第九話
「目が覚めた? 安・善礼」
女の声がして、俺は目を開けた。夕方の光だ。照明器具の見えない部屋に薄暗い日光が差していて、夕方だと分かった。
「ようこそ<城砦福利会>へ。安藤だと長いから安って呼ぶわね。アナタが持ってるそのIDは、一体誰から貰ったモノなのかしら?」
俺は重たい身体を何とか起こした。そして頼んでもないのに俺の名を調べ上げ、既に調べているくせにIDの出所を質問してくるうざったい女の方を見た。
「……へえ」
美女だ。この世に“世の中”なんてものが実在するなら、間違いなく“絶世”の美女だ。切れ長で吸い込まれるような力を宿す瞳に、存在感のある艶やかな唇。整っているが主張し過ぎない鼻。肩くらいまで伸びた濡烏の黒髪。白い肌。弦楽器のように響くのに、どこか心地良い涼やかな声。
「へえ、じゃなくて。答えて頂戴。そのIDは誰から受け取ったの?」
「<大福大楽>の店主から貰ったのさ。なんて説明したらいいか……ほら、九龍区の警察署の近くにある」
「なるほど。<大福大楽>の店主から」
嘘はつかないほうが良い。ここで嘘をついて陳さんをかばったところで、このIDの出所は既に知られているのだ。この女は俺の個人情報ではなく、態度を見ているのだ。<城砦福利会>の中で、元警察署員の俺が取る態度を。
「どうしてここへ?」
「女の子を探しに来た。楊・冬という少女だ。“もう一度”詳しい説明をしてやろうか? 三年前、九龍署員が瓜豆に突入した際に保護した<孩子たち>の内の一人だ。ついこの間窃盗事件を起こしたってんで、探しに来た。どうだ? 楊・冬を知ってるか?」
「……ふふ。ご丁寧にどうもありがとう。でもその情報は知ってるわ。アナタも知ってることを知ってるんでしょう? ボスを呼んでくるからちょっと待ってて」
そう言って、さっきまで俺を膝枕していた女が立ちあがると、今流行りの机機式・黒蘿莉を前面に押し出した服装をくるりと翻して、部屋の奥の方に歩いて行った。どうやら合格判定が出たらしい。しかしそのとき、彼女の後ろ半面は全く衣服を纏っておらず、滑らかな背中の肌と形の良い尻が丸出しになっていたので、俺は少しだけ香港のファッションに感謝した。
ゴスロリファッションを前面に押し出し過ぎて、後ろが無くなってしまったのだろう。