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九龍  作者: 藤二井秋明
第三章 楊・冬
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第十話

 静かな部屋だ。飾り気も洒落っ気もなく、夕日を取り込む窓際に<九龍城侯王廟>と書かれた薄赤色の提灯が数個掲げられている以外、目だった特徴が無い。

 テーブルが一つに椅子が四脚。右手にはキッチンと思しき設備が備わっている。しかしそれらはどこの一般家庭にもあるもので、マフィア組織を想起させるシロモノではない。

 どんどんと、上層階の足音が天井越しに響き、次いで子供の笑い声が聞こえる。マフィア本部の一つ上の階で子供がはしゃぎまわっているとすれば、これ以上ない程倒錯した状況に思える。

 俺は思いついたことがあって、右脳の仮想スイッチを入れてみた。


 自己セルフ信息インフォ>自己日志(ログ)存取アクセス履歴

 最終アクセス日時:二一二二年・五月・一○日・〇九時〇五分


 朝の〇九時〇五分。これは、俺が今朝署を強引に退職してきた後、警察身分が失効したことを確認する為に自分でログを開いた時刻だ。それ以降の時刻は記録されていない。

 福利会の人間が俺を眠らせている間にログを調べたと仮定すれば、その時刻が記録されるはずだ。しかしそうなっていない以上、彼らは俺に何もしていないか、はたまたMR量子ネットワーク上に履歴を残さずアクセスしたかのどちらかということになる。

 しかしその場合分けにさしたる意味はない。正午過ぎに<城砦福利会>の門をたたき、部屋の中に夕日が差し込む時間帯まで眠らされていたにも関わらず何も悪さをされていないなどと考えるのは、天動説より遙かに希望的な観測だ。子供向けのゲーム機と同じ値段で買える望遠鏡でだって、そんな観測違いはしたくない。彼らは間違いなく、俺の個人情報に足跡を残さずアクセスしたのだろう。


 ポップアップが一つ、思い出したかのようにひょこんと現れた。

『未知的格式』

 何だ?不明な形式?

 訝しむ間もなく、先ほどの女が戻ってきた。戻ってくるときも後ろ向きに尻を向けて戻ってくることを期待したが、そうではなかった。

「不明な形式と出てきたが、何だ?」

 彼女は俺の質問をスルーし、隣に座るといきなり俺の手を握った。右手だ。「私の名前はミー。ボスがいらっしゃるわ。姿勢を正して」

 先ほどまで男に膝枕していた女がしていい表情ではなかった。両目を皿のようにかっ開いて、しかし焦点は前方のどこにもあっておらず、心もここに在らずという感じだった。MR世界を眺めている者の典型的な目つきだ。


 ひょこん。ひょこんひょこん。ひょこんひょこんひょこひょこひょこんひょここここここひょここここここここここ……

 突如、量子電脳ver.三.零.五.五.の軽薄なSEが無数に鳴り響く。

『未知的格式』のポップアップが大量に散乱する。それはあの<東頭村通り>

の看板群を思い出させる。


『未知的格式』『未知的格式』式』的格式』『未知的格式』『未知的格式』式』的格式』『未知的格式』『未知的『未知的格式』『未知的格式』格式』『未知的格式』『未知『未知的格式』『未知的格式』『未『未『未知的『未知的『未知的格式』『未知的『未知的格式』『未知的格式』格式』『未知的格式』『未知『未知的格式』『未知的格式』『未『未『未知的『未知的『未知的格式』『未知的格式』式』的格式』『未知的格式』『未知的格式』式』的格式』『未知的格式』『未知的『未知的格式』『未知的格式』格式』『未知的格式』『未知『未知的格式』『未知的格式』『未『未『未知的『未知的『未知的格式』『未知的『未知的格式』『未知的格式』格式』『未知的格式』『未知『未知的格式』『未知的格式』『未『未『未知的『未知的


 何もない空間に新品のタイルが張られていくように、俺の視界が埋め尽くされていく。

「な、なッッ……!!」

「手を離さないで。私と繋がってないとアナタ死ぬわよ」

 俺の義手を握りしめる彼女の手の感覚が、非現実的な光景の中で俺を世界につなぎ止める楔になる。

 俺の右脳の処理限界寸前まで膨れ上がった未知的格式ポップアップの奔流の中、一際巨大な『未知的格式』が真ん中に表示されたかと思うと、その白地に黒文字のウィンドウをビリビリと両腕で引き裂いて、量子コマンドの漆黒面から痩身の男がぬっと顔を出した。

『あーあ。またこれだ』

 その声はまるで地響きの様に俺の腹を震わせ、眩暈を誘発する程現実離れしていた。

『そろそろ新しいプログラムに書き換えなきゃいけないかもね、米』

 呼ばれた女は俺と同じ光景を見ながらも、「ボス。お昼寝は心地良く?」と何の気なしに返す。

『ああ、ぐっすり眠ったよ。それよりそこの御方を奥までご案内して。歓待の宴を開きたいから』

「承知いたしました。アン。安・善礼(イーリー)、アナタよ。奥まで案内するから付いてきて」

 ああ、何が何だかさっぱり分からない。

 それによくよく考えたら、俺が入ってきたこの部屋、夕日が差し込むような位置にあったっけ?

『礼・師父(シーフー)、特別に教えて差し上げよう。この部屋は量子・糾紛を利用して五分に一回座標が変わるようになってる』

「座標が変わる?」

「外敵から本部を守る為さ。ようこそ福利会へ。皆待ってるよ」

 ボス、と呼ばれるその男は、部屋の隅のベットまで歩いて行くと、そこに横たわるもう一人のボスの身体に自分の身体を重ね合わせ、そして何事も無かったかのように二人は合体して現実の人間として歩き始めた。現実世界とMR世界を行き来していやがるのだ。

「さあさあ。早く早く。楊・冬の話をしよう」

 

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