F級冒険者の朝は安い
目が覚めて、最初に手が伸びたのは枕元の剣だった。
抜いて、刃を確認して、鞘に戻す。問題なし。次に手甲、脚甲、胸当て。一つずつ触って状態を確認する。ヒビなし、歪みなし。全部無事。
……いつもの癖だ。ただ、今朝手入れするのは自分の装備だけ。ヴェルトの剣もザックの斧もリーゼの杖もない。当たり前だ。もう俺のやる仕事じゃないんだから。
三年やってた朝の作業が半分以下に減ると、妙に手持ち無沙汰になる。その分ゆっくり自分の装備を磨いた。
こいつらだけだな、俺の味方は。
……冗談だよ。装備に話しかけるような寂しい男にはまだなってない。たぶん。
※
ギルド本部の受付窓口。パーティ脱退届を出しに来た。
窓口に座っていたのは、眼鏡をかけた女性職員だった。手元のプレートに「エルマ」と書いてある。
「パーティ『銀翼の剣』、脱退届ですね。身分証と冒険者プレートを」
渡す。エルマが鑑定石で本人確認をして、書類と照合する。手際がいい。何人も処理してきた動きだ。
と、エルマの手がわずかに止まった。画面——というか鑑定石の表示——に目を落としたまま、一瞬だけ。
レベル1。たぶんそこで引っかかったんだろう。A級パーティの脱退者がレベル1。そりゃ目も止まる。
でもエルマはそれ以上何も言わず、書類に判を押した。
「処理完了です。等級はF級に再分類されます。F級で受注可能な依頼は掲示板の最下段に掲示されていますので、そちらをご確認ください」
「最下段ね」
「はい、最下段です」
表情ひとつ変えない。プロだ。プロだけど、なんか今の「最下段です」にほんの少しだけ申し訳なさが混ざってた気がする。気のせいかもしれないけど。
※
冒険者プレートの色がA級の銀からF級の鉄に変わった。
これだけで世界の扱いが変わるんだから面白い。面白くないけど。
まず宿。昨日の夜は「銀翼の剣」の宿舎を出てから適当な冒険者宿に飛び込んだんだけど、今朝チェックアウトしようとしたら「F級の方は本日以降ご利用いただけません」って言われた。
「え、昨日泊まれたよね?」
「昨日の時点ではA級パーティ所属の登録がございましたので。本日付でF級に変更されておりますから、規定により——」
一晩で手のひら返すんだな、この宿。
仕方なく街外れの安宿に移った。壁は薄いし窓の立て付けは悪いし、寝台は軋むし。でもF級プレートを見ても断らなかっただけマシだと思うしかない。
次、依頼掲示板。
エルマの言った通り最下段を見に行ったら、そこに貼ってあるのは——「薬草採取」「下水道のネズミ駆除」「農場の害虫退治」。
これ、冒険って言うか、お手伝いだよな。
報酬を見て更にげんなりする。薬草採取、銅貨五枚。A級パーティ時代、ワイバーン一体で金貨が出てたのと比べると……いや、比べるのはやめよう。虚しくなる。
薬草採取の依頼書を剥がして受付に持っていく。
周りの冒険者が、俺の首から下がったF級プレートをちらっと見て、すっと距離を取った。別にいいけど。感染るような病気じゃないぞ。
※
街の東門を出て、森に入る。
薬草の自生地は森の浅い所にまとまっていて、場所さえ分かっていれば採取自体は難しくない。A級パーティ時代に何度もこの辺は通ってるから、地理は頭に入ってる。
もくもくと採取していたら、茂みの奥から嫌な匂いがした。
獣の匂いじゃない。もっと雑で、汚くて、かすかに鉄が混じってる。
——ゴブリンだ。
茂みが揺れて、五体出てきた。
F級の採取エリアに五体は多い。群れが移動してきたか、繁殖期で行動範囲が広がってるか。どっちにしろ、普通のF級冒険者なら逃げる数だ。
普通の、ね。
腰の剣を抜いた。
この剣は見た目には何の飾り気もない片手剣だ。柄も鍔も鞘も地味。そこらの鍛冶屋が作った量産品と変わらない——ように見える。
でも中身が違う。こいつは俺と一緒に三年間、A級パーティの戦場にいた。俺の手の中で、A級の魔物が吐き出す経験値を吸い続けた。レベルに換算したら——いくつになるか、正直俺にも分からない。
先頭のゴブリンが飛びかかってきた。
振った。
一閃。
ゴブリン二体が同時に消し飛んだ。胴体の上半分が残って下半分がないとか、そういうのですらない。剣圧が通った跡に、何も残ってない。
残り三体が固まった。仲間が一瞬で消えたのが理解できてない。
二振り目。一体。
三振り目。二体まとめて。
終わり。
五体全滅。かかった時間は、息を三回吸う間くらいだ。
剣を鞘に収める。刃に血の一滴もついてない。斬った感触すらほとんどなかった。性能差がありすぎると、こうなる。
……まあ、俺のレベルは1だけど、こいつのレベルは1じゃない。そういう話だ。
薬草を採り終えて、帰る。
※
ギルドに戻って依頼完了の報告。受付——さっきと別の職員——に薬草を渡して、確認してもらう。
「はい、問題ありません。報酬は銅貨五枚になります」
銅貨が五枚、カウンターに並べられた。
五枚。
昨日まで銀貨や金貨を見てた目で見ると、ちょっと数え方を忘れそうになる小銭だ。
黙って受け取って、ポケットに入れた。
「……ありがとうございます」
受付の職員がわずかに気の毒そうな顔をしたのは、見なかったことにした。
※
安宿に戻って、装備の手入れをする。
剣は問題ない。ゴブリン相手じゃ傷ひとつつかない。でも手甲の内張りの革がそろそろ限界で、交換しないとまずい。胸当ての留め具も片方緩んできてる。
装備は経験値でレベルアップするけど、物理的な損耗は別だ。革は擦り切れるし、金具は緩む。直すには素材がいる。素材には金がいる。
銅貨五枚で買える素材なんか、たかが知れてる。
A級時代は素材に困ったことなんてなかった。依頼報酬で上等な革も金属も好きなだけ買えた。あの環境がどれだけ恵まれてたか、失ってから分かるっていうのは——まあ、よくある話だ。よくある話だからって、納得できるかは別だけど。
手甲の革を撫でて、もう少しだけ保つかどうか見極める。あと三日。三日は保つ。それまでに素材代を稼がないといけない。
F級依頼の報酬で?
銅貨五枚を三日分で十五枚。素材屋の最安の革が銅貨二十枚。足りない。
これが制度ってやつだ。レベルが低いから等級が低い。等級が低いから依頼が安い。依頼が安いから装備の維持すらままならない。底辺は底辺のまま——そういう仕組みになってる。
俺の手には、ゴブリン五体を三振りで消し飛ばす剣がある。
でもギルドの査定じゃ、俺はネズミ退治がお似合いのF級だ。
……装備を磨く手を止めて、窓の外を見た。
腹が立つっていうより、呆れてる。この制度を作ったやつは、レベルの数字だけ見て何が分かると思ってるんだろうな。
まあいい。今はこの制度の中でやるしかない。方法は、そのうち考える。
とりあえず明日も薬草だ。




