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光の方へ


 帰りは、行きより楽だった。


 守護者を倒したことで迷宮の魔物が大人しくなっていた。完全にいなくなったわけじゃないけど、遭遇する数が激減している。統率者を失った群れが散り散りになったのか、それとも守護者が倒れたことで迷宮自体の防衛機能が低下したのか。どっちにしろ、ありがたい。


 第五層から第四層に戻ると、闇が戻ってきた。でも行きほどの恐怖はない。道を覚えているし、敵も少ない。松明の明かりだけで十分だ。


「帰りは早いね」


 セリアが横を歩きながら言った。


「行きの苦労を思えばな」


「第二層の蛇が一番嫌だった。足に巻きつかれた時のあの感触、思い出すだけで鳥肌立つ」


「あの時はちょっと焦った」


「ちょっと? わたしは死ぬかと思ったんだけど」


「だから助けただろ」


「……うん。助けてくれた」


 セリアは小さく笑った。


 第三層を通過する時、灼熱はまだ残っていたけど、行きほど長時間滞在しないから装備へのダメージは最小限で済んだ。それでも全員の装備をチェックして、必要な箇所だけ応急処置。


 第二層の水没地帯を抜けて、第一層に戻った頃には、全員の足取りが軽くなっていた。ゴールが見えると人間は元気になる。


「あ」


 ニーカが前方を指した。


 回廊の向こうに、光が見えた。白い、自然の光。太陽の光だ。


 迷宮の入り口。外の世界への出口。


「……出口だ」


「出口だ! やった!」


 ニーカが走り出した。盾を担いだまま全力疾走。あの盾を背負って走れる体力が残っているのは純粋にすごい。


「ニーカ、走るな。最後まで油断するな」


「もう敵いないっしょ!」


「いないけど!」


 止まらなかった。ニーカが光の中に飛び込んでいく。


 残りの六人も、歩調を速めて出口に向かった。



    ※



 迷宮を出た。


 全員が地面に座り込んだ。誰からともなく、大きく息を吐いた。


「……生きて帰ったな」


 ヴァルドが空を見上げて言った。夕方の空だ。入ってから三日が経っている。


「全員無事だ。——ラグ、お前の装備管理がなかったら、第三層で何人か脱落してた」


「装備の手入れをしただけです」


「まだそれ言うか」


「事実ですから」


 ヴァルドが呆れたように笑った。笑い方が変わったな、この人。迷宮に入る前の、取りつく島もない顔とは全然違う。


「ラグ」


 リーゼが手帳を持ってきた。


「これ、ギルドに持ち帰ったら大変なことになるね」


「レベルシステムが人工的な仕組みだっていう物的証拠だ。ギルドの制度の根拠を根底から揺るがす」


「エルマさん、泣くかもしれない」


「泣かないだろ。あの人は笑うと思う。……珍しく」


 リーゼの手帳には、調律者の言葉がびっしりと書き写されている。レベルシステムの設計意図、例外体の仕様、そして「人の価値を測るものではない」という一文。


 全部持ち帰る。全部記録にする。エルマの引き出しに、最後のピースを加える。



    ※



 出口の近くで野営することにした。日が暮れかけている。街までは半日かかるから、今日中に戻るのは無理だ。


 火を起こして、残りの食料で夕飯を作った。迷宮の中では保存食ばかりだったから、火で温めるだけの簡素な食事でもごちそうに感じる。


「うまい……。温かい飯って最高だな」


「ニーカは何食べてもうまいって言うでしょ」


「言う。でも今日のは特別うまい」


 七人が焚き火を囲んでいる。迷宮に入る前はA級とF級の壁があったけど、今はただの仲間だ。同じ場所を潜り抜けて、同じ敵を倒した仲間。


 ヴァルドが俺の隣に来た。


「ラグ。一つ聞いていいか」


「何ですか」


「お前の剣。山岳鉄だったな」


「ええ……」


「迷宮に入ってから、あの剣の性能が目に見えて上がっていた。第一層と第五層じゃ全然違った。何があった」


「蓄積値が伸びたんだと思います。激しい戦闘と毎日の手入れで、通常より速いペースで経験値が溜まった」


「一週間足らずでか」


「この迷宮はレベルシステムの外にある空間です。外の世界より経験値の流れが濃いのかもしれない。俺の体質への制限もないですし」


 ヴァルドが俺の剣を見た。


「いい剣だ。前より光を帯びている気がする」


 言われて確認した。山岳鉄の暗い銀色が、わずかに青みがかった光を纏い始めている。蓄積値が一定の閾値を超えたんだろう。剣が次の段階に入りつつある。


「名前はあるのか、その剣」


「まだです。育ちきってから決めようと思ってて」


「そうか。——いい名前をつけてやれ。それだけの剣になりつつある」


 ヴァルドが立ち上がって、自分のパーティの方に戻っていった。


 剣を鞘から抜いて、火の光にかざした。青みがかった銀色。前の剣にはなかった色だ。山岳鉄と蓄積値が合わさって、この剣だけの個性が出始めている。


 名前をつける日が、近づいている気がする。でもまだだ。まだ足りない。この剣がどこまで育つのか見届けてから。


「ラグ」


 セリアが焚き火の向こうから来て、隣に座った。


「きれいだね、その剣」


「ああ、色が変わってきた」


「青っぽくなってる。迷宮に入る前はただの銀色だったのに」


「蓄積値が育ったんだ。この迷宮の中で、一気に」


「ラグの手で育ったんでしょ」


「……まあ、そうだな」


 焚き火がぱちぱちと音を立てている。向こう側でニーカが盾を磨いている。リーゼは手帳を読み返している。ヴァルドたちは自分のテントに引き上げた。


「ねえラグ」


「ん?」


「この迷宮で、自分の体質の意味が分かったでしょ。安全弁って」


「ああ」


「どう思った?」


「……正直、まだ実感がない。世界を直すための存在って言われても、俺がやってることは装備の手入れだけだから。変わらないんだよ、やることは」


「うん。変わらないよ。でも——変わらないまま、こんなところまで来ちゃったね」


 セリアが火を見つめている。炎が目に映って、赤く光っていた。


「薬草採取してた頃、ここまで来ると思ってた?」


「思ってない」


「わたしも。ゴブリンに囲まれて死にかけてた女が、迷宮の最深部に行って、古代の記録を持ち帰るなんて」


「お前は強くなった」


「ラグのおかげで」


「それは——」


「言わなくていいよ。分かってるから。半分はわたしの腕で、半分はラグの手入れ。半分ずつ」


 半分ずつ。前にもそんな話をした気がする。


「……半分ずつなら、悪くないな」


「うん。悪くない」


 セリアがちょっとだけこっちに寄って、肩が触れた。避けなかった。もう避けない。


 火が小さくなっていく。星が見え始めた。迷宮の中からは見えなかった星空。


「帰ったら——何する?」


「装備の手入れ」


「それはいつもでしょ」


「いつもやることだから。……あとは、エルマさんに記録を渡す。ハインツさんに報告する。ギルドの掲示板を見に行く」


「掲示板。またA級欄を見上げるの?」


「今度は見上げるだけじゃないかもしれない」


「うん。——わたしもそう思う」


 明日、街に帰る。迷宮で得たものを持って。


 記録と、実績と、仲間の信頼と、少しだけ育った剣と。


 全部、この手で掴んだものだ。

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