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獣人と火と鍛冶

谷を抜け、朽ちた橋を越えた先の村――というより、数軒の小屋が点在するだけの集落に、オッサンはたどり着いた。

獣の匂いと、湿った土の匂いが混じる場所だった。


「……宿、なし。店もなし。だが、煙突は見えるな」


野営を覚悟しかけたそのとき、小屋のひとつから煙が立ちのぼり、扉が軋む音とともに、中から老婆が現れた。


毛皮を三重にも巻き、片目に眼帯。腰には小さな斧。

そしてその背後には、白い髪を肩まで伸ばした少女がいた。

目元は垂れ気味で、服の袖からは赤い火傷跡のような痕が覗いている。


「……おい。旅人、か?」


老婆が低く、獣のような声で尋ねる。

オッサンは軽く頷いた。


「寝る場所と、水がほしいだけだ。金は出す。仕事でもいい」


老婆は目を細めてから、少女の肩を叩いた。


「……この子の部屋、貸してやれ。お前は納屋で寝ろ。異物慣れの練習だ」


少女は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく頷いた。



---


その夜、オッサンは囲炉裏を囲んで、老婆と対面した。

少女は部屋の奥で眠っているようだ。


老婆の名はグルマ。

元は獣人の辺境傭兵で、今はこの村に流れ着き、半ば自給自足で暮らしているという。


「……あの子はな、拾い物だ。捨てられて、森で死にかけてた。人の子だが、火の呪いを受けてる」


「呪い?」


「手に触れるものを、たまに焼く。怒ると火が漏れる。村じゃ恐れられてな……だが、あたしには便利だ。寒い夜は、あの子を抱いて寝れば温い」


老婆は笑い、オッサンは口元だけで笑った。


「お前は、なにから逃げてきた?」


「……俺も捨てられたようなもんだ。居場所を、自分で壊してきた」


「ほう」


老婆は薪をくべながら、オッサンを一瞥した。


「なら、お似合いだな。居場所を壊す者と、持てなかった者。いっそ、居座ってみるか? この村に」


「……考えとく」


オッサンは、囲炉裏の火を見つめた。


その赤が、ラリサの髪を照らした日を思い出させた。


火は、温かさと痛みを同時に宿す。

彼の旅は、その火を抱えて、まだ終わらない。


翌朝、オッサンはまだ明けきらぬ空の下、納屋の裏手で斧を研いでいた。

金属の刃が火打石のように火花を散らす音だけが、静かな村に響いていた。


「……それ、どうやってるの?」


背後から声がした。

振り返ると、昨日の少女が立っていた。ややよれた上着を羽織り、手には壊れた鍬の柄。


「研ぎの基本だ。……お前の名前は?」


「ミュリカ。あたし、この鍬を直したくて。でも、触ると焦げるから……」


少女はおずおずと鍬を差し出した。

柄の付け根は焦げて炭のようになり、刃の部分も割れていた。


オッサンはそれを受け取ると、目を細めて観察した。


「……これはもう、“直す”というより、“作り直す”だな」


「作れるの?」


「スキルのせいでな。……器用貧乏だが、こういうのは得意なんだ」


彼は微笑み、ミュリカも少しだけ顔をほころばせた。



---


オッサンはグルマの裏の簡素な鍛冶台に立った。

あの村での鍛冶屋仕事を思い出しながら、火をおこし、鉄を叩く。

だが、今回は“火を恐れる少女”のための仕事だった。


しばらくして、ミュリカが恐る恐る鍛冶台に近づいた。


「……それ、見てていい?」


「好きにしろ。ただし、火に触れるな。こっちも集中する」


「うん」


彼の槌は正確だった。

“中途半端(万能)”というスキルが、職人の動作の“まがい物”をそれらしく整えてくれる。

一流には届かないが、必要十分。

旅人としては、それでいい。


そして数時間後、鍬は生まれ変わった。

柄には焦げ止めの皮膜を巻き、刃には再鍛造した鉄を使った。


「……これなら、少しは焦げにくい。触れても一瞬なら持つだろう」


ミュリカはおそるおそる手に取った。


ぱちり、と乾いた音。

だが、鍬は無事だった。


「すごい……ほんとに……!」


ミュリカの目が、初めて晴れたように輝いた。

それは、ラリサが笑ったときと似ていた。


オッサンの胸に、何かがぽつんと落ちた気がした。



---


その夜。

囲炉裏の前で、グルマが言った。


「……あの子は、お前に懐いたな」


「……まあ、物が直るってだけで、ありがたがられたのは初めてだ」


「ふん。忘れるな。火に焼かれた者は、誰よりも火を怖れている。

でも、誰よりも火に惹かれるんだ」


「……ああ、知ってる」


オッサンは、静かに答えた。

ラリサの笑顔を思い出しながら。



ある朝。

鍛冶台の火を落とし、後始末を終えたオッサンの元に、一人の若者が駆け込んできた。

肩で息をしながら、口を開く。


「グルマばあちゃん! なんか……おかしい人たちが宿に泊まってる。町人のふりしてるけど、あれ、旅の連中じゃねえ。鎧の下に剣帯見えたし、目が笑ってねえ……」


オッサンは手を止めた。

それは、旅商人や山賊ではない。

あの目、あの装備――知っている。

王都の使者、それも“剣を使う側”の人間だ。


「……やっと見つけやがったか」


低くつぶやくと、オッサンは裏口から小屋へ向かった。

寝ていたミュリカが、きょとんとした目で起き上がる。


「……なに?」


「少し遠くへ行く。町の外れまでだ。ついて来い」


「えっ?」


「いいから。……今は、火傷よりも危ねぇもんが村に入ってきた」



---


その日の昼。

裏の畑道を使って、オッサンとミュリカは町の外れに抜けた。

人目を避け、木立を抜け、風が吹き抜ける丘に出る。


ミュリカは息を切らせ、草に腰を下ろした。


「……ねえ、何があったの? なにが、来たの?」


「“王都の連中”だ。……正確には“勇者狩り”。

あいつらは俺を元の世界から引きずり込んだ奴らの手先だ。見つかれば、また“国の犬”にされる。

……嫌なんだ、そういうの」


ミュリカは、唇を噛んだ。

そして、ぽつりとつぶやいた。


「……逃げるんだ?」


「ああ。逃げるさ。俺は誰かの正義にも、国家の都合にも興味はない」


そう言ってオッサンは座り込み、かばんの中をまさぐった。

干し肉、銀貨、油紙に包んだ砥石。

旅の支度はいつでも整っていた。


だが、ミュリカが突然叫んだ。


「じゃあ……あたしは、どうすればいいの!?

やっと、火を怖がらずに生きていけるって思えたのに、

あたしだけ、また、ここに残るの?」


その言葉に、オッサンは動きを止めた。

ゆっくりと顔を上げ、火のような目をした少女と向き合った。


「――一緒に来たいのか?」


「わかんない! でも……でも、オッサンと一緒なら、たぶん大丈夫な気がする。

あたし、誰かと一緒に逃げたことなんてないから……!」


オッサンはしばらく黙っていた。

そして、わずかに肩をすくめ、立ち上がる。


「なら、ついてこい。だが俺は“英雄”じゃねぇ。

身を隠して、細々と鍛冶して、日陰で生きる。

それでもいいなら……道は開けてる」


ミュリカは迷ったように唇を噛み、だが最後には、頷いた。


「……あたし、火を捨てたくない。

だから、ついてく。

オッサンと、もう少しだけ遠くまで」



---


その夜。

2人は町を出た。

王都の追手を背に、次なる旅へ。


行き先はまだ決まっていない。

だが、鍛冶と火と、そして“まだ名付けられていない絆”を抱えて、歩みは続いていく。


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