31.魔人討伐指令
ズキリ、と頭に痛みが走る。身を起こしたザゴスは舞い上がる砂埃に少しむせた。
一体、何が起きた? 周りにはゴロゴロと瓦礫が転がっている。すぐ近くには、見覚えのある魔道士風の男――確かセドリックといったか――が、拡声器を握ったままうつぶせに寝転んでいる。息はあるようだ。
「……気が付いたか、ザゴス」
後ろを振り向くと、砂埃まみれのフィオが立っていた。いつもの鎧はつけておらず、黒い鎧下姿であった。
「何があった? あのガキはどこに行った?」
ザゴスの問いに、フィオは首を横に振った。
「わからない。ボクもさっき目が覚めたところだ」
カタリナの首を落とし、アリアを殺害した後、タクト・ジンノはその姿を変化させた。灰色の肌に鈍い銀の髪、赤い瞳にねじれた角とコウモリの翼、人型の魔獣と呼んでも差し支えない形態に。
ザゴスはかぶりを振った。ゆっくりと立ち上がり、体に積もった砂埃を払う。
大闘技場の壁はあちこちが崩れている。特に、北東の観客席上部の外周壁は、何かにえぐりとられたように失くなっている。数々の競技会が行われてきた競技場には、血だまりと深い穴がいくつもあり、崩れ落ちてきた瓦礫が散乱している。
ザゴスとフィオは、未だ土煙立ち込める中を歩いた。競技場部分の一角にはいくつもの布が敷かれ、その上に傷を負った兵士が寝かされている。その間を、「健康の神」に仕える神官たちが慌ただしく走り回っていた。
「ザゴスさん! フィオさん!」
大きな瓦礫を乗り越えるようにして、フードの男が近づいてくる。
「イーフェス!」
「無事だったんですね、よかった!」
「テメェもな」
観客席もボロボロだ。緊急の診療所と化した辺りには、一般市民と思しきケガ人の姿も見える。それらを見回して、フィオはイーフェスに尋ねる。
「一体何があった?」
「それが……説明し難いのですが……」
イーフェスは暗い顔で俯いた。
「どこまで覚えてらっしゃいますか? タクト・ジンノの姿が変わって、空から武舞台を攻撃したことは?」
「ああ、そいつは覚えがあるぜ」
「我々は何とかかわすことができた」
攻撃を察知したフィオはザゴスとセドリックをつかんで、雷の強化魔法を使い武舞台から離脱した。ただ、咄嗟のことだったので上手くコントロールが利かず、大闘技場の壁にぶつかってしまった。壊れかけていた鎧も砕け、そのまま気絶していたようだ。
これまで数多くの死闘が演じられてきた武舞台も、無残な瓦礫の山と化していた。もし、フィオが離脱を選択しなければ、3人とも死んでいたに違いない。
「あの審判の野郎も生きてるぜ。まだ目が覚めてねぇがな」
「後で救護班に連絡しておきます」
一つうなずいてイーフェスは続ける。
「その後、あの『超光星剣』のような技を放ち、大闘技場のあの部分を崩して……」
外周壁の北東、えぐられたようなあの箇所をイーフェスは指した。
「そこでようやく、控えていた王国騎士団や、あの場にいた戦士たちが動いたんです」
これ以上の破壊と殺戮を行うことは許さん! 王国騎士団はそう宣言して攻撃を開始、他の戦士たちもそれに続いた。しかし――
「悪夢でした。あらゆる攻撃は通じず、一方的な蹂躙が始まったんです」
イーフェスはその光景を思い出したのか、蒼い顔であった。
「アレが腕を一つ振るうと、3人の騎士が一度に死にました。ある者は上半身をねじ切られ、ある者は首を落とされて……。魔道士が上級魔法を離れたところから放ちましたが、傷一つ負うこともない……。私は恐ろしくて……自分の身を守るのが精一杯でした。バジルさんやグレースさんも戦いに出ましたが、お二人とも重傷を負って……」
今は仮設救護所のテントに寝かされているという。
「……それで、どうしたんだよ?」
唇を震わせるイーフェスに、ザゴスは続きを促した。
「大闘技場を半壊させ、王国騎士団を壊滅させたタクト・ジンノは、再び空へ飛び立ちました。そして……」
「そして、天覧席に突っ込んで、ディアナ姫をさらって逃げやがった」
「クサン!」
イーフェスの言葉を継いで現れたクサンは、ザゴスとフィオの顔を見てホッとしたように相好を崩す。
「けっ、しぶてぇ野郎だな」
「ったりめぇだろが」
厳しい顔をしていたザゴスにも、自然と笑みが戻る。
「クサン、貴殿も無事だったか」
ところで、とフィオはクサンにしがみついている少女を指す。
「彼女とはどういう……?」
少女――ビビは眉を寄せた顔を上げた。小刻みに震え、必死にクサンにしがみついている。
「彼女は、勤労奉仕で売り子をしていて。事件があった時にたまたま近くにいたんです」
「そこをこの俺が助けたってわけよ」
得意げにクサンはビビの肩に手を回す。いつも元気な彼女であったが、今は目の焦点も定まらず、立っているのがやっとの様子だった。
「勤労奉仕……そうか、ボクの財布を盗んだ件でか」
「そういうこったな。ま、財布盗んだお陰で、結果的に命拾いしたってわけだ。この娘以外のパーティメンバーは、二人とも……」
さすがのクサンも口調に影が落ちる。
「カタリナ……」
ザゴスの目には、彼女の首が落ちその身体がゆっくりと倒れていく様が焼き付いている。さぞかし無念だっただろう。どれだけ周囲から罵声を浴びせられながらも、最後まで信じていた勇者に不意を打たれて殺されるなど……。
「俺はあの時、動けなかった……」
爪が食い込むほどにザゴスは拳を握りしめた。
「ビビッちまったんだよ。カタリナの首が落ちて、本当はあの時、殴りかからなきゃならなかったのに……。情けねェ……」
ザゴスは傍らにあった瓦礫を殴りつけた。石の塊に大きなひびが入った。
「あら、らしくなく凹んでいるじゃない」
と、そこで新たな、聞き覚えのある女の声がした。
「エリス!」
この非常時にも変わらぬ営業スマイルを浮かべた冒険者ギルドの受付嬢は、後ろに二人の男を引き連れていた。
一人は、「健康の神」の礼拝所の長。負傷者の救護に駆けずり回っていたのだろう、表情に疲労の色が見える。
もう一人は、「火山の金槌亭」の店主・ヴァルターであった。肩にコートを引っかけ、不機嫌そうに腕組みしている。
「あなた達を探していたのよ」
そう言いながら、エリスは手にした分厚い「クエスト帳」を広げた。
「まず、現状の確認をするわ。タクト・ジンノは勇者の認定を取り消し、王国に仇なす『魔人』として、討伐対象になったわ」
フィオは目を見開き、ザゴスは苦い顔をした。後ろで聞いていたクサンはため息をつき、イーフェスは逆に息を飲んだ。ビビは口元を押さえている。
「魔人タクト・ジンノは、天覧席を襲いディアナ姫をさらって逃走、現在は『魔女の廃城』に潜伏しているそうよ」
飛び去った方角からの推定と、冒険者ギルド所属の探索士の調査によって、居場所は特定されたという。
「そして、冒険者ギルドに魔人の『討伐クエスト』が出されたわ。依頼主は、ダリル三世陛下ご本人」
「国王陛下直々かよ!」
クサンは目を剥いた。
「陛下はご無事なのか?」
「ええ。天覧席に魔人が乱入した時に怪我をされたけど、命に別条はないわ」
フィオにそう答えて、エリスは話を続ける。
「それで陛下は、『クエスト』にあたる冒険者を指名された」
ちょうど正面にいる二人に、エリスは人差し指を向ける。
「魔法剣士フィオラーナ・ダンケルス、および戦士ザゴス。あなた達二人をね」
「俺たちが……?」
ザゴスはフィオの方を見た。フィオはエリスの方を見つめている。
「現状、王国騎士団は半壊状態。それで、ギルドにお鉢が回ってきたというわけ。加えて、あなた達二人は決勝戦でタクト・ジンノを倒している。そのことも、陛下があなた達を指名した理由ね」
やれるのか。ザゴスは握りしめた拳を見つめる。浮かんでくるのは、カタリナの顔だった。
「『クエスト』は討伐だけか?」
「いいえ。当然、さらわれたディアナ姫の救出も含んでいるわ」
傍で聞いていたイーフェスは、フードの奥で眉を寄せる。
「ディアナ姫、ご無事なんでしょうか……」
「縁起でもねぇこと言うなよ、お前」
クサンににらまれ、イーフェスは首をすくめる。
「どう? この『クエスト』受けてみる?」
薬草採りであろうと、強力な魔獣の討伐であろうと、エリスの口調はいつも変わらない。それは、今この場でも同じであった。
「フィオ……」
ザゴスは傷のある彼女の横顔に問うた。
「やる気か、お前……?」
「当然だ」
ザゴスの方を向いた目には、強い光が宿っているように見えた。
「この事態は、もしかするとボクが『戦の女神』の思惑から外れた行動をとったために、起こってしまったことかもしれない」
「そんなこと……!」
「ないと言い切れるか?」
言葉に詰まったザゴスに、フィオは続ける。
「もしそうなら、ボクは何もしないでいることはできない。ボクのせいで誰かが傷つくのは、もうごめんだからな」
深く息を吐いて、フィオは逆に問いかける。
「お前はどうする? 貴殿を誘ったのは、この『天神武闘祭』のため。目的は果たした、これ以上ボクに付き合う必要はないが……」
「あぁ、そうかもな」
おいおい、とクサンは傍で呆れた様子だった。対して、イーフェスは「仕方ないですよ」と首を振った。
「アレは最早、決勝でお二人が戦ったタクト・ジンノとは、質が違います。死にに行くようなものですよ……」
「そうは言うが……いや、まあ確かにきっつぃけどよ……」
相手は強大なのは、ザゴスもわかっている。だが、とザゴスは右の拳を左の手で包む。そして強く握りしめた。
「だけどよ、この俺にも戦う理由はあるぜ……」
「自分も、『戦の女神』のお告げを無視した一人だからか?」
そうじゃねぇ、とザゴスはかぶりを振った。
「……ならば、カタリナか?」
それだけじゃねぇ、とザゴスはフィオの目を見返した。
「俺はあいつに、あそこでビビっちまった。それは確かだ。けどな、それをそのまんまにしておくってのは、俺の性に合わねぇんだよ! 敵が自分よか強い? いつものことだぜ、ンなことはよぉ!」
吠えるザゴスに、フィオは笑みを浮かべた。
「やはり、貴殿をパートナーに選んでよかった」
「ったりめぇだろが。俺がいなきゃ、誰がテメェを守るんだよ」
そんな二人を見つめるエリスの笑みは、心なしかいつもより朗らかだった。
「受諾ということでよろしいかしら?」
「ああ」
「任せろや!」
よろしい、とエリスはうなずき返して、背後で待っている二人に声をかけた。
「エイブ神官長、ヴァルターさん、支給品をこの二人に」
「支給品?」
「国王陛下のお計らいです。こちらの『魔剤』をどうぞ」
「健康の神」の神官・エイブは二人に、濃い琥珀色の液体の入った小瓶を手渡した。
「いつもの無料配布のものよりも純度の高い薬です。是非お役立てください」
これは個人的なお願いですが、とエイブはこう言い足した。
「どうか、アリアの仇を討ってください。あの子は純粋に勇者を信じていたというのに、こんなことになってしまった……。もっと私が強く止めるべきだったのかもしれません」
「ああ、引き受けたぜ」
顔見知りのザゴスがそう応じ、フィオもうなずいて小瓶を受け取った。
「足りねェ武器や防具があったら、何でも言いな」
神官と入れ替わるようにヴァルターが進み出てきた。
「遠慮すんな、全部王様が買ってくれるんだとよ」
「ならば鎧を頼む。『超光星剣』を受けた影響か、この通り壊れてしまったんだ」
ヴァルターはうなずき、後ろを振り向いて呼ばわる。
「ワンダァ! ダンケルスのお嬢さんに鎧を持ってこい!」
ただいまー、と彼の娘が叫び返す声がした。
「それでは、『クエスト』受領の手続きをします」
支給品の内容を書きつけて、エリスは「クエスト帳」の書面の端から「クエストチケット」を切り離す。
「ギルドマスター代行権限により、魔法剣士フィオラーナ・ダンケルスおよび戦士ザゴスに、当該の『緊急クエスト』を発行します」
フィオが「チケット」を受け取り、エリスは一つうなずいた。
「では、ご武運を。『クエスト』の成功を祈っているわ」
それは「クエスト」へ向かう冒険者にかける決まりきったセリフであったが、どこかいつもとは違って響いた。