29.負け犬ではいられなかった男の半生
天をも衝く柱となって襲いくる巨大な竜巻を前にしても、ザゴスの心は不思議と落ち着いていた。
ザゴスは背筋を正し、斧を両手で構えていた。普段は少し前かがみに、片手で斧を振り回すのが彼のスタイルであったが、この「技」を使う時は違う。
これを使うのは6年ぶりか。クサンと組んで初めて「魔女の廃城」へ踏み込んだ時のことだ。魔法を使う蛇体の魔獣に取り囲まれてあわや、ということがあった。あの頃はイーフェスもおらず、探索士向きの補助魔法しか使えないクサンと、そもそも魔法を使えないザゴスでは、あの場を打開することは不可能だった。
しかし、今ザゴスの胸に蘇るのは、それよりも以前の記憶――冒険者となる以前のものだった。
◆ ◇ ◆
ガーマスの村は、アドニス王国の南端に位置する。山間の小さな村であったが、近隣を治めるツィンド辺境伯の屋敷があった。
ザゴスの父は元は傭兵で、かつてツィンド伯の所領で魔獣が大量発生した際に武勲を立て、その功績から伯爵の住まうこの地に居を構えた。
体格のいい彼は、剣からクワに持ち替えて村で農業を始めた。また、ツィンド伯の紹介で妻もめとった。その間に産まれたのがザゴスである。
幼いころのザゴスは、今からは考えられないくらいに貧弱な子どもだった。背の高さは父親譲りだったが、ひょろひょろとひ弱だった。
ザゴスが7歳の時、これではいけないと考えた父は、自分の息子を鍛えることにした。泣き叫ぶザゴスを山に放置したり、小山のような岩を動かす試練を与えたりと、厳しく接した。
泣く泣く拷問のような特訓をこなすその内に、ザゴスは徐々に体力がつき、12歳を過ぎる頃には、村の子どもの中でも突出した存在になった。
ただ一つ、どうしてもできなかったのが魔法だった。伯爵の方針で、村には時折簡単な生活向き魔法を教える講師が呼ばれたが、ザゴスはまったく使えるようにならなかった。
ツィンド伯は、ザゴスをゆくゆくは領内の衛兵として召し抱えようと考えていた。しかし、魔法が使えない体質ではそうもいかない。衛兵は魔導灯の点灯消灯や、魔道錠と呼ばれる鍵の施錠など、魔法を使う業務もこなせねばならない。
それでも、この少年の将来を閉ざすわけにはいかない。ツィンド伯はザゴスの力を、ザゴスの父の功を高く考えていた。そこで伯爵は、ある場所へ一筆紹介状を書いた。
そこは、王国西部の山地に門を構える「剣聖討魔流」と呼ばれる流派の道場であった。
アドニス王国で「剣聖」と言えば、大抵は300年前の勇者ヒロキ・ヤマダの仲間「三賢人」が一人、剣士ゼノンのことを指す。この「剣聖討魔流」もゼノンを開祖とするものだ。
ゼノンは一流の剣士であったが、魔法が使えなかったという。しかし、長年の努力の末に魔法をも斬り裂く奥義を編み出し、それをもって魔王の攻撃から勇者を救ったと伝えられている。魔王討伐後に、ゼノンはその奥義を後世に残すべく道場を開いた。そうして確立したのが「剣聖討魔流」である。
この「剣聖討魔流」を修めれば、魔法が使えなくとも食い扶持はある。辺境伯はそう判断したのである。
こうして、ザゴスは「剣聖討魔流」の道場の門扉を叩く。彼が15歳の折のことだ。
結果として、辺境伯の見通しは甘かったと言えよう。
「剣聖」の開いた道場は、300年の平和によって歪んでしまっていたのだ。勇者を救った「剣聖討魔流」を修めたという事実だけを欲しがった、半端な貴族や成り上がりの商家の子女ばかりが道場に集うようになっていた。
そもそも、「剣聖討魔流」の主眼は「魔法の使えない者が魔法に対抗すること」にある。圧倒的に魔法が使えるものが多いアドニス王国では、廃れ形骸化することは必定だったのかもしれない。
そう、ザゴスの兄弟弟子たちは皆魔法が使えたのだ。ゼノンが苦労を重ねて編み出した奥義も、理論は残っているものの継承者は絶えて久しかった。
魔法も使えず、庶民の出であるザゴスに、彼らが辛く当たるようになるに時間はかからなかった。道場の存続だけを考える師範たちは、稽古の名の下で行われる「私刑」を見て見ぬふりした。貴族や商家の弟子たちは、道場の大切な出資者だったから。
それでもザゴスは、やり返したい気持ちを抑え込み、真面目に鍛錬に励んだ。自分と同じく魔法を使えなかったにも関わらず大成したゼノンは、いつしかザゴスの憧れと目標になっていた。また、ただの一領民に過ぎない自分に道を示してくれたツィンド伯への感謝の気持ちもあったのだろう。
だが、入門してから2年、ザゴスが17歳の時に事件は起きる。
きっかけは、いつものトラブルだった。実戦稽古で、ザゴスは兄弟子の一人を叩きのめした。それが気に入らないと、その兄弟子の取り巻き達が一斉にかかってくる。この頃には「私刑」は「乱闘」に性質を変えていた。誰よりも真面目に鍛錬に励むザゴスの実力は、いつしか道場一に上りつめていたから。
そんな中、ザゴスに炎の魔法が襲い掛かった。魔法を撃ったのは、稽古でザゴスに倒された兄弟子であった。道場での魔法使用はご法度であったが、それでも師範たちは見ぬふりだ。
ザゴスは自分を押さえつける連中を振り解く。そして飛んできた魔法の火球を木刀ではたき落としたのである。
(身体に眠る力「闘気」を高め、自らと剣を一体にする。さすれば、魔法をも斬り裂く奥義を体得せん――)
非魔法武器による魔法の迎撃。それはつまり、「剣聖討魔流」の奥義の会得を意味する。
師範たちの顔色が変わり、道場は騒然となった。前述したとおり、奥義の伝承者は絶えて久しかったためである。
ただ、それは無理からぬことではあった。この奥義は開祖ゼノンと同じ体質、即ち魔法が使えないもののための技だったから。ゼノンの説いた「闘気」とは、魔法とは相反する肉体の力。それを十全に引き出すには、魔法の力が少しでもあっては邪魔になるのだ。
その原理すらも、最早今の時代の師範たちは知らなかったようではあるが。
門下生たちの間にもどよめきが走る。一種異様な雰囲気の中、あの兄弟子が怒鳴った。
(ありえん、インチキだ! あんな田舎のザコ貴族の推薦を受けただけの、図体ばかりの庶民が、偉大なる『剣聖』の技を会得できるわけがない! こいつは魔法が使えることを隠していたんだ! そうに違いない!)
田舎のザコ貴族。その一言が、ザゴスの頭に血を上らせた。貴族の門下生は、さすがに他家をバカにするような言葉を使わない。だが、この兄弟子は商家の出だった。思わず本音が漏れたのかもしれない。
それが命取りになった。
気が付けば、ザゴスは木刀で殴りかかっていた。兄弟子の脳天を捉えた一撃は、彼の頭蓋を簡単に割った。驚き固まる門下生や師範たちを残し、ザゴスは道場から飛び出していた。
追補の兵は出なかった。道場がトラブルを嫌ったのだろうか。ザゴスは手配されることもなく、そのままアドニス王国を転々とする。道場にも故郷にも帰れない中で冒険者ギルドに登録し、仕事を求めて王都アドイックにやってきたのだった。
◆ ◇ ◆
走馬灯のように駆け廻った記憶から、ザゴスは視線を上げた。
礫と暴風を飛ばしながら近づく竜巻をにらみつける。
ツィンド伯は、ザゴスが道場を逐電した年に亡くなっていたと風の噂で聞いた。今は、彼の息子がその領地を受け継いだ、とも。立派になってガーマスに帰ってこい、と送り出してくれた伯爵に、二度と恩返しすることはできない。
だから、戒めにした。二度と「剣聖討魔流」は使うまいと。6年前は生き残りたいという気持ちから無意識の内に使ってしまったが、今は自らの意志でその禁を破る。
両手で握った斧を自分の身体と意識する。「自分は魔法を断つ一つの刃だ」と自覚するのが奥義の第一歩だ。
人剣一体、その境地がすべてを断ち切る力となる。
意識が斧に集中していく。いつよりも、自分の身体に「闘気」が充実しているように思えた。斧が「闘気」を身体の奥から汲み上げてくれる感覚が、はっきりとあった。
ザゴスは竜巻に臆さず、一歩大きく踏み込んだ。同時に、斧を振り下す。
剣聖討魔流奥義・斬魔の太刀――。
放たれた斬撃は、巨大な竜巻を斬り裂き、一瞬にして霧散させた。
「な――」
魔力を使い果たし膝をついたカタリナが、武舞台を見守るセドリックが、そして大闘技場を埋める観衆が息をのんだ。
『これは、一体どういうことだ! ザゴスの一撃で、竜巻が消えてしまったぞ!』
大きなどよめきが駆け巡る中、ザゴスは叫ぶ。
「行けッッ!」
その声が響いたのと、背後のフィオが地を蹴ったのはほとんど同時だった。
雷をまとい、フィオは一瞬で距離を詰めた。カタリナの右手側に回り込み、双剣に集中させた魔力を解き放つ。
「雷帝槍破!」
迸る雷の刃がカタリナ、そしてタクトを襲う――かに見えた。
「超光星剣」
刃が届くよりも一瞬早く、タクト・ジンノは光の奔流を放っていた。それはタクトを咄嗟にかばおうとしたカタリナごと、フィオを飲み込んだ。
『あーっと! カウンターの「超光星剣」! 勇者タクト、これは思い切った! パートナーごと吹き飛ばす一撃だッ!』
ザゴスは目を見開いた。光に呑まれたフィオが、カタリナが、宙を舞い場外に吹き飛ばされ叩きつけられる。
「テメェ……」
ゆっくりとタクト・ジンノはザゴスを振り向いた。そして深々と――最初に冒険者ギルドの受付で、ザゴスと対面した時のように――ため息をついた。その顔には、面白くないと書いてあるかのようだった。
「ほら、オレが最初からこうしてれば、もう終わってたんだよ」
無駄な時間を過ごしちゃった。そう言いながら細身の剣を引きずるようにし、両手で持ち上げた。
「……何でカタリナごとやった?」
さっきまで使っていた「流星転舞」、それを使う時間は十分にあったはずだ。カタリナを避け、回り込んだフィオの不意をつくことは可能だった。
「邪魔だから。それ以外ある?」
事もなげに、タクトは言い放つ。
「ここの遅れた文明じゃわからないかもしれないけど、『怠け者の味方が一番の敵』ってオレの世界じゃ言うんだよ。ザコのくせに口出してきて、ホント邪魔」
ザゴスは斧を構え直した。両手持ちの「剣聖討魔流」ではない、いつもの構えだ。
「よくわかったぜ、クソガキ……。テメェは俺が倒す」
「え、くるの? 降参したら? また吹っ飛ばされておしまいだよ? 同じことやるの、オレも飽き飽きなんだけど」
「同じかどうか、試してみやがれェ!」
ザゴスは斧を振り上げ、タクトに突進する。それに対し、タクトは「超光星剣」の構えを見せた。




