漂泊
朝靄のなか、オッサンは都市の南門をくぐった。
手には小さな包みと、革袋だけ。
あの鍛冶屋からもらった最後の給金、そしてカウンターの裏から見つけた、ラリサの紙片。
彼女の死の後、店は数日で閉じられた。
都市の衛兵たちは表向きには事件を調べるそぶりを見せたが、チンピラどもに金を渡していた裏の商人に触れようとはしなかった。
それが、この街の秩序。
黙って働き、黙って失い、黙って出ていく者の多い場所。
だが、オッサンはもう沈黙を受け入れる理由を失っていた。
街を離れる前、彼は店に最後の礼を告げた。
祭壇代わりに据えられたカウンターの奥、かつてラリサが立っていた場所に、彼女の愛用していた酒瓶を一つだけ残した。
「……遠くに行くよ。今度こそ、どこか誰にも知られない場所で」
静かに呟き、門を越えた。
風が吹いた。
彼の後ろには誰もいない。
だが、まるで背中を押すかのように、春の風はやさしく彼の背に吹きつけた。
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彼は東へ向かった。
「この大陸には、広い草原と、沈んだ森と、血を吐く谷がある。そこを越えて旅をした奴がいるって、ラリサが言ってた」
そう呟くと、オッサンは腰の袋を握った。
中には、村の蛇退治でもらった換金用の鉱石がわずかに残っている。
鍛冶で稼ぐことは、できる。だが今は、人と交わる気になれなかった。
彼は、ただ歩いた。
昼は草むらをかき分けて、野兎を追い、
夜は木の根に背を預けて眠る。
ときに、小さな集落で鉄器を打っては、日銭の代わりに保存食と水をもらった。
誰とも深く関わらない。
それが彼の、あたらしい「旅のやり方」だった。
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数日後。ある旅籠の一室。
男が一人、火を灯すこともなく腰を下ろしていた。
紙片を取り出し、もう何度も読んだ文字を、指先でなぞる。
《いつか、一緒に遠くへ行きたいな》
「……今はもう、一人で行くしかないんだ」
その夜、彼は夢を見た。
あの、首無しの騎士が、遠くからこちらを見ている。
だが今度は、剣も斧も持たず、ただ、うなだれるように。
「そうか……お前も、ひとりなんだな」
言葉が宙に溶けていく。
彼は、かすかに微笑んでいた。




