77.わたしにできることならば
繰り出された棍を受け、倒れたクロエをザゴスは抱き止める。口元に垂れた血の赤が痛々しく、彼女の受けた衝撃の大きさを物語っている。
連中の言いざまに、心も痛めだろうに。それが今度は身体にまで……。ザゴスは腸が煮えくり返る思いだった。
「クソが……!」
いよいよ飛びかかろうとしたザゴスであったが、目の前に飛び込んできた光景に、それは押しとどめられた。
「あ……、あぁ……」
パブロは困惑した表情で、ザゴスと彼に背を預けるクロエをじっと見ている。背後の武闘僧たちも、同様に動けないでいた。
もっとも動揺しているのは、他でもない突きを見舞った張本人のキケーロであった。
棍を突き出したその姿勢のままで固まったように動かない。いや、その目が小刻みに揺れている。クロエに与えたのと同じぐらいの衝撃を受けたかのようだった。
そうか、とザゴスは得心する。対立はしていても、悪しざまに言っていても、クロエは大祭司代理、彼らの指導者なのだ。それに暴力を見舞ってしまったことに、罪悪感を抱いているのか。
「わたしや、姉のことは……」
クロエは顔をしかめながら上体を起こす。
「いくら悪く言って構いません。すべてはわたしの力不足が招いたことですから……」
回復魔法を自らに掛けながら、荒い息と共に呼びかける。
「けれど、あなた達は『戦の女神』の戦士……。こんなチンピラのような真似は止めてください……。父も、セシル聖も悲しみます……」
固まっていたキケーロは、小さく震えながら得物を収める。パブロは深い息を吐いて、何度も首を振った。背後の部下たちもざわつきながら成り行きを見守っている。
「……行くぞ、お前ら」
キケーロは力なく号令をかけ、武闘僧達は立ち去ろうとした。
そこへ、不意に力強い言葉がかかる。
「幻魔黒光手!」
ここまで様子を静観していたエッタであった。彼女の足元から伸びた闇から、一本の巨大な黒い腕が立ち上がった。
「な、え……?」
「はぁ!?」
「おい、エッタ……!」
これにはキケーロやパブロはおろか、ザゴスも慌てた。時ならぬ上級魔法に、武闘僧達は動揺し、身構える間すら与えられず……。
「薙ぎ払いなさい!」
丸太のような黒い腕は横なぎに振るわれ、キケーロとパブロを筆頭にした十二名の武闘僧達は、広場の向こうまで吹き飛ばされていった。
「お前なあ……!」
ザゴスは立ち上がって、エッタに迫る。しかし、彼女は晴れやかに胸を張った。
「すっきりしましたわね」
まったく悪びれた様子もなく、いい笑顔であった。
「あの『アンダサイの森』で、テオバルトとかいうののパーティに使いそこなって以来、わたくしずーっとこの機会を待っていましたのよ?」
広場の向こうからは悲鳴と怒号が聞こえる。どうも酷いことになっているようだ。
「やっぱり大きな魔法を使うと、気分もパーッとなりますわね」
「いや、その間に『虹』とか使ってただろ!」
「それとこれとは別腹というものですわ。お肉を食べても、ケーキの口は満たされないのと同じようなものです」
本当に最悪なのは「オドネルの民」でもなんでもなく、こいつなんじゃなかろうか。ザゴスは内心で呟いた。
「ええ、その……、なんですかこれ……?」
一方、自分で傷を治したクロエは、エッタの所業に幾度も目を瞬かせていた。
「だ、大丈夫なのか……?」
「え、ええ。こちらは大丈夫です。わたし、父から治癒士の手ほどきを受けていますから……」
カタリナも回復魔法の心得があった。あれも父であるセシルから学んだのだろう。
「ただ、その……何というかとんでもないことを……」
若干の恐れの混じった瞳で、クロエはエッタを見上げる。
「連中が失礼なことを言うからですわ」
ふん、とエッタは鼻を鳴らす。
「もう一撃二撃、くれてやってもいいぐらいですわ」
「あの、ホントにやめて……。治療するのわたしだから……」
引きつった笑みを浮かべながら、クロエは立ち上がってエッタの肩を掴んで押しとどめる。
「あんな連中治療してやる必要ないですよ。お姉さんのことボロカスに言ってるじゃないですか」
口を尖らせるエッタに、クロエは悲しげに目を伏せる。
「それでも、彼らは大事な神殿の仲間なのです。わたしはわたしができることをして……」
「いやいや、優しいだけじゃ、あんな連中付け上がらせるだけ……」
ザゴスはエッタの背後に回ると、おもむろにその左耳を引っ張った。「みぎゃー!?」という悲鳴を上げて、エッタは飛び上がって振り向いた。
「ちょっと! いきなり乙女の耳を引っ張るとは、どういう了見ですの!?」
「お前が攻撃魔法使ったら、とりあえず引っ張っておくようにって言われてんだよ!」
冒険者ギルドを出る間際、ザゴスはフィオからそう頼まれていた。
「何をバカな! その時は左ではなく右ですわよ!」
「知らねぇよ!」
言い争う二人をポカンと見ているクロエに、ザゴスは向き直る。
「その、何て言やいいのか、わかんねぇけどよ……」
居ずまいを正し、クロエもザゴスを見上げた。
「いいえ、すべてはわたしの力不足が引き起こしたことです……」
その目はうるんでいて、ザゴスは直視できずに視線を逸らした。
「キケーロ達は、新たな勇者の誕生に期待していました。それが今や『偽勇者』という烙印を押されてしまっている……」
それらの責任は、ダンケルスの陰謀を見抜けず勇者を導けなかったカタリナ、そしてその妹で今の最高指導者であるクロエにある。そう武闘僧達は考えているという。
「父が床に臥せっていなければ。わたしのような若輩が大祭司代理でなければ。キケーロもパブロもそう考えているようで……」
わたしではどうしても力が足りなくて。唇を噛むクロエに、ザゴスは何と声をかけていいのかわからなかった。わからず、ただ立ち尽くすしかなかった。
「キケーロ達も、ただ悔しいだけなんです。悪気があるわけではない。わたしはそう信じています」
強い女だ。ザゴスは自分の胸ほどまでしか背のない、華奢な女神官を見下して思った。カタリナと同じ、ブレない強さを妹の彼女も持っているのだ。それが眩しかった。
広場の入り口の方から騒がしい声が聞こえる。どうやら騒ぎを聞きつけ、キケーロ達とは別の武闘僧隊が駆け付けてきたのだろう。
「わたしが何とか言いつくろっておきます。お二人は行ってください」
クロエはそう言うと、広場の裏を指差した。
「あそこから、冒険者ギルドの方に抜けられます。武闘僧隊も、ギルドの中までは追って来れませんから……」
「すまねぇ……、本当にその……」
いいんです、と言うようにクロエは首を横に振った。
「まったく、大事になってしまいましたわね」
「テメェのせいでな!」
クロエに礼を言うと、ザゴスとエッタは教えられた抜け道へ向かって走った。




