9.神の書くシナリオは
「ザゴス、聞いてほしいことがある」
「んだよ?」
強い語気にも怯まずに、フィオは言葉を繋ぐ。
「ボクも、こういう『戦の女神』のやり方にはうんざりしている」
「あぁ? どういう意味だ?」
運ばれてきたジョッキをちびりとやって、ザゴスはフィオの右目を見返す。
「勇者ヒロキ・ヤマダには『五大聖女』と呼ばれた仲間がいた。ボクの家はその中の一人、女戦士フリーデ・ダンケルスと勇者の子がその祖となった」
ヒロキ・ヤマダが魔王を倒した際、8人の仲間が同道していたとされている。その内、3人の男性の仲間は「三賢人」、残る5人の女性の仲間は「五大聖女」と後世呼びならわされている。勇者は、この「五大聖女」全員との間に子どもをもうけていた。
「『五大聖女』には、貴族の位と領土が与えられた。それが300年経った今となっては、二つの家が絶え、エクセライ家と我がダンケルス家も没落。往時の権勢を保っているのは、ヴィーダー家ただ一つという状況だ」
ザゴスが商人から買った「戦の女神像」は、像の持つ剣に彫られた家紋によれば、絶えた二家の内の一つ、ゾックス家のものだそうだ。
「ヴィーダー家を除く4つの家の衰退、その原因が『戦の女神』だ」
人目をはばかるようにフィオは辺りを見回して、声を低くした。
「勇者ヒロキ・ヤマダはわずか30歳でその生涯を閉じたのだが、その死の間際、自分の妻と子を一堂に集めて、こう遺言したと伝えられている」
(――『戦の女神』とは縁を切れ。守り神として祀らず、またお告げも受ける必要はない。平和な時代には不要な神だから……)
集まった「五大聖女」とその子らに衝撃が走ったのは、想像に難くない。魔王の討伐後も、五家は守り神として「戦の女神」を祀っていた。それをいきなり「縁を切れ」とはどういう意味なのか。
勇者の死後、五家の対応は二つに分かれた。すなわち、遺言に従い「戦の女神」と縁を切ったゾックス、グレイプ、エクセライ、ダンケルスの四家と、従来通り拝み続けたヴィーダーに。
そして、「戦の女神」を棄てた四家は凋落、その内二家は断絶さえしてしまった。
「我がダンケルス家は武門故に、『戦の女神』とは縁深かった。だが始祖フリーデは、神ではなく勇者に従った。剣を取る時代は終わった、とな」
「いや待てよ、女神を拝まなくなったから、滅んだってのか?」
無論これには言外に「偶然じゃないのか」という意味が含まれている。300年もの時の流れもある。貴族ならぬザゴスには想像することしかできないが、権力争いもあったに違いない。ことに旧来からアドニス王国の禄を食む諸侯は、新興の5家を警戒しただろう。
「正確には滅ぼされたのだ。『戦の女神』によってな」
「戦の女神」を礼拝しなくなってからも、そのお告げは続いた。曰く「自分を礼拝し、それを領民に奨励せねば滅ぼす」と。
一方のヴィーダー家には、「我を礼拝せぬ裏切りの四家を滅ぼせ」と命じたという。「さすれば未来永劫、この家を守護しよう」とも。
「ヴィーダー家は、『戦の女神』に応じた。同じ祖から出た兄弟ともいうべき他の四家を、滅ぼすためにお告げに従ったのだ」
表から裏から手を回し、経済的にあるいは政治的に。四家が孤立するように、あるいは四家間で仲違いが起こるように。有力商人や王族の手すらも借りて締め上げていった。
「そして、それは成就した」
フィオの声は少し震えていた。
「ボクは我が家の顛末を父から聞いて思った。何と傲慢な女神だろう、と」
アドニス王国で信じられている八柱の神のうち、七柱は神話の時代以降、人々の前に姿を現したことはない。ただ、「戦の女神」を除いては。
「更に、今になって新たな勇者のためにボクを動かそうとしている。自分が滅ぼそうとした家の末裔を、ぬけぬけと目的のために使おうとしている……」
お告げを受けた後、フィオはすぐにアドイックに向かわず、父に相談するべく郷里へ帰ったという。
フィオの父はお告げのことを聞いて「家のため、是非ともやり遂げろ」と言ったそうだ。
位こそ貴族だが、借金がかさみ領地もとうに手放した。屋敷は何とか残っているが、修繕もできずにボロボロだ。自身も手ずから畑を耕す。
貴族らしい仕事と言えば、兵士志望の平民に紹介状を書いてやるぐらいか。だが軍務に少しだけ口を出せる程度のことが、今のこの平和な世界でどれほど意味があるだろうか。
そんな生活が嫌になったのだろう。かつての栄華よ今一度、と思っているのかもしれない。
「父上には悪いが、あんな女神に従うことなんて、ボクにはとてもできない」
それに、とフィオはザゴスの岩のような顔を見上げる。
「ザゴス、貴殿の話を聞き、改めて怒りが湧いてきた。お告げを使い、自分の選定した勇者のために、一角の戦士である貴殿に引き立て役を演じさせる。これを傲慢と呼ばず、何と呼ぶ? 神に弄ばれるのが、人の生だと言うのか?」
ザゴスはカタリナのことを思った。彼女もまた、利用されているのかもしれない。ザゴスのような目には、今のところ遭ってはいないようだが。
「あの女神は異常だ。思えば勇者ヒロキ・ヤマダも、その異常性に気づき子孫に『縁を切れ』と遺言したのかもしれん」
がぶりとフィオは、ミルクに口をつけた。
「で、何だってんだよ。そんな腹は立っても膨れねえ話されてもよぉ……」
残った酒を一気に飲み干し、ザゴスは肩をすくめる。ひどい話だとは思ったが、さりとて自分に何かできることがあるとは思えなかった。
「ボクは『戦の女神』の思惑を崩したい。神の前ではささやかな抵抗かもしれないが……」
ダンケルス家の受けた神託では、フィオはヤーマディスにいる仲間と共に「天神武闘祭」に出ることになっていた。だが、その思惑を崩すために敢えて一人でやって来たという。
「今年の『天神武闘祭』は二人一組で戦う形式だと聞いている。この王都で、『戦の女神』が思ってもみないようなパートナーを探そうと思ってな」
ザゴス、と改まった様子でフィオは顔を上げた。
「ボクと組んで『天神武闘祭』に出てくれないか?」
「はぁ!?」
予期せぬ誘いに、ザゴスは大きな目を更に見開いた。
「いや、でも、俺なんてお前……」
「そう卑下するな。貴殿は強い。それは一度刃を交えたボクが一番よく知っている」
「まあ、そりゃそうだけどよぉ」
強いと言われれば、どんな状況であっても否定をしないのがザゴスという男である。
「けどよ、お前はヤーマディスのギルドの推薦で出るんだろ? そのパートナーがアドイックの冒険者ってのは、問題になるんじゃねえのか?」
「推薦者は誰をパートナーに指名しても構わないそうだ。それに、落ちぶれたとはいえダンケルス家は武門だ。よしんば何か言われたとしても、武闘祭での推薦はギルドよりも強い」
「なら、まあ、行けっかな……」
「天神武闘祭」か、とザゴスは少し口元が緩む。「しょうもない大会」と普段は言ってはばからないが、やはり憧れはあった。アドニス王国最大の闘技場で力を見せる機会など、これを逃せばもう二度と訪れないだろう。
「そして、タクト・ジンノを倒す。『戦の女神』の思惑では、恐らく彼が優勝することになっているだろう」
それを潰すのだ、とフィオの目に力が宿る。
「『超光星剣』は強力だが、それだけならやってやれないことはない。違うか?」
まったくもってその通りだ。いいこと言うじゃねえか、俄然面白くなってきやがったぜ。ザゴスは拳を握りしめた。
「『武闘祭』は5日後だ。ザゴス、改めてよろしく頼む」
「任せろや!」
ザゴスとフィオ、二人は拳を突き合わせた。
この出会いが、後に世界の命運を大きく変えてしまうとは知らずに。