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F級の朝


 ベルクを発つ日の朝、ジークが東門まで見送りに来た。


「世話になった」


「こっちこそ、色々助かりました。調査に同行してくれなかったら、崖のルートは見つけられなかった」


「買い被るな。俺は途中で座ってただけだ」


「座る場所まで一緒に歩いてくれただけで、十分です」


 ジークが鼻で笑った。もうこの笑い方にも慣れた。


「何かあったら連絡しろ。ベルクの冒険者は全員、お前に借りがある」


「依頼料はもらいましたよ」


「金の話じゃない。——まあ、お前に言っても通じないか」


 通じてはいる。ただ、受け取り方が分からないだけだ。


 四人で街道を西に向かった。帰路は二日。行きと同じ馬車だ。



    ※



 二日後。ギルド本部。


 エルマの応接室。いつもの席。


「お帰りなさい、ラグさん」


「ただいま戻りました」


「報告は受けています。クレスさんの報告書が先に届きました」


 早い。クレスの方が馬で先に出発していたから当然だけど、あの報告書がもう本部に届いているということは、上層部も目を通しているはずだ。


「……上の反応は」


「混乱しています」


 エルマが眼鏡を直した。


「F級冒険者が揺らぎ域の原因を特定し、核を安定化させ、周辺地域の冒険者のステータス異常を解消した。——これを認めると、現行の等級制度に重大な欠陥があることを上層部自ら認めることになります」


「握り潰す方向ですか」


「握り潰したいでしょうね。ですが——」


 エルマが引き出しから記録の束を出した。以前より更に厚くなっている。


「ベルクの支部長から正式な感謝報告が上がっています。現地の冒険者十五名から、ラグさんの装備調整に関する証言書が提出されています。ジークさん——B級冒険者が、個人名でラグさんの技術を認める推薦書を出しました。ヴェルトさんからも同様です」


「ヴェルトが?」


「『元A級冒険者として、ラグの装備師としての技術がA級に値することを証言する』——と」


 ヴェルトが推薦書を出した。追放した相手の推薦書を。


「加えて、ガーヴさんの検討会に査定官クレスさんが個人の立場で出席を希望しています。査定課の若手が制度改革を支持するのは、本部内でもかなりの波紋を呼んでいるようです」


 エルマが記録の束を揃え直した。


「一つ一つは小さな動きです。でも、積み重なっています。上層部が無視できる段階は、もうすぐ過ぎると思います」


「……もうすぐ」


「はい。もうすぐです」


 エルマはいつも通り、断定はしない。でも「もうすぐ」という言葉を選んだのは、この人なりの確信だろう。


「俺にできることはありますか」


「いつも通りやってください。装備を手入れして、依頼をこなして、帰ってくる」


「それしかできないですけどね」


「それが一番難しくて、一番効くんですよ」


 エルマが少しだけ笑った。この人が笑うのは珍しい。



    ※



 ギルドを出て、宿に帰った。


 中級宿の共有スペース。作業台は出発前に片付けていたから、もう一度組み直す。道具を並べて、装備を吊るすフックを確認して、素材の保管棚を整理する。


 帰ってきた、という感じがする。ベルクの宿も悪くなかったけど、自分で組んだ作業台に戻るとやっぱり落ち着く。


「ラグ、お茶」


「ありがとう」


 リーゼがお茶を置いてくれた。旅の間はまともな茶葉が手に入らなかったから、久しぶりにちゃんとした紅茶だ。


「ねえラグ、一つ聞いてもいい?」


「何」


「核に触れた時、何が見えたの。帰り道ではぼかしてたけど」


 リーゼは鋭い。ぼかしていたのを見抜いている。


「……七つの調律点が循環を作ってた。レベルシステム全体が、一つの大きな装置みたいに動いてる。自然現象じゃなくて、誰かが設計した仕組みだ」


「誰かが」


「誰かが。何のためかは分からない」


 リーゼが紅茶をすすった。


「迷宮の古代記録にも、設計者に関する記述はなかったわ。でも、『七つの調律点』の存在は明記されていた。作った人間——あるいは人間じゃないかもしれないけど——は、記録を残す意思はあった。でも名前は残さなかった」


「名前を残さない設計者か」


「ラグに似てるわね。装備を直しても自分の名前は刻まない」


「……装備師は装備に名前を入れない。装備は使い手のものだから」


「でしょう。だから似てるって言ったの」


 リーゼは時々、こういう角度で物を言う。褒めてるのか分析してるのか分からないけど、核心を突くからたちが悪い。



    ※



 翌朝。


 日の出前に起きた。いつも通りだ。


 作業台の前に座って、四人分の装備を並べる。ニーカの大盾。リーゼの杖。セリアの短剣。俺の剣。


 大盾から始める。ベルクでの戦闘の疲労が残っている。盾面に細かい打痕がいくつか。研磨して均す。裏側のグリップの革紐がほつれかけている。巻き直す。揺らぎ域用に調整した角度を、通常仕様に戻す。


 リーゼの杖。触媒結晶の角度を元に戻す。緩衝材は残しておいた方がいいかもしれない。揺らぎ域以外でも、振動吸収は杖の寿命を延ばす。結晶を磨いて、柄の木部に油を塗る。


 セリアの短剣。鋭角に研いだ刃を通常角度に戻す。刃こぼれはない。この短剣は頑丈だ。セリアの使い方にも無理がないから、負荷が少ない。鞘の革を確認する。——やっぱりくたびれてる。新調した方がいい。ベルクの報酬が入ったら、いい革を探そう。


 最後に、俺の剣。


 抜いた。


 青い光が、薄く刀身全体を覆っている。明滅じゃなく、静かに灯っている。蓄積経験値が核の安定化で大幅に増えた。刃の切れ味、強度、経験値への感応力。全部が一段上がっている。


 この剣に、まだ名前がない。


 迷宮で覚醒して、揺らぎ域で育って、核を安定化させた。もう「山岳鉄の剣」では足りない。こいつには名前がいる。名前をつけて、一振りの剣として認めてやるべき段階に来ている。


 でも、まだ早い。もう少しだけ、こいつが何者なのかを見極めたい。装備師が装備に名前をつけるのは一度きりだ。間違えたくない。


「おはよう、ラグ」


 セリアが起きてきた。目をこすりながら共有スペースに出てくる。寝癖がひどい。


「おはよう」


「もうやってるの。……何時に起きたの」


「日の出前」


「昨日あんなに寝てたのに」


「寝たから起きれた」


 セリアが隣に座った。まだ半分寝ている顔で、俺が剣を手入れしているのをぼんやり見ている。


「……ラグの剣、綺麗だね。光ってる」


「ああ。核のおかげで育った」


「名前、つけないの」


「もう少し」


「ずっと『もう少し』って言ってるよね」


「……もう少しだけ」


 セリアが小さく笑った。


「わたしも、もう少し待ってる」


「何を」


「何でもない」


 セリアが立ち上がって、お湯を沸かしに行った。


 何を待っているのか、聞かなかった。聞けば答えが返ってくるのは分かっている。分かっていて聞かないのは、ずるいのかもしれない。


 でも今は、この剣を見ていたい。こいつがもう一歩育つのを確かめてから、名前をつけたい。名前をつけたら——たぶん、その先に進まなきゃいけないことがある。装備の話じゃない何かに。


 ニーカが「腹減った——」と言いながら出てきて、リーゼが「うるさいわね朝から」と続いた。いつもの朝だ。


 朝日が窓から差し込んで、作業台の上の装備を照らした。四人分の武器と防具。全部、俺の手で仕上げたやつだ。


 A級依頼を完了して、揺らぎ域を解決して、査定官の報告書が本部を揺らしている。


 それでも俺はF級で、朝は装備の手入れから始まる。


 変わったことは沢山ある。でも変わらないことの方が大事で、変わらないでいるために毎朝この台に座る。


 手入れを続けた。いつも通りの朝を、いつも通りに。

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