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いつも通りの朝


 朝起きて最初にやることは、自分の顔を洗うことじゃなくて、剣を手に取ることだ。


 日の出前の共有スペース。作業台の前に座る。道具を並べる。研ぎ石、油、布、革紐、補修材。いつもの配置に、いつもの順番で。


 (きざし)を抜いた。


 青い光が手元を照らしている。名前をつけてから、この光が少しだけ温かくなった気がする。装備師の贔屓目かもしれないけど、名前を持った剣は手に馴染む。呼べば応える。


 研ぎ石をあてた。一往復目。刃の状態を読む。問題なし。昨日の依頼は軽めだったから、消耗もほとんどない。それでも研ぐ。毎日研ぐ。必要だからじゃなくて、そうすることで刃が維持されるからだ。


 ニーカの盾。打痕なし。グリップ良好。油だけ塗り直して終わり。


 リーゼの杖。結晶に曇りなし。柄の木部に油を染み込ませる。


 足音が聞こえた。軽い足取り。


「おはよう」


 セリアが隣に座った。もう寝癖はない。水で直してから来たらしい。以前は寝癖のまま出てきていたのに、最近は直してくる。何が変わったのかは聞かないでおく。


「おはよう」


「セリア、今日教えるって言ってた油の塗り方、やるぞ」


「うん」


 セリアの短剣を作業台に置いた。新しい鞘から抜く。ベルクの報酬で買った革の鞘。よく馴染んでいる。


「油はこのくらいの量。布に取って、薄く伸ばす」


「このくらい?」


「もう少し少なく。——そう。それで刃に沿って、一方向に拭く。往復しない。一方向」


 セリアが慎重に油を塗っていく。手つきがぎこちないけど、方向は合っている。


「力を入れすぎるな。油は刃に乗せるもので、押し込むもんじゃない」


「難しい……。ラグはいつもこんなに軽く塗ってるの?」


「慣れればこのくらいの力加減が普通になる」


「毎日やってるからだよね」


「毎日やってるからだ」


 セリアが油を塗り終えた。仕上がりを確認する。少しムラがあるけど、初めてにしては上出来だ。


「……合格?」


「七十点」


「ヴェルトさんと同じじゃん」


「ヴェルトさんは革鎧の話だ。セリアは油の話。基準が違う」


「そこは八十点くらいつけてほしかった」


「甘くしたら上手くならない」


「装備師って厳しい」


「装備に妥協しないだけだ」


 セリアが笑った。柔らかい笑い方だ。


「……でもラグ、わたしに教えてくれるんだね。手入れ」


「手が足りない時に手伝ってもらえると助かるから」


「それだけ?」


「……お前が覚えたいって言ったから」


「うん。覚えたい。ラグがやってることを、少しでも」


 セリアが短剣を鞘に収めた。新しい鞘に、セリアが自分で塗った油が光っている。


「次は研ぎも教える。研ぎ石の選び方から」


「楽しみにしてる」



    ※



「腹減った——」


 ニーカが出てきた。盾を担いでいる。朝から盾を持ち歩くのはこいつだけだ。


「朝飯何?」


「パンとスープ。リーゼがスープ作ってくれてる」


「リーゼ料理できたっけ」


「スープくらいはできるわよ。馬鹿にしないで」


 リーゼが台所から顔を出した。エプロンをしている。似合ってない。杖を持ってる方が似合う。


 四人でテーブルについた。パンをちぎって、スープに浸して食べる。リーゼのスープは薄味だけど、悪くない。ニーカが「もうちょい塩」と言ってリーゼに睨まれた。


「今日の依頼、何にする?」


 ニーカがパンを頬張りながら聞いた。


「ギルドに行って決める。何か面白いのがあればいいけど」


「面白いのって、ラグの面白いは装備が絡む依頼だろ」


「当たり前だ」


「わたしは魔獣討伐がいい。盾がなまるから」


「盾はなまらない。お前がなまるんだ」


「同じことだろ」


 同じじゃない。が、ニーカにとっては同じなんだろう。盾使いと盾は一体だ。


 セリアがスープを飲みながら言った。


「わたしはどれでもいいよ。ラグが選んだやつで」


「リーダーがそれでいいのか」


「リーダーは方向を決める係でしょ。方向はラグが決めてくれるから、わたしは着いていくだけ」


「それはリーダーの仕事を放棄してないか」


「放棄じゃなくて信頼って言って」


 リーゼが紅茶をすすった。


「はいはい。仲良しね。——じゃあギルドに行きましょう。わたしはどの依頼でもいいけど、雨は嫌よ」


「雨が降るかどうかは依頼の内容で決まらないだろ」



    ※



 ギルドの窓口。


 エルマが依頼書を並べてくれた。


「今日のおすすめです。C級の魔獣討伐が二件と、B級の護衛依頼が一件。——例外指定のおかげで、B級も受けられるようになりましたよ」


「ありがとうございます。どれにしようかな」


「あ、ラグさん」


 エルマが少し声を落とした。


「プレート、裏を見てみてください」


 プレートを裏返した。F級の刻印の裏に、小さく例外指定の紋章が刻まれている。


「昨日入りました。これで正式に、等級に関わらず全ての依頼を受注できます」


 表はF級。裏に例外指定。


 指で紋章をなぞった。小さな刻印だ。でもこの刻印の裏には、ガーヴが積み上げた検討会の議事録と、エルマが残し続けた記録と、クレスが書いた報告書と、ジークの推薦書と、ヴェルトの証言がある。


 一人じゃ何も変えられなかった。装備を手入れして、依頼をこなして、帰ってくる——それだけを繰り返してきただけだ。でもその繰り返しを見ていた人たちが、少しずつ動いてくれた。


「エルマさん」


「はい」


「ありがとうございます。ずっと記録を取り続けてくれて」


「わたしの仕事ですから」


「俺と同じこと言いますね」


「ラグさんに似たのかもしれません」


 エルマが笑った。三回目だ、この人の笑顔を見るの。


「——じゃあ、B級の護衛依頼で」


「承りました。お気をつけて」



    ※



 四人で東門を出た。


 朝日が街道を照らしている。門の向こうに道がまっすぐ伸びている。


 俺の腰に、蓄。青い光を静かに灯した、名前のある剣。


 セリアの腰に、新しい鞘に収まった短剣。今朝、セリア自身が油を塗った刃。


 ニーカの背中に、大盾。毎日磨かれて鈍く光っている。


 リーゼの手に、杖。触媒結晶が朝日を反射している。


 四人分の装備。全部、俺の手で——いや、今朝からは俺とセリアの手で、手入れされている。


「行くか」


「行こう」


 歩き出した。


 何も特別なことは起きない。A級依頼もなければ、揺らぎ域もない。迷宮もなければ、審査もない。ただの護衛依頼だ。道中で魔獣が出たら倒して、依頼主を送り届けて、報酬をもらって帰ってくる。


 帰ったら装備を手入れする。夜、作業台の前に座って、四人分の装備を一つずつ仕上げる。最後にセリアの短剣。最後にしたいから、最後にする。


 終わったら寝て、朝起きて、また手入れして、また出かける。


 その繰り返しだ。


 繰り返しの一日一日は小さい。一回の研ぎでは何も変わらない。一滴の油では何も変わらない。でも毎日続ければ刃は変わるし、毎日積み重ねれば道はできる。


 蓄積こそが、力だ。


 今日の手入れが明日の切れ味になる。今日の一歩が明日の道になる。


 派手な奇跡なんかいらない。必要なのは、毎朝作業台に座ること。毎日装備を手入れすること。仲間と出かけて、仲間と帰ってくること。


 それだけを、これからも。


 ——朝起きて最初にやることが自分の顔を洗うことじゃなくて他人の武器を磨くことだって言ったら、大抵の人間には理解されないと思う。


 でも今は、隣にいる三人が理解してくれている。


 それで十分だ。

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