勝負
とりあえず、見合い話を阻止しなければ。
その思いだけが突っ走った結果、私はまだ両親に訪ねることを伝えていなかった。亮はスーツを持ってきたっていうのに。
「お寿司でも取るから、その間に電話しちゃいなさい」
という、おばさんの言葉に従って実家に電話をかけた。走れば、五分ほどの距離なのに変な感じ。
昼から、父も母も家に居るらしい。
会わせたい人が居る、近くまで来ているから昼から訪ねる、そう告げた私に母は、
「あらあら。昨日の今日で急展開ね」
とだけ言った。
お昼をご馳走になって、亮が着替えるのを待つ間、おばさんと四方山話に花を咲かせて。
「綾、お待たせ。行こうか」
座敷に、スーツを来た亮が姿を見せた。最近の髪色は落ち着いているものの、長さは相変わらず肩を過ぎる。それを首の後ろで括ってダークグレーのスーツを着ている。なんで母の言う『不良』なのに、きちんとスーツが似合うのよ、あんた。
「どうした?」
「ネクタイしているところ、初めて見た」
「文化祭、来てただろうが?」
「合い服だったじゃない」
いつものように軽口を叩きながら私も、立ち上がる。
「亮。言葉遣い、気をつけなさいよ」
おばさんは、それだけ言って私たちを送り出した。
小学校の六年間、通いなれた道をたどって実家に向かう。こんなに緊張してこの道を歩くのは初めてだわ。
門を開ける音を聞きつけて、ガレージにつながれたチョビが吠える。モンジロー亡き後、飼いはじめた白い雑種犬だ。
「あれ? 茶色い犬が、白髪になった」
「そんなわけ無いでしょうが。別の犬よ」
門扉をくぐりながら、チョビの姿を見た亮がとぼけたことを言う。おかげで、なんだか気が抜けたわ。
チョビの声に、玄関のドアが開いた。
「ただいま」
「こんにちは。突然お邪魔します」
母のサンダルを突っかけて玄関をあけた父は、無言で亮を見上げた。
「お父さん。山岸さんの所の、亮さん」
「はじめまして。山岸 亮といいます」
亮がそう言って頭を下げても父は何も言わなかった。さすがに私たちが玄関に入る間だけはその場に居たものの、そのまま奥に入ってしまった。
これは……。手ごわいかも。山岸のおじさんの言うように、殴られるのはここか。
亮を見ると、ちょっといつもより気弱な微笑を見せた。
「とりあえず、上がろう」
亮を促して、靴を脱ぐ。自分が脱いだ靴をそろえている亮を待っていると、母が奥から出てきた。
「いらっしゃい、亮くん。久しぶりね」
「田村のおばさん。ご無沙汰しています。今日はいきなりお時間をとっていただいて」
深く頭を下げる亮に、母も
「ここでする話でもないでしょ。さ、奥にいらっしゃい」
直接の返事を返さず、背中を向けた。
お茶の間に入ると、父は難しい顔をして囲碁の本を読んでいた。私たちが部屋に入っても顔も上げない。父の正面に用意されていた座布団に座って、
「お父さん」
私が呼びかけると、父はやっと本を置いて老眼鏡をはずした。母が、お茶を配る。
亮は座布団をはずして座り、いきなり頭を下げた。
「綾子さんとお付き合いをさせていただいている、山岸 亮と申します。ご挨拶が遅れ、ご両親にご心配をかけて申し訳ございません」
父は、むっつりと腕組みをしているし、母も黙っていた。
亮は、その空気にもめげずに言葉を繋いだ。
「今日は、結婚のお許しをいただきたく、伺いました」
「君は、仕事は何を?」
父は、そんな質問で口火を切った。
そこからは、山岸家でのやり取りの再現のようだった。その内容で両親が、亮の仕事や将来に不安を抱いているのがわかる。亮は、おじさんとやりあった時に比べて言葉を選びながら、力強く話を続けた。玄関での気弱な表情を押し隠して。
「話は、わかった」
やっと、父が質問を止めた。ほっと、息をつく亮。しゃべり詰めと緊張で、のどが渇いたのだろう。すっかりさめたお茶を一息に飲み干した。
その様子を見ていた父が、最後で最強の言葉を放った。
「しかし。許しを得にくるのに、その髪は無いだろう」と。
横で、亮が息を飲んだのがわかった。
「ちょっと、お父さん」
これは、私が亮を守る場面だ。私だって、殴られる覚悟だ。
「亮の髪は商売道具よ。その辺の男の飾りとは意味が違うわ。お父さん、結婚するときにおじいちゃんにそう言われたら、あっさり工具を捨てたりしたわけ? お父さんや私が工具の手入れをするのと同じくらい、亮は手入れをして大切にしているものなの」
定年退職したとはいえ、父もエンジニアだ。これでわかってくれると思った。
「仕事と娘を天秤にかけて、君は仕事をとるか」
そういって、父は席を立った。
「待ってください」
亮が引き止める。立ち上がった父を見上げて亮は言った。
「綾子さんの言うように、私は体全体が商売道具です。自分の思うように髪を切ることもできません。しかし、覚悟を認めていただけるのでしたら、変えて見せます」
「できるのか?」
「先ほども申し上げたように、完全に自分の思うようにはできない仕事です。ご満足いただける仕上がりにしてきますとは、確約できませんが、再び伺わせていただくお約束をいただけますでしょうか」
父と、亮はじっと見つめあった。静かな火花が散るように感じたのは、気のせいかしら。
「どのくらい、かかる?」
先に目をそらせた父が問う。
「二週間いただければ」
「二週間後に、来れるのか」
「ご都合は、よろしいですか」
「君こそ、忙しい身だろう。仕事をしているほうにあわせるのが筋だ」
内ポケットから手帳を出した亮が、スケジュールを確認して再来週の日曜日に改めて、ということになった。
部屋から出て行った父を見送り、母が私たちのお茶を入れなおす。
「山岸さんのところには、行ったの?」
「午前中に行ってきた。電話、山岸さんのとこからかけた」
「近くまでって、本当に近かったのね」
母はそうつぶやくと、お茶菓子のお饅頭に手を伸ばした。子供のころからおやつの時間に使っていた菓子鉢に、スーパーで売っているような個包装のお饅頭。いまさらながらに、両親にとってこの訪問が不意打ちだったことを実感する。
私も二つ手にとって、隣に座る亮に一つ手渡す。
「さんきゅ」
疲れた声でそう言った亮は、おとなしく食べ始めた。
「そうしていると、幼稚園のころから変わらないわね。あなたたち」
母が頬杖を付くようにして私たちを見比べる。
「亮くんが疲れきってて、綾子は元気で。二人でおやつを分け合って。あのときには、こんな日が来るとは思わなかったわ」
母はそう言うと、なぜかにっこり笑った。
「このあとは、どうするの?」
「一度向こうに戻って仕事の段取りとかをつけるつもりです」
亮とそんなやり取りをして母は、柱時計を見上げた。午後三時半になろうとしていた。
「そうね。うるさいのが帰ってくる前に、ここを出たほうがいいわね」
あー。妹の涼子にそういえば会っていない。
「涼子どこかへ出かけているの?」
「若菜ちゃんと、遊びに行ってくるって」
あの二人は、いまだに仲良しか。オムツをしていたころから三十歳までってある意味すごいわ。
「じゃぁ、またくるから」
そう母に言い残して、私たちは家を出た。
亮が実家に置きっぱなした着替えを取りによって、『髪を切って来い』といわれた話をおばさんにして。それから私たちは、駅に向かった。
「亮。髪、本当に大丈夫?」
「大丈夫。今のところ、違反になる契約は結んでいない」
「あの場で即答できるくらい、きちんと把握しているんだ」
「事務所もきちんとしているけどな。俺がすべての契約に目を通している。そのための法学部だ」
「さすがは社会科学年トップ」
「まあな」
亮は翌日のオフを返上していろいろな調整をするという。
二週間後、この努力が報われますように。
当事者の一人なのに、私は祈ることしかできなかった。
二週間後の亮は。
勤め人としては若干長めの後ろ髪と、顔の半分を隠すような前髪になっていた。
「前髪長くない?」
前日、泊まりに行った私はこれで大丈夫かしらと心配になった。
「大丈夫。これで、文句言わせるかよ」
言葉遣いはいつもの乱雑さだけど、瞳がどこか自信なさげだった。そして、ひょいっと、腕を伸ばした亮に抱きこまれた。
「でも、ちょっとがんばりを分けて」
「いくらでもどうぞ」
背中に手を回す。亮の背中はいつもより狭く感じた。
翌日の亮は。
前髪を上げて整髪料で固め、いつもの眼鏡にこの前のスーツ。前より、変な迫力があるんだけど。お父さん、これを見て心臓大丈夫かしら。
「どうだ。惚れ直したか?」
薄茶色の瞳が、いたずらっぽく笑う。
「小学校の音楽会?」
「どこが!?」
「あのころの髪の長さに見える」
脱力して、いわゆるヤンキー座りでへたり込む亮の肩を軽く叩く。
「うそうそ。格好良すぎてびっくりしたわよ」
「本当かよ。信じるぞ」
恨めしそうに見上げる亮の顔が、かわいくって軽くキスをしてやった。
「必勝のおまじない」
「俺だけの、勝利の女神だな」
もうひとつ、キスを交わして。
私たちは、午後二時からの勝負に挑む。
午後一時五十五分。実家の玄関のドアを開けた母は、絶句した。
「改めて、お許しをいただきに参りました」
亮の声にも、反応も見せずにポカーンとしている。
「お母さん? あがっていい?」
私が言うと、やっと息を吹き返したように
「お茶の間に、お父さんいるわ」
と、言った。そして私が差し出した手土産のシュークリームを手に、台所へ引っ込んでしまった。
茶の間で私たちを迎えた父は、というと。
「これはまた。思い切ったな」
と、一言。
「私の覚悟の程は、わかっていただけたでしょうか」
鮮やかにカウンターアタックを決めた亮は、やっと父相手に自分のペースを取り戻せたらしい。程なく、結婚の許しを得ることができた。
この前と比べて、私たちは和やかにお茶を楽しんだ。両親はどうだったか知らないけど。
「ただいまー」
”うるさい”涼子が帰ってきた。
茶の間の戸口から覗き込むなり叫んだ。
「うそー! お姉ちゃんが、彼氏連れてきてる!」
「これ! 挨拶しなさい!」
母が負けずに叫ぶ。亮は、目を丸くしたかと思うと、噴き出した。
「はじめまして。妹の涼子です」
荷物を脇に置いて正座をし、借りてきた猫を何匹もかぶった声を出す涼子に、私もおかしくなった。
「久しぶりだね、涼子ちゃん。いつも若菜がお世話になっています」
「へ!?」
一瞬、間が空いたと思うとさらに叫んだ。
「うそー、若菜ちゃんのお兄ちゃん? えー!」
やっぱり、うるさい。
「っていうことは、RYOだよね。きゃー」
あー。やっぱりそういう反応になるんだ。父だけが騒ぎについていけずに目を白黒させていた。
涼子を叱ったあと席を立っていた母が、淹れなおしたらしいコーヒーのポットと、涼子の分のシュークリームとを持って茶の間に戻ってきた。私と母の間に座った涼子はそれを受け取りながら、亮に尋ねた。
「でも、なんで髪が短いの? イメチェン?」
「そうだね。そんなところかな」
RYOの顔で笑う、亮。公にはそういうことになるわね。
この流れでいたたまれなくなったらしい父が立ち上がって、母に言った。
「防コミの会合に行ってくる」
「はいはい。お疲れ様です」
「いってらっしゃーい」
シュークリームを手に、父のほうも見もせずに言葉だけで送り出す涼子に
「防コミってなに?」
と聞くと、涼子は
「防災コミュニティー? なんか、近所のおじさんたちが集まって防犯とか、防災とかの活動をしているみたい」
シュークリームを割りながら答えた。母が淹れなおしたコーヒーを飲みながら、横で聞いていた亮が咽る。
「どうしたの?」
「おやじが、一枚噛んでいそう」
「そうね、山岸さんのご主人が世話役」
たいしたことの無い顔で、母が言う。
「でも、今日の会合いつもより時間が早くない?」
「自主会合でしょ」
涼子と母が二人でわかる話をしている。
自主会合? 何それ、自主練の親戚?
もしかして……
「父さんと山岸のおじさんて、ツーカー?」
「よく一緒に飲みに行っているよね」
いきさつを知らない涼子の言葉に、亮と顔を見合わせた。父親同士が飲み友達、母親同士が茶飲み仲間で。山岸のおじさんもおばさんも、前から私たちのことを知っていた。ってことは。
「お母さん?」
「はぁい?」
「もしかして、謀った?」
「いやぁね。人聞きの悪い。ちょっと弾みをつけてあげただけじゃない」
やられた。二人で、ため息をついた。
母は、涼しい顔でコーヒーを飲んでいた。
母の話によると。
私たちがなかなか親に紹介しないことに焦れた母親たちの見合い作戦に、亮の髪にいい顔をしていないおじさんが便乗したらしい。
「出来レースだったわけ?」
「全然。亮くんが動かなかったら、山岸さんに見合い相手を紹介してもらうことになっていたし。お母さんたちにとっては、亮くんの仕事に不安が無いわけじゃないの。あんたの貰い手ってだけで、ある程度下駄を履かせるにしてもね」
「髪のことは」
「”綾子との生活を守るため”に仕事を取る、と、お父さんを説得できたらその覚悟を認めるつもりだったみたいよ。正直、ここまで思い切るとは誰も思っていなかったわね」
「ちょっと。RYOが髪を切ったのは、お姉ちゃんのため?」
母と私の会話を黙って聞いていた涼子が口を挟んできた。忘れていた。この子居たんだ。珍しく静かだから忘れていた。
「そう、なるかな?」
亮が、首をかしげながら肯定する。
「でも、オフレコでね。涼子ちゃん?」
「んー。ポスターにサインくれたら」
「今、持っているならとっておいで。油性ペンとね」
やったー。と小躍りしながら、涼子が二階へ上がっていった。あっさり買収されたな、涼子ったら。
「相変わらずの”人徳”ね」
母が、苦笑した。
涼子にサインを渡し、実家を後にする。山岸のおばさんのところにも一度立ち寄って、許しがもらえたことを報告した。父親同士の”自主会合”とやらで、もう伝わっているのだろうけど、一応筋は通すということで。
おばさんは、亮の頭を見て
「あら、久しぶりに見る感じね。小学生のころみたい」
私と同じことを言った。
「こんな髪型の小学生がいるかよ」
「だって、中学は丸刈りだったでしょ。高校もバレーしていたからそれなりに短かったし」
うんうん。高校は、いかにもスポーツマンって頭だったわ。
「で、大学はいったら長いわ、インコみたいな色だわ」
はー。やれやれ。って感じでおばさんが、頬に手を当ててため息をついた。
「いつまでも若くないんだから、見た目も落ち着いていいころじゃない? デビューのときにお父さんにタンカを切ったのだから、そろそろ音楽だけで勝負なさいな。あんた達にはそれだけの力があるでしょ?」
そう言ったおばさんの微笑みに、亮はうなずいた。力強い眼で。
亮と二人で、駅に向かう前に小学校の横の公園に立ち寄った。
私たちの子供の頃より、この町も子供の人数が減った。夕方まではもう少し時間があるのに、遊んでいる子はうんと少なくなった。なんだか、寂しいな、と思いながら、小さく感じる遊具の横をぶらぶらと歩く。
「綾」
「なあに?」
亮の声に足を止めて見上げると、さっきの強い眼とまじめな表情があった。
「綾、俺の残り半分の人生をお前にやる。お前の残り半分の人生を俺にくれるか」
そういえば、きちんとプロポーズされて無かった。どれだけ私たちは、突っ走ったのかしら。
「いいよ。亮にあげる」
私の答えに、亮は子供のころから変わらない、きれいな薄茶色の瞳で笑った。
自分でも覚えていなかったような、幼いの頃の会話がよみがえる。
『あやちゃん、ボクのビスケットはんぶん あげる。あやちゃんのポッキーはんぶん ちょうだい?』
『いいよ。はい』
END.




