5話 縁談
鳥の鳴き声で目が覚めた。
もう朝らしい。目を開けると、いつも通りの光景だった。
昨日は結局、なにも収穫はなかった。書庫をあさったり、人の部屋に足を踏み入れたりしたが、すでに得られている情報以上のものは存在しなかった。
いつも通り、蔵からワインを取りだして、飲みたくって寝た。万が一出歩いているのがバレたときに、こういった前科が役に立つだろう。毎日浴びるほど飲んでいれば、周囲にバカを知らしめる効果もある。
ただ、二日酔いがひどい。もう一回寝ようと思い、目を閉じる。しかし、すぐにドタドタという大きな足音が聞こえてきた。
なんだ? 俺が再び目を開くのと、ドアが開くのはほぼ同時だった。
ムースだ。肩を上下させ、興奮した面持ちで、こちらを見ていた。
どんなに怒っているときでも上品な姿勢を崩さないのに、珍しいなと思った。
「王子! やりましたよ!」
良い知らせらしい。汗ばんだ顔が少し緩んでいる。
「あ?」
「ついに、このときが……! ああ、よかった!」
ムースが大股で近づいてくる。俺は仕方なく上半身をソファから起こした。
「朝っぱらからうるせえな! 聞いてやるから早く言え!」
「王子! 驚かないで聞いてください!」
肩を揺さぶられる。二日酔いに応えるからやめてもらいたい。
「誰からも話が来なくなって3年目! とうとう、春が、春が来たんですよ!」
いい加減うざくなったので、肩に乗せられた手を除ける。吐き気をこらえながら、俺はムースの目を見た。
「春? とっくにすぎて、今はもう夏だけど?」
「そういうことじゃありません!」
まあ、わかってたけど。なんとなく想像はついていた。
ムースは、呼吸を整えてから大声で言った。
「縁談が、来ました!」
……悪名を垂れ流したあと、縁談が届いたことは一度たりともなかった。王子とはいえ、どうせ国王になれないだろう男に嫁に来てくれる女なんかいない。
そもそも、相手の親が嫌がる。将来のない相手に、子供を預けたくないのだろう。
だからこそ、今回の縁談は青天の霹靂なのだ。ムースも大喜びするほどの。
はしゃぐムースをなだめるのは大変だった。
「こんなバカ王子でも貰ってくれる人がいるなんて」とか「もう一生結婚できず、家からも追い出され、孤独死する運命かと思ってました」とか「見捨てよう、見捨てようと思いながらも、苦労して面倒を見てきたかいがあった」とか、のべつまくなし出るわ出るわ俺の悪口。それでも、最終的に涙を流して喜んでくれている姿を見て、こいつにも心配をかけていたのかな、と申し訳ない気持ちになった。
いつものように背筋を伸ばしたムースは思い出したように言った。
「それから、ビリヤンカ王妃がお呼びです。今回の縁談の件で聞きたいことがあると」
ああ、忘れてた。今回のことで、もう一人、同じくらい興奮してそうな人。
「わかったよ。それで、縁談の相手は誰なの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
また興奮しだして面倒くさいな。
「驚かないでください。スキラ公爵のご令嬢――リナ・スキラ様です」
は?
ドアをノックし、王妃の部屋に入ると、目を欄欄と輝かせた王妃がいた。
「よくやったわ! 我が息子!」
開口一番、廊下まで響き渡りそうなほどの大声でビリヤンカ王妃は言った。
「もう無理かもしれないとあきらめていたけれど、捨てる神あれば拾う神あり、ね!」
扇子を広げ、ほほほほほと高らかに笑っている。若干不気味だった。
「あのー、相手って、公爵令嬢のリナなんですよね」
「そうよ! あんな立派な娘が、こんなバカ息子を……!」
おいおいと泣き出したので、またなだめなければならなかった。
「どうやらリナお嬢がね、建国記念パーティであなたに惚れたと言っているらしいの」
「は?」
何を言っているのだろう。惚れられるなんてことは絶対にない。嫌われたという自信ならある。それだけのことをした。
「あなたのこと、バカだバカだと思っていたけれど、どうせパーティのときもろくなことしてないんでしょうとか思っていたけれど、ちゃんと自分の将来のことを考えてやるべきことをやっていたのね。こんな形で縁談をゲットするなんて、成長したじゃない!」
勝手に勘違いされて、勝手に見直されても困る。
「それでそれで!」
ビリヤンカ王妃が迫ってくる。
「あの日、リナお嬢と話をしたのでしょう? いったい何があったの? あんなにかわいくて頭のいい子を惚れさせたんだもの。きっとすごく王子様風なことをしたんでしょ」
俺は目をそらす。期待に満ちた目に自分の目を合わせることができなかった。
俺はため息をつく。仕方なしに、俺はあの日の出来事を語り始めた。
「まず、俺は食べ物を食い散らかしながらワインを飲んでいて、気づいたらワインがなくなっていて、ムースにもっと持ってこいと言ったら、ムースにめちゃくちゃキれられたので、気まずくなって会場から退室したんですね」
「……まぁ、いつも通りね。それで?」
いいのか、お母様。それでいいのか。
「結構飲みすぎたせいで吐きそうだったから、大広間からもっとも遠い階段まで移動して、人がいないことをいいことに、階段の上で寝ることにしました」
「……だめよ、そんなことしちゃ、だめよ」
さすがに聞き流せなかったらしい。
「あー、はいはい、そうですね」
「それで、寝たあとは?」
だからそんなんでいいのか……。俺はつづける。
「数十分は寝ていたでしょうか。やがて、足音がしたので目が覚めました。足音がしたほうに視線を向けると、リナが二階から階段を下りてきていました。踊り場に着いたあたりで俺が寝転がっていることに気づいて、立ち止まり、声をかけてきたんです」
「そう! なるほど、そういうこと!」
何を納得したのか知らないが、王妃は、ひとりで勝手にうなずいていた。
「あなた、顔だけは悪くないものね。アンニュイなあなたの表情を見て、一目ぼれしてしまったのね!」
「違います。遠回しに『通行の邪魔だからどけ』と言われました」
そうよね、さすがに違うわよね、としゅんとなってしまった。しかし、すぐに復活して、俺の話のつづきを促した。
「それで!?」
俺は、あの日の出来事を思い出す。
「それで、俺は仕方なしにどきました。リナは、少し不機嫌そうな顔をしながら階段をゆっくりと下りはじめました。そのとき、リナが急につまずいて、階段から転げ落ちてしまったんです」
「わかった! 今度こそわかったわ!」
またビリヤンカ王妃が叫ぶ。たぶんわかってないんだろうなと思いながら、なにがですかと尋ねた。
「階下にいたあなたはとっさにリナお嬢の体を受け止めて助けたのね。話したこともない二人。お互い抱きしめあった状態でお互いの胸の鼓動が高まって――」
「違います。それで――」
「違うの?」
がっくりと肩を落としていた。俺は無視する。
「それで、俺は、リナが無様に転げ落ちるさまを黙って眺めていました。階下にたどり着くまで転がって、仰向けになって倒れました」
「なんで黙って見てるのよ……」
もっとこう、あるじゃない、もっとこう、と王妃が息巻いているが、気にしない。
「その姿を見て、俺はつい、やってしまったんですね」
「ああ、そういうこと!」
満面の笑みに戻って、再び叫んでいた。
「かわいそうになって、『大丈夫?』と声をかけ、差し伸ばす手。リナお嬢は、恥ずかしながらもその手を握る。『ありがとう』と言って、見上げた先にあなたの姿。目と目が合った瞬間、お互いがお互いを――」
「――つい、鼻で笑ってしまったんですね」
「……鼻、で?」
「こう、『ぶっ』って、嘲笑をば」
目の前の顔が無表情になっていた。え? なにこいつ? こんなのがわたしの息子? という声が聞こえそうなくらい冷たいまなざしだった。
「きっとここから大逆転があるのね。そうに違いないわ」
自分に言い聞かせるようにそう言っているが、すでに興奮の色はほとんどなくなっていた。
「鼻で笑われた彼女は怒りました」「それはそうよ」
「それで、グダグダ俺に対して文句を言った後、脱げてしまったヒールをとってこいと命令してきました」
「ようやくだわ! ようやくきたのね!」
もはや、これは純粋な予想ではない。切実な祈りのように見えた。
「あなたはヒールを手にとり、リナお嬢の前に持ってくる。いなせな感じで、『どうぞお履きください』と言ってひざまずき、足の先にキスをする。リナお嬢は、あなたの態度の変化に驚きながら、『ありがとう』とヒールに足を通す。そして、少し顔を上げると、優しく微笑みかけるあなたがいて、その笑顔にクラッときて、惚れてしまったという――」
「まあ、無視してその場を去ったんですけどね」
ガタっという音がした。
もう限界だったのだろう。めまいがするらしく、頭を抱えてへたりこんでしまった。
でも、俺は聞かれたから正直に答えてあげただけだ。何も悪くない。
「そのつづきは?」
「それがないんですよねぇ」
だから俺も困っているのだ。縁談どころか、クレームが届いてしかるべき内容だ。
「もういい。もういいわ」
疲れてしまったのか、声に元気がなくなっていた。
「そうよね、あなたが人を助けたり、優しく声をかけたりなんかするわけないものね。ええ、わかっていたわ。初めからわかっていたもの」
「本題に入らせてください、お母様。縁談を断ってください」
王妃がこちらを見た。
「断る? なんで?」
「どう考えてもおかしいでしょう。ろくでもない目的の縁談に決まっています。俺になにか仕返しするつもりかもしれません。断ってください」
「そう……」
ふらふらと立ち上がり、ぶつぶつとつぶやきはじめた。
――こんなの誰が生んだのかしら社会のゴミだわ底辺だわもういっそ殺してあげるのがいいのかもしれないというか少なくとも家から追い出してあんな子供なんていなかったと思って生きていったほうがいいのかもしれないわね――
教育に失敗しただの、恥さらしだの、俺の悪口をぼそぼそと早口で言っている。呪詛のように延々と独り言をつづけている。
「あの、お母様……縁談、断って――」
もう知らない、知らない、こんな馬鹿のことなんて知らないと言いながら、俺の横を通りすぎていく。俺の言葉なんて聞いていなかった。
「ちなみに、16時から食事の約束になってるから、出なさいよ。煮られるなり焼かれるなり、相手の好きなようにされなさい」
それだけ残して、ぶつぶつとつぶやきながら部屋から出て行ってしまった。
俺は、その場に立ち尽くした。
俺を見捨てる気ですか、お母様……!




