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第9話「The Pieces」

 週末、テツヤが金玉寺にやってきた。祐一は境内の階段下で迎えた。

 真っ赤なホンダインテグラタイプRから降りたテツヤは、「やぁ!」と爽やかに挨拶をした。

 相変わらずの細身長身で茶髪長髪、黒いシャツに黒いパンツのいわゆるV系。変わらない姿を見て安堵した。


「祐一くん、なんていうかその…」


 テツヤは祐一のことを舐めるように見た。

 わかっている。作務衣姿のことが気になっているのであろう。


「意外と様になっているね」


「テツヤは相変わらずで」


「まぁね」


 二人は握手を交わした。


「車はどこに停めておいたらいいだろう?」


 テツヤが辺りをキョロキョロと見渡して言った。


「そのへんのスペースでいいよ」


 祐一は、道路の土手沿いの少しひらけたスペースを指差した。


「オッケーイ」


 テツヤは車を動かし、土手に寄せて駐車させた。

 なかなか手慣れた動きで上手かった。祐一は免許を持っていない。

 テツヤは車から降りると、その長髪を掻き分けながら祐一の前にやってきた。かすかに香水の匂いもした。

 「じゃあ」と祐一は手招きし、二人して境内への階段を上がった。


「へぇ~、これで”こんぎょくじ”って読むんだね。さすがに知らなかったなぁ。奈良は奥が深いねぇ。“きんたまでら”でも、僕は個人的にはいいと思うけど」


 階段を登り切り、門に掲げられた扁額を見て、テツヤはさらりと凄い感想を述べた。

 その時だった。


 「おーい」


 と、下の方から呼ぶ声がした。

 祐一とテツヤは階段下の方を向いた。

 すると、手を振り階段を登ってくる人の姿が目に入った。

 ジャコさんだった。モヒカンに伸ばしたあごひげ。半袖のつなぎから覗く両腕には刺青が見えている。


「おひさしぶりです。テツヤさんも。祐一さん…意外と似合ってますね」


 少し息を切らせて階段上まで上がりきったジャコさんは、テツヤと同じように舐めるように祐一を見て、そのような感想を言った。 


「だよね?」


 と、テツヤが笑う。


「祐一さん、ずっと連絡もせずにすみませんでした。気にはなっていたんです。元気に生きておられてよかったです」


 ジャコさんは祐一に向かって敬礼するように頭をさげ、そして目元をぬぐった。

 おいおい、おれは死んでいるとでも思われていたのか、と祐一は苦笑したが、でも嬉しかった。


「へぇ、これで”こんぎょくじ”と読むんですね」


 と、ジャコさんも扁額を見て、テツヤと同じように感想を言った。


「英語で言ったら、ペニステンプルですか」


「いや、違う、違う」


 と、祐一とテツヤは即座に否定する。


「あっ、違った。テンプル・オブ・ペニスだ」


「いや、そういう問題じゃない」


 と、祐一とテツヤは今度は手を振って否定した。

 ジャコさんはきょとんとしている。


「とにかく中に」


 祐一は二人を金玉寺の境内へと案内した。





 境内に入ると、テツヤとジャコさんは金玉寺の廃れ具合を見て、


「わびさびですね~」


 と、喜んだので意外だった。


 「京都は”みやび”の文化で、奈良は”ひなび”の文化。それがいいんだよ」


 テツヤが言うと、ジャコさんもうんうんとうなずく。

 そして例にもれず、二人は境内からの景色を眺めては歓喜した。


「大和盆地一望じゃん!」


 テツヤは両手を鳥のように広げた。


「あれが、葛城山で二上山。信貴山があって、生駒山…」


 ジャコさんは遥か先に見える山脈を指さして名前を言っていった。


「あの丁度、少し山が低くなっているところ、あの向こうに小生の勤めている大阪のバイク屋があるんです。見えないかなぁ」


「見えるわけないでしょ」


 祐一とテツヤは即座に否定した。


「で、あの奥にある建物が本堂ね。本尊は文殊菩薩立像」


 祐一がそう説明すると、テツヤは目を輝かせて、


「えっ、ぜひ見たい!」


 と、言った。

 祐一は少し考えて、


「うん。いいよ」


 と、返事をした。

 祐一は、二人を本堂へと案内した。

 靴を脱ぎ、本堂へとあがり、ミシミシと鳴る床を歩く。

 奥にある巨大な厨子の前に立つと、祐一は「ふぅ」と深呼吸し、扉をギギギーッと嫌な音を立てさせながら開けた。


「おぉっ…」


 テツヤが呻き声のような声をあげ、金色に輝く文殊菩薩立像を仰ぎ見て拝んだ。


「この文殊菩薩像は、鎌倉時代の印慶いんけい仏師作とされていて…」


 祐一がそう説明すると、


「なんか聞いたことある名前かも…。たしかに慶派の特徴が出てるね…」


 と、感心したので、あれ”いんけい”については何も突っ込まないんだと意外に思った。


「でも、この艶めかしい女体のような体のラインは、白鳳仏っぽくもあるね」


「へぇ」


 それを聞いて、祐一はテツヤは本当に仏像とかに詳しいんだなと感心した。そして、印慶仏師は実際にいたんだなと考えを改めた。

 ふとジャコさんを見ると、真剣な眼差しで手を合わせて拝んでいたので、その見た目とのギャップに祐一は笑って言った。


「ジャコさん、えらい熱心ですね。仏像とか好きだったんですか?」


 ジャコさんは顔をあげ真顔で答えた。


「小生も、もともと仏教芸術は好きでしたよ。でも、年々歳とともに仏の本来の意味を感じてきているというか」


 へぇ…。

 って、本来の意味って…。

 一体ジャコさんの身に何があったんだ…。


「ん、これは?」


 テツヤがとなりに置いてあった叡尊上人像を指さした。


「これは、この寺の宗派でもある真言律宗の開祖の叡尊だよ」


 祐一が説明する。


「あ~、これが叡尊か。詳しくはないけど、名前は聞いたことあるよ」


「鎌倉仏教といえば、法然や親鸞の浄土宗は誰でも知っている大きな流れだけど、叡尊はあまり知られていないかもしれないね」


「まさか、祐一くんの口から、法然や親鸞の名前が出るなんて夢に思わなったよ」


 テツヤが小さく拍手した。


「大袈裟だよ」


 祐一は照れくさそうに頭を掻いた。

 その後、真言律宗の成り立ちと叡尊と忍性の話を掻い摘んでテツヤとジャコさんに話して聞かせた。

 話しが終わると、二人は泣いていた。


「今から800年も前にそんな志を持った人がいたとは」


「もっと叡尊と忍性のことを人に知ってもらわないと」


 二人とも、こんなに泣くタイプだっただろうか…。

 さっきのジャコさんの仏像の本来の意味を感じたって話にしても、しばらく会わないうちに二人になにがあったというのだろうか。

 気にはなる…。

 でも、皆まで聞く気はなかった。

 それは自分も皆まで語るつもりはなかったからである。

 まぁ、お互いいろいろあったけど、こうして無事に再会できたことを素直に喜ぶべきなのであろう。

 祐一は、しくしく泣く二人を連れ母屋に案内した。





 二人が落ちつくと、久しぶりの再会とあって、昔話に花が咲いた。

 ちなみに祐一たちが組んでいたバンドは「The Piecesザ・ピーセス」といった。

 自分たちを”Pieceかけら”と例え、かけらが集まって出来たバンドという意味である。

 出会ったきっかけはスタジオのバイト仲間で、当時テツヤはテクノバンド、ジャコさんはハードコアバンド、祐一は弾き語りでライブハウスに出たりしていたが、たまたまテツヤとジャコさんが同時にバンドを脱退する瞬間があり、妙に話のウマがあっていた三人で「じゃあ、バンド組もうか」となったのは自然の成り行きであった。

 異種格闘技戦というのであろうか。テクノとハードコアとフォーク。まったく違うジャンルの三人が集まった「The Pieces」は、化学反応を起こした。徐々にファンも付き、イベントをいくつか成功させ、ワンマンライブも成功させるまで人気は出た。

 小さな記事だが雑誌で紹介もされたし、ローカル局の深夜番組にも出演した。この勢いでメジャーデビューもそう遠くないだろうと息巻いていたが、世の中はそう甘くはなかったというのが現実だった。

 要因はいろいろあったかもしれないが、いかんせん音楽性がマニアック過ぎたのであろう。レコード会社やレーベルが主催するコンテストに出場しても、予選落ちか、審査員から「おれは個人的に好きだな」と言われるのが関の山で、つまり芽が出ることはなかった。

 それからもスタジオに入っては練習と曲作り。ライブをするためには資金がいるのでバイト漬け。何度かイベントを企画しても動員は増えたり減ったり。そうこうしているうちに、惰性でバンド活動を続けているような状態になり、気付けばただの身内ノリになっていた。でも肌でそれを感じていても、決して口に出すことはなかった。口に出せば、すべてが壊れて、崩壊してしまうような気がしていたからだった。夢は必ず叶うものである。努力すれば必ず報われる。自分たちに才能がないはずがない、と。

 しかし、きっかけはある日訪れた。

 テツヤの父親が亡くなったという知らせがあり、テツヤが実家の名古屋に帰ったのだ。

 すぐに戻り次第、またバンド活動を再開させるのは当然だと思っていたが、テツヤの口から出たのは、地元に帰りたいという話だった。

 30歳も超え、将来が不安になった。とテツヤは語った。

 実家に帰って急に目が覚めたかのようになったのだという。

 はじめ、ジャコさんは怒ってテツヤを罵っていたが、テツヤがいなくなると、そのジャコさんもいなくなった。

 「旅に出ます」と置き手紙をおいて消えた。

 祐一は、半ば意地でも、一人でも音楽活動は続けようとした。

 そのために新しい機材も買い揃えた。結局、それが借金地獄の始まりにもなった。

 でも、うまくいかなかった。というのは漠然な表現だが、実は自分の中でも情熱がなくなっていたというのが一番大きかった。ただ、まだそこそこバンド仲間やライブハウス関係者には、祐一の作る楽曲は評判がよかったので、持ちこたえられてはいたのだが、ある日、バイト先の人にデモを聞かせたときに、思いもよらぬ辛辣な評価を聞いて、その時、祐一は初めて自分には才能がなかったということを悟った。

 どこかで自分でも気付いていたんだ。ひょっとして、おれには才能がないんじゃないのかって。

 それに気付くために自分はいったい、どれほどの時間と労力を消費したのか。

 大きな挫折だった。信じていたものがすべてひっくり返った感じだった。

 それから祐一は目に見えて堕落した。

 その堕落ぶりさえ、いかに自分が凡人だったのかと思い知らされた。するとさらにどうでもよくなった。

 借金は芋づる式的に増えて、罪悪感とかそんなレベルの話ではなかった。朝起きて空気を吸うように金は消えていく…。

 そんな、今だから話せる祐一の堕落談義であったが、テツヤとジャコさんは、強く罪悪感を感じたようだった。もちろん、二人のせいではない。むしろ、祐一こそ、二人を自分の夢に付き合わせてしまった罪悪感を感じているほどであった。


「でも、悔いはないよね」


 テツヤはたばこの煙を吐いた。


「やれることはやりましたよ。結果が供わなかったのは残念でしたが、小生は楽しかったです、あの頃は」


 ジャコさんは本当に嬉しそうな顔をして腕を組んでうなずいた。

 祐一は、うつろ気な目でそんな二人を見た。二人は完全に過去のこととして精算できているようだ。

 たしかに、楽しいこともいっぱいあったと思う。後半が暗黒すぎて霞んでいるだけで、それなりにちやほやもされて、それなりにプロのミュージシャンっぽいことも経験できた。


「たしかに、いつか三人で大きな舞台に立てたらと、武道館とかさ、やっぱり今でも夢見ちゃうけどね」


 と、テツヤは天井を仰ぎ見る。


「小生は、むしろライブハウスの方が好きだから、インディーズでもよかったけど」


 ジャコさんはそう言ってもじもじした。


「結局のところ、おれたちはなにも手にすることができなかったんだよ。音楽の夢も、そして女も…」


 祐一がそう言うと、テツヤはニヤニヤとして、


「祐一くんは、相変わらずロマンティストだね」


 と、言った。

 ジャコさんも「えぇ。えぇ」とうなずく。


「いや…、別にそういう…」

 

「でも、その祐一くんのロマンティストなところが、いろんな名曲も生んだわけだしね」


 テツヤが嬉しそうに言った。


「名曲って…、結局売れなかったんだし」


「別に売れるかどうかなんて問題じゃないよ。名曲は名曲。僕はあの”スーパーピュア“が好きだったな」


「えぇ。えぇ」


 と、うなずくジャコさん。


「あぁ、あの曲」


 祐一は言われて思い出した。まだバンドを組んで間もない頃に作った曲のことである。個人的に痛い失恋から出来た曲だった。


「祐一くんにとっては、あまり思い出したくない曲かな。たしか、由実ちゃんだったけ?」


「えっ、今、その名前出す?」


「ははは。ごめんよ」


 ふと忘れかけていたあの顔を思い出した。いや、忘れたことはない。

 由実のことは、一生忘れることはないであろう。別にストーカーというわけではない。初恋の女は誰にとっても特別なはずだ。

 あれから、数多くの女がいたけど…由実は違った。きっとそれは、成就できなかったからであろう。人はなんでも無いものねだりなのである。だからいつまでも、自分の中では美化されたまま存在している。


「祐一くん、相当由実ちゃんに熱をあげてたもんね」


「そうだね…」


 祐一はテツヤの言葉にうなずき、急にセンチメンタルな気分になってきた。

 そして、その少し胸が痛む、淡い切ない思い出を回想した。

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