10.三度目の遭遇
翌朝、ザゴスは寝台からゆっくりと身を起こす。薄汚れた毛布を払いのけて、一つ大きなあくびをした。
何だ、今のお告げは。
ザゴスは狭苦しい部屋の一角に置かれた、ひび割れたサイドテーブルの上にある、小さな「女神像」に、ほとんどにらむような目を向ける。
「戦の女神」の思惑を潰す、ということで一致したザゴスとフィオであったが、「女神像」に関しては、そのまま持っておくということになった。
(この『戦の女神像』は、魔を祓う希少な金属でできている。貴殿がそのまま持っているといい、お守り代わりにはなる。それに、お告げがあれば女神の出方も読みやすい)
そう言われていたので、いつも以上に楽しみにお告げを待っていたのだが――。
(今日も一日、元気に励みなさい。特別なことはせず、いつも通りしっかり働くのです)
まどろみの中、ザゴスの頭の中に響いたのは、昨日一昨日に比べると、まったくもって具体的でないお告げだった。
役目が終わったってことなのかもな。ふと、そんな風に思う。
フィオの話では、ギルドの中でタクト・ジンノは有名人になりつつあるようだ。それは同時に、引き立て役であるザゴスの役目はなくなったという意味でもある。
「戦の女神」の考える「勇者の物語」での出番はもうおしまい。お前は舞台から降りろ。まるでそう言われているようだった。
だからなんだ。どの舞台に上がるかは、この俺が決める。
高揚した気分で、ザゴスは寝台から降りた。
軽く体操をして体をほぐしてから、ザゴスは街に出た。冒険者の住む区画を出て、大通りの方へ。街の城門の辺りには収穫したばかりの野菜を売りに、近隣の農家の人々が品を広げている。
ザゴスの向かう先は、「健康の神」の礼拝所であった。昨日使い切ってしまった「魔剤」を補給するためである。
「魔剤」は体力や傷の回復を促進する魔法薬で、「健康の神」を崇める神官たちのみが、その製法を独占している。高い効果を持つ故に、生傷の絶えない冒険者からの需要が高く、「ギルド所属の冒険者ならば、一日に規定の瓶一本分まで無料で補充する」というサービスが実施されていた。
「邪魔するぜ」
礼拝所の木の扉を押し開け、ザゴスは声をかける。
「魔剤」の補充機は、礼拝所入ってすぐのロビーに設置されている。朝方は冒険者が頻繁に補充に訪れるので、その巨大な円筒形の装置の前に、神官か奉仕の信者が待機しているのだが……。
「じゃあ、タクト様ぁ。浮気しちゃダメですよ?」
「わかってるよ」
「お姫様がいくらかわいらしくても、そっちに簡単になびいちゃダメなんですからね!」
「あ、ああ、わかってるよ……」
おいおい。神に礼拝する場所には似つかわしくないイチャつきっぷりだ。冒涜的な人喰い鬼のような顔を、ザゴスはしかめた。
しかもいやがるじゃねえか、噂の勇者さま。ここに逗留してやがったのか。もう一人は、昨日もいた治療士風の女だ。どうやらこの「健康の神」の信徒だったようだ。
「ああ、もう! わたしもついていきます! タクト様一人じゃ心配ですから!」
「いやでも、オレしか呼ばれてないし……」
「お城まで! せめてお城までは! ご一緒させてくださいまし!」
「わかったよ、アリア……。じゃあ一緒に来て……」
と、タクトはそこでようやくザゴスに気付いた。
「よう、昨日も一昨日も世話になったな……」
タクトは大男の顔を見上げようともせず、俯いてため息を吐く。
「またあんたか……。何回やられたら気が済むんだ?」
「あぁ?」
何でこいつこんなケンカ腰なんだ。普段の自分を棚に上げて、ザゴスは内心で首をひねる。
「い、一体何の用ですか!? タクト様に何かしたら、た、タダじゃおきませんよ!」
アリアはそう言いながらも、そのタクトの陰に隠れるようにしている。
「大丈夫だよ、アリア。こんなザコ、オレたちに手も触れられないんだから」
「んだとぉ?」
ザコ。昨日は場面が場面なので我慢したが、ザゴスは拳を握る、それは彼を怒らせる多くの言葉の内の一つだ。
「なら、試してみやがれぇ!」
怒鳴ると同時に右の拳をタクトに繰り出した。その一撃は頬をとらえる――はずだった。
「ッッ!? 何だ、こいつは!?」
ザゴスは目を見開く。彼の拳は、タクトの手前でぴたりと止まっている。まるで、見えない何かに阻まれたかのようだ。感触はなく、それなのにこれ以上押し込むことができない。
「星雲障壁。お前みたいなザコには、これで十分だ」
「きゃー! タクト様かっこいい!」
わざとらしく飛び跳ねて、アリアはタクトに抱きついた。
「行こうか、アリア」
タクトは悠然とザゴスの拳を払いのけ、呆気にとられた様子の大男の脇を通って、礼拝所を出て行った。
あの野郎。ザゴスは止められた自分の拳を見つめる。攻撃の「超光星剣」だけじゃねえ、とんでもねえ「盾」も仕込んでやがる。これも「ゴッコーズ」の力なのか。
「どうかなさいましたか?」
と、そこへ奥のドアからカソックをまとった中年男性が姿を現す。ザゴスも顔馴染みの神官だった。
「お、おう……ちょっと『魔剤』の補充をな」
「ああ、そうでしたか。では、承ります」
ザゴスの差し出した瓶を恭しく受け取り、円筒形の装置から伸びる3本の太い管の内の1本に瓶の口を繋げた。無料なので最も薄い「魔剤」である。
「あのタクトってガキ、ここに泊めてるのか?」
「ええ。2日ほど前アリアが――神官見習いの孤児なのですが、彼女が連れてきましてね」
何か失礼がございましたか、と問われてザゴスは「まあな」と渋面を作る。
「『ゴッコーズ』の勇者だとか言われてるが、とんでもねえガキだ」
「彼は、冒険者ギルドの方で話題になっているようですな。何でも、ギルドの建物の壁を吹き飛ばしたとか。恐ろしい話です」
「魔剤」を補充しに来た冒険者から聞いたのだろう。もっとも、神官は壁と一緒に目の前にいるザゴスが吹き飛ばされたことは知らなかったようだが。
瓶は薄い琥珀の色の「魔剤」で満たされた。管から瓶を外して、神官はザゴスに向き直る。
「アリアも、あの少年を勇者と信じているようで。この魔王もおらぬ平和の時代に、勇者など現れようもないとは言ったのですが……」
「だよなぁ……」
300年前と大きく違うのは、その点であろう。ヒロキ・ヤマダは、魔王に脅かされる世界の要請に応じて、現れたかのように語られている。
それに対して、タクト・ジンノが現れたのは、魔王などいない言わば「平和の時代」である。この300年の間、時に強力な魔獣が街の外を闊歩し、王室に敵対する魔女が現れもした。
だが、それらはすべて一過性のものだ。事実、勇者の力を借りるまでもなく鎮静化された。
「しかし、『ゴッコーズ』ですか。そんなものを与えられるのは不幸なことだと、私などは思いますがねえ」
「神官が、神の力を否定していいのかよ」
「よその神のことですから」
「魔剤」で満たした瓶を手渡しながら、壮年の神官は悪びれもせずにっこりと笑う。
「我らが仕えます『健康の神』は、そんな厄介なものを人には押し付けませぬ故に」
「病気はくれるけどな」
アドニス王国では、病気にかかるのは「『健康の神』から罰を与えられたから」だと考えられていた。あらゆる医療機関を掌握する「健康の神」教団が、そう喧伝しているためである。
「我らが神に祈るなら、あらゆる病が退けられましょう。無病息災を願いますなら、我が礼拝所に一層の献金を願います」
「商売上手かよ」
ザゴスは肩をすくめ、「またにするわ」と礼拝所を後にした。




