39.自由都市ヤーマディス
昼下がり、「自由都市」の名で呼ばれるヤーマディスの「黄金通り」は多くの人が行き交う。その中で、とりわけ目に付くのが冒険者だ。
この「黄金通り」にはヤーマディス冒険者ギルドの建物があり、武器を帯びた彼らの姿を普段から多く見かけるが、この時間帯は特にその数が増す。昼食をとった後、ギルドから「クエスト」を受領した冒険者たちが続々と出て来るためだ。
ヤーマディスは円形の都市構造をしており、領主の館のある区画を中心に、8本の大きな通りが伸びている。大通りはそれぞれ城壁にある門へと通じていた。「黄金通り」もそんな大通りの内の一つで、街の外での「クエスト」を受けた冒険者たちは、北西にある「金の門」へと向かう。
そんな冒険者たちの流れに逆らうように、門からギルドの方へと歩く二つの影があった。
二本角の兜を被った大男・ザゴスと、顔の左に傷を持つ双剣士フィオ・ダンケルスである。
「ここがヤーマディスのギルドだ」
フィオの言葉に、ザゴスは眼前の建物を見上げる。「旅の神」のシンボルを掲げたレンガ造りの二階建て、外観からしてアドイックのギルドと変わらない構造であることが推測できる。
と、そこでギルドの扉が勢いよく開け放たれた。何だ、と思う間もなく、銀色の巻き毛の女が飛び出してきた。
「フィオーッ!」
ザゴスの真横を矢のように通り過ぎ、女はフィオに飛びついた。がばり、と抱きついてきた女に、フィオは目を丸くする。
「え、エッタ!?」
はい、と銀髪の魔道士風の女――ヘンリエッタは元気に返事した。
「よくぞお帰りになられましたわ! 王都では大変なことがあったと『ニュース』で読みまして、わたくしもう心配で心配で!」
大袈裟にも思える口調でエッタはまくし立てる。
「おや、髪はどうしましたの? 傷が見えてしまっているわ」
「これは切って……」
「あら嫌だ、わたくしったらこんなところで……。早く中でお話を聞かかせて!」
腕を引っ張るエッタを、フィオは「ちょっと待って」と制し、呆気にとられたようになっているザゴスの方を振り返る。
「すまないな、騒がしくて」
「お、おおう……。こいつ、誰だ?」
「あなたこそ誰です? 人を捕まえて『こいつ』呼ばわりだなんて、お顔と同じくらい失礼な方ですわね」
「顔は関係ねぇだろ!」
エッタの言うところの「失礼な」悪人顔を歪めて、ザゴスは怒鳴り返した。
「彼女はヘンリエッタ。ボクのパーティメンバーだ」
それで……とフィオはエッタの方を振り向く。
「知っていますわ。ザゴスでしょう? 名前通りの見た目をしてらっしゃいますもの」
「そいつぁどういう意味だ?」
褒め言葉でないことはザゴスにもわかった。
「当然、物語開始即噛ませ犬になって壁ごと吹き飛んでそうな悪役顔、という意味ですわ」
「何で俺が壁ごと吹き飛ばされたこと知ってやがる!?」
「あら、そんな恥ずかしい経験をお持ちで?」
「テメェ、ケンカ売ってのかコラァ!」
「ようやくお気づき? おつむりの鈍さも見た目通りなんて、笑ってしまいますわね!」
やはりこうなったか。今しも取っ組み合いのケンカを始めそうなザゴスとエッタを見て、フィオは深々とため息を吐く。
「上等だコラァ! 俺は女でも容赦しねぇぞ!」
「わたくしとて、相手が筋肉馬鹿でも手加減はしませんわ!」
いい加減にしろ、と声を掛けようとしたフィオの肩を、誰かが掴んだ。その大きな手の感触に振り向くと、見知った顔の男がフィオを見下していた。
「あなたは……!」
目を見開いたフィオに、男はニヤリと笑ってうなずきかけた。
騒ぎを聞きつけて、ギルドから出てきた冒険者や足を止めた通行人が周りを囲み、一帯に人だかりができる。冒険者同士のケンカは、ヤーマディスの一般臣民にとってもある種の娯楽であった。
「武器をお構えになった方がよろしくってよ」
その中心で、ザゴスと4イアル(※約6メートル)程の間合いを取って、エッタは挑発した。
「ケンカで武器は抜かねぇ」
そう応じつつ、ザゴスは相手を観察する。空の掌を両方ともこちらに向けている。どうやら素手で来るらしい。腰に短剣を提げているが、鞘に収まっているのも見えた。
だが、相手は魔道士、武器なくして強力な攻撃ができるのが、彼らの強みだ。街中だから、さすがに攻撃魔法はないだろうが……。
「またケンカか、誰と誰だ?」
「ヘンリエッタと……いや、わからんな」
「何者だ、あの大男?」
「昨日逃げてたっていう盗賊の仲間じゃねぇか?」
「だろうな。見るからに山賊顔してやがる」
ギルドから出てきた者や、通りがかりの人々がいつしか集まってきて周りを囲んでいる。
何が盗賊の仲間だ、山賊顔だ。どちらかと言うと俺は捕まえる方だぞ。野次馬共の勝手な評価に、ザゴスの拳に力が入る。
まあいい、苛立ちはケンカ吹っかけてきたこの女にぶつけてやる。
「あなたごとき、三手で十分ですわ」
右手を挙げて人差し指で天を指し、エッタは高らかにそう宣言する。
「連鎖魔法・三!」
「ッ!?」
聞いたこともない魔法だ。何が来る? と身構えたザゴスに、女は振り下した右の人差し指を突きつける。
「壱式・火炎弾!」
攻撃魔法、正気かこいつ! 虚を突かれたが、ザゴスは両腕で身をかばい、飛んでくる火球を何とか防いだ。
熱い! 何て女だ! だが、セコい下級魔法で助かった。次の魔法は撃たせねぇ。相手の錬魔が終わるより早く拳を叩きつけてやると、ザゴスは間合いを詰める。
「弐式・氷柱飛来!」
次は左の指をエッタは突き付ける。虚を突かれたザゴスは、飛来した無数の氷柱をまともに受けた。
速過ぎる、ありえねぇ! ケンカ用に手加減してあるのだろう、氷柱は刺さらないように先端が丸くなっていた。だが、一発一発が大人に殴られたぐらいの衝撃だ。肩や腹、腿に冷たい衝撃を受けながら、ザゴスは大声で嘆きたい気分だった。
氷柱飛来は錬魔が短くて済む下級魔法だが、それにしたって速過ぎる。まるで、あらかじめ錬魔が終わっていたかのようだ。だが、これぐらいで怯んではいられない。
「うおおおぉおおっ!」
雄叫びで痛みを打ち消すように、ザゴスは前進した。
迫りくる大男を前にしても、彼女は冷静であった。両手を胸の前でパンと打ち鳴らす。
「参式・幻魔黒光手!」
エッタの足元で闇色の塊がぬるりと動いたのにザゴスは気付く。嫌な予感がつま先から頭の天辺まで駆け上がってきた。
「ッッ!」
咄嗟に踏みとどまって、大きく後ろに跳び退る。エッタの影から何かが立ち上がってきたのは、それと同時であった。
「おお、あれは闇の上級魔法!」
上級魔法だぁ!? 野次馬から上がった歓声に、ザゴスは内心で叫んだ。これも発動が早すぎる。更に言えば街中で使っていい魔法ではない。こいつはケンカの域を超えてるぜ、とザゴスの手が腰の斧に伸びる。
その間に、影から立ち上がってきた何かが明確な形をとった。それは7シャト(約2.1メートル)は優にあるだろう、太く巨大な漆黒の腕であった。
「パーンチッ!」
黒い巨大な拳骨は、エッタの正拳突きの動作に合わせて真っ直ぐザゴスに向かってくる。
「甘ェよぉ!」
ザゴスは斧を両手で構えると、力強い踏み込みと同時に黒い拳へと大上段に振り下した。
「な……!」
「はぁ!?」
エッタと野次馬たちの発したどよめきが「黄金通り」に響く。ザゴスの斧の一撃を受け、黒い拳が霧散したのだ。
剣聖討魔流奥義・斬魔の太刀。
「天神武闘祭」決勝以来の魔法を斬り裂く一刀を繰り出し、ザゴスは長い息を吐いた。
「な、何だ今のは!?」
「魔法武器で斬った、ってことか……?」
「いや、違う! かき消えたぞ! まるで最初からなかったかのようだ……」
冒険者たちの間にどよめきが走る。自らも魔法や武器で戦う彼らには、今の一撃の不可解さは充分に理解できた。
「あ、ありえませんわ!」
一際驚きが大きいのは、魔法を斬られたエッタ本人だった。
「わたくしの魔法が、打ち消されるなんて、こんなこと……!」
「どんな魔法でも撃ってこいよ」
斧を肩に担ぎ、ザゴスは挑発するように手招きした。
「ま、テメェの魔法なんぞは一つも当たらねぇがなぁ!」
「ぐぬぬぬぬ……!」
「火炎弾と氷柱飛来は思いっきり当たっていただろう」
野次馬の中から、二人の間に割って入ってきたのはフィオであった。
「フィオ、どこにいたんだよ?」
「ずっと傍で見ていた」
まったく、と二度目のため息を吐くフィオに、ずかずかとエッタが近づいてくる。
「一体なんですの、この男! わたくしの魔法を斬るだなんて!」
反則ですわ、と叫ぶエッタに向き直ると、フィオは彼女の右耳を無造作にひねり上げた。
「みぎゃー!?」
「上級魔法をケンカで、しかも街の中で撃つとはどういう了見だ!」
悲鳴というか奇声を上げるエッタに、ザゴスは思わず二歩後ろに引いた。
「しかも、ボクがいない間に、また魔法を街中で使って謹慎していたそうだな!? 大人しくしていろと言っておいたのに、君ってヤツは……!」
何だこれは、とザゴスは当たりを見回す。周りに残っている野次馬たちは、「やっぱりアレを見ないとな」とどこか和んだ様子だ。どうやら、ヤーマディスではお決まりのやり取りらしい。
「むうぅ……。このままでは右耳だけ大きくなってしまいますわ……」
一通り説教された後、エッタは赤くなった耳を撫でながらボヤく。
「そうなる前に行動を改めてくれ」
はーい、と実が伴っているようには聞こえない調子で、エッタは返事をした。
「しかし、どうだ? これで互いの実力はわかっただろう?」
「まぁな」
こいつ、そのために止めに入らなかったのか。ザゴスはバツ悪そうに鼻を鳴らした。
「間髪入れずに魔法が飛んでくるなんて、こいつの方がよっぽど反則だぜ」
「こいつ呼ばわりは気になりますが、あなたの脳みそでもわたくしの天才ぶりが理解できたようで何よりですわ」
ころっと機嫌を直して、エッタは微笑む。そしてコホンと咳払いをし、ザゴスに右手を伸べる。
「改めまして、ヘンリエッタ・レーゲンボーゲンと申します。人はわたくしを『七色の魔道士』と呼びますわ」
「ザゴスだ。ともかくよろしくな」
大男の武骨な手が、エッタの華奢な手を包み込んだ。二人の握手を見届け、フィオは一つ安心したようにうなずいた。
そこへ、唐突に拍手の音が響く。一人分であるが、耳の奥に響くような大きな拍手だ。
「面白いものを見せてもらった」
まばらになった野次馬たちの間から姿を見せた拍手の主は、6シャト(約180センチ)はあろう大柄な男であった。肩までの黒々とした長髪の上に白いターバンを巻き、高級そうな装飾の施されたサーベルを腰に提げている。きりっとした太い眉と大きな声は自信に満ち溢れ、暑苦しささえ感じるほどだ。
「あら!」
これはこれは、とエッタは一礼した。
それを見て、ザゴスも慌ててそれに倣う。アドイックを発つ前に、フィオやダリル三世から聞いていた話を思い出したのだ。
なるほどこの男か。立ち姿やその所作から強者の雰囲気がひしひしと感じられる。
「ケンカさせてよかっただろ、フィオラーナ」
「ええ、荒っぽい方法でしたが、おっしゃる通りこの方が話が早かったようです」
そうだろう、とその男――現国王の実弟にしてヤーマディス領主、ドルフは笑顔でうなずいた。




