80.強襲
マッコイの中心部に建ち並ぶ「ヤードリー商会」の本部は、円を描くように12の塔が取り巻く構造をしている。この塔の一つずつが十二番頭に割り当てられており、彼らとその部下たちはこの中で仕事に当たっていた。
大抵の場合、塔の最上階が十二番頭の執務室となっており、貿易船やキャラバンに乗り組んでいない時は、彼らはもっぱらそこにいた。
その夜、イェンデル・リネンもまた自分の塔の執務室にいた。昼前に抜け出してしまったこともあり、雑務が山積している。うへぇ、と思わず口から漏れそうになったが、何とか堪えて殊勝に一つずつ片付けていくことにした。
次の航海計画の調整や、傘下の商店の売り上げ報告などに目を通していると、出し抜けに執務室のドアが開かれる。
「失礼いたします」
ノックもなしにこの執務室に入ってくるのは、「ヤードリー商会」の中でもただ一人だ。書類から顔も上げずにイェンデルは「おう、おかえり」と応じた。
丸く切りそろえたショートカットの長身痩躯の女は、きびきびとイェンデルの机の前まで歩いてくる。少しつり目気味の目をイェンデルに向け、開口一番こう言った。
「番頭、露店ではたくさんお売りになったようで」
「嫌味を言うなよ、ルイーズ」
イェンデルはようやく顔を上げ、秘書の女に肩をすくめる。
「知ってんだろ? 売れたのは一個だけだよ」
「ええ。一つも売れないと思っておりましたので、たくさんと表現いたしました」
クソ、とイェンデルは舌打ちする。この秘書、デキる女で重宝しているのだが、事あるごとに嫌味を言ってくるのが玉にきずだ。こいつを嫁にしたいと男はいないだろう。
「それでどうでしたか、フィオ・ダンケルスは?」
「冷静な奴だ。少しはスヴェンの頼みの意味も分かるかと思ったが、はぐらかされたな」
あっちもあっちでキツそうな女だった、とイェンデルは内心で付け加える。冒険者というのは、そういうものなのかもしれない。このルイーズも、かつては腕のいい探索士だった。彼女はイェンデルの秘書であり、護衛も兼ねているのだ。
「これは個人的な意見ですが」
そう前置きしてルイーズは続ける。
「あまり首を突っ込まれない方がよろしいかと」
「俺もそう思う」
苦笑いながら、「ただ」とイェンデルは言い足した。
「あのジジイの件は見過ごせねえな」
「ヤードリー商会」は、たくさんの商人からなる複合体だ。所属している商人たちは商会の整備した流通網を利用したり、商会の持つ土地で商売したりできる代わりに、売り上げの数割を会費として商会本部に納めねばならない。
会費の支払いは、十二番頭であっても免れない。というか会費の支払い金額が一定以上でなければ、十二番頭には立候補できない仕組みだった。
「十二番頭ともあろうものが、二重帳簿で会費を誤魔化すとはな……」
椅子に深く背を預け、イェンデルは虚空をにらんだ。
「ゲンティアン・アラウンズ、あの頭の黒いネズミジジイが」
十二番頭の中でも強い影響力を持つ鉱山王の名を、イェンデルは憎々しげに吐き捨てた。
「スヴェン師のご依頼が、まさかこのような秘密を暴くとは」
「やっこさんは前々から露骨に怪しかった。妙に金回りがよかったしな。他の番頭も疑ってただろうが、上手く立ち回ってやがった」
スヴェン・エクセライが蒼鉛鉱と言い出さなければ、イェンデルも気付くことはなかっただろう。
「あの何の役にも立たないはずの残り物を、一体誰に売りつけているのやら……」
ゲンティアンの持つ鉱山から出た蒼鉛鉱が密かに運び出されていることを、イェンデルは突きとめていた。運び出された先で取引が行われていたことも裏が取れた。ゲンティアンは廃棄物である蒼鉛鉱を販売して得た利益を、商会の帳簿に計上していなかった。
「背任、ってやつだな。蒼鉛鉱を取扱商品として登録もしていなかったわけだしよ」
「売った相手は不明ですし、裏帳簿の確たる証拠もありませんが……」
「売買したっていう事実さえ押さえてりゃ今はいい。後はじっくり証拠を固めれば……」
ゲンティアンが失脚すれば、十二番頭の席は一つ空く。ここに傘下の商人を推薦できれば、イェンデルの商会での発言力も大きくなる。
無論、一筋縄ではいかないだろう。その思惑通りにならなくとも、規律に従った健全な組織に近付くのならそれだけでも十分だ、とイェンデルは考えている。少なくとも、武闘僧隊なんぞに、警察権を与えるような町政は止められるだろうし。
「……おや?」
不意にルイーズが執務室の窓を見、そちらに駆け寄る。
「おい、どうした?」
背もたれからその身を離し、身構えた様子でイェンデルは尋ねる。
「……いえ、気のせいでした」
ルイーズは窓の外を見下す。外は既に暗く、魔道灯の明かりだけがほのかに周囲を照らしている。
「何かが通ったような気がしたのですが……」
「疲れてんだろ」
一つ息を吐いて、イェンデルはまた椅子にもたれる。
「またすぐに船に乗るんだ、ちょっと休め」
「そうですね」
窓の傍でこちらを振り向いて、ルイーズは続ける。
「上司の友人の依頼で、一銭にもならない調査を日夜やっていましたから」
にこりともせずに嫌味を口にする。ゲンティアンの鉱山を訪ねたり、実地の調査はルイーズが行っていた。イェンデルの業務が山積しているのは、ここ数日彼女が留守にしていたためでもある。
「悪かったよ……。埋め合わせはする」
まったく、この嫌味ったらしさときたら、嫁にしたいなんて男は出てこないだろう。
「ここにボーナスを要求します」
この俺以外は。自分の唇を指すルイーズに、イェンデルは笑って心中で付け足す。そして、秘書であり護衛であり、妻である彼女と静かに唇を重ねた。
同じころ、別の塔の最上階ではゲンティアン・アラウンズが一人物憂げに佇んでいた。
室内を照らす魔道灯の明かりの中、太鼓腹の壮年の鉱山王は頭を悩ませていた。
「結社」と彼が接触したのは先代から今の仕事を引き継いだ時からであった。「結社」は、300年以上前から王国の裏で暗躍を続けていたという。
先代であるゲンティアンの父は、「結社」を恐れそれに恭順していたが、彼は違った。「結社」を出し抜き、自分こそが王国の裏を牛耳る支配者となる。そんな野心を抱いていた。
そのために目をつけたのが、ここマッコイに建つ「戦の神殿」であった。彼らもまた、現状に不満を抱いて成り上がりを目論んでおり、その点で利害が一致していた。
ゲンティアンは、表向きの顔である十二番頭の立場を利用して「戦の神殿」の後ろ盾となり、その私兵集団に警察権まで与え、更に結社から得た技術や情報を横流しするなど、手を尽くしてその勢力の拡大を図ってきた。
しかし、とゲンティアンは苦い顔で窓の外をにらむ。マッコイの市街を見渡すその窓からは、東側にそびえる「戦の神殿」が闇の中にうかがい知れる。
せっかく危ない橋を渡って機会を与えてやったのに、それを活かせないとは。
所詮、それが「宗教屋」の限界なのかもしれない。お題目を並べ立て、潔癖にそれを守ろうとする。規律や道徳など、愚民を制御するための方便に過ぎないと気付かず、自分たちがそれに振り回される。だから、利用できるものも利用できない。
そればかりか、「偽勇者」の烙印が余程堪えたのか、今や「戦の神殿」は暴走状態にある。表と裏の区別もつかず、ひたすらに権勢の拡大を求めて躍起になっている。
このままでは、後ろ盾であるゲンティアンも巻き込まれかねない。せめて、セシルが臥せっていなければ……。
潮時か、とゲンティアンは静かに瞑目する。最早、「戦の神殿」からは手を引いた方がいいやもしれん。このままでは表からだけでなく裏――「結社」からも目を付けられかねない。
それでも、父のように「結社」に恭順を誓う気は起きなかった。連中は人ではない、「化物」だ。加減を知らないということでは、暴走する「戦の神殿」とも何ら変わりはない。
特にゲンティアンの肝を冷やしたのは、バックストリアの惨状であった。自分の提供した蒼鉛鉱が、あんな魔獣の材料になったことも驚きであるが、それ以上にあれ程までの破壊活動を「結社」が表立って行うとは想定していなかった。
何がしか焦りがあるということなのか、それとも――。
と、そこでゲンティアンが立っているのとは反対側の窓、商会の中庭に面した方のそれからノックの音が聞こえた。
ぎくりと、ゲンティアンはそちらを振り向く。塔は50シャト(約15メートル)の高さがあり、この部屋はその最上階に位置している。その窓を叩けるものとなれば、まさか――。
次の瞬間、窓にはまったガラスが破られた。同時に室内魔道灯が破壊され、部屋は暗闇に包まれる。
「だ、だ――!」
あたふたとドアに向かい叫び声を上げるゲンティアンに、窓から入ってきた何者かが近づき、彼を床に引き倒した。仰向けに倒れたその眼前に白刃が突きつけられる。
「声を立てるな」
暗闇の中、侵入者は2本の剣を携えていた。1本をゲンティアンに向け、もう1本を片手担ぐように持っている。
近付けてきた顔に、見覚えがあった。知り合いではない、確か「ニュース」に肖像が載っていた、あの勇者計画を潰した張本人――!
「ゲンティアン・アラウンズ……」
顔の左側に傷を持つ赤毛の侵入者は厳かに告げる。
「貴様に天誅を下しに来た」
脂汗が、ゲンティアンの額を伝う。何故だ、何故ダンケルス家のものに殺されねばならない? それも天誅などと……。
疑問と恐怖の渦巻くゲンティアンの脾腹を、双剣が斬り裂いた。




