9話 告白
透明化の解除の瞬間を見られてしまった。
まずい。
そう思ったが、そんなことを気にしていられる状況でないのも確かだ。俺の左手は木の幹をつかみ、右手はリナの細腕を握っている。どちらかの手が離れても、死ぬか生きるかもわからない傾斜の底へと転がっていく運命だ。
懸命に腕に力をこめるが、足がぬかるんでいてうまく引っ張れない。俺は、左足を木の根っこにかけ、左手を幹に押し込みながら右手を思い切り上へと引き上げる。
リナの体重が軽いのが幸いして、なんとかなりそうだ。少し安心したとき、リナに異変が起きた。
「いや……やめて……!」
つながれた手を見て、リナが顔をゆがめた。
「やめてやめてやめて、離して! お願いだからなにもしないでよ!」
「バカ! この状況で暴れてんじゃねえよ……!」
リナが俺の手を引きはがそうと、もう片方の手で俺の右腕を強くつかむ。俺はこらえるが、思ったよりもリナの力が強い。とっさに左腕と左足を幹に巻き付け、左手をリナのもう一方の手にのばす。
俺の右腕をつかむリナの手をはがし、左手でその手首を握る。俺の右手でリナの右手を、俺の左手でリナの左手をつかむ形となり、腕がクロスする。
俺は、左肩に体重を乗せながら、巻き付けていた左足で幹を思い切り蹴る。
「おおおおおおお」
そして、リナを力の限りを込めて引き上げ、リナの体が自分の体に近くなった瞬間に両腕をリナの胴体に巻き付け、後方に思い切り飛んだ。
俺とリナの体は、斜面の前の泥道に投げ出される。はぁはぁ、と息を荒げながら、腕に抱きしめたリナの無事を確認し、ほっと息をつく。
そして、すぐにリナの体から腕を離して立ち上がった。
なんとかなった。
リナもまた、地面に腕を立て、上半身を起こした。
「なんで、あなたが、ここにいる、のよ……」
顔を上げたリナは、肩を上下させながらそう言った。
「わたしのことなんか、放っておいてくれればいいのに……」
「バカが!」
俺は雨音に負けじと叫んだ。そして、膝を曲げてリナの顔を見て、思い切りその頬をはたいた。
「死ぬところだったんだぞ! ひとりで勝手に出歩いてんじゃねえ! 俺がいなかったら、どうなっていたことか……!」
まさかこんな感じで怒られると思っていなかったようだ。リナの目が丸くなる。
「あなたには、関係のないこと、でしょ」
「関係あるな。お前がいなくなったことで、騒ぎになってたんだよ。騒がしすぎて眠れやしないぜ」
「うるさい……!」
立ち上がったリナが、俺に背中を向ける。そして、ぼろぼろの体のまま、歩き出した。俺は急いで駆け寄り、腕を広げて目の前に立ちふさがる。
「どいて! 邪魔!」
「どかない」
「わたしがどうなろうがどうでもいいでしょ! さっさとどいて!」
「その体でどこへ行くつもりだ! 夜の山は危険だ! 引き返せ!」
「だからなんだってのよ!」
雨か涙でぐちゃぐちゃになった顔を歪ませてリナが叫んだ。
「危険だなんて知ったことじゃないわよ! わたしは行くの! 行かなきゃいけないの! 死ぬかもしれなくても、行かないとだめなの!」
「なにをそんなに急いでいる!」
「あなたには、わからないことよ! わたしにはわたしの都合があるの! どいて」
「それともなんだ、おまえ、死のうとでもしていたのか。たかが縁談で」
リナは、ゆっくりと首を横に振った。
「……別に、死のうとなんてしていない。ただ、遠くに行こうとしただけ」
「じゃあ、なんで俺が助けたときに暴れていたんだ」
「それは――」
視線を外す。自分の腕をさすり、気まずそうな顔をした。
自分からは言いたくないようだな。そう察して、俺が代わりに言ってやることにした。
「――当ててやろうか。おまえ、男性恐怖症だろ?」
リナは驚きのあまり言葉を失っているようだった
この反応、当たりだったようだな。俺の勘もバカにはできないな。
しばらく二人とも黙り込んでいた。俺は、リナが口を開くのをじっと待つ。
「どうして」
目を泳がせながら、リナは言った。
「どうして、わかったの?」
俺は、少し考えこむ。別に確証があったわけではない。
「最初に、その考えが浮かんだのは、パーティの日、お前が階段から転げ落ちる前だ」
「そんなに前から……?」
うなずく。
「もしかしたら、とちょっと思っただけだけどな。こわばった顔をしたお前が階段でつまずく直前、足が震えていたのを俺は見逃さなかった」
油断しているときに男がいるのを見つけて、動揺したのだろう。ひどく俺を警戒し、おびえながら階段を下りているように見えた。
「そんなことで、感じ取れるものなの?」
「まあ、実は、俺の近くにもう一人別の恐怖症を抱えているやつがいてな。その症状と似ているところがあったから脳裏をよぎっただけだ。それに、男性恐怖症と疑った理由はそれだけじゃない」
あのあと、リナが大広間に入ってきたとき、俺が見た光景。
次々と男たちがダンスに誘うが、すべてを迷うことなく断っていた。近くにいた貴族たちが、リナは一度もダンスの誘いに応じたことがないと言っていた。
「誰とも踊ろうとしないのはさすがに不自然だ。そこにはどうしても誘いに応じるわけにはいかない都合があるのだろうと考えた。お前がダンスを断るのは、男に触れることができないからだろ。踊る間はどうしても体を密着せざるを得ないからな。男性恐怖症のお前には到底できないだろう」
「だから、なの?」
リナが、俺の目をまっすぐ見て尋ねる。
「今日、食事を一緒にとっていたとき。料理を運ぶ人を、男の執事から女の人に変えてくれた……。実は、ひそかにすごくほっとしていたの」
「やたら汗をかいていたからな。あんまり刺激させないほうがいいと思ったんだ」
料理を運んで置く際、どうしたって体が座っている人の近くに寄ってしまう。万が一のことを考えてやったことだったが、結果的には正解だったらしい。
「まあ、本当の意味で男性恐怖症と確信できたのは、ついさっきだけどな。俺に腕をつかまれてパニックを起こすのを見て、間違ってなかったんだなと思ったよ」
「悪かった、わね。せっかく、助けてくれたのに」
少し落ち着いたらしい。さっきと違って自暴自棄にはなっていないようだ。
「いいさ。気にするな。事情が事情だ。仕方ないことだ」
その言葉を聞いて、リナは、ごめんなさい、と小さくつぶやいた。
「――ところで、お前の男性恐怖症。原因は、あの父親だな」
俺と一緒にいるときには、あそこまでおびえてはいなかった。父親の言うことに対し、何の抵抗もなく従っているさまを見ていて、おかしいと思っていた。
「よく、わかったわね」
「当たっていたか。半々だと思っていたが、今ので確信できた」
「……ねえ、さっきから思っていたけど、あなたほんとにバカ王子なの? いろんな人から聞いてきた評判とはずいぶん違うのね」
そういえば、こいつに対してはあんまりバカを装わなくなってきたな。
「……まあ、たまにはな。俺も根っからのバカじゃないさ。おまえといるとなんか力が抜けて頭が働くのかもしれないな」
リナがバカすぎて、警戒するのもばかばかしいと感じるからだろうか。
すると、リナは、「わたしも同じ」と言った。
「階段で寝転ぶあなたを初めて見たときには警戒したけど、気づいたらあなたと話していても特に不安や恐怖を感じなくなっていたのよね。たぶん、あなたがいつも私を怒らせてくるから、警戒している場合じゃなくなるからなんだろうけど」
「違いない」
お互い顔を見合わせて、少し笑う。
「よかったら、話してくれるか。お前の男性恐怖症のこと」
リナは、もう一度こくりとうなずいていた。
リナは自分の半生について語り始めた。
「わたし、実はもともとかなり期待されていた子だったの」
ときをさかのぼること、7年前。
5歳になり、魔力を測定したときのことだ。198という、公爵家きっての高数値を叩き出した。天才だと皆に騒がれたらしい。
「しかもそれだけじゃない。わたしの属性が闇魔法だったの」
この世に10000人いれば9999人の属性は火か水である。闇属性になるのはその残りの1人くらいと言われている。
「まさかと思っていたが、本当に闇魔法だったのか」
「……なんでそう思ったの」
「いや、大した話じゃない。お前がどうやって王宮から出られたのか考えたときにその可能性があると考えただけだ」
俺は思い出す。透明化しながら門から出ようとする前に、外灯の影が正門を越えて外にまで伸びていることに気づいたこと。
これを使えば、正門を使わずに外に出られるかもしれないと思ったのだ。
「闇魔法のことを詳しく知っているわけじゃないが、影を扱うことを主とした能力だと聞いたことがある。たとえば、影から人形を作りだすとか、影を固定して相手の動きを封じるとか……あとは影の中に潜る、とか」
「そう」
リナがうなずく。
「闇魔法の使い手なんてめったにいないから、王宮もそこまで闇魔法に対して警戒しているわけじゃないみたいね。外灯の影を使って塀を乗り越えることができたわ」
「やはりそうだったか。帰ったら、闇魔法で行き来できないよう直せと言っておこう」
そうしたほうがいいわね、とリナも賛同する。
「つづけていいかしら。闇属性で魔力も強い。そのことで、わたしに与えられた期待はとても大きいものだったわ。だからこそ、父はわたしにたくさんの家庭教師をつけ、熱心に教育をほどこそうとした。でも」
なんとなくそこで想像はついた。魔力と学力は別物だからだ。
「わたしは、勉強があまりできなかった。必死に努力はしたわ。期待にこたえられるように夜遅くまで与えられた課題に向き合った。でも、やっぱり地頭の問題というのがあるのよ。頑張っても頑張っても、父の期待に応えられるようにはなれなかったわ。そして、次第に、父の態度が変わってきてしまったの」
自分の体を抱きしめるリナ。この震えは雨に濡れたせいだけではないだろう。
「徐々に……父は、私に暴力を振るうようになった」
この国では、魔力よりも学力が重視される。かけた期待の分、落胆も大きかったのだろう。
7歳になるころには、毎日殴られ、蹴られ、罵倒されるようになったらしい。お前に対してどれだけ金を出したと思っている。このできそこないが。少しは俺の役に立てるようになれ。そんな言葉を投げかけられ、何度も何度も、公爵が飽きるまで拳が振り下ろされた。
「何をしていても、急に暴力をふるわれたときの恐怖がよみがえって胸を締め付けることがあるの。父の見下したまなざし。振り下ろされる拳が顔に近づいて視界を覆う瞬間の、心ごとつぶされるような感覚。特に、男の人に触られたときに、それらが全部、丸ごと頭の中を支配して、なにがなんだかわからなくなるの。それで……」
「いや、もういい。わかった」
涙を流し、耳をおさえてうずくまるその姿に、これ以上の無理強いはさせられなかった。
「今まで大変だったな。お前はよく頑張ったよ」
しかし、リナはかぶりを振る。
「いいの、まだ話させて。むしろ、聞いてもらいたいの」
リナは頑なだった。仕方なく、俺は黙って聞くことにした。
「今回の縁談の件はね、父の命令なの」
そうだろうと予想していた。リナが嫌がっていた以上、可能性は一つしかない。
「わたしは父には逆らえない。命令されたら従うしかない。父の目的は本当に知らない。ただ、パーティの日、あなたと会ったことを話したら、急に縁談を申し込むことになってしまったの。あなたに不快に思われても仕方ないわね」
「まあ、もういいさ。だいたいのことはわかった。よく話してくれた」
俺が縁談を断ったあとのことはだいたい想像がつく。
うまくいかなかった腹いせに、リナをまた殴りつけたのだろう。今リナの体にある傷は、すべてが自分で負ったものじゃないはずだ。
「わたし、殺されると思ったの。今度こそ、あの人は、わたしを殺す気だって思った。だから逃げ出したの。逃げて逃げて逃げて、王都からも離れて、誰も私のことを知らない場所に行こうと思ったの」
でも、わたし、ひとりで逃げだすこともできないんだね、と自嘲気味に笑った。
「わたし、死んじゃうところだった……! 足を踏み出して、でも、そこには何もないって気づいて、バランスを崩したとき、目の前には真っ暗闇が広がっていたの。ああ、ここで死ぬんだ、って思ったわ。もうだめだって。でも、急に腕を引っ張られて、あなたが現れた瞬間、ほんとはすごくうれしかったの。助けてくれて、うれしかったの。心の底から、死ななくてよかったって思ったのよ」
そして、リナは声を上げて泣き始めた。今までためこんできたものがあるのだろう。
しかし、俺はリナに触れて慰めることはできない。
黙って、落ち着くのを待つしかなかった。
どれくらい時間がたっただろうか。
雨はふりやむことなく、木の葉の隙間から大粒の雫を落としていた。お互いびしょぬれで、顔についているものが涙なのか雨なのかもよくわからない。
「ごめんなさい。少し落ち着いたわ」
リナが顔を上げた。目が真っ赤になっていた。
「情けないところいっぱい見せちゃったわね。恥ずかしいわ」
声がかすれている。さすがに泣きすぎだ。
「恥ずかしいなんてことはない。よく話してくれたと思う」
「……わたしの話せることは以上よ。他に何か聞きたいことでもある?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「よかったわ。……それで、話すのはわたしだけかしら」
リナは、俺の顔を見て言った。
「なんのことだ?」
「はぐらかせないわよ。わたしはっきり見たもの。なにもない空間から突然あなたの姿が現れた瞬間を。普通じゃありえないことだわ」
忘れてくれることをひそかに期待したが駄目だったか。俺はどうしようか考えこむ。
言うべきか、言わざるべきか。
しかし、リナの真剣な顔を見て、話したほうがいいのではないかと思った。
「誰かに話すのは、人生で初だな」
俺は、覚悟を決めて口を開いた。
「俺の属性は、光魔法なんだ」




