13話 逆恨みは困ります
城壁から飛び降りる間に、私、結城レイ皇女の領地である街並みが目に入ってきます。十万人は余裕を持って暮らせそうなかなりの広さです。城も立派ですが、街も計算された五目盤のように道が作られていて、古の京都を思わせます。
街並みは見事なもので、宮造りにて計算された精緻な和風の建築物があると思えば、どっしりと構えるような石造りの中世風ヨーロッパ家屋もあります。どういう経緯なのかはさっぱりわかりませんが、建物自体はしっかりと作られており、景観の良さも考慮されて、意匠も凝っているので、元は裕福で活気のある街だったのでしょう。
今は広がる街並みに人気をあまり感じない。住人が家屋の数に比べると断然少ないようです。
まぁ、調べるのは後々で良いでしょう。今はそんなことはおいておいて、私は風圧で靡く銀髪と、寝間着がバタバタと煽られていく中で、地上が近づくのでくるりと回転する。
寝間着の裾を掴んで、パラシュート代わりにしてふわりと屋根に舞い降りる。今の私はスカートをふくらませて広げるだけで、浮力による影響を受ける軽い身体なのです。
「では、もう少し頑張りましょうか。屋根の請求は心配しないで大丈夫です」
壊れやすい瓦に足を強く踏み出し駆ける。私の体重は軽いとはいえ、それでも普通ならばヒビ程度は入りますが、瓦屋根は音もせず、ただわずかにそよ風が流れるのみ。
疾走して次の家屋へと飛翔する。一歩の間合いがジャガーを超える私には家屋同士の間が広がっていても一飛び。その駆ける姿は銀の閃光、誰かが走る姿を見ても風ではないかと思うでしょう。閃光のレイです。
足音すら残さずに、街を駆け抜けてすぐに街壁に辿り着きます。家屋から街壁までは数十メートルは離れています。内部から街壁まで足場として使われて抜け道に使われることを警戒している模様。
フゥ〜と息を吐き呼気を整えます。熱き血潮が私の肉体を活性化させて、か弱い子鹿のような脚に力が入ります。
「たあっ」
屋根を一層強く踏み込んで、瓦が微かにカタリと音を立てて、私は一気に飛びました。数十メートルの距離は、たった一歩の間合いに変わり、私は街壁に脚をつけると、そのまま垂直に駆け上がり、タムと壁の上に到着です。
「な、何者!? い、いや、姫様!? な、なぜこんなところに。いえ、いったいどうやって? そ、そのお姿は!?」
「そーゆー会話はいりません。スキップでお願いします。で、状況はどうなっているのでしょうか」
壁の上で警備をしていた兵士が突然壁の下から飛び出してきた私に驚き槍を向けて、まずいと思ったのかすぐにおさめます。
モブ兵との会話には興味なく、私はその横を通ると街の外へと目を向けました。
「ほぉ〜、なぁるほど。かなりの数が攻めてきていますね。で、兵士はなぜここでのんびりと見ているのですか? 街を守るために矢を撃つくらいはするのでは? 矢は? 矢を撃つのは嫌とか? 苦手とか?」
銀髪をかきあげて、鋭き紅き瞳で街壁にいる兵士たちをジロリと睨みます。
街の外には田畑が広がっていました。畦道に篝火が置かれて、暗闇の中で周りを照らしています。暗闇の中から、以前に出会った化け物リスたちが現れて、武器を構える農民たちへと襲いかかっていました。
「はっ! 申し訳ありませんが、矢は尽きており予算も下りません! ですので防衛に使うことができないのであります! ゴブリス程度、矢が潤沢にあれば追い払えるのですが」
ビシッと敬礼して答える兵士。その言葉に含まれた毒は蔑視と怒りがこめられています。助けたいが助けられないといったところでしょうか。
テンナン子爵の横領は笑えないレベルにまで及んでいるようですが、兵士は怒りも悔しさもその表情に浮かんでいるので、兵士たちはマシな方でしょう。というか、あの化け物リスはゴブリスというのですか。ネーミングセンスイマイチですね。
領主として働けニートという強く責める視線をスルーして、顎に手を当てて考え込みます。下に行って戦いなさいと指示を出すのは簡単です。この兵士たちは向かってくれそうですし。
でも、マシな兵士たちに怪我をして欲しくありません。これからのことを考えると戦力は大事にしたいです。兵舎で飲んだくれている奴らは簀巻きにして生き餌にしても良いのですがね………。
「ワオーン!」
狼の遠吠えが聞こえてきたので、そちらへと視線を向けると、田畑の前で無双している犬娘さんが目に入ります。
なんというか………想像以上の力です。爪を振るえば、ゴブリスの身体にピシリと縦に軌跡が走り、5等分に分かれていきます。腕を振るえばゴム鞠のように吹き飛ばし、口から血を吹き出してゴブリスは息絶えます。
何匹ものゴブリスたちが噛みついたり、爪をたてたりしていますが、毛皮が切れることもなく、平気な顔で、犬娘さんは反撃していました。
無双です。これでまだ魔物に堕ちていないのですか……。満月に現れる狼男のようです。伝説と同じ強さですよ、ヒナギクさん。狼男のふりをしたことのある私が太鼓判を押しちゃいます。
「あれなら助けなくとも大丈夫でしょう。それよりも……」
どんどん湧いてくるゴブリスたちの数がおかしいです。どこから現れるのかと街壁から身を乗り出して見渡します。
ふむ………。田畑の前には篝火がありますが、外壁近くにはない。外壁は5メートルほどの高さですが、その厚さは薄く、そしてとても広大です。あまりの長さに兵士は配備していないのでしょう。あくまでも田畑を守るための物レベル。
たとえ闇夜でも私の視力は10.0です。
明かりが届かないので、ゴブリスたちは壁を越えてやってきているのだろうと思って、皆は気づいていないようですが………。
「あぁ、こおにっさんはそこにいたのですか」
暗闇に支配される外壁の門前。本来は篝火があったのでしょうが消されており、兵士が倒れている姿が見えます。そして、門は開け放たれており、赤銅の肌を持つ男が立っていました。濁った血のような角を生やし、牙を剥き出しにして、腕を振り上げて指示を出しているようです。
見覚えのある人影です。いなくなった元警備のこおにっさんです。白い部分が存在しない紫色の瞳をして、明らかに様子が変です。
「あれが魔物に堕ちるということですか。なるほど、こおにっさんはホブおっさんに進化したのですね」
魔物に堕ちています。霊視を使えばその魂に一片も光がないのが私には見えているのです。
たしかに以前よりは強くなっていそうです。引き締まった身体付きは筋肉の鎧といっても良いでしょうし、その顔は厳つく、腕を荒々しく振る姿も獰猛そうで魔物としての貫禄もあります。頭もますます悪くなっていそうです。
なぜ魔物に堕ちて、門を開けて魔獣を引き入れているのか理由はさっぱりわかりませんが。
「ギャーハッハッ! お前ら皆殺しにしろおぉっ! あの小娘を殺すんだ。こんなこんな肘を癒やすためにために、少しだけだけ魔に汚染ををを、俺の身体ぁ」
理由、わかっちゃいました。ホブおっさんが叫んでます。
「わかりやすい叫びをするとは、もはや頭はスポンジに侵食されたのでしょうね」
さすがに呆れて額に手をあてて嘆息してしまいます。あのこおにっさんが小物だとわかっていましたが、ここまで愚かであったのは想定外でした。
「そこの兵士さん。身体を癒やすために瘴気を浴びることなどあるのですか?」
「はぁ? そんなことをするのは金のない貧民くらいでしょう。回復魔術をかけてもらったほうが汚染は進みませんからね」
私の問いかけに、そんなことも知らないのかと冷たい目を向けてくるが、兵士は意外と素直に答えてくれます。
そうですか、そんなことができる世界なのですね。魔物に堕ちれば回復力が上がると。まぁ、当然の特性のような気がしますが。こおにっさんは金がなかったのでしょうね。護衛兵の職にいるのに貧乏そうでしたから。
肘の腱を治すために、ちょっとだけ魔に汚染しようとでも思ったのでしょう。そして、見事に精神が脆弱なこおにっさんは完全に魔に堕ちたと。
………回復魔術でも魔に汚染されるとの一言は気になりますが、まぁ、今は良いでしょう。疑問ばかりが浮かび続けるので、後でメモ帳に纏めなければいけませんね。
即ち、元々の元凶はこおにっさんの肘の腱を切った私のせい───。
ではなく、絡んできたこおにっさんのせいということですね。肘の腱を切られたこおにっさんは自業自得、逆恨みです。
悪人を仏心で見逃したら、後でとんでもない悪事をしました。俺があの時殺していればとか、小説とかの主人公なら罪悪感に苛まれることでしょうが、あれは悪人が悪いのです。主人公は悪くありません。
即ち、私は罪悪感はまったく覚えません。元々感じませんでしたけど。
どんどんゴブリスを引き入れるホブおっさん。『魔物呼び』とかスキルに持っていそうです。
このままでは田畑が荒らされて、私のご飯も少なくなりそうです。玄米をそろそろ精白米にしたいと考えていたので、とても困ります。私は段々味に拘るようになっているのですよ。
「反省していれば、それでおとなしくおさまったはずなのに、あのこおにっさんの頭脳はカラカラと音が鳴るほどに空っぽだったのですね」
田畑には数百匹。もはや蝗害に近い。いかにヒナギクさんがゴブリスを倒しても間に合いません。
「皆さん、私が神聖術を使用したら、すぐに街壁を降りて、ゴブリスたちを殺してください。ダッシュですよ。ハイヨーシルバーです」
「し、神聖術? とはいったい?」
「見ていればわかります」
街壁の縁に飛び乗ると、ふわりと身体を回転させます。舞うようにふわりふわりと縁の上で回転し、霊気を手のひらに集めます。
薄く仄かな青白い光が手のひらに集まっていき、その光が辺りを幻想的に照らしていきます。
「勇者の末裔たる私が覚醒した神聖術。話のネタに見せてあげます」
わざといたずらそうに、妖精が人をからかうように呟きながら、縁の上を飛び跳ねます。
その美しさに兵士たちは見惚れて、手に持つ槍を落とす者もいます。
「ま、魔術?」
「いや、魔術ならば闇の色だ………は、初めて見るぞ」
「そ、そうだ、光の魔術でも闇が欠片となって存在するのに」
「神秘的だ。し、神聖術?」
ふふふ、動揺してください。感心してください。噂話をしてください。
霊術を神聖術と私は騙ることにしました。
「そのとおりです。私は神の加護を受けし者。『神女』となったのです!」
これからは神女結城レイです。今、決めました。
呪殺系統ではない、今回の霊術。人の心を癒やし、暖かさを与えます。神聖術との騙りは信憑性が増すに違いありません。
世界が私の色に染まる中で、手のひらに集めた霊気を術へと変えて発動させます。
『第二霊術:────』
さあ、霊帝の力、とくと御覧あれ。




