33.少年・神野拓人
オレにチートがあれば、こんなことにはならなかったのに。
神野拓人は、高校の入学式でそう思った。
九月まで第一志望だった地域で一番の公立高校から、3ランクも下のこの高校の同級生を見て浮かんだ、素直な感想である。
入学時点で既に染髪していたり、ピアスをつけているのはどういう了見か。だらしなく腰のあたりではいたズボンや、靴のかかとを踏むことが格好いいという価値観は、どこからくるのか。
無闇に声ばかり大きい連中が威張り散らし、隣の席からは知性のかけらもないようなバカ笑いが時間を問わず響く教室、そういう連中に諦めたような態度をとる使えない教師、こんな場所にいること自体が時間の無駄のように、拓人には思えた。
あの高校に行けていれば、こんなことにはならなかったのに。
拓人の当時の偏差値では到底手の届かない高校のことを考えながら、ずっと教室の隅で机に突っ伏し続けるしかなかった。
このまま3年間、机をお友達に過ごす。それもしょうがない。だって、周りは程度が低くて、とても話が合わないのだから。
しかし、転機は意外に早く訪れる。五月に行われた遠足で、拓人はクラスメイトから話しかけられたのだ。
(神野くん、『超光の星剣士』好きなんだ。僕もだよ! あれは今期の覇権だと思うな……)
『超光の星剣士』とは、前クールに放映されていた、ライトノベル原作のテレビアニメだ。
何故それを知っている、と驚く拓人に彼、クラスメイトの彼は、三浦は鞄を指差した。
(そのラバスト、『超光』の紋章でしょ?)
放映中に発売された数少ないグッズの一つで、オタバレしにくいデザインなのでつけていたのだが、まさかそれを一目で見抜く者がいるとは。
(ねぇ、ヒロインで誰が好き? 僕はね、ネリネかな……)
『超光の星剣士』は、小説投稿サイトで公開されていた作品を原作としている。そういった作品は5〜6人のヒロインが登場するのが常であり、『超光』もその例に漏れない。
何せ、投稿サイト公開当時のタイトルは『三浪の俺が異世界転生して星剣士のチートで奴隷ハーレムを作るようです』であるのだから。
ネリネかよ、と拓人は内心で三浦を見下した。ネリネは第1話から登場し、主人公に絶対の信頼を置く奴隷の少女だ。9歳というあまりに低い年齢設定が話題を呼んだ。つまりネリネ好きということはロリコン、9歳児にバブみを感じてオギャッてるということだ。
オレはアルミスかな、と拓人は応じた。「月の姫」と呼ばれるアルミスは、銀髪の美しい王女だ。投稿サイト時代から作品内でも一、二を争う人気で、出版やアニメ化は彼女の功績だと拓人は信じている。
帰りのバスで、ボソボソとそんな話をした。バスの後ろの方での騒ぎから耳を塞ごうとするかのように。
(この学校、深夜アニメ見てる人少なそうだから、神野くんと話が合ってよかったよ)
オレも、と言いかけて拓人は止めた。
こんなヤツと友達になってもな、という気持ちが心の奥で頭をもたげる。そう、三浦は小太りでいかにも鈍そうで、風采が上がらないのだ。
あの高校に行けていれば、こんなのじゃない友達ができたのに。
やっぱりオレにチートがあれば。少なくとも、後ろで騒いでる連中は皆殺しだというのに。
不本意ながらも、拓人は小太りの三浦と友人関係を続けた。
(来期の『Schicksal null』の二期、楽しみだよね? え、見てないの? 見たほうがいいよ。できたら『Schicksal』から見よう)
『Schicksal』シリーズは人気のある作品だが、伝奇的な暗い作風で拓人は苦手だった。特に『null』の主人公・成田守人は、大人でプロの捜査官なのに苦戦しすぎて見ていて辛いものがある。もっと爽快に無双する様を見せてほしい。
(え、じゃあ『女にモテてどうすんだ』は? 『かふぇ・そふと』みたいなありがちな日常ものかと思いきや、人物描写が意外と深くて面白いよ?)
『女にモテてどうすんだ』は、ウェブ漫画からアニメ化された作品で、彼の言うように主人公を取り巻く人間関係の機微が人気を集めている。しかし、拓人はどちらかと言うと、引き合いに出された四コマ漫画原作の『かふぇ・そふと』の方が好きだった。肩の力を抜いて見られるアニメの方が、あんなギスギスしたのよりいいに決まってる。
(だったら、『エッグビースター』は? ライトノベル原作だよ、ちょっと古いけど)
『エッグビースター』は、10年以上前に人気を博した学園異能力バトルもので、昨今のリバイバルブームを受けてアニメ化されることが発表された。だが、拓人は別にライトノベル原作のアニメだけを見ている訳ではない。
(あ、でも『エッグビースター』は原作読んだ方がいいか。シリーズ構成の人が地雷だから、アニメ多分グチャグチャになるし……)
いいよ本は、と拓人は断った。拓人が読む活字と言えば、「超光」が投稿されていたサイトの作品ぐらいだ。
紙の本は漫画でも読むのが億劫なのに、字ばっかりなんて読んでいられない。それに、主人公がひどい目に遭うかもしれない昔の小説なんて、頼まれたって読む気にはなれなかった。
(じゃあ、そうだな……)
そう言いかけた時、三浦の座っていた椅子が後ろに引かれた。わ、と大きな声を上げて彼は尻餅をつく。
椅子を引いたのは、髪を派手な色に染めた男だった。拓人の隣の席で、この教室で最も「声の大きな」生徒だ。
(邪魔だ、ブタ)
三浦が腰掛けていたのは、彼の椅子だった。空いていたから座ったのだろうが、相手が悪すぎる、と拓人は三浦の鈍さに頭を抱えた。
拓人の通う高校では、上級生になる程おとなしい生徒が増えるという傾向がある。荒れた生徒がみんな退学していくためで、それは「一年のくせに髪染めてんじゃねえよ」と絡んでくる先輩がいない、ということも意味していた。
素行の悪い生徒間の秩序がないこの高校は、ある意味でもっと荒れた学校よりも普通の生徒は過ごしづらいのかもしれない。
(ごめん、でも椅子を引くことはないんじゃないかな……)
バカか、と拓人は内心で苛立つ。何で言い返すんだ、謝るだけでいいのに。
金髪は三浦を蹴飛ばした。転がる彼を引っ張り起こし、胸ぐらを掴んで腹に2、3発入れる。教室の中に妙な盛り上がりが起こる。
腹を押さえる三浦を見下ろし、金髪は荒々しい足取りで教室を出て行った。助けて欲しそうな目で、三浦が拓人を見たような気がして、必死に拓人は目をそらした。
この一件以来、三浦は教室内の目立つグループに目をつけられ、いじめられるようになった。きっかけがあれば、誰でもよかったのだろう。1学期も半ばを過ぎて、教室は生贄を欲していた。
三浦のことを他の生徒は無視した。関心がないのか、自分が巻き込まれるのが嫌なのか、多分両方だ。
そして拓人も、それに倣った。三浦が話しかけてきても、無関係を装って無視した。
(お前、あのウザいブタと仲良いの?)
放課後、校舎裏に呼び出された拓人は、数名のクラスメイトに囲まれてそう尋ねられた。あの金髪は、離れたところでこちらをダルそうに見ている。
仲なんて良くない、と拓人は言うしかなかった。
(俺らさ、もっとあのブタに思い知らせようと思ってんの)
(だからさ、今度ブタが話しかけてきた時、ぶっ飛ばしてやれよ)
(無茶だろ。こいつ虫みたいに細いし、ブタも重いし。だからさ、『近寄るな』って言うだけでいいからさ――)
これにも、拓人はうなずくしかなかった。
結局のところ、拓人が三浦にそう言う機会は巡ってこなかった。三浦は翌日から学校に来なくなったから。
拓人はひとまず安堵し、しかし教室内でかわされる会話にビクつくようになった。次は自分かもしれない。そんな恐怖が拓人を包んでいた。
金髪が学校を辞めるまで、あとどれくらいだろうか。それまで自分は、無事でいられるだろうか。
三浦は簡単に不登校になれた。きっと親が甘いのだ。でも、自分は違う。親は無闇に厳しい。どちらもいつもイライラしていて、拓人の望みなど聞いてくれたことがない。
思えば高校受験の志望校も、親が決めたのだった。一番いい高校に進むべきだから、と息子の成績など見ずに。
オレにチートがあれば、こんなことにはならなかったのに。
『超光の星剣士』では、三浪して途方に暮れる主人公の前に神が現れて、チートを授けてくれるのだ。
今の自分は、あの主人公より、よほど不幸なはずなのに、何故このまま現実に投げ出されているのか。
そんな時に、あの夢を見たのだ。
夢に現れた少女は、六角形の紋章がついた服を着ていた。
「戦の女神」を名乗る彼女は、自分たちの世界に危機が迫っている、だから勇者になってほしいと拓人に懇願した。
『勇者として活躍できるよう、神の力「ゴッコーズ」も与えましょう……』
「戦の女神」が拓人に手をかざすと、胸の中に何か光のようなものが吸い込まれた。
『あなたはこれで最強の勇者となりました。あとは、その力の向くままご自由に……』
気が付けばタクトは、裏寂れた路地裏に立っていた。
「ステータスオープン」と叫んでも一向に何も出てこなかったり、まったくチートが身についた様子がなかった時期は流石に焦った。ひねくれた作者が書いた小説みたいな世界なのか、と内心泣きそうだった。
だが、やっとギルドに登録され、あの大男に絡まれた時、「今だ!」という感覚がわいてきた。通信教育の教材でやった問題がテストにそのまま出たような、正に「これテンプレで見たことある!」という気持ちだった。
それからは爽快だった。
群がる敵は全部吹き飛ばせばいいし、誰も自分に攻撃を当てられない。どんな力を使おうと、一切疲労を覚えない。最高だ。
女の子も寄ってくる。勇者だと知って尻尾を振ってきたアリア。胸が小さいのは難点だが、柔らかくていい匂いがしてたまらなかった。
お告げを受けたとやってきたビビも貧乳だった時は、神を呪ったものだ。カタリナは年上過ぎるし背もタクトより高いし、他にいないのかよと悔しかった。
ただ、ビビが貧乏な孤児院の出で、その経営を助けるために盗みをしていた話を聞いて、しめたと思った。
タクトの常識では、孤児院とはハーレム奴隷要員養成機関と同義であったから。
そして何よりも、ディアナ姫だ。あの『超光の星剣士』のヒロインの一人、アルミスにそっくりなお姫さま。胸も結構あるし、顔は抜群に可愛い。絶対に手に入れたい、いやオレが手に入れるべき存在だと確信した。
何か変な条件をつけてきたが、それだって簡単にクリアできる程度のことだ。勇者タクトの力を見せつけるための舞台でしかない。
だってここは、不幸の底にある自分を逆転させてくれるような、そんな世界。すべてのものは、タクトを喜ばせるためにある。
そのはずだったのに――。
そう、ご自由に、なのだ。「戦の女神」はそう言った。
だからそう振る舞った。それの何が悪い?
あの金髪だって、学校であんな風に振る舞うのは力があるからだ。この世界で最も強い力を持つ自分が、勇者タクトが、どんな振る舞いをしようと誰に咎められる?
(これでディアナ姫との結婚はご破算だ)
うるさい。
(自分自身のことも顧みてほしい。君がこの『天神武闘祭』で取った行動が、勇者としてふさわしいものだったかどうか)
うるさい、うるさい。
(それらの行動の帰結が、この敗北ではないか?)
うるさい!
勇者のこのオレが負けるなんて、この世界はどうなってるんだ?
そんな世界に存在意義があるか?
ない。
ないんだ。だから、壊してやる。壊してやるんだ――。




