第17話 ニディアの決意
——マルセルと夜遅くまで話し込んだ翌日。
俺たちは、王都の外れにひっそりと建つ古びた工房の二階——彼が用意してくれた隠れ家に身を潜めていた。
窓の向こう、遠くかすむ街並みの中に、昨日長い時間を過ごした時計塔の影が淡く浮かんでいる。
もう日が昇ってずいぶんと経つが、ニディアが起きてくる気配はない。
この隠れ家に来てからも、彼女はずっとマルセルの語った話について考え込んでいる様子だった。
ちゃんと眠れていればいいんだけど……。
***
「女王陛下は——生きておられます」
昨日、マルセルの口から最初に放たれたのは、その一言だった。
隣で聞いていたニディアが、小さく息をのむ。
横顔には安堵とも驚きともつかぬ色が浮かんでいた。
胸の奥で揺れる思いに、まだ言葉が追いついていないようにも見える。
「それは……本当、ですか?」
ようやく絞り出した声。
思わず、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「はい、間違いございません」
マルセルの確かな言葉に、ニディアの肩からわずかに力が抜けた。
——しかし、その表情はすぐにこわばった。
「……では、母はいま、どこに?」
「確実に申し上げられるのは、幽閉の場から解き放たれたという事実までにございます。その後の消息は——いまだ掴めておりません」
生きている。だが、居場所はわからない——。
「それではなぜ、“生きている”と言い切れるのですか?」
ニディアの思いを代弁するかのように思わず声が出た。
マルセルはしばし沈黙し、続いてゆっくりと俺たちへ視線を巡らせた。
「それには、この時計塔とアイ・チューブの秘密について語らねばなりません」
アイ・チューブの秘密!
「聞かせてください!」
思わず身を乗り出した俺のすぐ横で、ニディアが間髪入れずに声を上げた。
その瞳はまっすぐにマルセルを見つめていた。
マルセルはその目を見つめ返すと深く頷き、そして静かに話を始めた。
***
「ロンディニウム王国の象徴たるこの時計塔は——単に時を刻み、鐘を打ち鳴らすためのものではありません」
時計塔と女王、そして<アイ・チューブ>
——それらがどう関連して来るのか、俺とニディアはマルセルの話に聞き入っていた。
「この場所は、遙か昔から存在する前時代の遺構なのです」
俺はあらためて周囲を見回した。
天井に浮かぶ青白い輝きを放つ魔石。
壁面に刻まれた古びた紋様。
そして——床一面を覆う複数の転移魔法陣。
確かに、前時代の遺構と言われればそう見えなくもない。ただそれが女王とどう結びつくと言うのか?
マルセルが突然俺の名を口にした。
「アカツキさんは、アイ・チューブについて大層お詳しいと姫様からお伺いしましたが、実際どの程度ご存知でしょう?」
「——アイ・チューブについてですか?」
確かに俺は<アイ・チューブ>についてはよく把握していると思う。なにしろ、この世界に来る前から知っているのだから。
ただそれは至って表層的な話に過ぎない。
なぜこの剣と魔法の世界に配信ネットワークなんていう異質なものが、しかも前世と同じ名前で存在するのか、その謎を解明する糸口さえまだ掴めていない状態だ。
「アイ・チューブは単なる配信ネットワークとご認識かもしれませんが、実際はそうではありません」
言葉に詰まっている俺に向かってマルセルはわずかに微笑むと、短く息をつき核心へと話を進めた。
「アイ・チューブの本来の役割——それは魔力をこの世界全体に行き渡らせる巨大な魔導ネットワークなのです。そして——この時計塔はその一翼を担う重要な施設——魔力の元となる魔素を生み出し、外部へと放出するための拠点になります」
魔導ネットワーク!
この時計塔が魔力の根源!?
この世界の謎の片鱗に触れ、俺は少し興奮していた。
「世界にはこの塔と同じ役割を担っている遺構が全部で八つあるの言われています。それらは互いにつながっており、それぞれに管理者と呼ばれる者が選任されています」
俺はニディアと顔を見合わせた。
「……もしかして、その管理者というのが——」
マルセルは大きく頷いた。
「このロンディニウムを統べる女王は代々、国政とは別にこの遺構——時計塔を管理する大切な務めを担っておられます」
マルセルは上方に浮かぶ巨大な魔石を見上げた。
「女王陛下に万が一のことがあってこの施設の管理者が失われた場合——あの魔石は輝きを失い、やがて砕け散ると言われています」
静寂がひととき場を支配した。
マルセルはその視線を俺たちへと戻すと、低く息を吐き、静かに言葉を締めくくった。
「しかし、魔石はいまも存在し、時計塔は動き続けております。すなわちそれが、“女王生存の証”というわけです」
***
「おはようございます!」
ドアの向こうから、ここ数日間、毎朝のように耳にしてきた声が響いた。
振り返ると、長い銀髪を無造作に束ねたニディアが立っていた。
目の下にはうっすらと影が差し、昨晩あまり眠れなかったのが見て取れる。
それでも——その瞳は、どこか迷いを振り切ったように澄んでいる。
昨日までと違う、固い意志のようなものを感じた。
「おはよう、ニディア。昨日はよく眠れ——」
俺が言い終えるより早く、彼女からまっすぐな一言が飛んできた。
「アカツキさん、わたし、決めました!」
その声は、新しい旅の始まりを告げるかのように力強かった。




