元A級の逆恨み
「銀翼の剣」の宿舎——と言っても、A級時代の宿舎ではない。B級降格に伴って居住区の変更を余儀なくされ、今は中央通りから二本裏に入った安い宿舎に移っている。
部屋は狭く、壁は薄い。ザックはその薄い壁に拳を叩きつけた。
「あのレベル1の野郎——!」
「壁に当たるな。隣から苦情が来る」
ヴェルトが低い声で制した。ザックは歯を食いしばって拳を下ろしたけど、怒りは収まっていない。
きっかけは、今日ギルドのロビーで聞いた噂だった。
F級の冒険者がC級上位のダイアウルフを三体倒した。レベル1。名前はラグ。——あのラグだ。「銀翼の剣」を追い出されたレベル1の装備係。そいつが今、F級のまま高難度の魔物を次々と倒して回っているらしい。
「ありえねえだろ。レベル1がダイアウルフだぞ? C級上位の、あのダイアウルフだぞ? 俺たちがB級に落ちてひいひい言ってる間に、あいつは——」
「落ち着けザック」
「落ち着けるか! おかしいだろ何もかも! あいつがいなくなってから俺たちの装備はガタガタで、あいつの方はC級の魔物を倒すほど絶好調? 何かやってんだよ、絶対!」
ザックの頭の中では、もう結論が出ているのだろう。ラグが何か細工をした。呪いか、仕掛けか、とにかく何かをして「銀翼の剣」を弱体化させた。そしてその力を自分のために使っている。
論理としてはめちゃくちゃだ。でもザックにとっては、それが一番「納得できる」説明だった。自分たちが弱くなった理由をラグに押しつければ、自分たちの実力は否定せずに済む。
「ヴェルト。あいつに会いに行こう。問い詰めて、何をしたか吐かせる」
「……」
「なあヴェルト!」
ヴェルトは黙って考えていた。
ザックほど短絡的ではない。ラグが何か「細工」をしたとは思っていない。でも——リーゼが以前言った「ラグの手入れに何かあったのでは」という仮説が、ずっと頭の隅に残っている。
あの時は認めたくなくて突っぱねた。今も認めたいわけじゃない。だけど、B級に落ちてさらに成績が悪化して、新しい装備を買っても駄目で、自分で手入れしても駄目で。もう他に理由が思いつかない。
「……リーゼはどう思う」
部屋の隅で本を読んでいたリーゼが顔を上げた。
「行くべきじゃないと思う」
「なんでだよ」
「追い出した側が押しかけてどうするの。ラグに非はないでしょう。私たちが——」
「またそれか。お前はいっつもラグの味方すんな。仲間は俺たちだろうが」
「味方とかそういう話じゃない。筋の問題——」
「筋がどうとか知らねえよ。俺たちのパーティがここまで落ちた原因があいつにあるなら、聞きに行くのは当然だろ」
ザックが立ち上がった。斧を背負い直す。
「俺は行く。ヴェルトは?」
ヴェルトはしばらく黙っていた。
認めたくない。ラグに頭を下げるようなことはしたくない。でも、このままB級の底で沈み続けるのも嫌だ。せめて理由だけは知りたい。
「……行く。ただし、ザック。暴力は無しだ。話を聞きに行くだけだ」
「ああ、分かってるよ」
分かってないだろうな、とヴェルトは思ったけど、言わなかった。
リーゼは本を閉じて、黙って立ち上がった。反対したけど、二人を止められなかった。また同じだ。あの査定の日と同じで、流されて、ついていくしかない。
三人が宿舎を出た。
※
同じ日の午後。
俺とセリアは東の森の少し奥、最近見つけた穴場の採取ポイントで薬草を摘んでいた。ここは人が入ってこないから薬草の質がいい。ギルドの規定では採取区域外だけど、まあ、細かいことは気にしない方向で。
「ねえラグ。私がE級に上がったらさ」
「うん」
「パーティ名とかつける?」
「パーティ名?」
「二人でもパーティ登録できるんでしょ? 名前つけた方がそれっぽくない?」
「考えたこともなかった。何がいいんだ」
「うーん……『レベル1と愉快な仲間たち』とか」
「仲間たちって、お前一人だろ」
「将来的に増えるかもしれないじゃん」
「増えるのか」
「分かんないけど。——あ、でも装備の手入れは私だけにしてね」
何だその条件は。
「装備の手入れに独占権とかないだろ」
「ある。私が決めた」
「意味が分からない」
「分かんなくていい」
セリアがにやにや笑いながら薬草を袋に詰めている。何がそんなに面白いんだか。
——と、そこで、森の入口の方から足音が聞こえた。
一人じゃない。複数。しかも装備の金属音が混じっている。冒険者だ。
足音が近づいてくる。茂みを掻き分けて、三人の人影が現れた。
先頭にいるのは——ザック。
その後ろに、ヴェルト。そしてリーゼ。
「銀翼の剣」の三人が、揃ってここにいる。
空気が変わった。セリアが俺の横でさっと表情を引き締めるのが分かった。セリアは元パーティの面々を直接知らないけど、俺から話は聞いている。
「……久しぶりだな、ラグ」
ヴェルトが口を開いた。
「ヴェルト」
「探したぞ。ギルドで聞いたら東の森に行ったって言うから」
「わざわざ探しに来たのか。何の用だ」
ザックが一歩前に出た。目が座ってる。こいつ、もう冷静じゃない。
「お前、俺たちの装備に何した」
「……何もしてない」
「嘘つくなよ。お前が抜けてから、俺たちの装備がおかしいんだよ。切れ味が落ちて、重心が狂って、何を替えても戻らねえ。お前が何か仕込んだんだろ」
「仕込んでない。手入れしてただけだ」
「手入れしてただけで——」
「ザック」
ヴェルトがザックを制した。それからこっちを見た。
「ラグ。お前の手入れに、何か特殊な効果があったのか」
まっすぐ聞いてきた。ヴェルトらしい。回りくどいことはしない男だった。
さて、どう答える。
昨日、エルマから聞いたばかりだ。俺の手入れは、ただの手入れじゃなかった。触れた装備に経験値が移る。三年間、毎朝やっていた手入れで、ヴェルトたちの装備に経験値が蓄積されていた。俺が抜けて、それが止まった。
隠す理由は——ない。隠したところで何も変わらない。
「……あった」
ヴェルトの目が細くなった。
「俺の体質で、手入れした装備に経験値が移るんだ。お前たちの装備が強かったのは——俺の手入れのおかげだった。俺が抜けて、それが止まった。それだけの話だ」
……長い静寂。
森の中で、鳥の声だけが聞こえる。
ザックが口を開いた。
「じゃあ——やっぱりお前のせいじゃねえか!」
「違う。俺が強化してたのが止まっただけだ。お前たちの装備は元に戻っただけだ」
「元に戻っただけとか言うなよ! 俺たちがどれだけ——!」
「ザック、黙れ」
ヴェルトの語気が鋭かった。ザックが口をつぐむ。
ヴェルトは俺を見ている。その目には怒りもあったけど、それだけじゃなかった。もっと複雑な何かが渦巻いている。
「……いつから知ってた」
「昨日だ。つい昨日まで、俺自身も知らなかった」
「知らなかった?」
「自分の装備に経験値が流れるのは分かってた。でもそれが他人の装備にも移ってるなんて、考えたこともなかった。ギルドの鑑定で、初めて分かったんだ」
ヴェルトが何か言いかけて、止まった。
信じるか信じないか、迷ってるんだろう。三年間の付き合いで、俺が嘘をつく人間かどうかくらいは分かっているはずだけど、今のヴェルトにそれを冷静に判断できる余裕があるかどうかは分からない。
……沈黙が続いた。
それを破ったのは、ザックだった。
「もういい!」
ザックが背中の斧に手をかけた。
「理由なんかどうでもいい。お前がやったことの落とし前はつけてもらう」
「ザック、やめろ。暴力は無しだって——」
「うるせえ!」
ザックが斧を抜いた。




