ep1:また、演技をしたいって
「──表を上げよ」
たったその一言。その台詞だけで会場全体が生物のように息を飲んだ。その空気が観客を無差別に巻き込んで会場を支配している。
元から声出し禁止の舞台ではあるが、会場は咳払い一つ聞こえない。観客は本能で言葉を発してはならない、呼吸すらも許されないと思わされるのだ。
声が出せない観客の視線はただ一箇所。実際にはないスポットライトがあるのではないかと思うほどに一人に視線が集まっている。
その幻のスポットライトに照らされるのは──若き天才役者。小柳遥花だ。
「私は、貴殿を……愛している」
一瞬の間。
台本には存在しない沈黙とそれに伴う涙。けれども、それが小柳遥花の演技だった。
基本的に彼女は台本に従わない。従うにしてもわざと言い淀んだりなどのアレンジを施す。……それが、見事に観客の心を魅了していた。
遥花の締めの台詞で幕が降りた。文字通り、公演の終了を表している。それと同時に制限が外れた会場は悲鳴とも取れるような歓声に包まれた。
思わず立ち上がる者や感動のあまり涙を流す者もいる。それほどまでに小柳遥花の演技は人を狂わせる。
◇◇◇
「──えっと……どちら様で?」
頭に包帯を巻いた遥花が目の前に立つサングラスの男に尋ねる。第一印象としてはチャラ目のヤバそうな大人であるが、遥花の一言でそのイメージは一気に崩れた。
「……本当に『小柳遥花』なんですよね?」
見た目には合わない敬語と異様に狼狽えている様子を見て、思ったよりもちゃんと大人なのだと遥花は解釈した。
「……そうらしいですね」
らしい。遥花はわざとそう曖昧に答えた。ただ、彼女にとってはそれが唯一持っていると言っていいほどの情報であった。
「そう……ですか。体の調子は?」
「全身がすっげー痛いです」
特に後頭部が、と遥花は付け足す。包帯でグルグル巻になっていてその痛々しさは一目で伝わってくる。
男は遥花に聞こえるようにため息をついた。嫌味とかではない。心の底から頭を抱えているのが声に出てしまっただけだ。
そして、すでに医者から伝えられていることではあるが、何かの間違いじゃないか、という可能性を捨てきれなかった男は遥花に一つ問うた。
「記憶喪失……なんですよね?」
「ですねぇ。自分の名前すら怪しいんですもん」
「そう……ですか」
男は狼狽えた様子でベッド近くの小さな椅子に腰掛けた。背丈百八十はありそうな人なので、おそらく子供用と思われる椅子に座る姿はシュールで、遥花の笑いを誘った。
「笑い事じゃないんですよ……って言ってもピンと来ませんよね?」
「そうですねぇ」
遥花は腑抜けた声で答える。元々そういう性格であったためか、彼女自身他人事のように思っている。
「……本当に何も覚えてないんですか?あなたの事だから記憶喪失自体が演技ということもありえるので……」
「残念ながら本当になーんにも覚えてないっすね」
「……そうですか」
何とか捻り出した希望も儚く砕かれた男はもう、遥花の記憶喪失を認めることしかできなかった。
「……なら、俺の名前もわからないでしょう?」
「面白いくらいにはわからないっす」
「全く面白くないですけどね。……。夜鷹颯劇団ベルスーズ所属の小柳遥花直属マネージャー。あとは……お嬢の世話係ですかね」
「お嬢?今、お嬢って言った?」
アニメなどでしか聞かないような二人称に遥花は引っかかった。今言ったということはお嬢=遥花で間違えないだろう。
遥花は改めて自分と夜鷹の関係に興味を持った。
「言いましたよ。お嬢の家庭環境は……あまり普通とは言えないため、俺が預かっているんです」
「……私って両親いないんだ」
「……」
「当たり?」
夜鷹は静かに頭を縦に振る。肯定するにはあまりにも重すぎる事実だった。実際、遥花の両親は彼女が小学生の時に事故で他界している。
記憶を失っている遥花は今、改めてその事実を突きつけられるが遥花は飄々とした様子を見せる。……そうは言ったものの、もちろん元気というわけではない。彼女なりに落ち込んでいる様子は見られた。
だけども、涙を流したり深呼吸を促されたりするものではない。両親と過ごした記憶がないので、他人が死んだ、に過ぎないのである。
これほど残酷なことがあるだろうか。夜鷹は言葉が上手く出せなかった。そんな彼を見かねてか遥花が一つ夜鷹に聞く。
「私はこれからどうすればいいんです?自分が何者かすらよくわかってないんで何もわからんのですけど」
「お嬢は通信制の高校に通いながら役者をしていました。俺やお嬢のファン的には活動を続けて欲しいけど俺はお嬢の意志を尊重します。高校も全日制がいいならこちらで手配します。なので、今あなたがしたいことを教えてください」
夜鷹はできる限り言葉を綺麗にして述べた。彼自身小柳遥花に狂わされた人間の一人なのだ。それを今、自分の手で終わらせようとしている。苦渋の決断でしかなかった。
遥花は少し考える素振りを見せると「うん」と一言置いた。そして、話し出す。
「医者には無理に活動は続けない方がいいって言われたんですよ。脳へのダメージとか諸々でね」
「……そうですね」
「それに、夜鷹さんの話的に私って役者だったんですよね?……正直、今の自分に演技なんてできる気は一切しないっす」
「……」
「だから、復帰後のサポートをお願いしたいんですよね」
「……え?」
遥花はイタズラな表情で指を口元に当て、微笑んだ。そんな彼女は悪魔のような天使だった。
「ほら、記憶を取り戻すには今まで通りの生活とかをするのがいいとか言うじゃないですか?」
「それは……そうですが……。お嬢はそれでいいんですか?」
遥花は握り拳を作って夜鷹に押し付ける。
「記憶にはないんですけど、たぶん体が言ってるんです」
【ep1:また、演技をしたいって】




