104. テルマエ・デタントの泡の湯
※ お食事中に読むには、相応しくない表現があります。ご注意ください。
思わぬ緊急事態に見舞われて、慌ただしく到着した第三の宿泊地「テルマエ・デタント」。
この町は、左右を険しい山に囲まれた谷間の小さな町で、縦に細〜く長く広がっている。
(まさに、前世で観たアルプスの少女のアニメみたいなところだなあ……)
青い空とも相まって、高山地帯特有の風光明媚な景色を望める土地だけど、冬はとても厳しいので、決して住みやすいわけではないと聞く。
それでも、町と言えるほど発展しているのには、理由があった。
一つは、南北を結ぶ山越えの交易路沿いであること。もう一つは、「テルマエ」の名前のとおり、古くから湯治場として有名なことだ。
(湯治場ということは、つまり温泉がある……!!)
温泉。それは、日本人の心。いや、僕は異世界に生まれ変わってしまったからもう日本人ではないけれど、温泉好きは魂に刻まれていると言っても過言ではない。
前世で銭湯・サウナが流行った時は、よく残業終わりに銭湯に通ったものだ。
熱い風呂とサウナで限界まで我慢して汗を流し、水風呂で火照りを冷ます。そして、風呂上がりのビール。今思い出しても、最高だった。
この世界は生活魔法の洗浄があるからか、それとも上下水道が整備されていないからか、お風呂文化が根付いていない。
だから、僕は本当に、無性にお風呂や温泉が恋しかった。
ましてや、今日は酷い目にあったのだ。いくら洗浄で綺麗にしても、まだ体が土っぽい気がする。
「さあ、リュカ。夕食までまだ時間があるし、にいにと温泉に行こっか」
「おんせん〜? なあに?」
「ククク〜?」
メロディアとリュカは、こてんと揃って首を傾げる。
「温泉は、温かくて気持ち良いお湯のことだよ。体にとっても良いんだ」
「? いたい、いたい、とんでく?」
「そうだね。飛んでいく、はず」
「……ぼく、おんせん、いくー!」
「ククー!」
たぶん温泉を良くわかっていないリュカとメロディアを連れて、僕は一階の浴場へと向かう。途中、おじいちゃんにも声を掛けると一緒に行くとのことで、家族三人+一匹の水入らずだ。
宿の一階にある浴場は男女で分かれているみたいで、「男」と書かれた右側の扉に入る。
「ええと、なになに……。このハーフパンツを履いて湯に入ること、だって」
「ほう。湯浴み着、というのか」
入ってすぐの脱衣所には、薄茶色のハーフパンツとタオルが積み上げられていた。立て看板に、簡単な説明が書かれている。
どうやら、今世の温泉は裸ではなく、水着のような湯浴み着を着る決まりらしい。
「はい、リュカ〜。ばんざ〜い」
「ばんざ〜〜〜い」
リュカをすっぽんぽんに剥くと、見事なぽっこりお腹の幼児体型が現れる。兄ばかだけど、つい手のひらで撫で回したくなるかわいさだ。
(もう少し大きくなったら、このお腹もシュッと細くなっちゃうのか……)
いつ触り納めになっても良いように、僕は隙あらばリュカのお腹をぷにぷにしつつ、子ども用のハーフパンツを履かせる。
僕とおじいちゃんも手早く着替えて服を収納にぽいっと仕舞ったら、準備完了だ。
「お・ん・せ・ん〜♪」
「ク・ク・ク・ク〜♪」
「リュカ、じいじと手を繋ごう。床が濡れておるから、転んでしまう」
「は〜い!」
(いよいよ、今世初の温泉だ!)
期待に胸を膨らませて足を踏み入れた浴場は、僕たちの貸切状態。湯船は浴槽というよりも、石と岩でできた小さなプールという感じだ。
無色透明の水面はうっすらと湯気が立っていて、ほんのり鉄臭いような匂いがする。
正面には窓も遮る物もなく、春の草原に羊小屋が点在する絶景が広がっていた。
「ほわ〜。もあもあ!」
「クククク〜!」
「おおお。温泉だ!」
今すぐ温泉にどぼんと飛び込みたいけれど、まだ我慢だ。入る前に体を洗わなくては。
おじいちゃん、僕、リュカ。せっかくだからと、三人一列に並んで僕がおじいちゃんの背中を洗い、リュカが僕の背中を洗う。
僕が言い出したものの、この年で洗いっこは少し気恥ずかしかった。
(おじいちゃん、もう六十をとっくに過ぎているはずなのに、綺麗な筋肉がついているなあ。……それに、父さんと後ろ姿がそっくりだ)
僕には、がっしりと広いおじいちゃんの背中が、父さんと重なって見えた。やっぱり親子なんだなと、改めて思う。
「うんしょ、うんしょ。ふ〜っ。にいにー。ぼくのおせなか、あらって〜」
「はいはい」
リュカと自分の体を丸洗いしたら、やっとみんな揃って温泉に入る。
「ざっぶ〜〜〜ん」
「ククク〜」
「あ゛ぁぁ〜〜〜」
「ほう……」
温泉に入ると、自然と声が出てしまうのはなぜだろう。ぬるめのお湯にじんわりと体が温まって、疲れが溶け出るような気がした。
「はあ……。最っ高……! 生き返る〜」
「温泉とは、気持ちが良いものだな」
僕は両手で温泉を掬って、顔をバシャバシャと洗う。縁に頭を乗せて目をつむると、自然と体がお湯に浮いて極楽気分だ。
その姿勢のままちらりと横を見ると、おじいちゃんも縁に両手をかけて、いつになく寛いだ表情で温泉を楽しんでいた。
「こうして、孫たちと温泉に入れるとは思わなんだ。長く生きるものだな」
「おじいちゃん……」
濡れた前髪をかきあげるおじいちゃんの深いしわに、水が滴る。こういう渋い色気を、前世では確か『イケおじいちゃん』と言っていたはずだ。
「ねえ、ねえ。にいに〜。ぼく、あわあわ〜」
「ククク〜」
「お〜。本当だ」
リュカを見ると、体が泡で真っ白だ。僕の体にも、びっしりときめ細かい泡がまとわりついている。手で払うと、しゅわしゅわと弾ける感触が気持ち良い。
(炭酸? そういえば、温泉を鑑定したら効能がわかるかな?)
「鑑定」
ーーー
【名前】テルマエ・デタントの泡の湯
【状態】良
【説明】人も動物も飲用・浴用可。さまざまな鉱物が溶け出した鉱泉(源泉)。発泡成分を豊富に含む。皮膚の病・切り傷・冷え性・筋骨格の痛み・疲労回復などに効く。
ーーー
温泉の効能は、まさに今の僕にうってつけだ。手のひらや顔のすり傷が早く治りますようにと、念入りに擦り込んでおく。
(それと、この温泉。飲めるみたいだけど、さすがに湯船のお湯を直接飲むのはちょっと……)
ほかに何かないかと辺りを良く見ると、湯気が晴れた隅に小さな鉢が置かれていて、ちょろちょろと水が湧いていた。
そばには小さなコップや手酌も置かれていて、コップの絵に○と書かれた看板もある。きっと飲むならこちらをどうぞ、ということだろう。
僕はざぱっと湯船から上がって、試しに一口飲んでみる。
(! 前世ぶりの炭酸水だ!)
温泉水は、ほんのりとした塩味と鉄っぽい味だ。
残念ながら、すごく美味しい! というわけではないけれど、喉を通り抜ける炭酸が爽やかで、ごくごく飲めた。
「あ! にいに、ぼくものむ!」
「ククーン!」
「はい、どうぞ」
「いただきま〜すっ」
「クク〜ン」
リュカもメロディも、腰に手を当てて気持ちの良い飲みっぷりだ。……けど、途中から炭酸の刺激に目を白黒させて、肩をぎゅっとすくめた。
「ぷっはあ〜! おみず、けぷっ、ぱちぱち、けぷっ」
「クク〜、ぽっぷ、クク〜、ぽっぷ」
「あははは! そんなに一気に飲むから……!」
げっぷが止まらないリュカとメロディアに、僕は笑いが止まらない。おじいちゃんですら、声を殺して笑っていた。
そんな風に適度に水分を摂りながら、僕たちは温泉にゆったりと浸かる。ぼうっと景色を眺めたり、リュカとどちらが長くお湯に潜っていられるか競ったり。
すわ温泉でのぼせているのではないかと、心配した家人や騎士たちが様子を見に来るくらい、僕たちは長湯を満喫したのだ。
■ 補足
① おじいちゃんはよく「〜なんだ」と言います。例としては「思わなんだ」とか「知らなんだ」とかですね。「〜なかった」と過去の否定を表す少し古風な言い回しです。こちら、誤字報告をいただくことが多いのですが、誤字ではありません。おじいちゃんの厳しさを表現したくて、あえて使用していますので、ご承知おきください。
② 飲泉には禁忌があります。動物の温泉浴も、温度や成分によっては危険ですので、現実ではどうぞご注意ください。




