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軽く、温かくなる心

 ふくよかな中年女性はマルタと名乗った。


「すぐに部屋を整えますから、今しばらくご辛抱下さい」


 綺麗な角度で頭を下げられて、メラニーは慌てた。


「そんな。ごめんなさい。部屋をめちゃくちゃにしたのは私です」


 せっかくの素敵な部屋は、見る影もない有様だ。花瓶は倒れて砕け床に散乱し、絨毯は水を吸っている。シーツとテーブルクロスは床に落ち、ランプシェードはひっくり返っている。


 こんな有様にしてしまったのはメラニーだ。申し訳なくて仕方がない。


「まあまあ」


 マルタが丸い目をさらに丸くして、じっと小さくなっているメラニーの顔を眺める。フィデリアと部下の騎士たちも驚いたようにメラニーを凝視した。


「あの」


(何を驚いているんだろう。何かまずいことをしてしまったの? きっとそうだわ。またやってしまった。どうして私はいつもこうなんだろう。いつもいつも。怒らせてばかり)


 情けなくて涙が出そうになるのを、両手をぎゅっと握ってこらえる。泣いてはいけない。涙は相手を余計にイライラさせるだけだ。


「も、申し訳ありません」


 こんな時メラニーに出来るのは謝ることだけ。言い訳や口ごたえをしてはいけない。ひたすら頭を謝り続けるのが、一番早く相手の怒りが収まるのだ。


「王女殿下」


 フィデリアの静かな声にびくりと肩が震える。


「あの者たちはとても王女殿下に対するものではない態度を取っていましたが、常習ですか?」

「あ……」


(聞かれたのだから答えなければ。でも)


 常習かと問われれば、答えは「はい」だ。だがメラニーが「はい」と言えば、『告げ口』になってしまう。『告げ口』をするのはいけないことだ。過去、何度か『告げ口』をしてしまい余計に怒らせた経験がある。


(だからといって何も言わなかったら、それはそれで怒らせてしまう。どうしたらいいの)


 おろおろを視線をさまよわせると、フィデリアとマルタが頷き合った。


「今から王女殿下に失礼な口をききますが、お許し下さいませ」


「え?」


 マルタがにこりと笑う。ふっくらとした両手を広げて、ぐるりと周りを示した。


「大丈夫ですよ! だーれも怒ってやしません。王女殿下はうちの陛下のために怒って下さったんですから!」


(え?)


 思わぬ言葉に、メラニーは固まった。


「部屋は片付ければいいだけのことです。何も気にすることありませんよ。うちの陛下のお小さい頃なんて、この比じゃありませんでしたからね。毎日色んなものを凍らせたり、ひっくり返してましたよ」


 ユキヒョウの神獣は、氷の性質を持つらしい。室内に雪を降らせたり、暖炉の火を消してしまったりと。レイナルドの乳母だったマルタは、それはそれは手を焼かされたのだそうだ。

 ユキヒョウの神獣そのものの行動をとっていたレイナルドは、服を着こむことなく、二足歩行すらせず、大きな猫のように振る舞っていたという。


「気を抜くと部屋の中に雪山作って遊んでいたんですから。もー、後片付けが大変ったら! そもそも加護を使わなくても、棚の上に登って置物を落としたり、本棚をひっくり返してたんですよ。メラニー様のこれは可愛いものです」


 腰に手を当ててマルタが胸をそらす。ふくよかな彼女がそれをやると、いかにも肝っ玉母さんといった風情だった。


「レイナルド陛下がですか?」


 マルタの語る、穏やかそうに見えたレイナルドの意外な一面に目を見開くと。金色の瞳を糸のように細めたフィデリアが首肯した。


「ええ。我々獣人の幼少期は、神獣の影響を大きく受けます。大人になるにつれ落ち着きますが。陛下は特に神獣の加護が強い方ですから」


 フィデリアはシロフクロウの神獣の加護を持つ。シロフクロウの性質は風だが、加護が強くはなかったので周囲に与える影響は少なかったそうだ。


(だから彼女の瞳は不思議な動きをするのね)


 人族のまばたきの動きとは少し違っていて、きゅうっと丸くなったり細くなったりする。首下に生える羽毛も瞳に合わせるようにふわりと逆立ったり、ぺたりと静まったりしていた。


「私はせいぜい書類を散らかしてしまうか、花瓶を倒す程度でした。今のメラニー様とおそろいですね」


「おそろい、ですか」


 フィデリアに微笑まれ、メラニーは顔を赤くして意味もなく握ったドレスの裾をいじった。


 『おそろい』という親しみのこもった表現。一緒なのだという肯定に、胸が軽く温かくなった。同時に気恥ずかしくも感じる。

 こんな風に誰かから親しみを向けられることなんてなかったから、むずむずした感覚をもてあましてしまう。


「さあさあ。こうしていては、いつまでたっても王女殿下が休めません。さっさと片付けてしまいましょうね」

「はい」


 だから、マルタが話題を変えてくれてほっとした。


(私が休めないのは問題ないけれど。このままにしておくのは確かに落ち着かないよね。綺麗にしてしまおう)


 今まで部屋の片付けや掃除は、メラニーの仕事だった。それに、メラニー自身が片付けや掃除が好きだった。


 当たり前のようにメラニーが床に落ちた花に手を伸ばすと。


「王女殿下!?」

「何をされているんですか」


 マルタたちに慌てて止められてしまった。

お読み下さりありがとうございます。


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