14話 ホブおっさんの成り上がり
ソコクサは『ラショウ』の街に住む皇女を護る護衛兵士だ。皇女の護衛兵の職は楽なものだった。テンナン子爵に僅かな賄賂を掴ませて、幸運なことに護衛兵となった。飛び上がって喜んだものだ。
皇子の時は死と隣合わせの危険な役職だったが、今は引き篭もりの幼女。日がな一日漫画を読んで過ごしていれば良かったのだ。そして、定時で帰り酒を飲む。そこそこ良い給料のため、酒代には困らなかった。この街は人口5千人程度で娼館もない。酒を飲むしか楽しみがなかった。
給料が良いのだから女が寄り付いても良さそうだが、ちょっと機嫌の悪いときに殴るとすぐに別れるので女っ気のなかったこともある。
護衛対象も勇者の末裔たる皇女との触れ込みだが、ただの泣き虫でひ弱な少女。側仕えの嫌がらせにも抵抗できないのだから、心底馬鹿にして蔑んでいた。時折、扉を開けて外に出ようと顔を覗かせた時は、指を鳴らして凄めばパタンと閉じたものだ。
ただの人間。俺たちとなにも変わらない。しかも後ろ盾であるはずのテンナン子爵が率先して軟禁しているのだから、ほとんどの召使いは皇女を気にすることなどなかった。
それが変わったのは、皇女が外に脱走した時だ。たまに酒を飲んで寝ていた時があったが、その時を狙ってやがった。卑怯な皇女だ。人が気持ちよく酒を飲んでいる時を狙いやがるなんて、人としてなっちゃいねえ。
部屋からいなくなった時にはさすがに焦った。怪我でも負えば、さすがに看過されないだろうと、冷や汗をかいた。
しかし、死んだとなれば生贄として処刑されると漏れ聞こえた時には、なぜ僅かな賄賂で自分が護衛兵になれたかを理解して怒りに震えたものだ。最初から皇女になにかあれば、護衛兵たるソコクサをスケープゴートにするつもりだったのだ。
卑怯じゃねぇか。あんなゴミのために俺がなぜ処分を受けなくちゃならねぇんだ? おかしいだろ。
真の理由を聞いて憤るソコクサだが、幸運の女神は未だに背を向けて剥げている後ろ頭を見せはしなかった。
まったく怪我なく、魔に汚染もされておらずに保護されたのである。その日は酒を飲み、一人で乾杯したものだ。幼いから怪我無かったんだろと、一人オヤジギャグを口にして馬鹿笑いしながら。
だが、それからソコクサに運命の刻が訪れた。
その十日後、皇女は突如として廊下に出てきた。いつもどおり凄んでやればすごすごと部屋に戻ると思っていた。脱走されたことを反省してソコクサは勤務中は酒を飲むのを我慢していたのだ。怒りを込めて睨んでやった。
なのに、性格が変わっていやがった。ソコクサの睨みをどこ吹く風と受け流し、平然とした顔で信じられねぇことに、クビを言い渡してきやがった。
人事権はテンナン子爵に代行委任しているので、クビにする権利はないとはいえ、ふざけた話だった。身の程を教えてやろうと、すこし痛めつけてやろうとしたら、あっさりと倒されてしまった。
なにか魔術を使ったにちげぇねぇ。卑怯な小娘である。ソコクサが手加減してやっていたのを良いことに肘を折ってきやがった。昏倒させられた俺が目を覚ました時には誰もおらず、憎しみと怨みが炎のように燃え上がった。
テンナン子爵に言いつけようと思ったが、外見は魔に汚染されていねえように見える小娘一人に、鬼兵があっさりと負けたとなれば、クビになるかもしれず、告げ口するのは躊躇われた。手加減していたのですと話しても駄目だろう。小娘の護衛兵になって楽をしたい者は大勢いるのだ。
悔しいが、今度復讐してやることにして、その場は諦めて肘を治そうというところで、はたと気づいた。
金がねぇ。全て酒代で消えている。『ラショウ』の街では酒の醸造をする余裕なんて無いから、行商人から買い込んでいる。そのため、かなり値段がするのだ。
そんな酒を毎日飲んでいれば貯金どころか、今月の生活費もカツカツなのは当然のことだった。
だが、この街は他の街と違い、タダで治す方法が一つある。
『瘴気』に身体を晒して、魔の侵蝕を高めて再生能力を高めることだ。極めて危険で愚かな行為である。魔に汚染されるのは取り返しのつかない愚行と言われているが、背に腹は代えられなかった。
なに、少し角が伸びるだけだ。強靭な精神を持つソコクサは自身の力を信じて、少しだけ、ほんの少しだけ、瘴気の森に入ることとした。
瘴気の森の沼に両腕を浸けるだけ。それであっさりと肘は治り、また仕事に復帰できると考えて───。
◇
「へへっ、正解だったな、あの時は」
「殿、どうしたのですか?」
「ん、なに、少しだけ昔のことを思い出しておってな。自身の力を自覚せずに、無駄に時間を浪費し燻っていた己のことをな」
思い出し笑いをするソコクサは歴戦の勇士たる証として、強者だけが持つ風格がある顔に微かに笑みを作る。
やけに懐かしいことを思い返してしまったものだ。
「ご冗談を。殿は以前より無双の力を持ち、敵はその名を耳にするだけで震え上がり、御身を目にするとネズミのように散って逃げ惑うではないですか」
ソコクサのセリフを冗談と思ったのだろう。右腕たる将軍がカラカラと笑い、近侍たちもおかしなことよと信じてはくれない。
昔の自分は本当にたいした男ではなかったのだがなと苦笑して、ソコクサは己の手に持つ重さ百貫の朱塗りの槍を軽々と天に掲げる。
「さぁ、戯れ言はここまでだ。おのれら、今日の戦を決戦と心得よ!」
大音声で発破をかけて周りを見渡す。眼下に揃うのは自分の部下たちだ。騎馬に乗り、槍を構えてその士気は高い。
「おぉっ! 遂に決戦の時。我ら最期までお供しますぞ」
「よく言ったおのれら! この戦に勝てば報奨は弾むぞ。我と共に栄華に浸ろうぞ。突撃〜!」
爽やかな風が吹く緑の草原にて、自らが乗る黒馬を駆り、ソコクサは遠くに陣を構える軍勢へと、自分の軍勢を率いて突撃するのであった。
おぉ、と味方の鬨の声が響き意気軒昂な軍勢は、敵の軍へと接敵する。槍や剣の奏でる協奏曲が耳に入り、ソコクサはニヤリと牙を剥き出しに、槍を振るって敵を倒していく。
「我こそは小田原ソコクサ! 遠からん者は耳に入れ、近くば我が勇姿を冥土の土産に持っていけ!」
「ひいっ、鬼神ソコクサだ!」
「東方の雄、ソコクサが来たぞ!」
「逃げよ、百戦常勝の王に敵うわけがない!」
敵はソコクサの姿を見ただけで逃げ惑い、ソコクサは戦にならぬと苦笑いをしながら単騎で敵の陣を切り裂いていった。
己の身体は3メートルを超えており、纏う武者鎧は龍の息吹にて鍛えしヒヒロイカネ製。強靭なる自分の魔力を吹き込まれて、どのような名刀でも傷も入らぬ無敵の鎧。
手に持つ槍は黒曜の玉鋼を鍛冶の天才が命を削って鍛え上げた無双の槍。一振りすれば敵は案山子のように吹き飛んで、屍だけを増やしていく。
「おぉ、ここに行くは東方の覇王小田原ソコクサと見受ける。いざ、勝負!」
「おおっ! なんと勇敢なる者か。いざや勝負!」
敵の中でも勇敢なる猛将が槍を構えて駆けてくる。その勇敢さと無謀さに、ソコクサは尊敬の念を込めて、合わせるように槍を振る。
「ギャッ」
軽く振っただけの一撃で、敵将の槍は砕け、頭から潰されると地面に転がり落ちていった。
「他愛ない。敵将討ち取ったり!」
これで何人目かと思いながら、ソコクサは己の強さに浸って、戦場で勝鬨をあげるのであった。
そうして、草原での戦は小田原と名乗ることにしたソコクサの軍勢の勝利となるのであった。
───ソコクサは過去において、瘴気の森の試練に打ち勝ったのだった。
己の強靭なる精神により、その身体は極めて鬼に近くなった。鬼系統でも、鋼のような強靭な精神と優れた肉体を持つものだけが到達する魔物に堕ちぬ戦士。『鬼神』へと進化に至ったのだ。
鬼神となったソコクサは勇壮な一本角を額から生やし、鋼よりも強靭な筋肉の肉体。無双の怪力を持ち、あのラショウの街での時以来、その腕一本で街を攻め、軍を作り国を手に入れて、王となっていた。
「祝着でござる。殿のお力。まさに英雄譚にしか見られぬ物。我ら一同感服致しました」
「ハッハ。そう褒めるでない。俺が慢心したらどうするつもりよ」
「殿ならば、油断しても敵う者などおりますまい」
「それは褒め過ぎというものだ。俺でも油断すればこの首飛ぶかもしれん」
部下と共に城へと戻り、勝利の宴をしながら、ソコクサは豪快に笑う。外へと目を向けると、青々とした草原と、涼やかな気持ちの良い風。そして城の周りに広がる栄えた街並みがあった。
かつての腐った風と瘴気の灰が降りしきるしょぼくれた街ラショウとは比べ物にならない。
今まで共に従ってくれた忠誠心が強き猛者たちが、広々とした広間に敷き詰められた新品の畳の上に綿の塊を絹で包んだ座布団に座り、各々が料理を口にしている。
上機嫌に酒を飲み、ここまで己が成り上がれるとはと、ソコクサは感慨深く酒を呷る。透明な澄んだ酒は喉腰が良く、その香りも味も一級品だ。
膳には山海珍味が並んでおり、平民では一生分の財産を費やしても口にはできない。昔は魚など食べるどころか、見たことすらなかったと思いながら味わっていると、部下が広間に入ってきた。
「恐れ入ります、お館様。結城帝国が和睦をと使者が訪れてございます」
ソコクサの前に座り、頭を深々と下げて言う部下。
「ほう、そうか。さすがにこう何度も痛い目に遭えば、己の立場がわかると見える」
結城帝国の領地の大半は既にソコクサのものとなっていた。もはや恐れる者はなく、今更和睦が来ても滅ぼすだけだと内心で思う。
「………で、どんな内容だ?」
が、話だけは聞くかと手を振ると意外な答えであった。
「それは、わたくしが貴方様の妻になるとの条件ですわ」
広間に、妙齢の女性がしずしずと入ってくる。着ている物からして一級品で、蝶が羽ばたく金糸の意匠がとても見事で、深い蒼色の着物によく似合っていた。
「ほう……」
なによりその美しさは尋常ならざるものであった。空気の中でサラサラと流れるような銀髪が腰まで伸びており、その瞳はどこまでも紅く、唇はその笑みだけで腰砕けになりそうな魅力を持っていた。
着物の上から見ても、その肢体は男の目を奪う。豊満な胸にくびれた腰つき。静かにおしとやかに歩くその姿は女神がいるかのようで、むせ返るような妖艶さと色香を放っている。
絶世の美女とはこの者を言うのだろうと、呼ばれてもいないのに勝手に入ってきたことを注意しなければならない部下たちも言葉を失い、喉をゴクリと鳴らす。
ソコクサもその姿に見惚れる。頭の片隅でどこかで会ったような気もしたが、これ程の美女に会ったことがあれば記憶にあるはずだと、すぐに気のせいだと気にすることをやめる。
「わたくしは、皇帝陛下の皇女たる───」
フフッと赤く塗られた唇から紡ぐ名前はどこか聞き取れない。飲みすぎたかと頭を振り、興奮で心が躍る。
「和睦の証にと、わたくしをソコクサ王の妻にとのことです」
「そ、そうか。ふむ……皇女を嫁にと差し出すのであれば仕方あるまい。そこまでの気持ちであれば受け取らなければ悪いであろう。よし、和睦は相成った。それ、近うよれ」
これほどの美女が己の物になると興奮をかくしきれずに手を伸ばすと、ツト摺足でさり気なく皇女は後ろに下がり、手に持つ扇を広げて口元を隠す。蝶の模様が扇に入っており、またもや蝶かと怪訝に思いながらも、多少不機嫌な声を出す。
「これ、どうして後ろに下がる? 俺の嫁にと来たのであろう?」
「はい。ですが、和睦の証にわたくしが得意とする舞踊をご披露できればと思いまして」
皇女の紅い瞳がやけに心を掴んでくる。
「さぁ、ひと差しの舞をその瞳に焼き付けてくださいませ。心に焼き付けて、魂で記憶してくださいませ」
ね、と妖艶に唇を笑みへと変えて、皇女は扇を振りかざすのであった。




