楽しみだわ」
『ぼくも行くー!』
外で待っていたアルスも合流し、ナミを加えた五人で市場へ向かった。
市場の通りは、花祭り当日とあって朝からごった返していた。
白布の屋台には色鮮やかな花輪が飾られ、子供たちは花冠をかぶって走り回り、女たちは花模様のスカーフを身にまとっている。
男たちの立てた柱には藤やマリーゴールドが絡みつき、通りそのものが大きな花壇のようだった。
「わぁ~、すっかりお祭り一色ですね!」
「ほんとだわ……昨日までよりずっと華やか!」
ルーナが目を輝かせる横で、太鼓の音が響き、広場では早くも踊りの輪ができていた。
「花祭りの日は町中がお祝いムードになるんだよ! 出店も特別に多いんだ~!」
とベルは胸を張る。
『踊り!? ルーナ、ぼくも混ざっていい?』
「ふふ、アルスは……見守る係にしておきましょうね」
屋台の声も威勢を増し、「焼き菓子いかが!」「今日のブドウは甘いよ!」とあちこちで呼び声が飛ぶ。
そんな通りすがりの屋台に、ニッケは目を丸くした。
「わぁ~! 見てくださいルーナさん、美味しそうな串焼きのお肉が!」
「ニッケ、朝ごはん食べたばかりでしょ?」
「試食は別腹です!」
一方のベルは蜂蜜の壺に興味津々、指を伸ばしかけて女将に笑われている。
「そのまま舐めたら蜂が追いかけてくるわよ~」
「ひゃあっ、こわい~!」
そしてアルスはといえば、魚屋の前でじっと桶を覗き込み、尾びれをぱたぱた揺らしていた。
『ねえルーナ、これ全部ぼくの分?』
「ダメよアルス、買わないと食べられないの」
「ちょ、ちょっと! この子にやったら魚が全部なくなっちまうよ!」
と店主が冷や汗をかく始末。
ルーナたちは人混みの中を歩きながら、ただその雰囲気を楽しんでいた。
踊りの輪に加わることはなかったが、見ているだけで自然と笑顔がこぼれる。
『ねえルーナ、みんな楽しそうだね!』
「ええ……。アルス、わたしたちもこうして旅を続ければ、もっといろんな笑顔に出会えるのかもしれないわ」
そんな思いを胸に刻みながら、ルーナは花祭りの喧噪を味わい尽くした。
それからギルドの報酬でルーナは川魚を十分な数だけ購入し、ナミの接続魔法で収納してもらった。
『初めて見るお魚だったね! おいしいのかなあ?』
「ええ、川魚もきっとアルスの口に合うと思うわ」
『わーい、それは楽しみ!』
初めて食す川魚に胸を弾ませるアルスを、ルーナは微笑ましげに見つめながら市場を歩いていた。
すると今度は、通りの外れに紫色のテントが張られているのを見つける。
「このお店は……?」
「どうやらアクセサリーショップみたいですね」
ナミが看板に視線を向けて即座に言う。
「お嬢様、少し覗かれますか?」
「ええ、わたしも興味があるわ」
「ちょっと覗いてみようよ! ね、ルーナちゃん!」
とベルが腕を引く。
「それじゃあウチは外でアルスに構ってますね。たぶん彼、テントには入れないでしょうから」
「助かるわ、ニッケ」
ニッケがアルスと一緒に待ってくれると言うので、ルーナはベル、ナミと連れ立ってテントへ。
中に入ると、そこはまるで夜空に星を散りばめたかのような空間だった。
紫布を透かすランプの光がガラス細工や金属のアクセサリーに反射してきらめき、幻想的な輝きを放っている。
「きれい……!」
「すご~い!」
「まるで星空そのものですね」
ナミも感嘆しつつ、冷静に周囲を観察している。
ベルが目を輝かせて店頭のアクセサリーに釘付けになっている一方、ルーナはふと並べられた二つの品に目を留めた。
「これって……!」
一つは巻き貝を模した髪飾り。
もう一つは――既視感のある白黒のガラス細工。
魚のようなシルエット、黒地に白い眉と腹。
「この配色にこの形……まるでシャチだわ!」
「妙ですね。アルス様を見た者がいるとは考えにくいですが……」
ナミが顎に手を当てて首をかしげる。
――それは紛れもなくシャチを模したガラス細工だったのだ。
「――あの……」
消え入るような声に振り向くと、背の低い幼げな白衣の女性が立っていた。
「ひっ、お化け~!?」
ベルが飛び上がる。
「私、お化けじゃないです……。ユラ、このアクセサリーショップの店主なんですけど……」
「ご、ごめんなさいユラさん!」
ルーナが慌てて平謝りする間に、ユラはおずおずとシャチのガラス細工を持ち上げた。
「これ……気に入りましたか?」
「あっ、はい! これ、シャチですよね!?」
身を乗り出すルーナに、ユラはさらにたじたじとなる。
「あの……実は先日夢に出た謎の生き物をイメージして作ったんです。変、ですよね……?」
その言葉を遮るように、ルーナはユラの手をがしっと握った。
「全っ然変なんかじゃないわ! むしろ本物がお店の外で待ってるもの!!」
「ほ、本物……?」
『おーい、ルーナ~!』
タイミング悪くテントの入口からアルスが頭を突っ込む。
「もうっ、ダメじゃない! お利口に待ってるんじゃなかったの?」
『だってニッケにはぼくの言葉が届かないんだもん、もう待ちくたびれたよ~!』
駄々をこねる巨大なアルスに、ユラは酸欠の金魚のように口をパクパクさせるばかり。
ナミはすかさずルーナの肩越しに進み出て、さらりと場を収める。
「店主殿、ご安心くださいませ。こちらはお嬢様の従魔……いえ、家族の一員です」
ナミの落ち着いた口調に、ユラも少しだけ安堵の表情を見せた。
「……ほん、本当に存在するんですね……」
「あのっ、この二つ、買います!」
ユラが気絶しかねない空気を察したルーナは、慌てて巻き貝の髪飾りとシャチのガラス細工を購入することにした。




