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わたしとシャチの異世界ペアダイブ  作者: 月光壁虎
運命の再会、からの旅立ち
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公女ルーナの記憶

 それは、一人の女性の最期だった。


 水族館でシャチのトレーナーとして働いていた彼女は、その日も相棒のシャチ・アルスとのパフォーマンスに臨んでいた。


「今日もよろしくね、アルス。……あなたなら絶対に大丈夫」

「キュイッ!」


 胸びれをぱしゃりと水面に打ちつけ、嬉しそうに応えるアルス。

 女性は笑顔でその顔をワシャワシャと撫でてから、合図を送り、自らも水槽に飛び込む。


 演目は「オルカロケット」――シャチの背から飛び上がり、人とシャチが同時に宙を舞う大技だ。

 観客の歓声に包まれ、彼女は胸の奥で確信していた。今日も最高のパフォーマンスになる、と。


 ……だが、この日、アルスは張り切りすぎていたのかもしれない。

 勢い余って彼女を水槽の外まで跳ね飛ばしてしまったのだ。


 床に叩きつけられた彼女は、衝撃で意識を手放す。

 ……さらに悪いことに、アルスまでもが後を追うように水槽を飛び越えて彼女の元へ――


 四トンに迫る巨体が、容赦なく彼女の上に落下した。


 こうして、ひとりのトレーナーの人生は幕を閉じたのである。



「ひゃあっ!? ……な、なんだ、夢……?」


 天蓋付きのベッドの上で、銀髪の少女が跳ね起きた。


 彼女の名はルーナ・ダックリバー。

 北国ノールに広がるダックリバー湾岸領を治める名門――ダックリバー公爵家の第三公女である。


 現在は十三歳の誕生日を祝うため、家族とともに豪華客船でノール湾を巡る真っ最中だった。


「いかがなさいましたか、お嬢様?」


 そっと顔を覗かせたのは、専属メイドのナミ。

 黒髪をきちんとシニヨンにまとめ、クラシカルなメイド服を纏った姿は完璧なメイドそのもの。

 だが彼女の目は常に冷静に周囲を観察し、ただの従者以上の気配を漂わせていた。


「……なんでもないわ、ナミ。それより今日の海は?」

「ええ、波も風も穏やかでございます。……もっとも油断は禁物ですが」


 慎重な物言いに、ルーナは小さく笑みを零した。


 ナミの手で水色のドレスに着替えさせてもらったルーナは、朝食の場へと向かう。


「おはようございます、お父さま」

「おはよう、ルーナ」


 黒の礼装に身を包んだ公爵――ビンゴ・ダックリバーは、堂々とした体格と威厳を備えながらも、娘を迎える声は柔らかい。

 政治の場では峻厳だが、家庭では情の厚い父であることが、その眼差しひとつから伝わってきた。


「昨夜はよく眠れたかしら?」

「ええ、お母さま。ちょっと不思議な夢を見たけれど、もう慣れましたわ」


 母・ステラは優美な微笑みを絶やさないが、その瞳には娘を心配する影も差している。

 感情を穏やかに包み隠すその姿は、貴婦人としての矜持を感じさせる。


「ララお姉さまも、おはようございます」

「おはよう、ルーナ。このクルーズ、ずいぶん楽しみにしていたのね?」


 姉のララは、長身で気品ある立ち居振る舞いをしながらも、妹をからかう時にはわざと大げさに笑みを浮かべる。

 厳しさと茶目っ気を併せ持つ彼女は、ルーナにとって頼りになる憧れでもあり、少し苦手な存在でもあった。


「もちろんですわ! この日のためにワクワクして、夜も眠れませんでしたの!」


「……眠れなかったのは悪夢のせいではありませんでしたか?」

「ナミ、それは言わなくてよろしいの」


 メイドの冷静なツッコミに、テーブルは笑いに包まれる。


 朝食を終えたルーナは甲板に出て、潮風に髪をなびかせながらノール湾の青を見つめた。


「……いつ見てもきれい。これがわたしのダックリバー――わたしの海……」


 どこか懐かしさを宿すその言葉に、彼女自身も理由の分からぬ戸惑いを覚えていた。

 今日もまた、まだ知らない「前世」の断片に心を揺らされながら――。



 夕暮れ時、誕生日クルーズの目玉イベントがいよいよ始まろうとしていた。


 ダックリバー家が甲板に勢揃いするなか、青いローブに身を包んだ一人の魔術師が華やかに登場する。


「さあ、お待ちかね! 船上イルカショーの始まりですよ〜!」


 笑顔で張りのある声を響かせた彼は、自らをアルフレッドと名乗り、軽く笛を吹いた。


 すると次の瞬間、海面から三頭のイルカが元気よくジャンプしてみせる。


「こちらはノールイルカのドルピー、ビビ、それからジュジュです!」


 海面に顔を出したイルカたちは、愛嬌たっぷりに胸びれを振って観客に挨拶した。


 ダックリバー家の面々は一斉に歓声を上げ、拍手で応える。


 アルフレッドの合図に応じて、イルカたちは華麗な連続ジャンプを披露した。


 そのたびに甲板は拍手と歓声に包まれ、観客の熱気は高まっていく。


 ダックリバー家の人々もまた、その美しい光景に息を呑んでいた。


「まぁ……水面を駆ける光の精霊みたい。あの子たち、まるで踊っているようですわ!」


 目を輝かせてそう言ったのは、第二公女ララである。


 両手を胸の前で組み、今にも詩を口ずさみそうな様子だ。


「本当に見事ですね。けれど、あれほどの動きをそろえるには、日々の訓練と深い信頼関係が不可欠でしょう」


 一方でステラは、優雅に扇を傾けながら冷静に評価を口にする。

 その声は落ち着いていて、観察者としての厳しさを含んでいた。


 夢見るような顔のララと、理知的な視線のステラ。

 対照的な母娘の反応に、ルーナはくすりと笑みをこぼすのだった。



「すごい……!」


 もちろんルーナもイルカショーに思わず見入っていた。


 けれど――


(……この光景、どこかで……?)


 胸の奥に、冷たい水が静かに差し込むようなざわめきを覚える。


 それは懐かしいような、でも少し怖いような感覚だった。


「――お嬢様、どうかなさいましたか?」


 メイドのナミがそっと声をかける。


「えっ……?」


 ルーナは我に返り、自分が涙を流していることに気づく。


「涙……わたし、泣いてたの?」

「はい。どこかお身体の具合でも?」

「ううん、違うの。ただ、なんだかこのショー……見覚えがあった気がして……」


  そんなやり取りの最中も、イルカショーは熱気のままフィナーレを迎えた。


「いや〜、見事なショーだったな!」

「イルカを従えるなんて、本当に素晴らしいですわね」


 満足げに語り合いながら船内へと戻っていく両親――ビンゴとララ。


 しかしルーナはその場を離れず、甲板に残ったまま静かに海を見つめていた。


「……わたし、どうしちゃったのかしら」



  揺れる海面に目を落としながら、彼女は最近何度も見てきた不思議な夢を思い出していた。


 白と黒の、大きな魚のような生き物。

 自分ではない誰か――けれどとても親しいような女性が、それと一緒に水の中で戯れていた。


 ジャンプの合図を出したり、水の中で並んで泳いだり――

 それはまさに、今のイルカショーと重なる光景だった。


(そう……あの夢の中の女性も、まるで今のトレーナーみたいに――)


 夢と現実が重なり合うような錯覚に、ルーナは胸を押さえる。



 それから、空はいつの間にか夜の帳に包まれていた。

 船もすでに沖合まで進み、風は次第に冷たさを帯びてくる。


「……少し、冷えてきたわね」


 そろそろ船内へ戻ろうか――ルーナがそう思った、その時だった。


 突如、海が大きくうねり、船体が激しく揺さぶられた。


「きゃあっ!?」

「お嬢様!」


 バランスを崩して倒れかけたルーナを、ナミが咄嗟に抱きとめる。


「お怪我は!?」

「だ、大丈夫……っ。でも、なに、この揺れ……!?」


 さらに大きな衝撃が船を襲い、ルーナはナミにしがみつく。


「――何事だ!」


 父・ビンゴが剣を手に甲板へ駆けつけた。


「旦那様、どうやら海が荒れてきたようです!」

「……そうか。ルーナ、すぐに船内へ戻るぞ」

「ええ……!」


 そう言って父の手を取ったその瞬間――海面が爆ぜるように盛り上がり、そこから、長い首を持つ怪物が現れた。


「プルウウウルルルル!!」


「海竜か……! 今日に限って……!」


 ビンゴが剣を構えるが、海竜は口を開き、水鉄砲のような圧縮水流を放ってきた。


「危ないっ!」


 ビンゴが展開した小型の魔力防壁が水撃を受け止め、弾け飛ぶ水が辺りに飛び散る。


 その衝撃に、ルーナは思わずナミの手を離してしまった――


 そしてそのタイミングで、船体が大きく傾ぐ。


「ルーナァッ!!」

「お嬢様ぁああ!!」


 父とメイドの叫びが、スローモーションのように耳に響く中――ルーナは、甲板から闇の海へと投げ出された。



 暗く、冷たい水が全身を包み、ため息のように肺から空気が漏れ出てルーナの身体は沈んでいく。


 抵抗もできず、ただ流されるように深く、深く――


(……ああ、わたし……死ぬんだわ)


 けれど不思議なことに、恐怖はなかった。


 心の奥底が、どこか穏やかに澄み渡っている。


 まるで、こうなることが最初から決まっていたかのように――。


 静かに目を閉じようとした、その時だった。


 視界の中、カチカチと高く響く音と共にゆっくりと近づいてくる巨大な影。


 白と黒のコントラスト。あの丸い瞳。


 そして――背びれ。


 大きく湾曲し、向かって右に折れたその形は、彼女の記憶の中のたったひとつの証だった。


「……曲がってる。やっぱり……アルス、あなた……!」


 その瞬間、ルーナの中で何かが音を立ててほどけた。


 ――全てを思い出したのだ。


 共に泳いだあの日々も、交わした合図も、最後に見た光も――。

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