91.老祭司の懺悔
断続的に襲う揺れの中、暗い小部屋の片隅で、老神官は一人祈りを捧げていた。
老人の体をむしばむ病は、最早彼の中に残った命を、すべて食い尽くそうとしていた。
これは「報い」なのだ。すべては神殿のためだ、と欺瞞を繰り返し、現世利益を得ようとした罪深い自分への罰なのだ。
部屋を強い揺れが襲うたびに老人は――大祭司セシル聖はその思いを強くしていた。
◆ ◇ ◆
幼馴染であったゲンティアン・アラウンズが、セシルにその話を持ちかけてきたのは、今から30年ほど前、セシルが大祭司補となった年のことだった。
ゲンティアンの語った「オドネルの民」と彼の家の関わりは、王国の「裏側」「暗部」とでも呼ぶべき、信じがたいものであった。
(こんな化け物どもに、国を裏から牛耳られていていいのか? もっと相応しい支配者がいるのではないか?)
それが「戦の神殿」だ、とゲンティアンはセシルに囁いた。
300年前の勇者を召喚し、魔王を打倒させ、今の王国の礎を築いた「戦の神殿」こそが、この社会を支配するのに相応しい、と。
ゲンティアンが、自分たちを利用して成り上がろうとしていることは、セシルにもわかっていた。わかっていてその言葉に乗ったのは、セシル自身にもそういう野心があったからに他ならない。
ゲンティアンは、密かに「オドネルの民」から魔法技術者を引き抜き、抱き込んでいた。多くはエクセライ家に連なる者たちで、王国で使われている魔法を遥かに上回る知識と技術を持っていた。
そんなものを見せられて心躍らない者はいまい。自分たちだけが、10年以上進んだ技術を使えるのだから。
セシルは心を決め、ゲンティアンに「利用される」ことにした。無論、それはセシルがゲンティアンを「利用する」という意味でもある。
今の社会をひっくり返すにはどうすればいいか。セシルとゲンティアンは話し合った末、一つの結論に達する。
もう一度、勇者を召喚するしかない。
だが、当の「オドネルの民」も、勇者の召喚を狙っている。
ゲンティアンは多額の献金により結社への「忠誠心」を示し、深くその中枢へ潜り込んだ。そして、勇者の召喚方法まで突きとめた。
(『旅の神玉』を、連中は使っている。この『神玉』は、二つの世界の境界を繋ぐ力がある。100年に一度の周期で、別の世界への扉を開ける力が溜まるそうだ――)
その100年に一度の周期が、間近に迫っている。しかし、「旅の神玉」を奪取するのは、いかなゲンティアンと言えど不可能であった。
「神玉」、と聞いてセシルは古い言い伝えを思い出した。300年前の勇者ヒロキ・ヤマダにまつわるものであった。
魔王を倒したのち、勇者ヒロキ・ヤマダは30歳でその短い生涯を閉じたとされている。
しかし、「戦の神殿」に伝えられてきた伝説では、「元の世界に帰った」とされていた。
(帰る際にヒロキ・ヤマダは、自らの『ゴッコーズ』を『戦の神玉』に戻した。そして、こう言ったとされている――)
再び勇者が必要となれば、この「神玉」を用い、我を召喚すべし。
(だが、『戦の神玉』は残念ながら、我が神殿にはない)
晩年のヒロキ・ヤマダは、自らを召喚した「戦の女神」との関係を悪化させていた。そのため「戦の神殿」ではなく、妻である「五大聖女」の家系に「神玉」を託したという。
(今、『神玉』はダンケルス家にあるのだ。当時の大祭司の日誌に書かれている。『戦の神玉』は『戦の女神像』となり、ダンケルス家の家宝として伝えられている、と)
ダンケルス家は、「戦の女神」への信仰を失いながらも、勇者の教えを忠実に守り、「戦の女神像」を家宝として守っている。「戦の神殿」との関係悪化もあり、像を回収することは困難であった。
(しかし、ヒロキ・ヤマダを再召喚できれば、我らにとって大きな力となるだろう。『オドネルの民』を排斥し、その功を以って『戦の神殿』の地位を揺るぎないものとできる)
ゲンティアンとセシルの考えは一致した。
「戦の神玉」を使用した召喚装置を造ること。そして、女神像の形をした「戦の神玉」をダンケルス家から持ち出させる方法を模索すること。
この二つを実現すべく、ゲンティアンは抱き込んだ魔法技術者たちに相談を持ちかける。
召喚装置に関しては見通しが立った。
結社に協力しているサイラス・エクセライという魔道博士から、史書の記述等から各「神玉」の特性を推察した報告書が提出され、それを元に召喚装置の設計と建造が行われた。
一方、「戦の神玉」の入手に関しては難航を極めた。
ゲンティアンは傘下の商人を使い、何度か売却の交渉を行ったが不発に終わった。現当主であるフェルディナンド・ダンケルスは気安い人物ではあったが、さりとて家伝の秘宝をやすやすと手放すような人物でもなかった。
(何か、お告げのようなものをくだせればいいのだが……)
例えば、「戦の女神」が直々に「『神殿』へ『神玉』を返還せよ」お告げを与えたとなれば、いくら棄教したとはいえダンケルス家も従わざるを得まい。セシルのその考えは、ゲンティアンを通じて子飼いの魔法技術者たちに伝わる。
(研究中の転送魔法を応用すれば、お告げの捏造も可能だと技術者たちは言っているぞ)
捏造とは人聞きが悪いが、どうやら離れたところにいる相手の夢に特定の文言を送り込むことができるらしい。「神託」と名付けられたその魔法に、望みを託すことになる。
最初にゲンティアンが話を持ちかけてから、10年の月日が流れていた。セシルは大祭司の地位につき、ゲンティアンは十二番頭となっていた。
(勇者の召喚のめどは立った。勇者には仲間が必要だ。我が娘をつけようと思う)
セシルには二人の娘がいた。
(長女には、どうやら戦士の才能があるようだ。冒険者を目指させ、その日が来るまで鍛錬を積ませよう)
長女・カタリナには、計画のことは話さなかった。実直で嘘のつけない長女には、後ろ暗いことは知らず真っ直ぐに勇者の力になってほしかったから。
(次女は知恵が回る。私の手元に置き、右腕としよう)
次女・クロエには、反対に計画のことはすべて打ち明けた。クロエが頭の切れる少女だったこともあるが、最大の理由は別にあった。
既にこの頃、セシルの体は病魔に蝕まれていた。勇者の召喚まで命があるかわからない、ならば計画を引き継ぐものが必要だ。その考えから、クロエの教育には殊の外力を入れた。
こうして、セシルとゲンティアン、二人の男の計画は密やかに進められていった。
クロエは聡い子だった。セシルはそう述懐する。
いや、賢過ぎた。その才は鋭く、切れすぎる刃物であった。
計画の開始から20年、病気がいよいよ重くなったセシルは、クロエにその全権を委ねた。
(このクロエ、必ずや『戦の女神』の時代をもたらしましょう)
齢12にして頼もしい娘の言葉に、セシルは涙さえ浮かべた。だが、その後のクロエの行動は、セシルの想像をはるかに超える過激なものだった。
まず、形骸化していた武闘僧隊を再編し、戦力を整えた。更に、ゲンティアンの権力を利用し、部隊は警察権を持つことになる。
(勇者が召喚された際、『戦の神殿』が今のような状態では失望させてしまいます)
次いで、滞っていた召喚装置と「神託」の完成を急がせる。「オドネルの民」の目を盗んでの開発は難航していたが、クロエは「進捗が甘いのは手を抜いているからだ」と断じ、技術者たちの尻を叩いた。
そんな中、今年に入って状況が大きく動き出す。
(ゲンティアン氏の話では、もうすぐ『オドネルの民』が勇者を召喚してしまうそうです。これは由々しき事態。先手を打ちましょう)
クロエがゲンティアンと話し合い、計画した「先手」、それこそが召喚された勇者の「掠め取り」であった。
(ゲンティアン氏の根回しのお陰で、『オドネルの民』は召喚した勇者に『戦の女神』を名乗るそうです。これを利用します)
召喚場所はアドイック、ちょうどカタリナが冒険者として活動している、王国の首都であるという。召喚先にあらかじめカタリナを先回りさせ、勇者を「オドネルの民」に先んじて回収させる、とクロエは言う。
(事情を話すのか、ですって? そんなものを話しても、あの頭の固い姉が納得するとは思えません。説得する時間すら惜しい。見舞いに来いとでも言って呼び出し、『神託』の実験代わりにお告げを与えてやればいいでしょう)
お告げの魔法「神託」は、10年の歳月を経たこの年に、ようやく完成したばかりであった。
特定の形状を持つ物体を「受信媒体」とし、その近くにいる睡眠状態の人間の脳に語りかける、これは「戦の女神像」――すなわち「戦の神玉」をダンケルス家から接収するために、そういった魔法として設計されていた。
形状が近ければ、大きさは問わない。見舞いに戻ってきたカタリナの夢に、神殿の巨大な女神像を「受信媒体」として、お告げは届けられた。
(単純な女……。え、『オドネルの民』に狙われて危険? 父上がそうおっしゃると思い、魔法技術者たちにこういうものを造らせておきました)
それは風属性極大魔法・嵐竜暴顎破が圧縮記録された剣であった。極大魔法など、カタリナの魔力では到底行使できないが、この剣にはそれを可能とする仕掛けがあった。
(この剣は、使用者の寿命の一部を魔力に変換することで、誰でも極大魔法を行使することができるのです)
寿命の魔力変換は既知の技術であったが、「邪法」とされ使用は禁止されていた。
姉の寿命を計画のために削るのか、とセシルはクロエをたしなめる。だが、クロエは「父上は甘い」と耳を貸さなかった。
(姉も本望でしょう。勇者の仲間となるために生を受け、ここまで人生を歩んできたのだから。寿命を削ると伝えようが、『戦の女神』からの賜ったものだとでも言えば、嬉々として使うはずです)
セシルは戦慄した。クロエの才に頼み、これほどまでに歪めてしまった自分を恥じた。
そんな父の心も知らず、クロエは更に計画を推し進めていく。
(勇者を掠め取る算段のついた今、『神玉』を回収する必要性は低下しました。とは言え、『神託』は非常に使える魔法、これを利用しない手はありません――)
クロエはゲンティアンに依頼し、「戦の女神像」の模造品を造った。魔を払うという希少な鉱物を材料にし、あたかも「五大聖女」の家に伝わっていたものだと見えるように、断絶したゾックス家とグレイプ家の紋を彫らせた。
(この模造品を『神託』の『受信媒体』とします。これを冒険者に売りつけ、お告げを与えてその行動を操作し、勇者の名声を確かなものとするのです)
粗暴そうな冒険者を狙い、お告げを与えて勇者にケンカを売らせる。勇者は当然、その粗暴な冒険者を返り討ちにし、力を内外に示すことができる。それだけで勇者と認められるわけではないが、計画の一歩目としては上々だ。
更に、ダンケルス家にも「神託」を送る。
(近く開催される『天神武闘祭』に、ダンケルス家の嫡子が推薦されています。この『武闘祭』を利用し、勇者の立場を確固たるものにします)
「天神武闘祭」で、お前は勇者と戦う。このお告げを下すことで、「五大聖女」の家系たるダンケルス家を利用し、勇者の地位に裏付けを与えようというのだ。
(ダンケルスの嫡子は無様にも敗北、元々低い名声は地に落ち砕けるでしょう。そして、我らが悲願も叶う――。正に一つの石で二匹の獲物を殺すがごとく……)
もう何を言っても無駄か。クロエの瞳に吹きすさぶ嵐は、最早止めようもない程に荒れ狂っていた。




