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「…………あの子」
聞き取られなかったのは、今の組長をはじめとする近藤たちの注意が彼女一人に向いているからだろう。あの子じゃなく、あの子の持つ『あれ』の注意をしているだけだ。だから、だれも気づけない。
あの瞳は、何かをあきらめかけて、けれどそれができない瞳だ。我慢して、自分ひとりで抱え込もうとする、そんなときにする瞳の色だ。すべてをあきらめたくて、けれどたった一つだけ、あきらめられない。だから彼女は今向き合おうとしているのに、この場にいるすべての人間は、彼女を『あれ』としか扱わないだろう。
「違うことはないさ! 君は、俺たちが捜していた唯一無二の人材だ!」
やけに自信満々に言う近藤に、暙桜の瞳は音を立てて凍りついた。彼女はそのまま唇を噛み、うつむいた。
――もう、だめだ。
ここでも、だめだ。
あきらめかけた思惟に、一つの灯火のように声が飛び込んでくる。
「君は、何が違うと思うの?」
沖田が紺の双眸を暙桜に向ける。縋るようにその瞳を見つめ返す少女は、今はこんなにもはかなく、弱弱しい。
君は、こんなこと言ったら怒るかもしれないけど、そんなふうに表情がころころ変わる君を見ているとなんだかとても、温かい気分になるんだよ。
「………新選組が、あなたたちが求めているのは、『暙桜』ではないと、言いたいんです。あなたたちがほしいのは、きっとこの身に流れる紅の血族の血」
胸に手を当てた少女は、毅然と顔を上げた。もたげていた首が一気に持ち上がり、初めて一同は彼女の瞳を見た。
痛ましく傷ついた、けれどどこかあきらめたような呆れたような、その瞳の色に総司以外が言葉を失う。けれど彼はそれを気にせず、再び口を開く。
「じゃあその血は、なんなの?」
「知りません」
ですが、と言葉を続けるとき、暙桜は呆然とした一同の顔を見回した。
「最初は粛清するつもりだったとお見受けしました。それをいきなり軽い理由で方向転換するはずがありません。ならば貴方達が求めるのはわたしの肉体、あるいはその中に流れる血、力です。そう考えるのならば、肉体や分からない力より、より確実な、血」
そして、と続けて暙桜はどこか哀しそうに総司を見た。まるで答えは彼の中にあったように、彼を見つめて、静かに凪いだ。
「貴方は先ほどおっしゃいましたね……」
―――この躰を巡っている血が、誘ったんです……
―――君は、僕たちの助けだ
その会話を思い出せば、簡単だ。血を、欲している。この身体を駆け巡るこの血を、彼らは欲している。理由は判然としないけれど。
暙桜は僅かに瞼を伏せた。なぜだろう、目の奥がつんとして、痛い。
「君は、聡いね」
そして、聡すぎるから、彼女は苦しむ。
総司は立ち上がり、暙桜の前に行き、膝をついた。警戒する彼女をよそに、彼は細い肢体を抱きしめた。
「総司…っ!!」
声がするけど、気にしないよ。だってみんな気づかないでしょ。いま、彼女がどんな表情をしているか。どんなに、その涙を我慢しているか。どんなに、苦しんでいるか。
「近藤さん、またしばらく、彼女と二人にしてくれません?」
「あ、ああ……」
近藤が立ち上がると、原田から部屋を出て行く。それを横目で見ていた総司は、障子が閉まると、腕の中の少女に視線を移した。胸の辺りにある漆黒より綺麗な髪。
「おとなしいね」
どうしたの、と先ほどと変わらぬ口調で彼女に接すると、反応はない。ぴくりとも動かない腕の中の肢体が、今にも消えてしまいそうだ。
背中に流れる髪を一度だけ梳く。
「泣きなよ」
柄にも無くそんなことを言ってしまうほど、今の彼女はもろく危うい。不意に左腕に感じた弱い力。縋り付いてくるように細い指が、左腕に絡まる。右腕は背中に回されて、背中の服を引っ張る。けれど、こちらも力は弱い。細い肢体が助けを求めるように総司に縋り付いてくる。
「……っ…、…っ」
必死に嗚咽を堪えている少女の頭を、何度も撫でる。それが余計に、彼女の涙を流すものであっても、今の彼女には必要なことだ。
「君は、なんでも一人で抱え込むんだね」
どこかのだれかさんと一緒だよ、と言うと、彼女は涙でぬれた瞳で見上げてくる。
「…だれか………?」
かすれた響きは、しかし思いのほかしっかりと総司の耳に届く。だから彼は、妙に自分のことが分からなくなってくると同時に、腕の中の少女が自分に与えるこの気持ちの正体を知らず、すごそうとしている。
「そう、ほらいたでしょ? 眉間にしわよせてた恐い人」
思い返してみて暙桜は、たしかにそんなひとを見た。話し出していた人の隣にいたすこしきつめの人だろうか。
暙桜が小さく頷いたのを見ると、総司は満足そうに笑う。
「あの人みたいになっちゃうよ?」
この辺が、と右腕の人差し指で暙桜の眉間をつつく。どこか楽しそうなその表情は、完全に人で遊んでいる。
「………沖田さんは、意地悪です……」
「今気づいたの?」
さも当たり前のように呆気からんとそういった総司に暙桜が小さく笑う。
涙でぬれた頬に、総司の手のひらが触れる。思わず目を閉じた暙桜はしかし、思いのほか優しいその触れ方に、ゆっくりと瞼を上げた。




