なんでも××
目をぱちりと開ける。あれ? 私、生きてる? と疑問に思った。
これは宗教観念みたいな話になるが、死後の世界を見たことがある人はいないのだ。それに、この真っ白だけどなんだか生々しくて気味の悪い天井は天国ではないと思う。
というか、独特の臭いがするので、ここがどこかはなんとなくわかった。消毒臭い。耳を澄ませば規則正しい電子音。これでもか、というほど清潔感が誇張された白い空間。
「月実さん、目を覚ましたみたいです!!」
私を見つけた女性がやたら大きな声で私が目を覚ましたことを報告する。駆け寄ってくる人々の服の白さを見て、ぼんやりと「コーヒーとかこぼしたときどうやって洗濯してるんだろう」などと全然関係ないことを考えた。
ここは病院だ。さっきの女性はナース服を着ていたし、見に来た人は白衣をまとっている。間違いないだろう。
ということは記憶を辿ると、私は事故に遭ったはずだから、助かった、と考えられる。
ぼんやりしていた思考が、記憶のフラッシュバックと共に明瞭になっていく。
まーくんとして過ごした五ヶ月も記憶の中にあった。
「まーくん……ごめんなさい……」
私はまーくんの感情を知って尚、この言葉を口にしただろう。きっと、まーくんは私を恨んだりしないのだ。助けられてよかった、なんて笑うのだ。
あの笑顔を、見たかった。
ぼろぼろと涙を流す私に医者と看護師が狼狽える。どこか痛いところがありますか、私の声が聞こえますか、などと矢継ぎ早に飛んでくる質問。私は静かに頷いて返した。
それから、ゆっくり起き上がらせてもらった。色々管が繋がっていて起きづらかったが、体に怠さなどはない。ただ胸が痛むだけ。
……私は死んだんじゃない。生かされたんだ。
何が起こったのかはもう、理解していた。
集中治療室とやらで三日間も眠っていたらしい私は、意識が正常で、体調も回復していることから、即刻一般病棟に移された。
入って一時間もしないうちに、見舞い客が来た。
「月実!!」
「流……!?」
がばっと抱きつかれて、対処に戸惑う私。一応怪我だの何だのはあるらしいので、ちょっと痛い。
「よかった、よかった……俺のせいで……」
「流くんのせいじゃないよ」
「お前まで失ったら、俺、俺……」
ああ、やっぱり。
事実確認はしていなかったのだけれど、今の一言でわかってしまった。
「……死んじゃったんだね、まーくん」
「……!?」
私を庇って突き飛ばしたのはまーくんだった。思ったより強い力で叩きつけられた軟弱な私は意識を失ったから勘違いしていたけれど、私は死んでいなかったんだ。
「あのね、流、信じられないかもしれないけど……」
私は、事故に遭ったあの瞬間から五ヶ月前に飛ばされたことを話した。まーくんの中で自分たちを見つめていたことを。
流はそれを馬鹿らしいとか笑わずに、最後までちゃんと聞いてくれた。私が話し終わると大きな溜め息を吐く。
「あのお節介焼きめ……」
「やっぱり、私のせいで……」
「誰のせいとかじゃない」
でも、流、悔しそうに奥歯を噛みしめて、膝の上で拳を握りしめている。
「転はな、俺が転以外の人との交流を滅多にしないから、心配してたんだ。これじゃいつか、るーがひとりぼっちになっちゃうってな」
確かに、私には友達がいるからまだいいかもしれないけど、流の友達というのはまーくん以外見たことがない。それにどういう境遇かは知らないけれど、流は一人暮らしで、親御さんを見たことがない。兄弟とかも。
だとしたら、流の周りにはまーくんしかいなかったということ?
「転は変なこと言ってた。『るーの周りにはきっと一人しかいられないんだ。その一人を自分が占めているから、他の人が入って来られない』って。だから、お前が恋人になったとき、嬉しそうにしていたよ」
でも、まーくんの言うことが本当なら、私は流の傍にいられる一人の座からまーくんを蹴落として……?
「月実」
気がつくと、流の顔が目の前にあった。
「自分のせいとか、考えるな。転が判断したことだ。それに俺の周りには一人しかいられないかどうかなんて、簡単にはわからないことだろう?」
「そうだけど……」
流は俯く私の顔を顎をくい、と持ち上げて上を向かせた。
直後に重なる私とは別の体温。それは、触れるだけのものだけれど、長くて、愛しさが伝わってきて、涙があふれそうになるくらい慈しさと幸せで満たされた。
そ、と離れたところで少しぽやんとしていた頭が病院の寒風に当てられて、私の中に「恥ずかしさ」という感覚を戻させた。
「ふえっ!? ふええぇ……!?」
「月実さん」
「は、ひゃい」
どうした改まって!?
すると、私の手を取り、王子様が微笑んだ。
「結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」
「!?」
……ずるい。
さっきのからのこれは女殺しすぎるでしょ!? イケメンだからってなんでも許されるとでも思ってんのかあぁん?
「……よろしくお願いします」
……許すけどさ。
「それから」
ん、まだ何かあるのか?
「俺のこと、『るー』って呼んでほしい」
「えっ!?」
激揉めした事案、こんなんで許しちゃうの!?
「転として俺と話したことがあるなら、いずれは呼ばせようとしたのも知ってんだろ……まあ、その、ええと」
「照れるな馬鹿! ちゃんと最後まで言え!」
「俺が悪かった」
私はきょとんとした。流が謝るなんて思っていなかったから。
「お前がトラックに轢かれそうになったとき、俺、すごく後悔したんだ。こんなことになるなら、こんな下らない喧嘩で永遠に別れることになるなら、俺のちっぽけなプライドなんて、捨てればよかったんだ。タイミングなんて言葉で自分を甘やかすんじゃなかった。……だから、月実が死ななくてよかった」
転は死んだけど、と続ける。
「それが誰のせいとか言うなら、他の誰よりも意気地のなかった俺のせいだ」
「それは、違うって」
「違わない。あそこで喧嘩なんてしなけりゃ、お前があそこに飛び出すこともなかった」
それは結果論で、と連ねようとしたが、やめた。
流が泣いていた。
「失うのが、怖かった」
それは、なんとなく知っていた。私が無視した流の呼び掛けは今思えば必死を越えて決死だったから。
「失ってからじゃ、気づくのは遅い。そりゃ、転も大切だったけどさ……もう戻らないから」
そこまで言い切ってから、流は盛大に項垂れる。
「あー……俺、だっせー……転に背中押されてばっかだ」
なんで、もうあいつはいないんだろうな、という呟きが病室の静寂の中に落ちた。
「……死ぬまで傍にいてくれよ」
ぼそっと言ったのを聞き逃さず私は満面の笑みで頷いた。




