15話 第二霊術を使いました
皇女が舞い始める。大胆にしかしその所作は優雅であり、妖しさを伴って。
ひらひらと扇を振るい、伸びやかに腕を伸ばすと、はらりと木の葉が落ちるかのように身体を落とし、またふわりと桜花びらが舞うかのように飛び跳ねる。
舞に合わせる音楽もないのに、皇女の踊りを見ていると、なぜか聞こえぬはずの音楽が聞こえてくる。送り囃子の笛の音、太鼓の叩く音が耳に入り、なぜかその音がゾクリと背筋を泡立てる。
聞いてはいけない音、耳を澄ませてはいけないモノ。
しかして、皇女の舞がその悪寒を消して、瞳を釘付けにさせてしまう。いつしか誰も声を上げることなく、その舞に見惚れて静寂だけが支配する。
──そして、皇女が扇がゆらゆらと揺らすと、不思議なことに、蝶が一匹、二匹と宙に舞い始めた。
おぉ、とその幻想的な光景に食い入るようにソコクサは眺めていて、見事なものだと感嘆する。ここまで見事な舞は見たことがなかった。
心がざわつき、感動で身体が震え……やけに胸が痛くなってくる。
ひらひらと
ひらひらと
皇女が舞いながら、その妖艶なる唇で言葉を紡ぐ。
「蝶の一生、人の一生、その一時は全て等しいもの」
ハラリと着物を天女の羽織る羽衣のように振り
「その羽ばたきは美しく、栄耀栄華を極めるかの如し」
するりと紡がれる言葉は心に入ってくる。
「雨に打たれて地に落ちるのも、強風に吹かれて翅を散らすのも」
舞いながら皇女は近づいてくる。ドクンドクンとやけに胸が痛む。
これ以上は聞いてはいけない、その舞は見てはいけないと魂が警告を出すが、身体は言うことを聞かない。
「人が落ちるのも同じこと。蝶の一生、人の一生は」
扇で顔を隠して皇女は眼前に身を乗り出して囁いてくる。いつの間にかソコクサの視界は皇女の舞う姿のみに埋め尽くされていた。
「また、同じこと。貴方様の一生は蝶の寿命にて終わりを告げました」
扇を外して見せる顔は───。
「ヒイッ! な、な、ば、化け物!」
その眼窩は暗闇であった。怖気を心に奔らせる深淵であった。洞穴の如き眼窩はどこまでも深く、その奥底を人の身では決して見てはいけないモノだった。
皇女の姿をした化け物はどろりと闇に溶けていく。
「貴様ら、化け物だ、皇女は化け物……お、お前ら?」
驚き、慌てて立ち上がり配下に指示を出せようとして言葉を失う。
先程までは座っていたはずの部下たちは、影だけが畳に残り、蝶だけがひらひらと舞っている。
城も部下も何も存在してはおらず、暗闇に支配されていた。
いつの間にか、一人となっていた。一人と化け物一匹。そして埋め尽くさんとする蝶の群れ。
「お、俺は王だ! 鬼神となって世界の覇者となる者なんだ!」
「楽しげな蝶の一生。貴方様の寿命は終わりを告げました」
震える声を我慢して、心を叱咤して化け物へと叫ぼうとして、穏やかなる声音で化け物皇女が告げる。
世界は蝶のみの世界へと変わり果て、気づいたら視界は闇へと移り変わり、さらに胸が痛くなり───。
「ゴフッ………コ、コレハ」
胸にいつの間にか槍が刺さっていた。血が溢れて止まることはなく、目の前には紅き瞳の少女が冷たい視線を向けて立っていた。
全ては幻想であった。夢幻であったとソコクサは気づく。自分は魔に汚染されて、既に魔物に堕ちていたのだ。
冷酷なる視線は変わることなく、少女は口元だけを笑みに変えて、別れの挨拶を告げてくる。
「第二霊術、胡蝶の夢。楽しんで頂けたら幸いです。蝶の一生、人の一生。貴方も楽しんでもらえたら良かったのですが」
身体から力が抜けて、ドサリと膝をつく。血の気が失せて身体から熱が失われていくのを感じながら頭から倒れてしまう。
「オ、オレハ、キシンニ……オウニナッテ……」
そうして金属を擦るかのような声で呟くと、ソコクサは息絶える。
その横には翅を散らした蝶が一匹、ソコクサに添うように地に伏せていた。
◇
霊帝たる私の霊術『第二霊術:胡蝶の夢』にて眠るホブおっさんにクリティカルアタックです。どうやら成功したようで、兵士に借りた槍で見事に一撃で倒しました。えっへん。満足です。
「寝ている間に一撃必殺で攻撃をしなさい。慎重にされど大胆に、その一撃が致命傷となるように!」
「はっ! 皇女様のご命令どおりに!」
私についてきた兵士たちが敬礼をすると、慎重にスヤスヤと寝ているゴブリスの胸に槍を押し付けると体重をかけて貫きます。ゴブリスは痛みに目を覚まし、一瞬苦悶の顔になると死にました。
効き目はバッチリだ!
違いました。効果はバツグンだ! でしたっけ。
『第二霊術:胡蝶の夢』は、有名すぎるほどに有名な怪談です。
田舎暮らしの若き男が夢を持って上京する途中、怪しすぎるお爺さんの家に一泊します。身ぐるみ剥がされそうで、私なら泊まりませんが、男は無警戒に泊まります。その後、お爺さんに礼を言うと都に向かう。そうして、男は都で出世して栄華を極める人生となるのでした。
しかして、その栄華は終わりを告げて謀略で没落し、老人となった男は一文無しとなり、惨めに田舎に帰ることに決めます。そうしてまた怪しげなお爺さんの家に泊まり、起きると上京前の若い姿に戻っていました。
お爺さんは、眠るそなたの口から蝶が飛んでいき、やがて戻ってきて口の中に入っていったと説明します。男は自分の人生がただの蝶の夢であったことを悟り、栄華など虚しいものだと、無常を悟り田舎に戻るというお話です。
怪談です。私が怪談と決めました。ホラー的終わりのパターンの時は殺されて起きるという結末ですね。
この霊術は使用条件が緩く、『夜中に元気に起きている者』を対象にできます。その代わりに吸収できる霊気は2%程なんですけど。
かつては、夜中に完徹でネトゲーをして敵からドロップする超レアアイテムを狙っている人間にかけたものです。なので、天文学的ドロップ率の低さを誇る超レアアイテムをドロップさせて、喜んで頂きました。夢ですけど。そうして寝ている間にそっとパソコンの電源を強制的に落としてあげると完璧でした。
懐かしき思い出です。朝に起きてよく寝れたなぁと涙する人を見て、とても良いことをしたと喜んだものです。
この霊術は視界に入る全ての対象者にかけることができます。なので、今回は『眠り』の魔法みたいな使い方をしました。胡蝶の夢にかかったものは余程のことがないと起きません。どんなに大きな音を立てても寝ているままで、起きるのは朝になるか、怪我を負ったときだけとなります。
暗闇でも10.0の視力の私は田畑を襲う三百匹はいるだろうゴブリスと、元凶のホブおっさんを眠らせました。そして後はゆっくりと倒すだけと相成ったのでした。
霊術とはそれだけ強力なのです。一日一回しか使えないのは伊達ではありません。一日一回しか使えない理由は単純で、怪談が連続して現れたら、もうそれは怪談ではなく、ホラーコメディになるからです。
呪いのビデオに対処する間に、携帯に呪いの着信があって、電車で移動してたら、きさらぎ駅に到着した。なんて展開だと、よくわからなくなります。盛りすぎと、笑っちゃいます。なので、一日一回の縛りが霊術には存在するのです。
また出たよ。今度は河童におんぶされるメリーさんだよと、観客がゲラゲラと笑うとは少し恥ずかしい。
プレミア感って、とても大事ということですね。
周りを見ると、順調にゴブリスたちは倒されていきます。農民たちは恐る恐る近づいて、軽く蹴って起きないとわかると、安堵と憎しみの表情を器用にかき混ぜて手に持つ鍬で頭を叩き潰していた。
私の神聖力を見て、ころりと鞍替えした兵士たちが一番倒しています。まぁ、反撃されないので、倒し放題なんですけど。
ウギャァ、ゲヘッと、ゴブリスたちの断末魔の悲鳴がそこらじゅうから響き渡る。ちょっとグロ光景なので、年齢制限をつけたほうが良いでしょう。モザイクか謎の光を入れる必要があるかもです。
「この野郎、いつもいつも畑を食い荒らしやがって!」
「私たちが精魂込めて育てた米を………」
「お腹を空かせた子供の恨みだ!」
人々の憎しみが空気に漂い、とても血生臭いです。恨み辛みが人々の心を真っ黒にしていて、ありゃりゃと目を細めてその光景を見守る。
まぁ、いつもいつも作物を食べられていたら、そりゃあ憎むでしょう。鹿さんや猪さん、外来種などが作物を食い荒らすのと同じです。
この世界では狩りの免許は必要ないので、皆で狩りをしています。ですが………少し気になることがありますね。
倒したゴブリスたちが息絶える時、呪い、いえ、この世界では瘴気がその口から吐き出されているんです。小さな黒い灰のようなものが、クハッと吐いて宙を舞います。皆の目にも映っているはず。ですが気にしないところを見ると当然の現象と推測します。
そして、もっと気になる光景が続きます。
(瘴気を人が吸い込んでます。身体に悪そうですが……呪いの侵食により肉体は強化されているようです。まるでレベルアップのようですが、嬉しくはないでしょう)
黒い灰を人は吸い込んじゃうのです。そして僅かですが呪いにより肉体が変容していきます。ある人は筋肉が、ある人は額に目が開いたり。
作物もそうです。実が生り始めて、収穫が楽しみな稲ですが、呪いの力を受けてしまいその実が消えています。実るほど頭を下げる稲穂かなとは言いますが、皆背筋を伸ばして、ほとんど実をつけていません。
ほぇぇと、お口をポカンと開けて感心しちゃいます。この世界は本当に優しくない世界です。
ポカンと開けたお口に黒い灰が入ります。むしゃむしゃまぐまぐ。水で溶かしたチョコレートといった感じでイマイチです。チョコレートは湯煎で溶かすのであって、お湯に入れるものではないのです。
あ、もちろん私には効きません。だって、私は呪いの源泉みたいなもの。原油が私、重油が呪いといった感じでしょうか。重油をいくら原油に混ぜても呑み込まれるのと同じです。
(それにしても魔術を使っても、瘴気に触れても、魔獣を殺しても呪いは進行する。詰んでますね、この街の人たちが魔に汚染されるのを恐れるのもわかるというものです)
先程殺したホブおっさんへと視線を向けて、ふむと顎を擦ります。完全に身体は鬼へと変容しており、正直、まともに戦えば苦戦必至のはず。こんな魔物がポンポンと生まれる土壌では、誰も彼も生きるのに精一杯…………。
これは大変な世界に堕ちてしまいました。よく人間は文明を保って………。あ。
「ヒナギクさん。どこにいますか? 貴女はもう限界なので敵を倒さずに後ろに下がっていなさい」
ここに来た目的をすっかりと忘れてました。興味深い状況が続いたので、好奇心旺盛な仔猫はすぐに目的を忘れちゃうのです。にゃーん。
これだけの数のゴブリスを倒せば、空中に舞う瘴気もかなりの量。ヒナギクさんは魔物に堕ちるぎりぎりの線でしたので……。
「ワォーン!」
空気を震わす強烈な遠吠えが響き渡りました。皆が総毛だち、遠吠えの方へと顔を向けます。
「グルルル」
そこには3メートル程の巨体に膨れ上がった狼女が立っていました。口からはヨダレをたらし、その瞳は漆黒で混沌が渦巻いてます。黒い毛皮が身体を覆い、血塗られた爪が不気味にぬらりと輝いて、とても強そう。
ありゃりゃ。間に合わなかったようですね。失敗失敗。ぺろりと小さな舌を出して反省。
でも、ホブおっさんよりもその姿は強力そうです。
さて、どうしましょうか。真っ裸になってますよと言えば正気に戻りますかね?




