第1章 Spring Triangle~うしかい座、光に隠した秘密~
それからというもの、俺の生活リズムは完全に逆転してしまった。 太陽が昇っている間は、学校の机で泥のように眠る。そして夜の帳とばりが下りると同時に覚醒し、吸い寄せられるように河原へと足を運ぶ。まるで、夜にしか咲かない花に誘われている虫のようだ。
「おい翔夜、また寝てたのか? お前、最近顔色が悪いぞ。まさか本当に女の幽霊に取り憑かれてるんじゃないだろうな」
昼休み、ドージンが心配そうに顔を覗き込んできた。いつもの軽口だが、その目には少しだけ本気の色が混じっている。
「幽霊じゃない。……ただの夜更かしだ」
「ふーん。まあ、生きてるならいいけどよ。来週の球技大会、バスケの人数足りないからお前も頭数に入ってるからな。しっかり寝とけよ」
ドージンはそう言って去っていったが、俺の頭に残ったのは「生きてるなら」という言葉だった。 昼間の俺は、本当に生きていると言えるのだろうか。ただ時間を浪費し、夜が来るのを待っているだけだ。俺にとっての現実は、今や星空の下にしかなかった。
その日の深夜も、俺たちはいつもの場所で肩を並べていた。川のせせらぎと、遠くで鳴く虫の声だけが響く静寂の時間。光は星座早見盤を片手に今日は夏の大三角形について語っている。ベガ、アルタイル、デネブ。彼女の口から紡がれる星の名前は、どれも宝石のように輝いて聞こえた。
一通りの説明が終わった頃、俺はずっと胸につかえていた疑問を口にした。
「なあ、光」
「ん? どうしたの、翔夜くん」
「……光はさ、学校はどうしてるんだ?」
彼女は俺と同い年ぐらいだ。制服姿を見たことはないが、どこかの高校に通っていてもおかしくない。光の指先がピクリと止まった。星座早見盤をゆっくりと膝の上に置くと、彼女は困ったように微笑んだ。
「行ってないよ、学校」
「行ってないって、不登校ってことか?」
「うーん、ちょっと違うかな。行きたくても、行けないの」
彼女は自分の白く細い腕をさすりながら、夜空を見上げたままポツリと言った。
「私ね、太陽の下に出られないの」
「……え?」
「吸血鬼みたいだよね。でも、本当なんだ」
冗談めかして笑おうとしていたが、その笑顔は泣き顔よりも痛々しかった。俺が言葉を失っていると、光は静かに説明を始めた。色素性乾皮症――それが彼女の抱える病の名前だった。紫外線に当たると、皮膚が修復できずに火傷のようにただれてしまうこと。最悪の場合、皮膚がんになって命に関わること。だから、太陽が出ている間は遮光カーテンを閉め切った部屋で息を潜め、日が沈んでからこうして外の世界に出ていること。
「だから、『光』なんて名前、皮肉でしょ?」
彼女の言葉が、重い鉛のように俺の胸に落ちた。以前、彼女が言っていた「皮肉」の意味がようやく分かった。光という名前を持ちながら、光を浴びることが許されない運命。親がどんな願いを込めて名付けたにせよ、それは今の彼女にとって、届かない憧れそのものなのだろう。
「ごめん……知らなくて」
「ううん、いいの。慣れてるから」
光は気丈に振る舞っていたが、その横顔はどこか諦めに満ちていた。
「私にとっての世界は、この夜空の下だけなの。でもね、翔夜くんと会えて、少しだけ世界が広がった気がする。……ありがとう」
消え入りそうな声で礼を言われ、俺は無性に腹が立った。病気にでも、彼女を縛り付ける太陽にでもない。何も知らずにのうのうと昼間を生きて、退屈だなんてほざいていた自分自身にだ。5万年後に近づく星の話なんて、今の俺たちには何の意味もない。俺たちは今、ここに生きているんだから。
「……連れて行くよ」
俺は衝動的に口を開いていた。
「え?」
「太陽の下は無理でも、俺が光の代わりになるような場所へ連れて行く。夜にしか見られない、すげぇ景色を見に行こう」
「翔夜くん……」
「桐並市には何もないけど、探せば何かあるはずだ。俺が必ず見つける」
それは、同情なんかじゃなかった。ただ、彼女の諦めたような笑顔を本当の笑顔に変えたい。夜空以外の世界を、彼女に見せてやりたい。無関心だった俺の心に、初めて小さな火が灯った瞬間だった。




